64、あるいは困難の時
ヴァレルガナ方の軍議、夜襲をうけて急遽召集されたそれは明け方まで続いた。グスタブ以下家老は勿論の事、城壁の警戒に立つ将と兵以外のもの達までもが集められ、明日よりの戦に向けて激論が交わされた。浮き足立っていた、そう評してもいいかもしれない。ベルナデッタの夜襲は確かにアウトノイアの城を土台から揺るがしていた。
夜を徹しての軍議の果て、決したのは持ち場の死守、警戒を厳とすることその二つ。どれだけ激論を交わしても、今、できることなどほとんど残っていない。門と城壁を守り通すことこそ彼等が優先すべき唯一の目標だった。元より数の差は歴然、亀のように丸まりできうる限り城門を守り通すか、最後の日を散らすように苛烈に攻め続けるかしかなかったのだ。一度でも敵からの攻勢を許してしまった以上は、あとは守勢に回るしかない。意気軒昂、勢いに乗った三万の大軍勢を相手どり、大立ち周りを演じるだけの余力はこの時のアウトノイアの城には存在していなかった。
弥三郎の活躍によって正門が壊されるという最悪の事態は避けられたが、勢いに乗った大軍勢を相手にしては強固な門も今や心もとない。
決して警戒を解くわけにはいかない。よもや同じ手を二度も実行するような愚策をとることはあるまいが、それでも敵が夜襲を行う可能性がある以上は門を固く閉ざすだけでなく、絶え間なく目を光らせておくべきだった。勿論消耗は覚悟の上、あと二日城を守り抜くためには後のことなど考えてなどいられない。
明けて、八の月、三つ目の週、六日、その日はアウトノイアの城、そしてヴァレルガナ方にとって試練の日となった。
「射よ!! 城に張り付かせるな!! 引き手を狙うんだ!!」
敵の攻勢は夜明けと共に始まった。昨夜の夜襲に続けて、兵達が寝入る時刻に敵は攻勢を開始した。攻め掛けて来たのは昨日の様に先陣のすべてではなく、その一部だけ。それでもヴァレルガナ方に倍する三千以上の兵が一気呵成に攻勢を開始した。
それを迎え撃つはヴァレルガナの総勢、先陣を切るのは一所懸命を志すラケダイモニア勢、率いるはフェルナー・フォン・ロエスレラ騎士卿。ラケダイモニアでそうしたように、自ら前線に立ち、兵を鼓舞し、自らを死兵として戦っていた。
「――っ押し返せ! 此処から先へは通すな!!」
だが、それもそう長くは持たない。所詮砦に過ぎず守るべき場所の少ないラケダイモニアの砦に対して、このアウトノイアの城はあまりにも広すぎる。昨日の攻撃を生き延びた車井楼の一部が、攻撃の合間を縫って城へとたどり着く。此処が橋頭堡、この場所を抜けられれば城壁の守りそのものが崩壊しかねない。
「ラケダイモニア勢を援護する! 我に続け!!」
戦友たるフェルナーの窮地にヴァンホルト率いる隊が加勢に回る。合わせて四百、それでも心もとないが、加勢があるのとないのでは大きく異なる。命尽きるその時まで持ち場を死守して、敵を押し留めるそれだけの覚悟が彼等にはあった。
一刻、二刻、時間と共に血が流れ、屍が重ねられていく。城壁に取り付こうとするタイタニアの兵、それを撃退しようとするヴァレルガナの兵たち、その両方の区別なく、死が量産される。この場所では生と死が紙一重。両者を別つのは僅かの逡巡だけ、少しの違いが死へと誘う。
「門を守れ! 絶対に破らせるな!」
血みどろの戦いは城壁だけではない、守りの要たる正門、そこでもまた激闘が繰り広げられていた。攻撃の合間を抜けて門へとたどり着いた敵が橋を架けたのだ。
正門を破るべく破城槌が橋を渡る。仮に城壁に取り付けずとも、城門を破りさえすればそれでことは足りる。幾重のもの矢、数重もの犠牲も、得られるものからすれば物の数ではない。屍の道を敷いてでも進む理由が彼等にはある。
「進め! 進め!! 我らには聖女様が付いているぞ!!」
信仰、ただそれだけが彼等に死の恐怖を忘れさせる。それを先導するものこそが、かの旗。巨神の手の旗が掲げられるたびに仲間の屍を踏みつけ、自らもその一部となりながら、死兵となって押し進む。
旗の担い手はコンテフルナの聖女、ベルナデッタ・オルレアーナ。彼女の号令一つ、旗の一振りで兵達には充分。後方で采配を振るう将などよりも、ともに前線に立ち、血を流し戦う聖女のほうが彼等にとっては信じられる。
彼女の在り方、戦場に立つ姿は彼等の信仰の体現といってもいい。その姿を目にするたびに兵達は勇気付けられ、死の果てにある救いを見る。故に止ることはない、彼女がある限りは彼等もまた不滅だった。
それを押し留めることは如何にヴァレルガナの精鋭といえども難しい。巨神の先槍、その真価がそこにはあった。
「突け! 突けェェ!!」
城方の奮戦むなしく、味方の屍を轢きながら、複数の破城槌が正門へと辿り着く。取り付かれてしまえば、もう城方にできることはない。
「門を守れ! 破らせるな!!」
将の命に従ってヴァレルガナ方の兵が門に取り付くも、それにいかほどの意味があろうか。一度、二度、槌が打ち付けられる度に大きな城門が揺れ、城全体が悲鳴を上げる。
添え木を加え、城門を補強したところで破られるのは時間の問題。門に取り付いた破城槌そのものを排除しなければ、門を守りきることはできない。
「っ狙え! 放て!!」
城壁よりの矢、取り付こうとする敵を狙っていたそれが今度は城門の前に集中する。門が破られれば城門が健在とて、何の意味もない。城守りの二つの要、どちらが破られてもこの城は終わりだ。
「退くな! 進め! 此処を破れば城は丸裸だぞ!!」
ここが峠であるというのはタイタニアにとっても同じこと。此処でこの城門を破らねば、また一日城を生き延びさせることになる。一日二日で援軍が間に合うとは思えないが、それでも早いことには越したことはない。三万の軍勢の憩う場所としてタイタニアにはこのアウトノイアの城が必要だった。
「――落せ! 狙いは押し手ぞ!」
眼下には城門を破らんとする破城槌、その頭上に向けて瓦礫と木片、熱湯が降り注ぐ。幾人の兵が兜語と頭を押し潰し、煮えたぎった熱湯が彼等の肌と肉を焼く。これならば槌を壊すことは適わずとも、時間を稼ぐことはできる。如何にタイタニアが夜襲を行うとはいえ、大規模な攻勢は夕暮れまで。あと数刻、それだけの時間を稼ぐことができれば、今日という日を生き延びることができる
そんな死闘の中、下方弥三郎は城門の守りについていた。自ら弓を手に取り、矢を射掛け、瓦礫を運ぶ。かの聖女と同じように自らの命を矢玉に晒して、采配を振るっていた。兵の士気は意気軒昂、一糸乱れぬ動きでその力を十二分に発揮しているものの、そうでなければこれだけの敵を押し留めることはできない。
「放て! 城門の上を狙え!!」
「――ッ」
タイタニアとて一方的に攻撃を受けるだけではない。随伴する弓兵が城門の上、そこで指揮をとる弥三郎狙う。放たれた十数の矢、その内の一つが弥三郎の右肩へと突き刺さる。
不覚。避けようと思う暇も、防ごうと動く暇すらもなかった。肉を裂いた鏃は骨まで刺さり、耐えがたい痛みが身体を駆け巡る。矢を受けるのはこの地に来て、初めてのことだった。
「客将殿!?」
「構うな!! 怯まずに押し返せ!!」
痛みと衝撃を裂帛の気合で吹き飛ばし、あらん限りの声で兵達を叱咤する。此処で僅かでも弱みを見せれば、兵達の士気が崩れてしまう。たとえ腸がまろびでようとも、平静に采配を振るう、それが将としての最低限の義務だった。この窮地で如何にこの場で踏みとどまれるか、それが下方弥三郎にとっての将としての分かれ目だった。
将の気迫に応えるように城門の兵達は矢の雨をものともせずに、己が役目を全うする。やがて五人が倒れ、十人が倒れ、その数を一瞬毎に減らしていく。それでも彼等は戦う事を止めはしない。ヴァレルガナへの忠義、おのれに課せられた義務、そしてなによりもこの門の先にあるものを愛するが故に、彼等は死をとしてなお、戦い続けた。
「退くな! 進め! 進めェ!!」
「一歩たりとて退くな! ここが死に場所と心得よ!!」
奇しくも、両軍の号令が重なる。死を賭しているのはどちらも同じ。此処が勝負の分かれ目となる。両軍ともに退路などとうの昔に絶たれていた。
城壁、城門、どちらか一局面だけを見れば、数に劣るヴァレルガナは獅子奮迅の働きを見せた。昨日の夜襲の揺らぎをものともせず、よくタイタニアの侵攻を押し留めていた。勝利とは言わずとも今日という日を持ち堪えさせられるだけの力を千二百のヴァレルガナ勢は持ち合わせていたのだ。
そう、どちらか一方だけなら持ち堪えることはできた。タイタニアが攻め口を二つに分け、同時に攻め入ってこなければ、攻められたのがどちらか一方を守ることはできたはずだった。
日も暮れかかる頃、あと一刻を凌ぎさえすれば攻勢が止むというそんな頃合、正門が破られた。打ち付けられた破城槌、その一つがとうとう門を貫いたのだ。
そこからの転落は正しく鬨の間に起こった。城壁の軍勢が上面の援護へと回るその間を付く様にしてタイタニア方が城壁へと侵攻する。一度失ってしまえば、もはや取り返すことは適わない。一度でも押し込まれてしまえば、もはや押し込まれるのみ。ヴァレルガナ方には反撃に転じるだけの余力は存在していなかった。
穿たれた穴は蟻の一穴となって巨大な城の守りそのものを瞬く間に崩していく。勢いに乗ったタイタニアは一気に城下へと雪崩れ込む。もはや策を弄する必要などない、勢いと数に任せ、逃げる敵を追い散らすだけ。城の守りの要たる城壁と城門が破られてしまった以上は、アウトノイアの城には身を守る鎧は一切存在していない。
その日、 巨神暦千五百九十年、三つ目の週の六日、アウトノイアの城に残されたのはその本丸のみ。寄るべき守りは小さな門と城壁とは比べ物にならないほど小さなその石壁だけだった。王都からの援軍が城へとたどり着く、それを待つことなくヴァレルガナ勢は最大の危機を迎えることになったのだった




