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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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73、あるいは梟雄

 驚きと動揺をひた隠しにすることは弥三郎とて容易なことではなかった。何しろ眼前にいるのはこの目でその最期を見届けた人物。自分と同じようにこの地に流れ着いたのだと理解はできても、それを納得することは難しい。

 松永弾正久秀。弥三郎がかつての主家に対して謀反を起こしたこの男、その生存を認めるのは容易なことではなかった。適うのならば、今すぐ刃を抜き、切り掛かりさえしていただろう。

 だが、この男を前にしてそんな隙を晒すことはできない。寝返りと下克上が常であった戦国の世においてなお、梟雄とまで呼ばれたのがこの松永久秀。少しでも隙を見せれば、いとも容易く付け込まれるだろう。

 状況は最悪といってもいい。下手な真似をすれば、それを口実にどのような目に遭わされるか知れたものではない。人質を取られ、武具までも取り上げられた今、弥三郎にできる抵抗などその程度のことだけ。隙を晒さないように気を張っていることしかできなかった。


「そういきり立つでない。取って食おうというわけではないのだ、安心せい。それに日の本での遺恨など今更拘っても仕方があるまいて」


「――は」


 そんな弥三郎の心中を容易く見通して久秀は人のよい笑みを浮かべてみせる。梟雄とまで呼ばれた男におよそ似合わぬその表情は、繕ったものでありながら心中に忍び寄るような静かな圧力を持っていた。


「同郷の好よ、先ずは一献。酒でも入ればその顰め面も緩もう」


 そういうと久秀は徐に立ち上がり、硝子(ギヤマン)の杯に葡萄酒を注ぐ。一切の警戒も緊張もない、無防備にさえ見えるその所作はどこか雅ささえ感じさせるものだった。


「さ、一息に飲み干されよ」


 弥三郎に手渡された杯には並々に注がれた葡萄酒。濃い赤紫色の液体は何が溶け込んでいたとしても見破ることはできず、果実の香りは他のすべての匂いを覆い隠してしまう。毒見など当然ない、飲み干すか否か、問われているのはただそれだけだ。

 

「――――ッ」


 ならば答えは決まっている。言われたとおり一息に、緊張も恐怖も一切感じさせぬ豪快さで弥三郎は杯の中身を飲み干してみせる。甘さが口いっぱいに広がり、果実の香りが鼻までを突き抜けた。もはや、後戻りはできない、それを覚悟した上で弥三郎は久秀の杯を受けたのだ。

 この杯は問答であり、挑戦でもある。ならば逃げ出すことできない。勝負事に命惜しさに逃げ出したとあっては末代までの恥。もしこれが毒入りならば、そう考えなかったわけではないが、それでも逃げ出すわけにはいかなかった。


「――ほう。さても見事な飲みっぷり。わしも見習わねばな」


 そういうと久秀もまた一気に葡萄酒を飲み干す。七十近い老境の身とは思えないほどに豪快な飲みっぷりだった。両者共に帝都の貴族からすれば正しく蛮族そのものといった葡萄酒の楽しみ方ではあったが、どこか清々しささえ感じさせるのは松永久秀の佇まいゆえだろう。

 

「さて、下方殿。その方の身の上を聞かせてもらおうではないか。この地には、わし一人かと思うておったのでな」


 杯を傍に置くと、久秀はそう切り出した。その疑問は弥三郎とて同じ。あの場所にて刃を交えた平家の亡霊という例外がいたとはいえ、このオリンピアの地には自分ただ一人だと思っていたのは弥三郎にとっても同様の事。

 もしや、という事を考えなかったわけではないが、それでもこうしてこのような形で出会うことになろうとは考えてすらいなかった。


「某は――」


 一度語り始めると、無防備なまでに弥三郎はこれまでの経緯を久秀へと語っていた。自覚こそしてはいなかったものの、いる筈のない同郷の士を目の前にしているのだ。それが不倶戴天の敵だったとしても、いたしかたのないことだった。

 大樹の森に流れ着いたこと、野伏りや平家の亡霊、ラケダイモニア砦での戦いと篭城のこと。苦渋に満ちたあの本能寺での謀反と無念の極みである二条の御所での最期でさえ、弥三郎は口にした。

 あるいは熱を、あるいは後悔の滲むそれらを久秀は黙って聞き届ける。弥三郎の語る経緯、これまでの僅か数ヶ月の間に起こったあまりにも多くの出来事は百戦錬磨の久秀にとってもまた興味深いものであった。

 

「なるほど。大よそわしと変わらぬか」


 弥三郎が語り終えると、久秀は満足げに頷いて、そう呟く。その手には再び硝子の杯が握られていた。


「……して弾正様は如何様にして、この地に……」


「軍師殿でよい。今更日の本の官位など意味があるまいて」


「……は、ではそのように」


 嘗ての主家や、朝廷より賜った官位をもはや無意味と切り捨てて久秀は話を続ける。彼にとってはあの信貴山の城で爆ぜたその日から、あるいはこのオリンピアの地へと流れ着いたその日から嘗ての故郷など意中にすら存在していなかったのだろう。少なくとも、こうして弥三郎と相対するまでは思い出すことすらしなかったのだけは確かだ。


「さて、わしか。まあ似たようなものよ」

 

 静かにそして滔々と久秀は語り始める。彼とてこの場所に流れ着いてからそう長くをこの地にて過ごしたわけではない。だが、それでも彼とて弥三郎に負けず劣らず、いやあるいはそれ以上の経験をこの地にて積み重ねてきた。


「この地に来たのは確か二年ほど前のことよ。信貴山にて果てたかと思うたが、気付けば山中で倒れておった」


「二年前……」


久秀の語った発端は弥三郎の疑念と驚きを一層のこと強めた。日の本で松永弾正が身罷ったのは間違いなく、五年前のこと。しかし、久秀がこのオリンピアの地に辿り着いたのは二年前のことという。久秀がうそを言っているか、あるいはなにか別の所以があるのか、弥三郎には推測することすら叶わない。それこそ、この場に彼の主がいたならば、そう弥三郎が考えるのも無理からぬものだった。


「それからは常の通り。武士としての倣いに従って、手柄を立て、立身出世を望み、この場所に居る。それだけのこと、その方となんら変わることはない。つまらぬ話よ」


「……左様で」


 自身の経験、この二年間、この異界の地で積み重ねてきたものでさえ、その程度のものであると久秀は言い切ってみせる。

 常の通り、その久秀の言葉の意味することはただ一つ。たった二年、久秀はこの東方辺領騎姫付き軍師という地位をたったそれだけの年月で得てみせた。そのためにどれだけの事をしてきたか、それを想像するのは弥三郎には容易なことだった。

 かの美濃の蝮斎藤道三入道然り、関東小田原の礎を築いた北条早雲然り、下剋上は戦国の倣い。そこに伴う裏切り、権謀術数の数々もまた乱世においては珍しいことではなかった。つまるところ、立身出世、あるいは地位というものはその上にしか成り立ちはしないのだ。

 この男、松永弾正久秀のいう常とは即ち、それのこと。寝返りや謀略などこの男にとっては所詮、わざわざ言葉にするほどのことではなかった。


「それにしても明智日向が謀反とはな! しかも、親子諸共に!……ええい、口おしや! まだ死ぬるには早かったか!」


「――――」


 自らの経験をたったそれだけの言葉で片付けたかと思えば、久秀はまるで幼子のような面持ちでそう言い放つ。かつての主君にして、槍を向け、そしてまた自らの命を奪った、いや、奪ったはずの怨敵の最期こそ久秀にとってもっとも関心を向けるべき事柄だった。

 恨み、あるいは怒り。久秀の声色には存在してしかるべきそれらの感情が一切存在していない。ただ単純に、純粋にかの本能寺の謀反に立ち会えなかったことを悔しがっている。まるで気に入った玩具を失った幼子のように、年甲斐もなくかの織田信長の最期に立ち会えなかったことを惜しんでいたのだった。

 それだけではない、今にも嗤い転げてしまいそうなほどに彼らの最期を面白がっていた。


「ほう、怒ったか。やはり見ての通りよな」


「――ッ」


 見透かされていたところでもはや構うものか。あの最期を、あの戦いを、主の最期を嘲笑われ黙っている下方弥三郎ではない。ここで久秀に手を出せばどのような末路を迎えるか、誰を巻き込むことになるかなど火を見るよりも明らかではあるが、それでもここでこんな狼藉を許して誰に顔向けできようものか。すべきことは一つ、ここで亡き主君の主君の名誉を守ること、ただそれだけだ。


「よいぞ。取れるものならこの首、とってみせよ」


 もはや殺気と憤怒を隠そうともしない弥三郎に対して久秀は涼しい顔でそう言ってのける。彼にとってみればこの程度の殺気などそれこそ微風のようなもの、むしろこの状況までもを楽しんでさえいた。

 それに弥三郎にとってみれば言われるまでもないこと。敵は如何にかの梟雄とはいえ一人、しかももはや七十を越えた老人。例え徒手空拳とはいえ、首を圧し折る程度容易くやってのけるだけの剛力は弥三郎にはある。掴みかかりさえすれば事は一瞬ですむ。それこそ瞬く間、どんな手で備えていようとも誰にも止めることはできはしない。


「――――」


 こうと決め、飛び掛るその直前、弥三郎の脳裏に一つの顔が過ぎった。

 穏やかでありながら決意と覚悟に満ちたその瞳が静かにこちらを見詰めている。決して嘗ての主たる信長や信忠のように古今に類を見ない傑物ではない。それでも彼女はそれに劣らぬだけのものを持ち合わせている、少なくとも彼はそう信じてこれまで剣を振るってきた。

 決して嘗ての主を、彼らを裏切るわけではない。だがそれでも、今忠を尽くすべきは今生の主たる森の魔女、アンナリーゼ・クレイオネス・シビュラネアだ。ここで彼に久秀に手を掛けることはその主への不忠だ。己が感情で、己が心情で主の命を危険に晒すことなどできようはずがない。真に嘗ての主に、今生の主に忠義を果たそうというなら此処でこそ踏みとどまらなければならない。


「――ほう」


 その様子、直前で踏みとどまった弥三郎の姿を見届け、なおのこと久秀は笑みを深める。どうやら弥三郎の逡巡や怒りが愉快で仕方がないらしく、今にも笑い出してしまいそうなそんな気配さえ漂わせている。しかし、今の彼の笑みには確かな興味と感心が混じっている。

 

「――失礼仕った」


「よい! 平に許すぞ!」


 そのまま噛み締めるように詫びて見せた弥三郎の姿は正しく見事というほかない。己が感情を押し殺し、泥を舐め、地を這うことさえも厭いはしないその姿は武士の鑑といっても過言ではないだろう。

 だからこそ、老境の梟雄は嗤う。目の前のこの武士が己が対極にあると知るが故に。


「――そうだ、その方、無礼ついでにわしに仕えてみる気はないか?」


 そうして梟雄はそう口にした。たった今の今まで自身を殺そうとしていた男に対して、まるで事も無げにそう言ってのけたのだ。

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