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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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72、あるいは表裏一体

 戦が終わった、その報らせを耳にしたその瞬間、彼女は走り出していた。

 城を出て間道に入って三時足らず、使者が彼女たちのもとに辿り着いたのは、そんな頃合い。 クリュメノスの加勢により、お味方勝利。周囲の者たちがその使者の言葉に驚く中、彼女はただ一人が迷わず駆け出していた。

 なんにせよ、勝ったのだ。ならば彼は城へと戻ってくるはず。それを迎えるのは自分の役割、誰に譲る気はないし、彼もまたそれを望んでいるはず。そう信じるがゆえに、彼女は狭い間道を必死で走った。思えば、全速力で駆けるなどいつぶりだろうか。思い通りにならない足と苦しくなっていく呼吸が忌まわしくて仕方がない。

 結局ところ、森の魔女がアウトノイア城に帰り着いたのは報らせを聞いてから二刻近くたってからだった。


「……………どこ?」


 城に帰り着いて、休むことなく、彼女は己が従者を探し始める。彼の姿を見るまでは、この目で、この指で彼の無事を確かめるまでは休んでなどいられない。必要ならば、戦場に出てでも弥三郎を探すつもりだった。


「――魔女様!」


 そんな彼女を呼び止める声がある。見れば城に残っていたロベルトの部下の一人、アストリア傭兵団のコレンだった。


「………なに?」


「弥三郎の旦那を探しておられるんでしょ? あっしが知ってます」


「教えて」


 弥三郎の所在を知っている、そうコレンが口にした瞬間、アンナは普段の不気味なまでの冷静さからは考えられない勢いで、彼に詰め寄った。今までは関心を向けたことすらなかったが、弥三郎の居場所を知っているというならば話は別、今ならば加護を与えるも吝かではない。


「知ってはいるんですが……その……」


「早く答えて」


「……えっとですね、まだ城には帰られてないんです、旦那も団長も」


「……どういうこと?」


 城に帰っていない、その言葉を聞いた瞬間、彼女の背筋を冷たい予感が走った。戦は終わったはず、それはこの場内の様子を見ても明らかだ。だというに、彼が城へと帰っていない。そのコレンの言葉がどうしようもなく不吉でならない。

 もしや彼が死したなどということは、万が一にもありえまいが、戦場では何があるかわからない。傷を負ったか、あるいは敵に捕らえられたか、なんだってありえる。コレンの言葉はそんな可能性を予感させるには十分だった。


「だ、大丈夫です! 傷もねえし、みんな無事です! ただ……」


「ただ?」


「二人はクリュメノスの陣幕で人質に……それでまだ帰ってないんでさ」

 

「クリュメノス……」


 クリュメノス帝国、東方の雄、その名は彼女とて聞き知っている。あくまで風聞に過ぎないとはいえ、その容赦のなさは、人の寄り付かぬ大樹の森とネモフィ村にも轟いていた。

 曰く匙が転べば矢が飛ぶ、そんなクリュメノスの陣に弥三郎がいる。その事実は先程の予感以上の恐ろしい。如何に彼が無双の豪傑といえども、敵陣の真ん中ではどうしようもない。弥三郎の命は風前の灯、クリュメノスの胸先三寸で生死が決まる、そんな状況にあるのだ。


「どうして…………」


「そりゃ、あっしにも……」


 思わず漏らしたその言葉は目の前のコレンに向けたものではない。もっと遠く、もっと高い場所へ向けた言葉だった。

 一つの戦が終わった、それは確かだ。巨神タイタニアの軍勢はこのアウトノイアの地を去り、城は残った。クリュメノスの参戦という珍事があったものの、勝利であることには間違いない。

 だというのに、安寧は訪れてはくれない。弥三郎は未だ敵中にあり、更なる危機にある。そんな状況で彼女にできるのは何もできずに待ち続けるだけ。あのラケダイモニアの戦と同じく、勝利の先にすら安寧は存在していない。いかな運命の巡り会わせか、この道を選んだのは他でもない彼女自身とはいえ、それでも天運を呪いたくもなる。

 望むは唯一つ、己が従者と、愛する人と共にあることだけ。そんなささやかな望みでさえも、巨大な流れの前ではただ押しつぶされるのみ。今までの彼女ではその流れを前にしてできることなど何一つとしてない。


「…………案内して」


「――は?」


 そう口にしたのは自然なことだったのかもしれない。ただ押し流されるだけなど、ただ消え行くだけなど、容認できない。たとえこれが神々の意志だとしても構うものか、今の彼女にはそうするだけの理由があり、そのための力と力強い思い出がある。

 彼がそうするように、彼女もまた諦めることを拒絶した。あの背中、あの愛おしく大きな背中から学んだことがあるとすれば、それだ。最後の瞬間まで諦めず、自身の成すべき事に殉ずる、誰に憚ることなく。

 待つだけの戦いはもう終わりだ。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 クリュメノスの陣屋その最深部、弥三郎が案内されたのはその中の天幕の一つだった。道中の兵の配置や、物々しいその佇まいからしてこの場所が中枢、本陣のど真ん中であることは確か。弥三郎がその気になれば護衛の兵を殴り倒し、剣を奪い、総大将の首を取ることですら絵空事ではないだろう。

 しかし、仮にも味方とは言い難い弥三郎に陣容をさらすということは、それでも一切の構いはなしという自信の表れでもある。ようは、彼等など、ヴァレルガナなど歯牙にもかけていないといっているのだ。


「…………」


用意されていた椅子に腰掛け、弥三郎は静かに待つ。侮られるのは不愉快ではあるが、ここで事を起こすわけにはいかない。ヴァレルガナのため、そして、大恩ある森の魔女のため、今は辛抱こそが肝要だ。

軍師の天幕、通されたこの場所はこの一万の軍を差配するその人物の天幕だという。そんな、人物にわざわざ呼びつけられるような所以はとんと心当たりがないが、こうなった以上は待つ他にない。

 手持ち無沙汰に、目線を彷徨わせる。天幕の奥には戦場にて目撃した蔦の旗、彼の見知ったものとは違い、僅かな装飾が加えられていた。端におかれた机は陣中だというのに高価な拵えのもの、その上には葡萄酒の瓶と硝子(ギヤマン)の杯が置かれている。他に目ぼしいものは無い。この天幕の中は飾り立てられているようで。そのほかには無駄なものなど一切存在していなかった。

 さらにその直ぐ傍には幾つかの書簡と書きかけの書状。人を招いたにしてもあまりにも無防備。もし、あの内の一つでも持ち出されれば、このクリュメノスの軍略そのものが露呈するかもしれないというのに。

 だからこそ、不用意には動けない。試しているのか、あるいは罠か、どちらにせよ、下手な動きは禁物だ。


「――むう」


 身体の内には未だ戦の猛りが燻っている。そもあの敵方の総大将取り逃がしたことは痛恨の極みだった。かの聖女を討ち取ったとはいえ、総大将が顕在ではまたタイタニアの軍勢が攻め返してくる公算は充分にある。万全を期すならば、ここで総大将を討ち取っておくべきだった。

 しかしながら、この軍勢、クリュメノスは追撃を仕掛けんとした弥三郎の眼前を横切りながらも、敵方の追撃を早々に打ち切った。今思えば、まるで彼らを逃がすように立ち回っていた、そのように見ることすらもできる。そのことが弥三郎の心中に棘のように引っ掛かっていた。

 なおのことこの陣中で隙を晒すことはできない。


「…………ふむ」


 それにしても、遅い。この場所に通されてから一刻近く。件の人物はやってくるわけでもなく、ただひたすら待たされているだけ。このオリンピアの礼節を弁えているわけではないが、それでも無作法であることくらいは弥三郎にも分かる。何か故あってのことか、あるいはわざとか、それは定かではないが、相手の思惑にのるほど、愚かではない。

 待たされること、二刻近く。いい加減堪忍袋の緒が切れるその直前、その人物は現れた。


「――いやはや、戦振りからして猪武者の類かと思えば中々に辛抱強いではないか」


 弥三郎の背後、入り口から現れたその人物はそんなことを言いながら、平伏した彼の眼前を通り過ぎ、上座へと腰掛けた。声の調子からして老人、だというのに老いを一切感じさせない力がある。足音は軽く、重さを帯びてはない、だというのにそれは波濤のような響き。

 その一声が、その一歩一歩が弥三郎の耳には火縄銃(タネガシマ)の銃声のよう。記憶と過去を揺り戻し、彼を戦場に引き戻すだけの力を帯びていた。

 心中に疑念と確信、そして驚愕がせめぎ合う。あの戦場で見た蔦の家紋。あれがもし、弥三郎自身と同じく日の本より来るものならば、そして、この軍師を名乗る人物がその持ち主ならば――。


「面を上げられよ」


「――――」


 許しを得て、顔を上げる。瞬間、弥三郎の予感は現実のものとなった。

 その面貌を見忘れようはずもない、京の地にてたった一度対面しただけとはいえ、記憶に、いや魂に確かに刻まれている。

 目の前に座すは、間違いなくその人物。今より五年前、信貴山城の戦いにて天主、名器平蜘蛛の茶釜と共に果てたその男が、クリュメノスが軍師として弥三郎の目の前にあった。


「――ヴァレルガナ帝国、東方辺境騎姫が軍師、松永弾正少弼久秀である」


 笑うように、あるいは宣戦の布告を発するように、老人は名乗った。自らこそがほかでもない松永弾正久秀であると。

 そうこの男こそが松永弾正。連戦連勝の東方辺境領軍団を支える軍師にして、今は遥か遠き日の本、戦国の世において梟雄と呼ばれた男。

 その男が今此処に、弥三郎の眼前に姿を現したのだ。味方として、あるいは敵として、そして越えるべき壁として、目の前に立ちはだかっていた。


「――織田左近衛中将様が家臣、森の魔女殿が従者、下方弥三郎忠弘でござる」


 辛うじて名乗り返したのは武士としての意地か、あるいは目の前の存在への畏怖ゆえか。それほどまでに下方弥三郎という武士にとって、この男はあまりにも強大だった。

 あの日、五年前のあの日、信貴山城の戦陣にて目撃したあの光景。炎を上げて吹き飛んだ天主の光景は弥三郎の脳裏に焼きついている。天正五年の秋、織田に反旗を翻したこの男の真意、松永久秀という武将が何を望み、何を信ずるのか、何一つとして弥三郎にとっては定かではない。

 定かなことはただ一つ。此処に二人は邂逅したという事。かたや森の魔女のもとに召喚され義によって武を振るってきた下方弥三郎忠弘、かたやこの異界の地においても辣腕を振るい身を立てた松永弾正久秀。同じく戦国の世より来たりながらも対称的なこの二人の邂逅が、後の歴史にどのような波紋を起こすのか、今はまだ誰も知らない。



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