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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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90、あるいは決着へ

 その戦いに誰もが息を呑んだ。歓声を上げる暇も、悲鳴を上げる余裕もない。ただ目の前で繰り広げられる攻防に見入るだけで精一杯、言葉を差し挟めるものなど一人として居はしなかった。

 それほどまでに目の前で行われている試合は凄まじい。振るわれる剣戟、交わされる刃一つ一つが神業というべきもの。御前試合だという事を忘れてしまいそうになるほどの真剣味がそこにはある。

 まさしく戦場、英雄譚にて語られるその一幕のような、寝物語の一節がそのまま現れたようなそんな戦いが目の前にある。

 戦いの始まってからまだ数分、だというのに、もはや一日中こうして戦っているかのようにさえ思える。それもそのはず、両者にとっては交わす全てが命懸け、ほんの一瞬に何もかもが詰まっているだから。

 彼らにとってはこの一瞬こそが全て。一呼吸が勝敗を分けるこの試合において、刹那の判断が勝敗を左右する。ほんの僅かに訪れる静寂ですらも戦いの一部、彼らの間では幾百の攻防が交わされているのだ。

 そんな彼らに鍔迫り合いを歓喜と共に観戦する一つの視線がある。試合場を見下ろすその場所、張り出した物見台に彼女は座している。


「――ああ! なんと!」


 今日幾度目とも知れぬ快哉をミネルヴァが上げる。目の前の戦い、幾度となく交わされた剣戟は、彼女にとっては最上の娯楽といってもいい。最高の戦士たちの最高峰の競い合い。動き一つ、傷一つが勝敗を分ける。そんな戦いを目の前にして、血を滾らせないものなどいはしない。少なくとも彼女のような人間にとってはどんな美しい芸術品も、どれほど出来のいい調度品でも太刀打ちできない最高の見世物だ。

 しかも、あの場所で諸人を魅せているのは彼女の選んだ戦士。彼女が見出し、寵愛し、ここまで育て上げた戦士だ。下賜した金棒を振るうたびに誇らしい気持ちすら湧き上がるよう。彼女の戦死なのdから当然といえば当然だが、それでも彼の武勇は彼女にとって心を滾らせるに足るものだ。幾度見ても、心からの賛辞に値する。

 だが、驚くべきはそれと相対した戦士。あのアステリオを前にして互角に戦い続けるあの男だろう。


「なあ、久秀! そなたの国の戦士は皆、あれほどに強いのか!」


「ふむ、天晴れではありますが、取立てて騒ぐほどのものでもござらんな」


「なんと! なんと! ますますヒノモトに赴く日が待ち遠しいぞ!!」


 大笑しながらの賛辞は心からのもの。驚きと歓喜、目の前の果し合いはそれに値するものだ。

 彼女の戦士と互角に戦う男、あのヤサブロウという戦士、いや武士。まさしく見事というほかない。あの謁見の際、彼の才を見極めたつもりだったが、よもやこれほどまでとは思ってもみなかった。

 アステリオの武勇は、彼女の騎士団においても比類なきものだ。だからこそ、自らの近習に任じたし、その筆頭に引き立て、領地までも与えた。勿論、誰かの忠誠を勝ち取ることにおいて、彼女は誰よりも優れている。その彼女が、寵愛に値すると見定めたのがアステリオだ。

 異民族の、それも蛮族たる南方の赤肌との混血でありながら、彼がこれほどの立場を得た所以がそれ。ただ己が武勇だけを持ってあらゆる道理を捻じ伏せて、彼は今ここにいる。

 だからこそ、それと相対し、互角に戦い続けるあの武士は驚異そのもの。しかも、久秀の言葉を信じるならばこれほどの腕を持つ戦士が珍しいものではないという。

 実際に目にして、いや、目にしたからこそ、その凄まじさを思い知り、興味を惹かれる。あのような戦士を作り出す土地が、国が、民族。そしてなによりもあの下方弥三郎という男、ここでその是非を定めるのは些か性急に過ぎたかもしれない。

 

「――惜しい事をしたか」


 しかし、それでも東方辺領騎士姫として自分の言葉を曲げるわけにはいかない。少なくともまだそれに足るものではない。あのような戦士をむざむざ喪う、それは痛恨の至りではあるが、それでも信念には代えられない。

 彼の、彼らの、下方弥三郎の生死は依然この試合に掛かっている。負ければ咎と共に切り捨て、勝てば罪を免れる。ただそれだけのこと、どれだけの武を示そうと、どれだけの奮戦したとしても勝利せねば意味がない。

 それを惜しむが、ただそれだけ。彼女にとっての下方弥三郎は未だただの優秀な戦士に過ぎない。ただそれだけでは”寵愛”には足りないのだ。


「黒茶でも炒れましょうかな?」


「いやいい。そなたはいいのか? 試合を見らんで」


「ふむ、まあ、結果が明らかならば見届ける必要はござるまい?」


 気遣いとも取れぬ言葉を告げて、松永弾正はその場を後にする。彼にしてみればこの試合そのものが茶番だ、いちいち気に留めることでもない。ましてや、弥三郎とアステリオの武勇も彼にしてみれば特別驚きに値するものでもない。少なくともあの程度ならば幾度となく戦場にて見えた。見届けるよりもお気に入りの黒茶を愛でるほうが幾らか有益だ。

 それにもう結果は見え透いている。勝敗ではなくこの御前試合の結果が何を齎すのか、それは明らか。彼に、松永弾正にとって重要なのはその結果をどう活かすのか、ただそれだけだった。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇


 襲い掛かる死の風を幾度となく躱し、踏み込む。後一歩、ただそれだけがまるで永遠のよう。刃を振るうその瞬間を見出すのに、これだけ難儀するのは下方弥三郎にとっても初めてのこと。攻め手を欠くなど、一体いつぶりだろうか。

 まるで隙がない。踏み込めば迎撃され、退けば潰される。圧倒的な剛力と巨体に似合わぬ敏捷さ、冷静に動きを見極める判断力に白刃をまったく恐れぬ度胸まで備えている。弥三郎をして、まさしく天晴れというほかない猛者、それがこのアステリオ・イーグバウだ。


「――っ!!」


「遅い!!」


 疲労からか弥三郎の動きが僅かに鈍る。その瞬間、金棒が幾重にも振るわれる。三度の攻撃が一撃にも見えるような速さ、まさしく鎌鼬の如し。躱すどころか、崩れた体勢では防ぐことすら適わない。

 衝撃。最後の一撃が弥三郎の脇腹を打つ。瞬間、肋骨が砕けた。それでもなお勢いを殺しきれず弥三郎の身体が蹴鞠のように宙を舞う。まるで猛牛の突進、片腕で振るってなお、鎧を割り、骨を砕く。


「――っ!!」


 それでも、すぐさま体勢を立て直し、刃を構える。この程度では彼の戦意は挫けない。あの二条の御所で、腸がまろびでながらも十数人を切り捨てたのが彼だ。肋が砕けようが、内臓が弾けようが、手足が千切れようが戦う、その決意と覚悟は今もって変わらない。

 歓声の一つも、武勇を讃える声もない。勇ましいと呼ぶにもあまりにも凄まじいその姿に観客の全てが息を呑む。あの瞬間、最後の一撃が彼を掠めた瞬間、誰もが決着を確信した。

 事実、金棒を振るったアステリオ自身も勝利の手応えを感じた。あの一撃は命には届かずとも、戦意を挫くにたるもののはずだった。それでもなお立ち上がるとは彼をして予想外、認識を改めざるをえない。不撓不屈などという言葉では足りない、目の前にいるのは不死身の戦士、神話に謳われる存在にも等しいものだ。


「――いかんな」


 しかし、どれだけ意志で痛みを捻じ伏せようとも傷を負った事実そのものは消えることはない。呼吸を整えようにも、その機能そのものが阻害されているのだからどうしようもない。この虚勢ももって後数秒、技の冴えが曇るのは目に見えている。

 この敵を前にして、それは致命的な隙。許されるのは勝利のみ、その状況においてこの負傷はそれこそ失敗だ。もはや取りうる選択肢は一つ、今のこの身体でできうる全てをぶつけるしかない。

 それでは届かない、弥三郎自身そうとは理解している。万全の身の渾身ですら届かなかったのだ、今の身体で通用するはずがない。それは百も承知その上で、退くわけにはいかない。もし負ければ、それこそ不忠、今生の主を巻き込んだ上に死なせたとなっては末代までの恥だ。この命に、先祖の名誉にかけて、そしてなによりも下方弥三郎という名にかけて、決して敗北は許されない。

 ならばこそ、この身をここで捨ててでも――、


「――ヤサブロウ!!」


「――アンナ殿」


 沈黙を破ったのは一つの声。その声こそ、彼を導くものであり、彼を励ますものであり、彼の信じる唯一のもの。下方弥三郎の今生の主、森の魔女アンナの声が試合場全体に響き渡った。

 声に応えて、弥三郎の視線が上がる。おそらく生涯で初めて、敵を目の前にして、視線を逸らす。その先にあるのは物見代から身を乗り出したアンナの姿。この距離からでも表情までも読み取れる、不安と恐怖を必死で押し殺し、それでも隠しきれないものが端正な顔立ちに滲んでいる。

 だが、それでもなお信じている。彼が、自身の従者が負けることは決してありえないとそう信じている。この状況にあってなお、この劣勢にあってなおそれでも彼女は彼を信じているのだ。


「――ふ、まだまだ未熟ということか」


 アンナに向かって小さく頷き、静かに構えを変える。彼女が信じている、この試合を彼女が見ているそんな簡単な事実が頭肩から抜け落ちていた。主からの信頼は彼にとって万の援軍にも等しいものだ。

 そんな事を忘れていた、己の未熟を恥じ入るばかりだ。傷がどうしたというのだ、敵の武勇がなんだというのだ。主のためあらば万難を切り開き、百万の軍を打ち倒し、神すらも切り捨てるのが武士の本分だ。

 ならば、覚悟は当の昔に決まっている。相打ちでもなどという、半端な覚悟ではない。必ず勝つ、その覚悟こそがこの劣勢にあって唯一、道を切り開くものだ。

 故に、前へ。奔るべきは常に決まっている、死を恐れぬのではなく、死を踏み越える。勝利を導くのは常にその覚悟だ。


「――っ!」


 その変質を真っ先に気付くのは相対したアステリオ。目の前の戦士がただの難敵ではなく、もっと恐ろしいものになったのだと本能で理解した。


「――参る!」


 刹那、弥三郎が踏み込む。一件無防備に見えるその踏み込みに、ほんの一瞬、アステリオの動きが鈍る。それでも速い、振るわれた金棒は一撃の下に弥三郎を粉砕するだろう。

 その瞬間、試合の勝敗は決した。


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