88、あるいは死合い
フェルナー・フォン・ロエスレラ卿にとって、この御前試合はある意味名誉挽回のための場であった。場内においてはラケダイモニアの守り手大将として持て囃されているものの、彼自身その評判を快く思ったことはある。戦いそのものを恥じているわけではない、あの国境の砦を預かったことは一族の名誉のままだ。共に戦った兵士たちの事を思えば、今でもこの胸には惜別の念が去来する。
だが、だからこそ、奪われた砦、焼け落ちたあの場所が脳裏を過ぎる。あの戦いは決して恥ではないが、砦を失ったことは恥だ。三万の大軍など言い訳にはならない。王から預かった城をむざむざと奪われた、そのことにはなんら変わりなどない。
故に、この御前試合にて失われた名誉をなんとしても取り戻す。ヴァレルガナの代表として、このアルカイオス王国の代表として、こうして試合に立つ以上は決して敗北は許されない。名誉ある勝利を、主君と祖国に齎す、それが彼のすべきことだ。
先の戦いでの負傷はあるが、試合に支障はない。仮に隻腕であったとしても敗北するつもりなど毛頭ないのだ、脇腹の穴程度今更気にするようなものではない。
決意と共に、試合場に進み出て、剣を抜く。愛用の剣、ラケダイモニアの戦から、いや、そのもっと以前から彼と共にあるのがこの刃だ。今まで流してきた血と汗がその柄には染み込んでいる。
「ヴァレルガナが家臣、フェルナー・フォン・ロエスレラ」
「ザイード・アーセルンだ」
試合の相手とお互いに挨拶を交わす。儀礼に過ぎないものだが、名誉を得ようとするならば礼節こそが肝要。それを失しては、騎士としての対面も失ってしまう。
ましてや、内心の驚きなど表情に出すことさえ許されない。彼の向かいに立つものは、いつぞやの異民族の将。クリュメノスが功あるものならば、出自を問わず重用することは知れ渡っているが、それでも御前試合にまでこうして選ばれるとは、些か以上に驚くべきことだ。
ヴァレルガナにおいても弥三郎という特例はいるが、あくまで特例。彼らにとっての特例がクリュメノスにとっては平素のことであるというのは驚くべきことだった。
無論、だからといって、相手を侮るようなフェルナーではない。ただの騎士と違い、どのような剣技を操るのか見当が付かない以上、なおのこと侮りがたい難敵だ。
そして、あの得物。歪なまでに湾曲した二本の剣、いや、剣と呼ぶことすら憚られるようなそれはフェルナーをして始めて目にするものだった。
「いざ、尋常に――」
「――勝負!」
掛け声と共に踏み込んだのはフェルナー。先手必勝、敵がどのような技を使うにせよ、待ちは悪手だ。敵の手の内が読めないのなら、手の内を晒すよりも先に決着を付けるまでのこと。
大上段からの振り下ろし。単純な力技、しかし、力技であるからこそ正面から向かい打つことは容易ではない。
「くっ!」
対するザイードは手にした曲剣で強烈な一撃を受け止める。そのままへし折れかねないとおもわれた細身の剣は見事、フェルナーの攻撃を防いでいた。
鍔迫り合い。力と力のぶつかり合いに火花が散り、剣の柄が膂力に軋んだ。その様子に周囲では歓声があがる。全くの互角、傍からみれば彼らのそれは互角の勝負に見えていたのだ。
しかし、その実、勝負の主導権は未だ、フェルナーの元にある。あの一撃を防がれることは最初から織り込み済みだ。
「ッおおおおお!!」
気合一声、均衡を破るべく、正面からの力押し。単純な力の比べ合いならば体格に勝るフェルナーに分がある。自らの土俵に引きずり込むこともまた勝負の内、あのラケダイモニアの戦いは彼の将として、戦士としての素質を見事に開花させたのだ。
「っ!!」
「貰ったぞ!」
瞬間、サイードの体勢が大きく崩れる。その機を逃さず放たれるのは大振りの薙ぎ払い。例え剣で防いだとしても、その剣をへし折り、鎧を砕きうる一撃だ。
手加減など一切ない、無論殺すつもりは毛頭ないが、その覚悟なく勝利がつかめるはずもない。
だが、ザイードとてかの東方辺領騎姫に仕える精鋭の一人。そう易々と敗れることはない。
「フッ!!」
片手で地面を叩き、飛蝗のように宙を舞う。まるで曲芸、しかし、帝都で芸を披露する一流の旅芸人でもこんな真似をすることはできないだろう。
着地と同時に湧き起こるのは割れんばかりの大歓声。目の前の武人の技の冴え、ザイードの見せた跳躍は彼らを魅了して余りあるものであった。
「――見事」
それはこうして対峙したフェルナーにとってもまた同じこと。先ほどの一撃は勝負を決めるためにはなったもの。防がれてもその防いだ剣ごと断ち切りうる一撃だった、躱されることなど考えてなどいなかった。
必殺をかわされた悔しさや怒りよりも先に、思わず感心してしまう。それほどまでに見事な動き、東方辺領騎士団の精鋭に相応しいだけの技量を確かに持ち合わせている。
「――参る!!」
だからこそ滾る。一層の闘志を燃やし、刃を構える。今度こそ仕留める、そう宣言するかのように。
難敵であればあるほど、名誉もまた大きくなる。これほど打ち倒し甲斐のある敵もそうはいないだろう。
再びの踏み込み、大上段の振り下ろしにすべてを乗せる。乾坤一擲、勝負を長引かせれば負傷の分、こちらが不利。ならば、牽制は必要ない。技も定石も力で捻じ伏せるのみだ。
「――っ!」
しかし、敵もさるもの、何度も同じ手が通じるはずもない。直前で間合いを外され、フェルナーの剣が空を切る。乾坤一擲の一撃もかわされては意味がない、むしろ、込めた力が大きければ大きいほど、必殺の確信が強ければ強いほど、隙も大きくなる。
サイードの双剣が陽光を反射した。瞬間、観衆の全てが決着を確信する。剣を振り下ろしたフェルナーには次の一撃を躱す余裕はない。血飛沫こそ上がることはないが、実際の戦であればその一撃は敵の命を奪いうるものだ。
「なにっ!?」
驚愕はサイードのものであり、周囲で決着を確信した観衆たちのものでもある。それもそのはず必殺の確信が、真正面から打ち破られたのだから。
切り付けられんとするその刹那、フェルナーは力任せに剣を振り上げる。閃光一線、切り付けようとしたサイードとて、この一撃の前には引かざるをえない。
再びの歓声。見事窮地を切り抜けたフェルナーに賞賛の声が上がる。まさしく騎士の誉れとはやし立てるものさえいる。自らの武と力を持って、窮地を好機に変える。まるで絵物語に伝わるような見事な騎士ぶりだった。
「――っ」
しかして、焦りを強めるのは見事な技を見せたフェルナーである。先の一撃は彼が戦場にて身につけたもの、必勝の確信を持つに足るものだ。それを破られたのだ、動揺は大きい。
もはや歓声や賞賛など耳には入らない。焦りに呼応してか、脇腹の傷が熱を持つ。柄を握る手には汗が滲む。あとどれだけ全力で剣を振るえるか、それはフェルナー自身にもわからない。
「否! 迷いは不要なり!」
その全てを振り切るように、再び構えをとる。次の一撃を考える余裕などない、乾坤一擲、一撃一撃に全てをかけるのみだ。
「ふ、その心意気天晴れなり。いざ、参られよ」
その意気は相対するサイードにも伝わる。この対手はただの田舎騎士ではない、誇りと武を持ち合わせた名誉ある戦士であると、確かに理解している。
故に、正面から向かい合う。正々堂々打ち倒してこその勝利。おそらく、身を乗り出してこの勝負を見守る彼の主もそれを望んでいるはずだ。
迷いのない大上段、此度ばかりはサイードも退くことはしない。フェルナーの一撃を正面から受け止める構えだ。
次の一撃にて決着をつける、それは両者の間で暗黙の了解となっていた。一瞬の静寂、両者の間に張り詰めた殺気は観衆をも呑み込み、頂点へと。どちらが先に痺れを切らすか、勝負の趨勢はその一点にかかっていた。
「――――獲った!」
「――!!」
刹那、先に動いたのはフェルナーだった。最大の力を込めて長剣が振り下ろされる。真っ向からの唐竹割り、竜の頭すらも切り落とす、そんな気概を持って放たれた一撃はまさしく必殺。申し分のない、本日最高の一撃だった。
決着が着いたのはその瞬間、フェルナーが全霊をもって振るった一撃が届く、その直前だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
剣が宙を舞う。磨き上げられた刀身が陽光を反射し、僅かに影を作った。一瞬後に響いたのは、鉄の落ちる重い音。その光景に誰もが言葉を失った。
それもそのはず。当事者であるフェルナーでさえも自らに何が起こったの定かではないのだ、傍から見ていただけの観衆にわかることがあろうはずもない。それほどまでに唐突で、予想だにしない決着だった。
「――そ、そこまで!!」
数秒遅れて、ようやく決着が宣言される。経緯は分からずとも、勝敗は誰の目にも明らか。宙を舞い、地に落ちたのはフェルナーの愛剣。剣を手放してしまった以上、もう戦うことは出来ない。勝敗は自明の理だ。
疑いようもなく勝利はサイードのもの。如何な手練手管を用いたにせよ、敵の剣を奪ったその手腕は賞賛されて然るべきものだ。
「――まるで透っ波よな」
控えの席でそう呟いたのは下方弥三郎その人。サイードの用いた技、ほんの刹那でフェルナーの長剣を弾き飛ばした技は弥三郎には見知ったもの。彼の故郷において透っ波と呼ばれる間諜たちの用いる技に酷似している。幾度か主を守るために刃を交えた経験もあるが、時には刺客としての役割を担う総じて手練であり、侮りがたいものたちばかりだった。
振り下ろされる剣に迷いなく身を晒す度胸、両手の曲剣でフェルナーの剣を掬い上げた技巧、乾坤一擲の一撃を誘導するその策謀。どれをとっても並大抵のものではない。弥三郎の目から見ても、見事な手腕だった。
フェルナーに落ち度はない、ただ相手が悪かった。ただそれだけのことだ。
そしてなによりも恐るべきは、それほどの技巧を持つサイードですらクリュメノスにおいては最強の戦士ではないという事実。最後に控えるもの、この御前試合そのものの趨勢を握るその人物こそがクリュメノスにおける最強の戦士。彼の、弥三郎の戦うべき、敵だ。
「――では、参るとするか」
牙を剥く様に嗤い、試合場へと赴く。相対するはクリュメノスの最強の戦士、そうでなければならない。無論、この勝負の重みを忘れたわけではない。だが、それでも目の前の功の大きさに闘志を滾らせるのが、下方弥三郎という武士だった。




