69、あるいは角笛の音が
夜明けが来る。東の方より朝日が昇り、戦場を照らす。城を囲む三万のタイタニアの軍勢と城より打って出た僅か千足らずのヴァレルガナの軍勢。その両者が入り乱れ、命を散らすその戦場が朝日に照らし出された。
そんな中で、ヴァンホルト率いる決死隊は最大の危機を迎えていた。周囲には数千の敵、フェルナー隊とはどうにか合流したものの、その囲いを破ることができず、このまま立ち往生。彼らだけではどうしようもない。
この奇襲、本陣への特攻は敵方に読まれていた、城より火が上がったその瞬間にヴァレルガナ方の目論見は露見していたのだ。そうでなければあの場所、総本陣に総大将が不在であるはずがない。自らの身と本陣をヴァレルガナ方を誘き寄せる餌として利用したのだ。
恐るべくは出陣した彼らを罠に陥れるべく、総大将の馬印すらも使い捨てたレバンス枢機卿の覚悟の程。前任のガストン司祭長の二の舞にはなるまいという強い覚悟が彼にその判断を強いたのだ。
「参集!! 参集せよ!!」
声も枯れよと叫び、兵達を呼び集める。出陣の折、あわせて五百はいた兵達はすでにその半分にまで数を減らしている。それでも士気が崩壊していないのは、偏に彼らを率いる二人の将の将器故。この窮地にあっても、ヴァンホルト、フェルナー両名は兵達にとって頼るべき最後の寄る辺であった。
「ヴァンホルト! 如何する!?」
「もう一度、突っ込む! おめおめ逃げ帰れるか! ヴァレルガナの騎士は此処に在りと示す!!」
「――応ッ!!」
並び立つ戦友と最後の言葉をかわす。状況は既に窮まった。この囲いを抜くには、どうあっても兵力が足りない。今更総大将を狙おうにも、その所在は未だに不明。進むことも退くことも適わない。このままではただ死するときを待つのみ、袋の中の鼠のように縊り殺されるだけだ。
だからこそ、次の一撃にすべてを懸ける。乾坤一擲、この囲いを打ち破るか、あるいは此処で玉砕して、あい果てる。こと此処にいたってはそれを厭うような彼らではない。出陣すると決めたときから、あるいは幼少の砌、剣を掲げ誓いを口にしたその時から、この瞬間を覚悟してきた。今こそが、命の使い時だ。
「我に続け!! アルカイオスのためにぃ!!」
最後の号令。振り下ろされたヴァンホルトの剣に従い、彼らが最後の突撃を仕掛けるその直前。東の方にその旗が掲げられた、その旗はタイタニアのものでもなければ、ヴァレルガナのものでもない。未だこのアルカイオスの地においてたなびくことのなかったその旗が示すのはありえざる軍勢のものだった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
待つこともまた戦いである。城を出て戦っている同胞達その勝利をただ信じて待つ、それはときより自ら剣を振るい、白刃に身を晒すよりも尚、痛みを伴うもの。特に御家の存亡、国の運命を懸けた戦となれば待ち続けることもまた命を懸けた大戦となる。
この城で勝利を待ち続けるのは僅か百名足らず。大半の兵は山間の隠し道より脱出した民の護衛についており、この城に留まっているのは城主アレンソナとその供回り。そして、城の姫たるユスティーツァ、森の魔女アンナリーゼ、ネモフィ村の村長が娘アイラの三名。彼らはただ城外に出た同胞達の勝利を信じて、この謁見の間にてただ待ち続けていた。もはや祈るべき神は味方をしてはくれない、彼らにできる唯一のこと、それはただ信じて待ち続けることだけだった。
「――っ」
唇を噛み締め、手にした杖を力いっぱい握り締める。できることはすべてやった、弥三郎には火除けの加護を施したし、言われた通り、風向きも指示の通り北風に変えた。これ以上ないすべてをこの瞬間に注ぎ込んだ。これ以上の秘蹟を行使する力はアンナの体にはもう残ってはいない。
それでも、それでもと叫ぶ心を必死に押さえつける。ここで力を使い、全ての敵を殺してたとして、それで救えるものは何もない。魔女としての在り方を失い、魔へと堕ちれば彼を失う。そうなればこの戦いも意味を失ってしまう。彼を失うことは全てを失うよりもなおも、恐ろしい。
今できることは、ただ恐怖を押し殺し、信じて待つだけ。彼が、自身の従者たる下方弥三郎が、生きて帰ってくるのだと信じることしかできない。あの時、あの城の塔で彼が再び誓ってくれたように帰って来るのだと。
「外は、外はどうなっているのでしょう……」
「大丈夫です、きっと」
自身の震えを押し殺して、姫の手を確りと握る。無理をいい、病を口実にしてまでこの城に残ったとしても、ユスティーツァの内の恐怖は消えてはいない。むしろ、この一刻ごとに奥底の恐怖は膨れ上がっていく。それでもこの城に残るのは全てアイラのため、彼女がこの城に残るのなら決して自身も離れはしないとそう言って聞かなかった。
それにこの城はユスティーツァにとっては生まれ育った家、今火に包まれている城下は彼女の故郷だ。それでもまだこうしていられるのは、隣で手を握るアイラの存在があってこそだった。
アイラが弥三郎を信じるように、ユスティーツァはアイラを信じている。彼女が大丈夫だというなら、きっとそうなのだと彼女は固く信じていた。
「――ボーント、剣を此れに」
「――は!」
信じてる、それはアレンソナとて同じ。城下へと出陣した配下の将たちと兵たち、その勝利を信じている。だが、だからこそ今動かなくてはならない。待つだけではなく、戦う彼らを援護するために、辺境伯たちにはできることがあった。
病魔に蝕まれ、痩せ細った身体に甲冑を纏う。獅子の紋章が縫いこまれた青色の外套に金細工の施された甲冑、ヴァレルガナ家伝来のそれらは磨き上げられ、鈍く輝いていた。例え夜の闇の中、燃え盛る炎の只中にあっても、その姿を見まごうことはないだろう。
「――出陣する! 城に火を掛けよ!」
「ち、父上!?」
軍装を整えた辺境伯がそう号令を下す。それこそが最後の策、このアウトノイアの城に火を放ち、城主アレンソナ率いる最後の隊が敵陣へ突撃を仕掛ける。御旗を靡かせ、角笛を吹き鳴らし、味方を鼓舞する。後のことなど考えはなしない、ただこの戦の勝利、それだけを目的とした捨て身の策だ。
無論本来ならば、この策は最後の最後にしか許されぬもの。守るべき城下だけではなく、城にまでを火を掛けるなどありえない。
しかし、それでもそうせざえるをえない。彼らが出陣してから二刻ほど、未だ戦勝を告げる使者は城へと戻ってきていない。そうである以上、最後の一押し、命を懸けた突撃を仕掛ける必要がある。民を率いて脱出した息子に代わり兵を率いる、それがアレンソナ・フォン・ヴァレルガナ辺境伯に課せられた最期の役目、命の使い時だった。
「だれぞ、娘達を城外へと連れ出せ!」
「父上!」
「この父に付き合う必要はない。そなたは強うなった、父に代わり、兄を支えてやってほしい」
お付きの騎士達と残っていた侍女たちが無理やりにでも、ユスティーツァを連れ出そうとする。彼女の役目、いや、人生は此処で終わってはいけない。ヴァレルガナの血筋を此処で絶やすことだけはできない。
「父上! いやです! 父上!」
「息災であれよ、ユスティーツァ」
最後の言葉は辺境伯としてのものではなく、娘を思う父親としてのもの。此処が今生の別れであるとそう分かっているからこその言葉だった。
アレンソナ、いや、ヴァレルガナ辺境伯は此処が死に場所と覚悟を決めている。この城を守りきれず、浄化に火を掛けることになったのは全て、自らの責任。城主として負うべき咎であると、そう考えたからこそこの城に残った。ユスティーツァさえ城を脱したのなら、後顧の憂いは何一つない。ヴァレルガナの血脈は息子と娘が受け継いでくる。
生き恥を晒すことはあたわず。城と運命を共に、勝つにしろ負けるにしろ、寝台ではなく戦場の真ん中で最期を迎える。それはアレンソナの望みであり、騎士としての最後の意地だった。
「魔女殿もお早く。恩人を死なせては騎士の名折れ、どうか、脱出を」
「…………」
「魔女様……行きましょう」
森の魔女とて、この城で彼を待つ、彼が帰らないのならここで死ぬると覚悟を決めている。それが今更城を出ろなどといわれても、おいそれと従えない。彼を信じるといった自身の言葉、そしてなによりも彼自身を信じていないようで、到底アンナには許容できることではなかった。
「魔女様、ここじゃなくとも、待つことはできます。むしろ、私達が此処にいてもヤサブロウ様の枷になるかもしれません。ですから――」
「…………分かった」
真摯なアイラの説得に、逡巡しながらもアンナは頷く。意地を張ったところでこれ以上得られるものはない。それが森の魔女とてよく理解していることだった。
彼を、弥三郎を信じていないわけではない。だからこそ、自分達がここにいては存分に戦働きができないのではないか、とアイラは言う。それもまた道理、戦場でできることにない彼女達にできるせめてものことは、戦う彼らの後顧の憂いを絶つこと。真に弥三郎らの事を考えるなら、自身の感情に拘っているような余裕はなかった。
「――角笛を之に! 打って出るぞ!!」
「応!!」
女子たちの退去を見届け、城主アレンソナが高らかに軍令を下す。率いるは百名足らずながら、精鋭揃い。その誰もが死を恐れず、ここで主君に殉ずる心構えだ。たとえ負けたとしても、騎士の本懐を遂げるべく、その時を今か今かと待ちわびている。
そうして準備万端に整う。閉じられた正門の前に軍列が整えられ、アレンソナは久しく跨ることなかった愛馬の背にある。あとは最後の号令を下すのみ、彼らの出陣と同時に城に火が掛けられる。その手筈だった。
「出陣なり! 城に火を――――」
その音色、回天を告げるその音が戦場の全てに響き渡ったのはその刹那だった。角笛、しかして戦場そのすべてを傅かせるような威厳に満ちたその音色は、ヴァレルガナの伝来の獅子の牙笛のものではない。
この場所、このアルカイオスにおいて決して響くことのはずのないその角笛は吉兆か、それとも凶兆か。赤竜の角笛、皇祖が伝説の竜より賜ったと伝わるその角笛は、間違いなく東方の雄、クリュメノス帝国のものだった。




