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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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76、あるいは詞にこそ

 目の前の存在、突如現れ、自分達を庇い立てした山の民と呼ばれるその人物に下方弥三郎は奇妙な懐かしさと既視感を感じていた。近しいものを見知っている、あるいは同質のものに出会っている、そんな確信が弥三郎の脳裏を離れない。本来ならばここ未だに敵中であり、危機は脱しているものの、目の前のこの人物が味方かどうかの確信はない。

 だというのに、信じていいと、この人物が自分達、そして森の魔女を害することはないとそう確信している己がいる。それが弥三郎には不可解でならない。森の魔女に仕える従者としてあるいは武士として無条件に相手を信じることなどできない。だからこそ、目の前の存在を無条件に信頼しようとしている自分が弥三郎には信じることができないでいた。

 そしてそれは、森の魔女にとっても同じこと。目の前の存在、確かにここに存在しているもの、自身の目を信じることができないでいた。彼らが山の民が、穴倉から出ることはありえない、少なくとも彼女の知る限りは。


『…………どうしてここに』


『同じ事を問い返そう。森の魔女よ、森を出るとは知らなかったぞ』


 詞を用いた問いに返ってきたのは同じく詞。

それは 当然といえば当然のもの。その住処、仕える対象であり信仰対象であるその場所から出ることはない。そこで生まれ、育ち、死ぬ。それは森の魔女にもまた共通すること。何故此処にいるのか、それは彼女にもまた共通する問い掛けであった。

 何故此処にいるのか。何故森を出たのか。その問いは彼女自身に還るもの。森を出奔し、今もまだ人間に手を貸している。本来ならば求めに応じヴァレルガナ辺境伯の病を治療した段階で、森へと帰るべきだった。弥三郎を置き去ってでもそうするべきだった。


「……っ」


 しかし、そんなことは百も承知。他の全てを蔑ろにしてでも、彼の傍にある事を選んだのだから。今更、それを責められたとしても何のことはない。

 それに責められるべきは彼女だけではない、目の前の彼もまた咎を負っている。掟を蔑ろにし、使命を投げ出したという点においては彼も彼女に違いはない。


「――巫女殿」


 両者の間の剣呑さを察して、弥三郎が一歩前へと。目の前のこの人物に何を感じているにせよ、主にとっての敵ならば、それは即ち弥三郎にとっての敵に他ならない。武具の一つもなく、徒手空拳だったとしても敵を討つのが武士の役目だ。


『……従者か。加護を感じるぞ』


 瞬間、まるで状況についていけていなかったコレンですらも背筋が凍るような殺気が周囲を圧した。発しているのは弥三郎か、あるいは山の民か。そのどちらにせよ、先ほど兵士たちに囲まれていたとき以上の緊張。生身の兵士たちなら兎も角、詞を手繰り、万象を支配しうるものを相手にしてどう戦えばいいかなど、弥三郎でさえ見当すら付かない。

 

『……まあいい。我々もお前と同じく求めに応えて此処に在る。ただそれだけのことだ』


 緊張が頂点へと高まり、弥三郎が先手を取って踏み込もうとした直前、山の民は不意に緊張を解き、そう言い放つ。理解できたのは森の魔女一人だが、二人にも理解できるほど如実な変化だった。


『……そう。それでどういうつもり?』


『どういうつもりもなにもあるまい。そなたがヒサヒデを害を成そうとしたのを止め、ヒサヒデがそなたらを捕らえようとしたのを止めただけのこと。何故と問うなど、森の魔女らしくもない』

 

 返ってきたその詞は何処までも冷ややかなもの。山の民はもとより個を持たない、山と一体となり、岩と言葉をかわす彼らには何故と問う概念すらも存在していない。それは本来ならば森の魔女も同じこと。弥三郎と出会うまでは彼女自身、感情というものすら認識できていなかったのだから。

 山の民の視線、物言わぬそれは彼女を責め立てているようでもあり、羨んでいるようでもある。彼の失ったものを彼女は持ち合わせている、ただそれだけのことが、同質であった二つを決定的に別っていた。


『……我々は我々として求めに応じたまでのこと。そなたらに助け舟を出したのもそのついでに過ぎぬ』


 それでも口にした何故は彼らの在り方そのもの。そんなところまで彼と彼女は似通っている。


『…………なら感謝はしない』


『それでいい。元より不要なものゆえ」


 見返りを求めない、その掟に山の民はあくまで忠実に振舞う。彼等にとっては掟に従うことが全てであり、それ以外に望むことはなどない。それが彼等だ、岩を削るのも、鉄を鍛つのも、詞を手繰るのもすべては掟を守るため。もし、彼らが山を出たとすればそれ以外の理由などありえず、何故と問うことに意味などない。


「……巫女殿」


「大丈夫、ここは任せて」


 僅かに振り返った弥三郎に、アンナが頷き返す。先ほどは弥三郎が彼女を庇い、兵士たちの前に立ち塞がった様に今度は彼女の領分だ。山の民と詞をかわすこと、あるいは彼から己が従者を守ることは彼女の役割。例え戦場に立つことは適わずとも、弥三郎の傍らにあることだけは誰に譲るつもりはない。森を出た彼女にとってこの場所こそが唯一の寄る辺だ。


『用がないのなら去るがいい、山の民。貴公等とて為すべきことがあるはず』


『言われずとも。さらばだ、森の魔女……それと人間にあまり入れ込み過ぎぬことだ』


「…………!」


 最後の詞はおそらく山の民らしかぬ、明確な感情を帯びたもの。憎悪、いや、あるいは羨望。そのどちらであるにせよ彼らが得たものは彼女が得たものと全くの逆であった、それだけは確かだ。


「………違う、絶対に」


 振り返ることなく去っていく背中に向かってそう言葉を返す。裏切られる、そんなことはありえないと今すぐ叫んでしまいたい。あの山の民に向かってどれだけ自分と(ヒト)の絆かどれだけ強く深いものか、懇切丁寧に語り聞かせてやりたい。例え天が裂け、地が割れ、全てが焼き尽くされたとしても決して断ち切れるものではないのだと。

 だが、その可能性を否定しきれない自分が確かにある。胸に去来するのはあの言葉、ヒサヒデと呼ばれたあの男の発した誘い。それが薔棘のように心を抉り、心中を掻き乱す。もしあの時、自分が邪魔をしなければあの誘いに弥三郎がどう答えたのか、それが分かるのはただ一人だけ。森の魔女とて簡単に伺いしることはできない。


「…………っ」


「どうなされた?」


「なんでもない、大丈夫」


 ならばどうするか、答えは決まっている。問えばいい、弥三郎本人にただ一言、問えばいいのだ。彼が彼女を偽る事をない、それは分かりきっている。彼女が問えば、彼は嘘偽りなく本心で答えるだろう。

 だからこそ、恐ろしい。喉元まででかかった問いを飲み込み、嘘で全てを覆い隠す。もし彼が、もしあの誘いに頷くつもりだったとしたら。ほんの僅かなその可能性が恐ろしくて堪らない。彼を失うくらいならば、偽りでさえも恐れはしない。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 彼等、ヴァンホルト・ユーティライネン卿とフェルナー・フォン・ロエスレラ卿と彼らの率いる部隊が帰城を許されたのはその日の夕刻のことだった。彼らの手勢だけではなく未だ陣中に留め置かれている下方弥三郎の手勢をも率いて彼らはアウトノイアの城へと帰った。

 城方との談合が一段落し、もはや人質の必要がなくなった、ということではあるが、彼らの心中には疑念と困惑が渦巻いていた。彼らは解放された、だが、戦友たる下方弥三郎だけが陣中に留め置かれ、そのままだ。彼らだけが解放され、彼だけが残された。それが何ゆえか、彼等にはわからない。クリュメノスの策略か、あるいは裏切りか、その答えがなんにせよ彼らにできるのは現状から予測することだけ。下方弥三郎という人物が寝返りを打つような人間ではないことははっきりしているが、だからといって油断することはできない。彼を拷問してを内情を聞き出そうとする可能性は充分ある、城が、ヴァレルガナが、アルカイオスが危機にあることには変わりがないのだから。

 帰還したヴァンホルトらの報告を受けたヴァレルガナ方は昼夜を押しての備えをさらに加速させた。即日という要求をどうにか必死の思いで明日に引き伸ばしはしたが、ただそれだけ。激戦を終えたヴァレルガナには余裕などあろうはずもない。城に蓄えられ兵糧はどれだけ必死に工面しても、精々が一週間分。クリュメノスの大軍勢を城に迎えなければならないというのに、あまりにも不足している。

ともすればタイタニアとの決戦以上の労力と財を費やさなければならない。一万の軍勢を賄う兵糧だけでも相応以上の出費を強いられるのは必定。すべてが終わった後に、ヴァレルガナの蔵には金一枚とて残りはすまい。すでに周辺の領主とこちらに向かっている筈の王都からの援軍へ早馬を走らせてはいるものの、それでも間に合うかどうか。最悪領地の無事な村々や街からなけなしの物資を徴発することも考える必要がある。

 それだけではない。建物の修復は無理にしても、未だ放置された遺体と瓦礫、大通りを塞ぐ焼け残り程度は片付けておかねばならないし、城中の見える部分だけでも綺麗にしておかなければならないだろう。

 相手はクリュメノス、手抜かりは決して許されない。今は味方と分かっているとはいえ、その意図は明らかではない以上、警戒は解くわけにはいかない。無論、歓待はする。現皇帝の姪にして名にしおうかの東方辺領騎姫を城に迎えるとあってはアルカイオス王国の代表として礼を尽くすのは当然のこと。粗相の一つでもあればそれこそ戦争になりかねない。

 大よその準備、クリュメノスの軍勢を城に迎える用意が完了したのはその日の明け方のことであった。帰還した民までを動員しての総出、それでようやく最低限の体裁を整えることができた。これ以上は今のヴァレルガナの財力、人足では到底不可能。ここまでの事をやってなお咎められるのなら、あとは剣を抜き、矢を番え、戦うのみだ。元よりその覚悟はできている。

 四つ目の週の最初の日、その日のことはヴァレルガナ、クリュメノス両陣営の公文書にしかと残されている。

 東方辺領騎姫殿下、御入城。後の歴史書においておよびあらゆる史家の衆目の一致するところ、この入城は即ちアルカイオス王国のクリュメノス帝国への従属を意味するものであり、後の世にアルカイオス大乱といわれる戦乱の第二幕の始まり、であるとされている。この瞬間に、この場所に、下方弥三郎と森の魔女もまた立ち合っていた。

 



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