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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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84、あるいは偽りさえも

 

「さて、戯れも済んだ。許す、近こうよれ」


 二人の視線を一しきり楽しむと、ミネルヴァはそう頭上へと声を掛ける。彼女にとってはこの入れ替わりはどこまでいっても戯れに過ぎない。どれだけ勘繰ったとて、それ以上の意味を持ちはしない。

 彼女が二人を招いたのは、寝台の隣に置かれた円卓テーブル。その丁寧な装飾と拵えは弥三郎の目から見ても見事なもの。部屋に持ち込まれたクリュメノス調の調度品の数々と合間って、弥三郎には嘗て信忠と共に訪れたあの安土の城の天主をも思わせた。


「はようせい。何を呆けている?」


 動こうとしない二人にミネルヴァは痺れを切らしたように招く。円卓の上には昨日さくじつとは違い何も置かれていない。

 

「――では」


 先ず動いたのはやはり下方弥三郎。主たるアンナの前に、彼女を庇うように先へ。例え動揺していたとしても、主の心中を察せられない弥三郎ではない。確かな怒りと僅かな恐怖、自分が何を感じているとしても主のためなら私情を捨て去るのが下方弥三郎という武士。その振る舞いからはあらゆる動揺が排除され、毅然とした態度は完璧といってもいいものだった。


「…………」


 その背中を追いかけて、アンナも動く。どれだけ憎しみを抱いていたとしても、今はそれを億尾にも出すわけにはいかない。それが己のためであり、従者たる弥三郎のためでもある。決して、先祖の思いを忘れるわけではない、捨てるわけでもない。ただ、今は沈めておく。それだけのことだった。この面会も儀式の一つと思えば、なんのことはない。それになにより弥三郎の前で恥を晒すわけにはいかなかった。


「アイラさん、私たちは出ていましょう」


「あ、はい、そうですね」


 二人の着席の後、どこか名残惜しげなアイラを引きずるようにユスティーツァは退室を申し出る。ここでこれらから何が行われるにせよ、彼女にとっては与り知らないこと。ある種の処世術、余計なことを知らぬ存ぜぬで通すというのは彼女のような立場の人間にとっては日常の所作の一つだ。


「あ、あの、殿下? 此方の衣装は……」


 しかし、おいそれと退室できるものでもない。少なくとも無理やり着せられたこの衣装を返上するまでは出て行くわけにはいかない。


「む? ああ、それか。よいぞ、下賜する、褒美である。名誉とするがいい」


「へ? あ、え?」


「楽しませてもらったゆえな。そなたに遣わす、礼は無用ぞ」


「は、は、あ、あの、恐悦至極です」


 驚きに言葉を失うアイラに対してミネルヴァは何のこともないようにそう言ってのける。今アイラが身に纏っているのはただの装束ではない。最高級の絹で編まれ、金細工を施されたそれは値打ちのつけようすらないもの。これ一着で財を成し、爵位を買うことですら夢ではないような、そんな代物だ。それをまるで古着を押し付けるような気軽さで辺境領騎姫は下賜して見せたのだ。

 もちろん、アイラにとって過ぎた褒美であることは重々承知だが、これをつき返すのはそれ以上の無礼になりかねない。恐れ多いことこの上ないが受け取る以外に選択肢はなかった。


「では、姫殿下、我々はこれで……」


「うむ、ご苦労であった」


 退室していく二人を見送ってから、ミネルヴァは二人に向き直る。金色の瞳には好奇の光が浮かび弑虐に耽る獣の微笑みが口元にはあった。


「さて、そなたらが、あの聖女を討ち取ったヴァレルガナの客将とそしてその主人、大樹の森の魔女で間違いないな?」


「……そう、それで間違いない」


「……森の魔女殿が従者、下方弥三郎忠弘にござる」


 その問いかけは弥三郎とアンナの心中を揺さぶるもの。今朝のことをこの姫が知るはずもないが、それでも心臓を鷲掴みにされたような衝撃がある。

 だが、動揺はない。慣れたものとは言わないが、それでも経験はある。この程度ならば弱みを見せるには足りない。


「うむ、中々に壮健な面がまえである。我が精鋭たちもオリンピア一と自負しているが、その方ならば互角に渡り合えよう。良き従者を持たれたな、森の魔女殿」


 賞賛の言葉は偽りないもの。森の魔女をして一切の嘘を見出せない、あるのは曇りのない清々しさだけだった。


「……そう弥三郎は凄い」


「過分なお言葉、恐悦至極……」


 同意の言葉には確かな喜び。いくら先祖の仇とはいえ、弥三郎を賞賛されれることはアンナにとっては我が事以上の喜びがある。弥三郎の優秀さは他の誰よりも彼女自身がよく知っている、それがどんな形であれ、誰かに認められるのは彼女としても喜ばしい。はしたないこととは理解しているが、できることなら弥三郎が如何に素晴らしいか、如何に自分は彼を愛してるか、それを世の全てに向かって叫びたいくらいだ。

 しかし、胸の奥で静かに疼くものがある。抜けたはずの棘、それがどうしようもなく熱と痛みが発する。マツナガヒサヒデ、あの老人の言葉を耳にした時に感じたもの、それが確かに生きている。予感にも似た錯覚、それが静かに彼女のうちで蠢いてた。


「あの聖女には我らも手を焼いておってな。此度こそは我らの手で討ち取ってみせると意気込んでおったが、いやはや、まさか先に討ち取られておったとは思いもせなんだぞ」


 そんな、彼らの心中などいざ知らず、ミネルヴァは心底悔しいそうに拳を振るう。元より彼女らの戦場はこのアルカイオスの僻地などではなく、遥か北の、北方戦線。クリュメノスの本軍とタイタニアの聖騎士団のぶつかり合うその場所が彼女達の戦場だ。そのオリンピア最大の戦場において唯一最強無比の東方辺境騎士団を破ったのがかのコンテフルナの聖女。戦場にて適うものなしと謳われる東方辺領騎姫を破ったのが彼女だった。

 先程の賞賛も嘘偽りないことではあるが、その悔しさにも嘘は一切ない。

 

「それに聞くところよれば、その方、タイタニアの司祭長も討ち取ったそうではないか。うむ、ヒノモトの騎士は皆、武勇に優れておるようだな」


「……勿体無きお言葉」


 何故それを知っているのか、そんな疑問すらも吹き飛ばすような惜しみない賛辞。たった二言のはずのそれが瞬く間に心の奥底へと潜り込む。ただの煽て、佞言と断じることは決してできない。彼女の詞にはそれそれだけの力があり、有無を言わせぬだけの迫力さえも帯びていた。


「森の魔女殿の力も聞き及んでいるぞ。先祖はどうしたかは知らんが、妾は有用なものはなんであろうと重用する。ぜひ、森の知恵の一端を拝見したいものだ」


「…………機会があれば」


 怒りを逆なでするようなその言葉でさえも、清流のような清々しさを失いはしない。ともすれば優男が女を口説くような趣きさせある。身構えていたアンナでさえ、思わず面食らうほどだった。

 それが東方辺領騎士姫という人物。先祖の恨み、連なった遺恨を笑い飛ばせないようではオリンピアの半分を占める領土を統治することなど到底不可能。彼女は、いや、クリュメノスはそうやって版図を広げてきたのだ。


「うむうむ! 勇士に魔女、その方らのような稀有な者たちとこうして言葉を交す、それだけでもこの城まで参った甲斐があったというものよ!」


 二人の顔を改めて眺め、その心中を推し量った上で満足げに頷くと、東方辺領騎姫は花のような微笑みを咲かせる。そこには一切の翳りはなく、男どころか、女でさも見惚れるような美しさには言葉を失うほかない。どのような地にあろうとも彼女の本分は揺るぎはしない、例え修羅の巷、戦場の只中にあったとしてもそれは変わらないだろう。


「そういえば…………ヤサブロウ、でよいな? 一つ問いたいことがあるのだが……」


「――は、御意のままに。して、問われたき事とは?」


 問いたいこと、それがここに招かれた理由であることは考えるまでもない。弥三郎の緊張が殺気のように張り詰める。問いの内容が何であれ、どう答えるか。それに全てが掛かっている。依然、彼らの命は龍の舌の上、何か一つ間違えれば呑み込まれてしまうことには変わりがなかった。


「――うむ、なに単純なことよ、そなたが討ち取った聖女きゃつめの亡骸、一体どこにある?」


  その問い掛けは心臓を射抜く矢そのもの。此処が戦場であれば間違いなく死を確信する一撃だった。


「……なんと仰せられました?」


 つい口に出した問い返しは苦し紛れの時間稼ぎのようなもの。頭の中で今際の際のように駆け巡る疑念と驚きを押し殺してどうにか発した言葉がそれ。今だ混乱の只中にある弥三郎が唯一出せた答えが時間稼ぎにもならぬ問い返し。このたった一つの問いであの下方弥三郎が追い詰められていた。思わず机の下で刀の柄へと手が伸びる。それを抜けば終わりだとわかっていてもそうせざるをえなかったのだ。


「――『』」


 背筋が凍ったのは弥三郎だけではない。隣に座していたアンナもまた同じ様な思いを味わっていた。何を知っているのか、あるいは何を知らないのか、それだけが頭の中で渦巻く。もし、聖女の遺体を密かに隠してしまったことが露見すればどうなるか、考えるまでもない。少なくとも生きて帰れないことは明白、悪くすればあらゆる拷問の後、もののように打ち捨てられるだろう。

 そう思い至った瞬間、ほんの僅かに唇が動く。いざとなればここにいる自分と弥三郎以外の命を奪うことは容易い、無論代償を支払うことにはなるが、それでも弥三郎は助かる。彼ならばこの城から抜け出すことは難しいことではない、それでも先がどうなるかなど何一つとして分からないが、それでもアンナにはそれで充分だった。


「ん? 単にあの聖女めの亡骸を如何様に処したか問うておるのだ。何かおかしなことでも申したか?」


「……いえそのようなことは」


 しかし、早合点は禁物。問いそのものは決して不可解なものではない。弥三郎とて討ち取った聖女と眼前の姫君との経緯は察しが着く。遺体を隠したことが悟られたと決め付けるにはあまりにも早すぎる。ここで下手な動きをすればそれこそ本末転倒。すべて気取られぬように憮然としてやり過ごすほかにない。


「……かの者の首は炎に撒かれて焼け付きもうした。すべて、某の不徳の致すところでござる」


「ほう?」


 無論、全くの嘘八百である。行為そのものが問題である以上、事実を口にすることはできない。ならばここは方便を貫き通すほかにない。幸いにも城下が火に包まれたことは知れ渡り、疑う余地はない。弥三郎らが遺体を炎から救い出すいとまがなかったことも周知の事実。苦しくはあるが、それでも筋は通る。

 問題があるとすればただ一つ。この東方辺領騎士姫の目を欺けるか、その一点に掛かっていた。


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