5、あるいは初陣のごとく
夜明け前こそ最も闇が深い。
その深い闇の中で盗賊たちは動き始める。いまだ眠りから醒めぬ頭を冷水で叩き起こして、殺戮の準備を整える。手に取る武器はそれぞれに、その瞳は殺意と悪意に満ち満ちている。
決行まであと一刻、それだけの時間があれば彼らの準備は整う。
彼らの大半はもはや奪うことにさえ固執していない。どれだけ殺し、どれだけ犯し、どれだけ愉しむか、彼らにそれが全てだった。
獲物は結局逃げ出す事をしなかった。恐らく村に篭って篭城戦の構えだろう。村の近くまで先行させた物見が帰ってきていないことからもそれは明らだ。
彼等とって都合のいいように状況は運んでいる。そも、わざわざ一夜をこの街道で明かしたのは獲物の篭城を見越してのことだった。全て盗賊たちの頭目であるエルドの目論見通り、村人達は自ら棺桶の中に閉じこもる事を選んだ。
人の眠りが最も深い時間、それがこの夜明け前だ。その最も無防備な時間を突く、戦場においては基本則の一つだった。
朝日を道標に街道を駆け上り、夜明けにあわせて篭城の構えごと村を蹂躙する。
数で勝っていたとしても、楽に勝てるように方策を立てるのは当然のこと。相手は所詮農奴であり、基本に忠実に戦をすれば被害は最小限に抑えられる。傭兵として戦野を駆けてきた盗賊たちの頭目エルドは本能的に軍略を身につけていた。
彼らの敗因は、その一点に尽きる。
もし彼らが野伏せり野盗の類にふさわしく、問答無用で攻め入っていたなら勝負は決していた。
しかし、彼らはきわめて正しい判断を下した。
だからこそ、彼らは敗北することになった。無能さゆえにでもなく、天運ゆえにでもなく、ただ有能であったという一点が彼らの命取りだった。
決行まであと半刻。盗賊たちの野営地の北側で戦端は開かれた。
◇
時間は少し遡り、盗賊たちが目覚め始めた頃、闇の中で彼らは息を潜めていた。
足取りは重く、瞳には恐怖が揺れている。その数にして五十、羊飼いに率いられた羊のように戦士たちは愚直に歩き続けていた。
彼らを先導するのは闇に溶け込むような緑と黒。両者共に闇深い森を歩いているとは思えないほどにその足取りは早く、迷いがない。その二人こそが下方弥三郎と森の魔女その人であった。
「―――止れ」
弥三郎の声にあわせて、背後の五十人がぴたりと動きを止める。寄せ集めの五十人とは思えないほどに統率の取れた動きだった。
「それで、これからどうすんだ?」
「少し息を整える。それからは評定の通り、良いな?」
「……了解」
一人の男が先頭を行く二人に歩み寄る。
胴鎧に身を包んだ男、アラストリア傭兵団団長、ロベルト・イオライアスだ。
彼らアラストリア傭兵団はネモフィ村に雇われた護衛だ。たちの悪い盗賊団の噂が流れ始めたことで村人たちを安心させるために村長が雇い入れたのだ。
アラストリア傭兵団の構成員はわずか十数名。穀潰しと陰口を叩かれてきた彼らにはようやく巡ってきた面目躍如の機会だった。
しかして、団長であるロベルトはこの戦に賛成であったかといえばそうではない。
団の中では唯一、従軍経験があり、実際の戦場を知っているからこそ、彼は顔役達の決定に真っ向から反対した。森の魔女がどれほどの力を持つにしろ、その従者がどれだけの猛者であるにしろ、無謀な賭けに過ぎないと、彼はこれまでにない真剣さもってそう主張した。
その誠実で真っ当な諫言は、案の定、顔役たちに一蹴された。
あの森の魔女が自分たちを救いに来た。顔役たちはただそれだけで戦うと決めた。魔女の力がある以上負けることはありえない、と何の根拠もなく確信してしまったのだ。それだけネモフィ村にとって魔女の存在が大きく、先祖代々の信仰が根深いものであるという証拠でもあるのだが、ロベルトにしてみれば騙されているようにしか思えなかった。
しかも、戦の采配を取るのは魔女の従者を名乗る異邦人だ。信用以前に本島に味方かさえ怪しい。
それでも、彼は村の人々を見捨てることができなかった。この村出身の二人の部下と陰口を叩きながらも葡萄酒や麵麭を差し入れてくれた村人たちのために彼は残った。
ゆえにこそ弥三郎はロベルトを副将に選んだ。無論、事前にアイラや顔役達に誰か推挙する者はいないかと相談をしていたが、決め手はそこだった。
この男はどんな状況にあっても味方を置いて逃げ出さない、弥三郎はそう判断したのだ。
そして、選ばれた以上は逃げも隠れもしないのがロベルト・イオライアスという男だ。彼は己のできうる限りを尽くして、責務を全うしようとしていた。
「巫女殿、彼奴等の様子は? 上からはどのように見える?」
「――起き始めた。貴方の言うとおりみたい」
梟の目を借り状況を俯瞰する彼女に弥三郎は慎重に声を掛けた。
彼女の消耗は傍から見ても著しいものがある。青色吐息、今にも倒れこんでしまいそうな有様だった。
それだけの代償を払っているのだ、彼女の『魔術』は弥三郎にとっても驚愕と手放しの賞賛に値するものだった。
彼女がいれば、敵の陣立て、兵数、動きに到るまで何もかもを丸裸にできる。それが戦場においてどれほど有用かというのは語るまでもない。
当初、弥三郎は彼女を戦いの場に連れ出すつもりはなかった。戦場に女子を連れ出すなど、武士道に悖《もと』る行為であるし、恩人の身を危機に晒したくなどなかった。
しかし、彼女の力がなければ、事を上手く運ぶことはできなかったのは事実だ。
いくらある程度夜目が利くといっても、弥三郎はこの周辺の森に不案内だ。森を熟知し、なおかつ空に目を持つ彼女の存在は必要不可欠。故にやむなく彼女の同行を弥三郎は承服した。
彼等、戦国期の武士にとってもっとも大事なことは勝利すること。武士道や義、面目や道理などはその後のことだ。
どれだけ義にかない、清廉潔白に戦をしたとしても、負けてしまえば意味がない。勝つためには士道も面目もかなぐり捨てる、それを厭うようでは武士とは呼べなかった。
「それはしたり。賊将には勿体無き正道ぶり、どこぞの落ち武者であろうよ」
「そんなことわかるの?」
「当然にござる。戦とは言葉より雄弁、槍を合わせれば敵将の人となりはおおよそ分かりもうす。此度の場合はあの斥候の数から見ても明白。間違いござらん」
自信に満ちた様子でそう答えた後、弥三郎は彼女の真っ直ぐな視線を受けて、「まあ、大半は勘働きでござるが」と付け加える。
弥三郎にとってはこの程度のことは嗜みのようなもので、これからの戦ぶりこそ重要だった。
だが、彼女にとっては弥三郎の手腕こそ神業のように思えた。僅かな敵の動きから見えるもの見えないもの、その全てを読み取ってみせた。実際、この時点で彼が語った予測は何一つ外れていない。
彼女には既にある知識を語り、それを実践することしかできない。変化のないこの森の中では弥三郎がやってのけるような勘働きは不要だったからだ。
ましてや事実から先の事を予測し、結果を当てることなど想像もできない。梟の目を借りることや、傷を治すことよりも、遥かに不思議なことのように思える。それこそ、目の前の粗野な人物を寝物語の騎士達に重ね合わせてしまうほどに。
「――行け、功を焦るなよ」
「応」
魔女の容態が落ち着き、五十人の息が整ったころを見計らって弥三郎が命を下した。
五十人足らずの軍勢が三手に別れる。盗賊たちが陣を張った場所までは十二間ほど。鬱蒼とした木々が視界を遮ってくれているものの、極力音を殺し慎重に行動しなければ気付かれかねない。
その恐怖と難しさをしかと理解しつつ、彼らは用心深い足取りで街道沿いに伏せていく。高度に訓練された兵のそれとは比べるべくもないが、彼の国の足軽、徒歩武者にも劣りはしない統率された動きだった。
夜明けまでの短い時間で、彼はその動きができるようになるほどに傭兵団を含めた村の若衆を纏め上げた。
といっても、弥三郎は二つの事を彼等に徹底させただけだ。
とにかく静かに、そして事が起これば死に物狂いで突っ込むこと。
元々、村人達にとってこの戦は背水の陣、もし負ければ彼らには後がない。鼓舞するまでもなく士気は高く、言わずとも死に物狂いで戦う。
その上、五十人の内、十人以上が将の役割を担っているのだ。大半が初陣であったとしても、ただの農奴と曲りなりも普段から戦に備えている傭兵では雲泥の差がある。
兵のほうも、直ぐ身近に指示を出す人間がいるのといないのでは安心感が違う。どれだけボンクラであっても剣を生業としている彼らがいることは兵にとっては心強いことだった。
命懸けの死兵、五十名。戦力としては申し分ない。
ならば、弥三郎のすべきことはその五十名に道を示し、率いるだけの器が自分にはあると彼らに思い込ませることだ。
日ノ本ではいざ知らず、この地においては織田家馬廻り衆という肩書きは何の意味も持たない。
自身の有能無能を証明するのは結果のみ。その結果すら今の弥三郎は持ち合わせていない。だからこそ、その結果無くして信を得るえることこそ、将としての才であり、器量の見せ所だ。将の器を持って彼らを呑む、弥三郎の将としての才のみが現状彼の持ち合わせる唯一の武具といえた。
今、その武具は腰に佩びた村正や纏った黒塗りの鎧よりもより素晴らしい働きをしている。
自信に満ちた態度と自ら先陣を斬る勇敢な野蛮さでもって彼は五十人に自らの価値を証明し続けていた。
弥三郎の元で直轄として戦うのは約二十人ほど。村中で比較的精強な若者達に数少ない武具を持たせた精鋭たちだ。将としてあぶれた傭兵達もこの隊に参加している。単純な戦闘能力でいえば、賊軍とも正面から戦いうるだけの力はあった。
その二十人の中に、いまだ元服を迎えていない彼の姿があったのだ。
「――初陣か?」
「は、はい」
突撃の直前、息の詰まるような緊張感もなんのその。弥三郎は何のことはないように、傍らの少年に声を掛けた。
年の頃は十四ほど、剣を持つ手はどうしようもなく震えていた。弥三郎にも経験のあることだ。
「そなた、名はなんという?」
「は、は。あっしは、いや、私はコレン・ボーダーと言います、従者殿」
「そう畏まらずとも良い。コレンよ、戦は怖いか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「良い良い。怯えておるほうがよい」
コレンの肩に手を置き、力強い目で彼をしかと見据える。その恐怖も強がりも見透かした上で、弥三郎はコレンを肯定した。
その微笑ましい強がりは彼に郷里の弟を思い出させた。二度と会うことは叶わないからこそ、彼にはこの年端も行かぬ少年の姿が得がたいものに思えた。
「……どうしてですか? 貴方や団長は平気そうなのに、あっしときたら……」
「恥じることはないぞ。我らが震えておらぬのはな、慣れておるからよ。初陣から恐れを知らぬものはそうはおらん。それに恐れを知らぬだけでは匹夫の勇、恐れを知りて弓矢を取るものこそ真の武者よ。その点そなたは見込みがある、長ずればよき武者となろう」
そういうと弥三郎は思い切り笑顔を浮かべてみせる。それに釣られるようにコレンの顔にも引きつった笑みが浮かぶ。多少なりとも緊張が解れたらしく、手の震えはいつのまにか止っていた。
その背後のものたちにしてもそうだ。決死の状況にあっても普段と変わらぬ行いをできる大将というのはそれだけで頼もしい。
「――不思議」
そんな彼らの姿は森の魔女には文字通り酷く不思議なものに映った。まったくもって理解できなかった。
しかし、不愉快ではない。生きている人間を毛嫌いしてきた彼女にしては珍しく今この瞬間は心地が良かった。
少しの時間が過ぎた。
木々の向こうでは盗賊たちが蠢き始めている。仕掛けるならば今しかない。別働隊が所定の位置に付いているはずだ。
「頃合か。巫女殿、打ち合わせ通り、お隠れくだされ。槍働きはこの忠弘にお任せを」
「……うん」
弥三郎に視線を送り、彼女はその場を離れる。事前の表情通りではあったが、何度か振り返りそうになるのを魔女はどうにかこらえた。戦そのものにおいては彼女はあまりにも非力、彼女自身そのことはよく理解していた。
小さいながらも頼もしい恩人の背中を見送り、弥三郎は村正を抜いた。
妖艶な光が森の闇に奔り、背後の兵たちが一斉に息を呑んだ。幾人もの血を吸った村正は彼らの知るどんな刀剣よりも美しく、勇壮に思えた。
「――では、コレン・ボーダーよ。そなたの初陣を勝利で飾るとしよう。者ども――」
無言で頷いたコレンの目の前で、刀が振り上げられる。
二十人が各々の武具を確りと握り締める。
張り詰めた空気を裂くように、その号令は――――、
「――掛かれ!!」
高らかに響き渡った。
どうも、みなさん、big bearです。
ようやく次で開戦。きちんと戦を描写できればいいのですが…
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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