89、あるいは激闘
一勝三敗、勝負の趨勢は最終戦にもつれ込む事となった。現状は、クリュメノス側にとっては大勝、ヴァレルガナ方にとっては敗北といってもいいだろう。面目を保つにはあと一勝しておかねばならないが、その機会は一度のみ。そして、その機会を託されたのは異邦人の客将だ。
ヴァレルガナの面目のすべては客将たる弥三郎の肩に掛かっている。客将でありながら、彼はその資格を有している。ここに揃ったヴァレルガナの騎士の誰よりも相応しいというのは衆目の一致するところ、彼の武勇を疑うものはこの場には一人としていない。異邦人であっても、彼こそがヴァレルガナの代表だった。
例え対するのが、かの大丈夫だったとして、オリンピア最強と謳われる東方辺領騎士団の中でも最強の戦士だったとしてもその信頼が揺らぐことはない。
「――我が名はアステリオ・グラン・イーグバウ。我が姫の盾にして剣なり」
それでも、彼と相対する敵はまさしく強大そのものだった。
静かな、だが、確かに響く声で巨人は名乗りを上げる。歓声はない、威風堂々とした立ち姿に観衆までも呑まれているのだ。身の丈七尺近く、見事な拵えの鎧の下にはなおも堅牢な肉体があることは一目瞭然、木偶などではない、ここにあるのは神話に語られるような巨人の戦士だ。手にした棍棒もそれに相応しいだけのもの。一度振るわれれば、十数人をなぎ倒すであろうそれは、ただそこにあるだけで、他を圧倒する。
まさしく、クリュメノスという大国、そのあり方の体現といってもいい。だからこそ、東方辺領騎士姫は彼を護衛として選び、この御前試合においても大任を託したのだ。
最強の戦士にして、クリュメノスの体現、下方弥三郎が打ち破るべきはまさしく大敵だった。
「ヴァレルガナ家が客将、森の魔女が従者、下方弥三郎なり!!」
響き渡るは、正々堂々とした名乗り。待ってましたと言わんばかりの歓声が彼を迎える、アステリオが東方辺領騎士団を体現するように、弥三郎もまたヴァレルガナの代表。この城の者たちにとっては彼こそが英雄なのだ。
だからこそ、それを理解しているからこそ、下方弥三郎は退かない。彼の肩に掛かるすべてのため、あるいは、彼自身が名誉と功を上げるため。一切の迷いなくこの場所に立っている。
敗北は許されない、ただ勝利あるのみ。彼の刃は、彼自身はそのためにここにある。敵が何者であろうとも、結果は同じ。ただ、勝利し、功を上げる。それが下方弥三郎という武士のあり方だ。もとより忠義の果たし方をそれ以外には知らない。
刀を鞘から抜き、正眼に構える。フェルナーがそうしたように正々堂々。勝つために全力は尽くすが、それでも卑怯な真似はしない、そう誓いを立てるように。
「――始め!!」
号砲のような掛け声、割れるような歓声。止まる事の知らない熱気の中、決戦の火蓋は切られたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最初に踏み込んだのは、勿論下方弥三郎。疾風のような踏み込みと、雷光のような一撃。小手調べも牽制もない、その一瞬一瞬に弥三郎は勝負をかけている。
「――っ!!」
響いたのは鉄と鉄がぶつかり合う、鈍い音。弥三郎の一撃をアステリオは正面から受け止める。手にした棍棒、長大なそれを手足のように使いこなし、見事雷光を弾き返す。
続けざまの突き。流れるよう連撃に、村正が煌く。切っ先が消える、そう評してもいいような速度と軌跡。並みの武人では到底防ぎきれるものではない。
「ぬおおおおおおお!!」
「くっ!?」
そして、今彼が相対しているのはクリュメノス最強の戦士、この程度では打ち破れようはずもない。
流麗な連撃を全て凌ぎきった上で、アステリオは反撃を放つ。身の丈ほどもある得物を力任せに振るう。技巧も何もない、ただの力任せ。それでも充分、積み上げた武を純粋な力が凌駕する。
弥三郎の眼前を金棒が掠める。一寸でも遅れていれば、頭蓋が割れる。殺気はない、だというのに、その一撃は死そのもの。殺しは法度、それを重々承知の上で、加減をする気など毛頭ないのだ。
「――フッ」
追撃の振り下ろしを躱し、弥三郎は微かに嗤う。こうでなくてはつまらない、戦うのならば命を懸ける。そうでなくては、功とは言えない。死を背にして、戦うからこそ功足りえるのだ。
「はああああああああ!!」
頭上を掠める金棒を掻い潜り、再び弥三郎は間合いの内へ。迷いはない、一寸でもずれればそのまま頭蓋が吹き飛ぶが、だからこそ、踏み込む意味がある。
アステリオの一撃はどれも必殺足り討つもの。隙をさらすことなど期待できるはずもなく、待ちに徹しても決して勝機はおとずれない。命を懸けて、死地に飛び込む。虎穴に飛び込む勇気こそが今必要なものだ。
「フッ――!」
幾重もの死を掻い潜り、一閃。本来ならば首を落としてしかるべき一撃が空を切る。限界まで見極め、首を逸らすことで、躱したのだ。
巨体に似合わぬ身軽さ、ただ力だけの大男ならば弥三郎の攻撃をいつまでも躱すことなどできない。圧倒的な力を誇りながら、アステリオはその実、確かな技量を誇っている。
「――速い!」
瞬きよりも早い反撃を背後へと跳ぶことで回避する。方腕で振るったとは思えないほどの速さと威力、甲冑の上からでも骨を打ち砕くだろう。一撃必殺、当たればそれで終わり。掠めればそれで動けなくなる、勝利を目指すなら一撃たりとも当たることはできない。
弥三郎とてそれは百も承知。だからこそ、限界に身を晒して間合いを詰める。紙一重の死を越えなければ、勝利はない。何も特別なことではない、そも下方弥三郎にとって白刃の間こそが生きる場所だ。とうの昔に恐怖も迷いも捨てている。
「――さても見事なり」
呼吸を整え、間合いを計る。およそ三間、踏み込むには僅かに遠い。仕掛ける前に先手を取られては勝てない。一撃目は躱せても、返しの二撃目はそうはいかない。侮りは即ち死を意味する。慎重かつ大胆に、間合いを詰めなければ勝利は遥か遠くだ。
問題は相対する敵が想定以上の難敵であるという事実。この大丈夫は今まで弥三郎が相対してきた敵の中でも最上の手練だ。並大抵のことでは打ち倒せない、ただ命を賭けに差し出すだけでは、到底勝てはしないだろう。
「……ふむ」
しかし、驚きと賞賛は弥三郎だけのものではない。見事弥三郎の攻撃を退けたアステリオもまた目の前の難敵に感嘆の念を禁じえなかった。
本来ならば先ほどの二撃で決着を付ける腹積もりだった。それを掻い潜り、尚且つ、刃を届かせるなど予想だにしなかった事態だ。
首筋に走る僅かな痛み。完璧に躱したはずの一撃は僅かに掠めた、あと皮一枚踏み込みが深ければ致命傷だっただろう。その上彼の反撃を躱し、透かし、間合いを外してみせた。白刃の間に飛び込む度胸といい、鎧の合間を正確に狙う剣技といい、反撃を躱す身のこなしといい見事というほかない。
これほどの武芸者は今まで見たことがない。東方辺領騎姫と共に数多の戦場を巡り、百とも千とも知らない戦士を蹴散らしてきた彼をして、この敵は侮りがたい。どれか一つを持つものならば幾人もいた、だが、その全てを持ち合わせるものはいなかった。
クリュメノス最強の戦士をして初めて遭遇する難敵、それが目の前の異民族、下方弥三郎という武士だった。
「――おおおおおおおおお!!」
「――ぬっ!」
だからこそ、一直線の踏み込み。三間の間合いが一瞬で詰められ、金棒が振るわれる。重さと速さ、矛盾するはずその二つが見事に融合した一撃だ。
さしもの、弥三郎とてこれを正面から受け止めることはできない。大きく身を躱したその地面を棍棒が叩き割る。
続けて二撃、三撃、金棒は振るわれる度に地が割れ、粉塵が舞い、歓声が上がる。怒涛の攻撃は瞬く間にう弥三郎を追い詰めていく。
絶え間のないそれは、まるで意思を持った竜巻。触れればその瞬間に骨を砕き、肉を裂き、命を絶つ。一撃一撃が間違いなく必殺だ。
小手調べはなどしない。どのような難敵であれ、正面から打ち砕いてきたのがアステリオという戦士。竜の牙の前に砕けぬものなどありはしない。
「っ隙あり!」
「ぬっ!!」
吹きあられる風の中、白刃が煌く。僅かなほんの僅かな隙間、その刹那に弥三郎は踏み込む。鋭い突き、鎧の合間をすり抜け、刃は真っ直ぐに肉を抉る。
刃が引き裂いたのはアステリオの脇腹。確かに届いたが、決着には程遠い。しかし、それは弥三郎とて織り込み済み。ただの一撃で終わるような彼ではない。
「――くっ」
アステリオの巨体が弥三郎の剣技に押し返される。突きを起点として、袈裟懸け、切り返し、横一文字、一呼吸の間にそれらが放たれた。
鎧の隙間と急所を狙って、美しいまでの軌跡が次々と襲い掛かる。アステリオのそれと同じく、けん制も小手調べも一切なし。一撃一撃が勝負の決着を付けるに足るものだ。
先ほど連撃が暴風ならば、弥三郎のそれはまさしく雷光。速度と鋭さはアステリオしても容易く防げるものではない。
同じく戦場で培われたものでありながら、まさしく対極。共通しているのはその洗練された動きと技の鋭さ、そして、圧倒されるまでの強さだ。
「チィッ!」
「ぬう……!」
数度の応酬の後、再びの痛み分け。実力伯仲、拮抗した両者の間には中々決着は訪れない。両者共にこれが試合だという意識は消えている、ここで行われているのは真正面からの真剣勝負。御前試合は既に、互いに命を懸ける死合となったのだ。
再び間合いが開き、ほんの僅かな静寂が訪れる。絶え間なく交わされていた剣戟が止み、互いの呼吸だけがその場にある。次にどちらが動くか、それを読む、そうでなければ勝利はない。
お互いに闇雲に突っ込むだけでは活路はないと重々承知。狙いは一瞬の隙、その刹那しかない。
「――おおおおおおおおおおお!!」
さらに数秒遅れて、最大の歓声が上がる。二人の競い合いに呑まれていた観衆たちがようやく勝負の趨勢に追いついたのだ。
熱気と共にこの戦いもまた最頂を迎える。決着は直ぐそこ、その時が来ればその後、立っているのは一人だけ。戦いとは古来よりそういうもの、ましてや強者同士の戦いとなればなおのことだ。




