65、あるいはその覚悟ゆえ
その軍議、タイタニア方にとって最後とも言える軍議が開かれたのは、日も暮れ、夕餉も済んだその後だった。議場となったのは城の外である総本陣ではなく、正門前の広場、奇しくもヴァレルガナ方が兵の志願を募ったその場所であった。
元より人のいなかった城下にはタイタニアの兵が溢れ、辺りの家々を好き放題に荒らしまわっている。兵達の中には軍装を解き、赤ら顔のまま石畳の上に寝転ぶものさえいる。将たちは辛うじて正体を保っているものの、万全とは言いがたい。それもそのはず、この戦の決着は既についているようなもの。鋼の団結で知られるタイタニアの軍律が緩むのも致し方ないことではある。
勝ちに乗った兵には統率も法度も無い。略奪の限りを尽くすのが世の常、金を奪い、女を犯し、家々を焼く、それはある意味軍というものの一つの側面ともいえる。
しかし、この城下においては奪うべき財もなければ、女どももいない。ただあるのは無人の家屋とそこで暮らしていた民草の痕跡だけ。ましてこの城下を壊すことだけは禁ずると厳命を受けているのだから、どうしようもない。兵の猛りを静めるには酒を振舞う以外には方策がなかった。
未だ頑強に抵抗を続ける本城には先行した七千の軍勢とかの聖女が張り付いている。今日、門を破るという武功を挙げた前軍に対して酒が振舞い、軍規の乱れに目を瞑ったとしても十二分に勝てる。明日の朝には、このアウトノイア城は巨神の御手に落ちるそれは覆しようない事実だった。
各将を集めての軍議が行われたのはそんな喧騒の真っ只中であった。
「――まずは本日の大手柄! 城門を破った前軍の諸将に賞賛を! 天にまします我らの巨神もそなたらの活躍をご照覧なされたことであろう!!」
「は――!」
軍議の始まりを飾ったのは総大将たるレバンス枢機卿の賞賛だった。それに応えるように広場に張られた急造りの天幕の内で、快哉が上がる。
昼間の戦はタイタニア勢の完勝であった。寄せ手の前軍は数千の屍を晒すことにはなったものの、城門を破り、城壁を制圧した。これで城は丸裸。あとの本城を落すことなどそう難しいことではない。弥三郎らに散々に打ち破られ、総大将までもを討ち取られたという汚名を彼等はようやく返上したのだ。
「――さて、明日の決戦のことであるが……」
彼等の歓声、熱の醒めるのを待ってレバンス卿がそう口火を切る。もう決着はついたも同然、策を弄さずとも城は落せる。問題はただ一つ、どう勝つか、どのようにして城を落とすべきか、ただそれだけが問題だった。
「昨夜申し合わせた通り、これよりは火は法度、城下においても同様である。あの城はできるだけ無傷で手に入れねばならん。かの砦を失った以上は、この城が我らの閨と心得よ」
総大将の神妙な物言いに、居並んだ諸将が静かに頷き返す。このタイタニア軍の現状、それはこの場においては暗黙の了解だった。
本来ならば国境のラケダイモニアの砦を奪取し、そこを橋頭堡として、アルカイオス本国への侵攻を行う手はずだった。それが失敗した以上、補給路の構築を待っている暇はない。
総大将の交代による軍の再編とその後の強行軍。その綻びは少しづつ軍の内部で膨らみつつある。ここで城と城の兵糧を奪取できなければこれ以上の侵攻は不可能になる。
この城はタイタニアにとってもまた生命線。王都からの援軍、こちらに向かっているはずのそれがこの城にたどり着くよりも早く、この城をできる限り無傷で手に入れる必要があった。
ここがこの戦い、タイタニアによるアルカイオス侵攻の成否の分かれ目。ここでの失態は即ち、タイタニア全体の敗北へと繋がりかねない。慎重且つ迅速にただ一つの落ち度なく、この戦いを押し進めねばならない。ただ勝つことだけが、彼等の目指すものではなかった。
「総掛かりは明朝! 一気に城を落とす! 我らには勝利の聖女が付いておる。このままこの国を平らげてくれようぞ!!」
「――応!」
レバンスの号令に諸将が杯を掲げて応える。彼等の戦いは此処で終わりではない、彼等の敵はこの城だけではない。彼等にとってこの戦いは始まりに過ぎなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァレルガナ方にとって、この事態は慮外のことではなかった。城門と城壁の失墜は重大事ではあるものの、もとよりこのアウトノイアの城は山を背にしているとはいえ平城。三万の大軍を前にしてそれほど長く持ち堪えれるはずもない。この二日幾度となく、敵勢を押し返したことだけでも勲功一等にも等しい武働きであった。
昨夜の夜襲、それを鑑み、城に守りを固めた上での背水の陣。それがヴァレルガナ方の思惑であった。如何に三万の大軍とはいえ、狭い城下では昼間のような攻勢はかけられない。そう長くは持ち堪えることはできずとも、そう易々と落せるものでもない。
問題はどれだけ時間を稼ぐことができたか、王都よりの援軍来るまでは後一日。明日一日を凌ぎ、北の街道より援軍がきたるまでの刻限をどれだけ稼ぐことできたか、その一点に尽きる。
そう、援軍が期日どおりに来るならば、ヴァレルガナ方の判断は何一つとして間違ってはいなかった。
「狼煙は上がらぬか……」
上座に座り、病の身体に鎧を纏ったアレンソナ公がそう呟く。恨み言めいた言葉に応えられるものはなく、人で溢れかえるこの場所に重々しく響き渡った。
城の中枢、謁見の間、その場所には城の諸将が雁首をそろえていた。臨時の軍議、この事態に対処すべく見張りを担う将以外の全員がこの場に集められ、そのほかは全て締め出されていた。この場で議される事を、兵はもちろんのこと城に逃げ込んだ女子供に知られるわけにはいかなかった。
「山際の間道にも変わりはないか?」
「残念ながら……」
援軍来るはずの期日は明後日の朝、どれだけ遅くともその夜、そのはず。だというのに、待てど暮らせど、こうして戦い続けても、こちらに向かっている筈の援軍は影も形も見えない。本来ならば街道筋の狼煙が上がるか、山間の隠れ道を通っての使者が、援軍の到来を告げるはずだ。
だが、今日、この日、この夜に至るまで何一つとして報せがない。来るべき援軍、ヴァレルガナ方にとっての唯一の寄る辺がどうしようもなく揺らいでいた。
「――如何したものかの」
ヴァレルガナ方の方策、このアウトノイアの城を守るための全ては来るべき援軍を前提にしている。僅か千二百の城兵ではどうやっても城を守りきることはできない。王都より来るはずの一万の援軍と合流しなければ、タイタニアの進軍を止めることは適わない。
このアウトノイアの城を守りきること。それはそのままタイタニアの野望を挫くことに直結する、どんな手を使ってでもこの城を敵に渡さぬことこそが肝要だった。
タイタニアの狙いは明確。ラケダイモニアの砦を奪おうとしたように、このアウトノイアの城と蓄えられた兵糧を奪い、王都侵攻への足掛かりとする腹積もりなのだ。故に城そのものに対しては、無理な攻勢を掛けはしない。ラケダイモニアのように炎上させまいと、攻撃を行うはず。事前の降伏の勧告も、その一環といえるだろう。
「…………アレクセイ、一つ命を下す」
「――は」
長い沈黙を破ってヴァレルガナ公がそう口火を切る。彼の生涯において二度目にして、最後の篭城。その顛末は一度目とは違う。あの時二十年前の戦では、開戦から三日目の朝に援軍が到来した。
だが、今回もそうなると限らない。事此処に至って知らせもなければ、影もない、となればもはや援軍を頼ることはできない。
この城を敵に渡さない。その目的を自分達だけで達さなければならなくなった。手段を選んでいる余裕はない、今更白旗を振り軍門に降ることなどできようはずもなく、独力ではどれだけ守り通せても後一日。その選択をするならば今しかない、これ以上は待てない。それだけは明らかだった。
「お主は女子供を率いて、山を行け。敵の包囲を潜り抜け、王都へと向かうのだ」
「――な、そのようなこと!」
その命を聞いて、アレクセイは卓をひっくり返しかねない勢いで立ち上がる。アレンソナの言わんとすることその意味を察してのことだった。その意味を理解するからこそ、承服しがたい命であった。
「異論があるのか?」
「この御国の窮地に私一人逃げ出すことなどできませぬ!! 私はこのヴァレルガナの跡取り! 一人生き恥を晒すくらいならば……」
「ならぬ! お主は我が一族の跡取り! だからこそ、お主は生き延びねばならぬ!」
「しかし!」
続く言葉をアレンソナの一声がかき消した。病身とは思えぬ一声に、謁見の間が揺れる。それでもアレクセイは引き下がらない、状況を理解できぬわけではないわけではない、むしろこの事態を理解するからこそ此処で引くつもりなど毛頭なかった。
落ち延びよ。公言こそはしないものの、アレンソナはアレクセイにそう命じたのだ。戦えぬものを率いて、険しい山間を進み、ヴァレルガナの血筋を後世に残せと。この場において、アレクセイ以外全ての将がそれを織り込み済み。自分達のみを捨石にしてでもアレクセイと民を逃がす、その覚悟を決めていた。
「聞け、倅。ワシはもう余命幾許もない。父からの最後の命と思い、聞き届けよ。ヴァレルガナの血筋を此処で絶やすわけにはいかないのだ、わかるな?」
「……ですが」
しかし、覚悟というならアレンソナとて同じ。城主として、騎士として、男として、父として、このアウトノイアの城を枕に討ち死にする。アルカイオスと自らの血筋のために捨石となる、その覚悟はとうの昔に決めていた。
「――お待ちあれ」
その声が割って入ったのはその直後だった。声の主はかつての軍議、ラケダイモニアの砦を救うと決めたあの軍議と同じく、グスタブ・ユーティライネン卿。今まで口を開くことのなかった城の知恵者がようやく言葉を発したのだ。
そして、その隣には、下方弥三郎が控えていた。傷を負いながら、この劣勢にあっても、未だ闘志を滾らせる日の本の武士がそこにはいた。




