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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第五章、龍の旗
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66、あるいはできうる全てを

 城を囲む数千の軍勢、それを見下ろす塔の上に彼女はいた。吹き付ける夜風にはむせ返るような血の匂いと確かな死の気配。今日消えていった数百の人、その命が天へと消え行き、地へと還っていくのを確かに感じる。形をとどめるのはかつて彼等が生きていたという記憶だけだ。

 嘗ては怯えた確かな死の感覚。今はその恐怖を支配できる。死よりも恐ろしいものを知った以上、この程度ことは容易い。支配した死を力として行使することですら瑣末なこと。その気になればこの場に集った三万の軍勢、一人残らず皆殺しにすることすらできてしまうだろう。


「――っ」


 唇を噛み締め、そんな事を考える自分を戒める。それは、一度は破ろうとしたとしても森の掟に反することだ。森の知恵を死のために、己のために使うことはできない。一度でも破ってしまえば、もう引き返すことはできないのだ。知恵と力に呑まれ、人ではなく魔に堕ちる。

 それだけではない。もし魔へと堕ちれば、彼を失ってしまう。それだけはどんな代償を払ったとしても、それだけは。

 そんな思いに駆られてこの場所へと来た。もはや彼女できることはない。如何に彼女の力が強大とはいえ、戦いは諸人の領分、これ以上直接の手出しをするわけにはいかない。できることといえば祈りを捧げるか、精々こうして戦場見下ろして不安と恐怖を溜め込むことだけ。戦場に彼女たちの居場所は存在していなかった。

 

「――アイラさん……」


「はい? どうか致しましたか、姫様?」


「……いえなんでもありません」


 背後の部屋、姫の居室ではアイラに抱えられるようにしてユスティーツァが横たわっている。無論、体調が悪いわけではない。アンナの治療の甲斐もあって、体そのものはこれ以上ないほどに好調。あの野営地以来、竜の痣は疼きすらしていない。

 それでもユスティーツァはアイラに縋っていなければこうして話すことすらままならない。居ても立ってももいられない不安と恐怖に今にも気が違えてしまいそうだった。

 この城は彼女にとっては家だ。病に伏しているばかりだったとはいえ、此処で生まれ、此処で育った。その城が今存亡の危機にある。城門を破られ、城壁を制され、残る守りは城の大手門だけ。数千の軍勢に周囲を囲まれ逃げ出す隙間さえない。この城の落城はもう目前に迫っている。

 何も恐怖を感じているのはユスティーツァだけではない。この城は落城する、その程度のことなら、女子供にも自明の理。おびえるなというほうが無理がある。狂乱がおきて、内応者が出ていないだけ、奇跡といってもいいだろう。


「……アイラさんは怖くないのですが?」


「私ですか? 私は……」


 ユスティーツァの問い掛けは至極当然のもの。彼女の目に映るアイラには恐怖はない。いつもと変わらずに姫の世話をして、いつもと同じように振舞う。気丈と言うのは容易いが、アイラのそれは多少行き過ぎている。まるで戦に望む将たちが、恐怖も迷いもひた隠しにするようにアイラもまたそのように振舞っていた。


「怖くないといえば、嘘になります。こうして握っていないと震えてしまいますから……」


 そういうとアイラは自身の手をユスティーツァに示してみせる。その指先は確かに震えていた。

 怖くないはずはない。村で族に襲われたとき、ただ彼等の帰りを待つことしかできなかったあのときと同じように彼女の心は震えている。どれだけ大人びて、気丈に振舞っていても心の内は十七歳の少女。本来ならば戦などとは無縁に蝶よ花よ、と愛でられているような年頃。一つも恐怖もなく、歴戦の勇将のように振舞い続けることなど到底不可能だ。


「けど、まだ信じてますから。私は戦のことはまるで分かりませんが……それでもヤサブロウ様や城の皆様なら決して負けることはないって信じてるから頑張れるんです」


 そういって彼女は微笑を浮かべる。この劣勢、女子供であっても一目で劣勢を悟るであろうこの状況にあって尚も、アイラは勝利を、いや、下方弥三郎を信じている。彼ならば必ずやこの城を守り通すと、例え敵が三万の大軍であっても戦い抜いてみせるとそう信じているのだ。

 だから、こうして気丈に立ち振る舞える。信じるものがある限りは決して折れることはない。それだけ信念と覚悟は村を出て、城へと向かうと決めたあの時、彼等二人に村の運命を託した時から、決まっていた。今更何を迷おうものか、下方弥三郎が死するときはアイラもまた死するが時。とうの昔から覚悟は決まっていた。


「アイラさん…………」


「――姫様」


 割って入ったのは部屋の外に控えていた侍女の一人。おもわず部屋に居た全員が身構えた。彼女達が部屋外から声を掛けてくることなど、滅多に無いこと。何か変事があったと考えるのは当然のことだった。


「なにごとですか?」


「客将殿が参られました。どうしても巫女殿とお会いしたいと申されて……」


 返ってきたのは凶報ではなく吉報。件の客将、かの下方弥三郎がアンナを尋ねてきたのだ。この訪問、後の史書において惜別の夜とも記された訪問はそうして起こった。この瞬間、この場所にてこのアウトノイアの城の運命は決したのだった。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 その夜、彼女もまた敵を見据えていた。眼前には未だ門を閉ざし、抗戦の意思を明確にした敵の城。数多の敵を殺し、数多の味方を犠牲にしてもなお戦い続けようとする者達がいる。それは福音であり、災禍でもある。この敵は、後方の彼等が考えているほど容易く落ちはしないだろう。

 

「――願わくば、彼等に安らぎのあらんことを」

 

 祈りは眼前の敵のため。ただ眼前の敵の死後の安寧、ただそれだけを只管に願った。

 本来ならばこのようなものたちこそが巨神の御手に掬われるべきもの。己がためではなく他者のため、与えられた役目と義務に命を持って殉じる。その犠牲こそが巨神教において最も美徳される行い。彼等の抗戦は正しくその教義に沿ったもの。真っ先にかの場所へと導かれるべき、戦士達だった。

 惜しむらくは彼等が異教の徒である事。ただそれだけ、彼等には死後の楽園など約束されてはいない。

 故に祈る。楽園に掬い上げられることはなくともせめて地獄の業火で焼かれることの無い様にとただ真摯に祈りを捧げる。例え敵であっても、心の底から救済を願うその姿は、正しく聖女そのものだった。


「――――ッ」


 祈りを捧げていると傷が痛んだ。首筋を掠めた刃、あの異民族の将に切り付けられたあの瞬間が蘇る。あと少し、薄皮一枚分、刃が進んでいれば彼女は此処にはいない。間違いなく死していただろう。

 戦場で傷を負う、ましてやそれで死に掛けるなど、初めてのことだった。矢は彼女を避け、穂先は逸れ、刃は弾かれる。今までに経験した五度の戦、そのどれにおいても掠り傷を負うことすらなかったのだ。それは奇蹟というほかないもの、武の心得すらない彼女が戦場の最前線に立ち続けながらも傷一つ負わないなどほかにどう言い表すことができようか。

 五万の大軍勢、オリンピアにて最強と謳われるクリュメノスの赤竜騎士団ですらできなかったことをあの異民族の将はしてのけた。コンテフルナの聖女に死を覚悟させた、その唯一の人物があの異民族の将だった。


「――ああ」


 その瞬間を幾度となく思い出す。その度に呼吸が早くなり、俄かに全身の血管が熱を帯びる。

 あの瞬間、彼女の首元へ致命の刃が振るわれたその時、あの戦場(セカイ)には彼女と彼だけだった。彼の目は誰でもなく彼女を見据え、彼女もまた信仰すら忘れて彼だけを見ていた。

 彼女を信仰する者、崇拝する者、疎んじる者も、彼女を聖女として見て、勝利へと自分達を導く旗の持ち手としてしか捉えてはいない。個人として誰かに思われるなど五年前のあの日、旗を手に戦場に立ったその日から一度としてなかった。

 あれほど純粋に、あれほど一途に思われたことなど一度もない。彼女をただ敵として捉え、ただ殺すためだけに一直線に向かってきた。己の死すらも厭うことなく、一心不乱に彼女を切ろうとした。例えそれが殺意であったとしても、そこには一点の曇りはなく、ただただ純粋なものだった。

 その事実がどうしようもなく彼女を滾らせる。十八年間、彼女の短い生涯において一度として抱いたことのなかった感情をあの敵に感じていた。それはようやく同類を見つけたという安堵なのか、純粋な想いへの狂おしいほどの好意なのか、それともあるいは自らの命に手を掛けようとした敵への湧き上がるような憎悪なのか、それは彼女にも分からない。

 確かなことは一つだけ。今再びあの敵と合間見えること、ただそれだけ。今まで一度として戦場で抱いたことのなかった個人としての望み。その瞬間が両者にとって最後の邂逅となるとしても、ただそれだけが彼女の望みだった。


「――聖女様」


「……アルテア卿。どうなされました?」


 背後から声を掛けてきたのは、今日の戦で共に戦ったアルテア卿。隊を率いて彼女の隣で剣を振るい続けた将の一人だ。他の将たちと後方での酒宴に参加しているものと思っていたが、そうではなかったらしい。


「いえ、聖女様とお礼を申し上げようかと……」


「お礼、ですか?」


 ベルナデッタが怪訝そうにそう尋ね返す。感謝されるのには慣れているが、一軍の将ともあろうものが直接礼を言うためにこうして訪ねてくるなど初めてのことだった。


「今日の戦では勿論の事、コンテフルナの戦において私は貴方に命を救われました。そのお礼をば……」


「はあ、そうですか……」


 アルテアがあの戦いをどう考えているにせよ、ベルナデッタにはその覚えがない。あのコンテフルナの戦ではあまりにも多くを殺し、多くを救った。救った命の数も、奪った命の数ももう覚えてなどいられない。どれだけ礼を言われてもただ虚しく響くだけだ。


「それだけではなく、聖女様がおらねば私は……」


 続く言葉も関心なく通り過ぎていく。決して疎ましいわけではない、ただ疲れていた。こうして聖女として振る舞い、感謝され、また聖女としてあり続けることにただ疲れていた。

 その瞬間が訪れたのは、そんな頃合だった。彼女達の背後、軍が駐留するその城下が煌々と燃え盛る劫火が上がったのだ。



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