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異世界の天下布武  作者: big bear
第一章、ある森よりの始まり
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6、あるいは一撃にて

 奇襲は鮮やかかつ絶好の瞬間に行われた。

 先陣を切った弥三郎が一番首を挙げたとき、盗賊たちはまだ戦いの準備を済ませてはいなかった。

 抵抗する間も無く数人が村正の錆となり、さらに数人が農奴の振るうなまくらに切り捨てられた。


 それも無理からぬこと。

 彼らは奇襲を仕掛ける腹積りだったのだ、それが横合いから逆に奇襲を受けることとなっただから驚きは一層大きい。 


 そもそも、反撃など想定していなかった。ましてや夜の森を行軍し、奇襲を仕掛けてくるなどありえない。そのはずだった。


 だが、現実は違う。すでに十数人が切り捨てられ、屍を晒していた。


「首はうち捨てよ! 目指すは大将首のみぞ!!」


「応!」


 今日、いくつ目とも知れぬ首級をあげた弥三郎が大音声を張り上げる。

 彼の率いる二十人の郎党は戦いが始まってから一歩も立ち止まってはいない。奇襲に成功しても、数の差は如何ともしがたい。足を止めれば、十倍近い敵に囲まれる。


 それだけは避けなければならない。勝つためには決して動きを止めず、敵本陣を目掛けて進撃を続けるしかない。


「――迎え撃て! 敵は少数だぞ! 囲め!!」


 負けじと賊の頭、エルドが声を張り上げる。混乱の只中にあって彼の率いる本陣周辺の兵だけは統率された動きを見せていた。


 奇襲に気付いた時点で、彼は自らの周辺に兵を固めた。

 彼の能力をもってしても、混乱を収めるのは不可能だ。ゆえにせめてものこと、大将たる自分が討ち取られないようにとの次善の策だった。


 その策は成果を上げている。

 一見有利に見える農奴たちは、その実、絶体絶命の危機にもある。

 精強とはいえ所詮は農奴、剣を握るのでさえ今日が初めてというのが大半だ。士気さえ崩れていなければ寄せ付けることすらない。本来ならば敵ともいえないような相手だった。


「――掛かれ! 掛かれ!! 足を止めるな! 駆け抜けよ!」


「何をやっている! 集まれ! 囲め! 囲むんだ早くしろ!」


 だからこそ、エルドは敵将の手腕に舌を巻いた。


 剣を握ったこともないような農奴たちが歴戦の戦士のような勇猛さを発揮している。傷を負おうが、仲間が倒れようが遮二無二なって突撃を続ける。そんな芸当は、彼の部下達はもちろんこと正規軍の兵士達でさえ難しい。


 彼らを死兵に変えたのは間違いなく敵の将だ。

 奇襲を断行する判断力と慧眼はもちろんのこと、誰よりも率先して戦場を駆け次々と首級を挙げていく。

 それを目の当たりにすれば、兵の士気は自ずと高揚する。この敵将は自らの命を死地にさらすことで、兵たちまでもを死地へと誘っているのだ。


 ゆえに敵は農奴ではなく敵将下方弥三郎ただ一人だ。


「弓だ! 奴を射ろ! あの男! あの甲冑の男だ!」


「――大将首ぞ! 者ども! あい掛けよ!!」


 エルドが己の敵を目敏く見極めたのと同じように、弥三郎もまた討ち取るべき敵を見極めていた。


 両軍の大将はこの時、初めてお互いを認識することとなった。


 一見、何の共通点もない両軍はある一つの強みと弱みを共有している。両軍ともに優秀な大将を頂き、その大将がいなければ軍が成り立たない。

 つまるところこの戦いの趨勢は、大将同士の首の掻きあいに掛かっているのだ。


「か、頭を守れェ! 俺達が――ッ」


「退け!」


 射掛けられた矢をものともせずに、弥三郎はエルドを守る一団へと切り込んだ。


 立ちはだかった大柄の男を唐竹割りに切り捨て、頭たるエルドへさらに迫る。すぐさま背後から切り掛かろうとした兵達をすぐ後ろに付いていたコレンや傭兵達が抑え込む。彼らの仕事は弥三郎が大将を討つまでの時間を稼ぐことだ。


「くっ! おのれ!」


御首級ミシルシ頂戴いたす!」


 後三歩を進めば、エルドの首に村正の凶刃が届きうる。一瞬遅れて、エルドは剣を構える。


 しかし、弥三郎の踏み込みは神速だ。間合いさえ詰まればいとも容易くエルドを両断する。


 こと、個人の武勇という点においては、弥三郎には一日の長がある。幼少期は信忠の小姓として、長じては馬廻り衆として生涯のほとんどを戦場で過ごしてきた。


 いずれをとっても並々ならぬ戦場を駆けてきたのが下方弥三郎忠弘という将だ。自ら手を汚すことなく、一方的な虐殺を繰り返してきただけのエルドとは比較にもならない。


「ぬっ!」


「なっ!?」


 しかして、踏み込みの一瞬、天運はエルドに味方した。村人たちの囲いを抜けた兵の一人が弥三郎の前に躍り出たのだ。

 突如目の前に現われた兵にも弥三郎は対応せざるをえない。その場に踏みとどまり、迫る刃を払う。そのまま返す刀で敵の臓腑を裂いた。


 その間、わずか数秒。だが、その数秒をエルドたちに与えてしまった。


「こっちだ! 俺を守れ!! 集まれ!!」



 体勢を立て直した周囲の兵達がエルドの元へと集う。

 その数にして十二名、いくら弥三郎と言えどもそれだけの数を単身で突破してエルドの首を取るのは不可能だ。


「退き時ぞ! ひたすら駆けよ!!」


「……は、はッ!!」


 弥三郎はすぐさま撤退を下知した。


奇襲を成功させ、敵の喉元まで迫ったからこそ、采配を振るう手が狂う。勝利への執着と戦いの高揚が判断を鈍らせることが往々にしてある。


 兵達にとってもそれは同じ、彼らにとっては目の前の戦いが全てだ。

 その観点においては勝っているからこそ、退くことは彼等にとっては理解できない下知だった。


 故に退き戦でこそ、将の器が試される。

 士気の崩れた兵を率い、敵に背を向けて退く。その際に要求される才覚はひとかどの武将でも持ち合わせているものは多くはない。それこそ、天賦の才ともいえるようなものだ。


 幸いにして、下方弥三郎忠弘という将はその才を持ち合わせていた。立ちはだかる敵を自ら切り捨て、血路を拓く。弥三郎の駆ける後には死体の道標が残されていた。


 その道を僅かに数を減らした死兵の群が一糸乱れぬ動きで続いていく。心身ともに追い詰められる撤退戦にあって彼らは高い士気を保ったままだ。


 陣を南側から抜け、街道筋を辿って村へと退く。弥三郎らがそうするであろうことはエル度にも分かった


「追え! 奴らを皆殺しにしろ!!」


 呆然とした部下たちをエルドが怒鳴りつける。

 彼は考えることもなく反射のように追撃を命じていた。ここで追わないという選択肢はない。少なくとも将としては至極まっとうな判断だった。


 どんな名将でも撤退戦では甚大な被害を出す。村にまで退かれる前に敵を踏み潰し、あの異国の甲冑の男を仕留めればそれで勝敗は決する。

 想定外の事態はあったものの、勝利はもう目の前だ。


◇   



 返り血に全身を染めながら、弥三郎は奔る。

 追いついてきた敵を切り捨て、射掛けられた矢を手甲で払い、そのまま右の拳で殴り倒す。

 

 退く味方の背中を守る殿しんがりとは死地たる戦場においても、最悪の修羅場だ。

 敵の勢いはまさしく雪崩の如し。それを正面から受け止め、潰走する仲間の背中を守るのが殿の役割だ。死地と呼ぶことすら生ぬるい。


 その現世の地獄にあって、下方弥三郎忠弘という武将はより一層輝きを放つ。


 手が足りぬと拾い上げた剣を右手の村正同様巧みに操り、左右から迫る兵を次から次へと膾切りにしていく。まさしく鬼神の如き暴れ振りだった。


 両手にそれぞれ別の武器を構え、異国の甲冑を纏った異様な騎士。その威容と凄まじさに盗賊達は近づくことすらできずにいた。


 孫子に曰く、戦わずにして人の兵を屈するは善の中の善なるものなり、とある。

 その武勇を持って敵に近づくことすら許さぬ弥三郎の姿はある種その体現ともいえるかもしれない。もちろん、それまでに積み上げた屍の山を見れば、孫氏も眉を顰めるだろうが。


「何をやっている!? 敵は所詮一人だぞ! 矢を射掛ければ殺せるはずだ!!」


「フッ――」


 背後に振り返ることもなく、弥三郎は笑った。彼の立っているのは村へと続く街道、その中央だ。

 両手に刃を構え、仁王のように立ちふさがっている。


 百をゆうに超える敵が狭い街道に殺到している。追撃を命じられ、本能に任せて攻め寄せた彼らは自分では止ることはできない。

 行軍もままならない隘路に勢いのまま、突っ込むしかなかった。それでも村側の戦力は二十人程度、踏みつぶすのになんの障害もない。


 故に、弥三郎は笑った。それこそ、勝敗は戦う前から決していた。


「奴だ! 奴を射殺せ!!」


 弓の弦が絞られる。矢が番えられ、十数の鏃がたった弥三郎に向けられた。


 いかに弥三郎が鬼神の如しとはいえ、所詮は人だ。一度に十数の矢を捌くようなことはできはしない。どれほど強くとも、矢が中れば死ぬ人間に過ぎないのだ。

 

 矢羽から指が離れる、その直前――、


「今ぞ!! 我に続け!!」


 弥三郎があらん限りの声でそう叫んだ。彼が待っていたのはこの瞬間だった。


 盗賊たちの軍勢はその中段まで隘路に入り込んでいる。網の中心に敵の大将が踏み込む瞬間を弥三郎は待っていた。


 背後で敗走していた村人達が一斉に反転する。恐怖に駆られていた彼らの目に戦いの炎が再び灯る。その異様さに弓兵たちがたじろいだ。


 全ては策の通り。この戦いは終始、弥三郎の掌の上にあった。

 はたして、背後と側面で上がった鬨の声にエルドが気付けたかどうかは定かではない。

既に彼のいる中段は三方を囲まれている。背後は未だに殺到してくる仲間達で塞っている。


 死地に追い詰めたはずの盗賊たちこそが、知らぬ間に死地へと引きずり込まれていたのだ。

 

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