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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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91、あるいは物言い

 真っ先に響いたのは骨の砕ける乾いた音と鉄鋼の砕け散る破砕音。

 片腕で放ちながらこれほどの威力。駆け抜ける衝撃と痛み、意識が霞み、膝から力が抜ける。さしもの弥三郎とはいえ、その瞬間、死と敗北を確かに意識した。

 本来ならば直撃した時点で内臓をも壊したであろう一撃はその実、この試合の決着を告げるものとなる、そのはずだった。


「――なっ!?」


 驚愕は一体誰のものだったか。息を呑み試合を見守っていた観客達は無論のこと、金棒を振るったアステリオ自身も、そして、全てを支配者として俯瞰していたはずのミネルヴァですらも目の前の光景に思考が追いついていはいなかった。

 それもそのはず。誰もがこの瞬間に決着を確信していたのだ。だというのに、あの武士は、あの下方弥三郎はいまだにそこに立っている。戦士は挫けず、その手には未だに光を照り返す曲剣が握れられ、瞳には未だ燃えさかる闘志がある。


「――っおおおおお!!」


 痛みは遠く、意識は霞む。それでも身体は動く、それが武士。あの二条の御所での戦いに比べれば、この程度は傷のうちには入らない。

 弥三郎の体を打ち砕くはずだった一撃。まさしく必殺とも言うべきそれが砕いたのは弥三郎の左腕一本、ただそれだけ。間合いを詰めるをその刹那、体を砕くはずの金棒に弥三郎は左腕を差し出したのだ。当然の如く、差し出した左腕は無残にへし折れた。

 だが、体が動き、右腕が残っているのなら、まだ戦える。いや、例え、何を失うともこの身体にまだ僅かでも命の炎が宿る限りは、諦めることは絶対にありえない。


「フッ!!」


 更なる踏み込み。傷に構わず、右手の刀に全てをかける。次の一撃こそが決着を齎す、だからこそ、左腕を差し出してこの僅かな隙を作り出した。これで届かぬのならば、今度こそ弥三郎に勝機はない。

 この一瞬を活かせないのならば、全てが無意味に帰す。何をすべきかは明白。平素の如く、どんな傷をおい、何を失うとしても前進あるのみだ。


「――っ!!」


「――はああああああ!!」


 渾身の突き。狙いは当然、アステリオのその首。鋭い煌きはまさしく稲妻の如し。防ぐ間などありはしない、身を躱すような暇もありはしない。煌いたその瞬間には喉元を貫いている。

 今度こその必殺。弥三郎のように片腕を差し出したとしても今更防げるようなものでもない。事実この瞬間、アステリオは己の死を覚悟した。防ぐことはできない、躱すこともできない、となれば結末は一つ。一瞬の後には彼の命は絶たれる。それは必定だ。


「くっ舐めるな!!」


「むっ!!」


 その必定を剛力をもって捻じ伏せる。繰り出された突き、神速のそれを左手で掴み止めた。鋭い刃が掌を切裂き、切っ先は薄皮一枚を貫く。命を絶つはずの一撃はその直前で防がれたのだ。

 まさしく神業、他の一体誰にこんなことができようものか。咄嗟の判断力、それを行う度胸、そして死の淵にありながらも一切の動揺を見せぬ精密さ。なにもかもが彼が一流以上の戦士である事を証明している。

 しかし、それでもまだ僅かな時を稼いだに過ぎない。一寸後にはどちらかの命が尽き果てる。その事実には一切変わりがない。決着は直ぐそこ、少しの逡巡と僅かばかりの恐怖が勝負を分ける。


「――このまま!!」


「もう一撃!!」


 弥三郎が力を込め、アステリオが再び金棒を振り上げる。お互いに逡巡も恐怖はない、死など脳裏に過ぎりもしない。お互いにこのいってこそが勝利につながるものと信じている。例え頭蓋を叩き割られようとも、あるいは首を刎ねられようとも勝利を掴むこと、ただそれだけだ。

 この刹那、二人の思考は奇妙なまでに一致していた。ただ主がために勝利あるのみ、生い立ちも戦い方も異なる両者であったが、ただ、戦士としてのあり方だけが哀しいまでに一致していた。

 弥三郎が速いか、アステリオが速いか。そのどちらにせよ、一寸後には鮮血が舞う。それは避けられないし、両者共に避けるつもりすらない。

 だが、その結末を望まぬものは確かにいる。


「――そこまで!!」


「――ぬっ!?」


「くっ!?」


 響き渡るのは清澄でありながら、鮮烈な一声。頭上から放たれたそれは二人の戦士を打ち据え、その動きさえも押し止める。切っ先が首を貫くことはなく、振り上げられた金棒が頭蓋を砕くこともない。

 もとより卓越した将とはそういうもの。ただ一声で万軍を差配し、激励し、時には諌めるものだ。たかが戦士二人、ともに古今無双の勇士だとしても、彼女にしてみればこの程度のこと造作もないことだった。


「――――まったく度し難い」


 悔いるように発せられた呟きは自身に向けられたもの。声を発した当人、二人の勝負を決着させた彼女、ミネルヴァ・イスカリア・アロム・クリュメノスにとって、この決断は後悔してしかるべきものだった。決着が着くまで、無論アステリオが勝利するまで、ミネルヴァは一切この御前試合に言葉を差し挟むつもりはなかった。

 彼女自身この試合の勝敗に捌きを委ねると決めた手前もあるし、それ以上に例えどちらかが死したしても、戦士たちの試合に水を差すことは恥だとおもっている。ましてや、これほどに見事な試合に横合いから物言いをつけるなど、神にさえも許されぬ蛮行だ。実際彼女自身、自分以外の誰かが試合に水を差すようであればその場で切り捨てていただろう。

 だというのに、彼女は試合を決着させた。どちらか一方でも、例え自身を欺こうとした弥三郎でもあっても、その死を容認することが彼女にはできなかったのだ。


「――双方見事なり!! されど、この試合の決着は妾の名において預かるものとする!!」


 怒りと驚きに困惑した感情と違い、クリュメノスの領土の三分の一を支配し、帝国最強とも謳われる辺領騎姫は極めて冷静に言葉を発していた。

 この試合の決着を預かるとは、勝敗そのものを彼女が預かるという事。つまり、勝敗をつけぬと宣言したにも等しい。これほどの試合、オリンピアの長い歴史の中でも五本の指に入るであろう名勝負の決着を付けないなど本来ならばありえない。

 事実、試合を見守っていた観客達はみな言葉を失っている。内に秘めていた熱狂も試合への狂騒もない。あるのは強い戸惑いと驚きだけ。それも無理はない、本来ならば今頃、鮮血に息を呑み、戦士の死にそれぞれに反応を返していたはずなのだ。

 それが止った、彼女の一声で、試合場はまさしく静止している。あるのは静けさと困惑、観衆が正体を取り戻せばそれらは次の瞬間には怒りと反感に変わってもおかしくはない。彼女が、ミネルヴァがなしたことはそれだけ無粋と謗られ、価値って来た尊敬を打ち壊すにたるものだ。


「此度の試合の勝敗は――」


 その全てを理解した上で彼女はこの試合の決着を望まなかった。将としての彼女の本能が、東方辺領騎姫という立場が、ミネルヴァという一人の女が、あるいはその全てが彼らを失うしなう事を良しとはしなかったのだ。

 アステリオと下方弥三郎。その両者ともに彼女をして寵愛に値する戦士、数万の兵士を率いてきた彼女をして彼ら以上の戦士は簡単には思い当たらない。戦場で同じ働きをみせて、見事敵将を討ち取るならば閨に招くことも考えてもいい。この二人はまさしくそれに相応しい。

 だからこそ、彼女は声を発していた。あのまま二人が最後まで戦っていれば必ずどちらかが死していただろう。いや、相打ちとなり両者共に失うことになったかもしれない。

 それは容認できない。理由は一つ、これほどの才をむざむざ失うわけにはいかないからだ。いや、もっと端的に言えば、下方弥三郎という武士を彼女が心の底から欲したからに他ならない。今ある尊敬と名誉、仇ともいえる聖女の首と引き換えにしてまでも、彼の武勇を手に入れたいと願ったのだ。

 もとより、ミネルヴァという女性にょしょうは酷く気分屋であると同時に、激烈なまでの激情家でもある。そういった二つの性分が圧倒的な将才と将器と合致しているからこそ、彼女はこのオリンピアにおいて最強と呼ばれるまでに至ったのだ。

 しかし、時折、彼女自身度し難いほどの我侭が顔を出す時がある。幼少の砌、皇帝のみが許される赤竜馬をオジに強請った末、そのまま下賜されたように、一度望んだものを決して諦めることはしないという悪癖が彼女にはあった。

 此度の試合にしてもそうだ。聖女の首が手に入らないことへの半ばはらいせから始まり、今度は聖女の首への欲に弥三郎という戦士への欲が勝った、ただそれだけのことだ。


「――引き分けとする!!」

 

 だからこそのこの裁定。誰の顰蹙を買おうとも構うものか、という開き直りにも似た清々しささえある。事実、この試合場において彼女の裁定に異議を申し立てたものは一人としていなかった。彼女という将器は驚愕と反感すらも呑み込んで余りある大きさを秘めている。

 実際、ここで両者を失うまいとするならばこれ以外の選択肢はない。アステリオの勝ちとすれば彼女自身の手で弥三郎を切り捨てねばならなくなるし、弥三郎の勝ちとすればアステリオは恥じ入るあまり自決でもしかねない。それにこれからのヴァレルガナ、ひいてはアルカイオス王国との関係を考えれば勝敗をあいまいにしておくことは重要なことでもある。ただ勝ちをくれてやるでは此方の面目が立たぬし、勝敗を預かった上で負けを宣告すればそれだけであちらの面子を潰すことになっていた。

 ミネルヴァ自身、この引き分けに納得しているわけではない。苦渋の決断そう言って然るべきものだ。


「――おおおおおお!!」


 少し遅れて、大きな歓声があがる。試合を見届けていた観客達は引き分けという事実へと関心を向けることより、目の前の戦士たちの健闘を讃えることにしたのだ。


「……むぅ、お見事でござった」


「そちらこそ、だ」


 その歓声に押されて、二人は静かにお互いの武器を下ろす。当の戦士たちにとってもこの結果は不服であり、僥倖でもある。こうして命を永らえたことに感謝しながらも、それでもなお決着を迎えられなかったことに悔いを残す。戦士とは即ちそういうもの、つまるところは、彼は骨の髄まで戦士だったのだ。




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