63、あるいは臣として
彼等が駆けつけたときにはすべてが終わっていた。敵勢の夜襲、城方ととしてはなんとしても食い止めるべきこの事態に彼等は何一つとしてすべき事を全うできなかったのだ。醜態どころの騒ぎではない。騎士として戦士としてあるまじき失態だった。
後に残ったのは、無数の屍と焼け落ちた廃墟。勝利など当然存在していなければ、名誉も誇りもない。確かな敗北の痕、ここにあるのはただそれだけだ。
敵の狙いは正しくこれ。たったの一撃で城が落せるなどとは彼等も考えてはいない。いくらヴァレルガナ方の対応が後手にまわっていたとはいえ、城を陥落せしめるだけの軍勢を内部に引き込むだけの猶予歯なかった。
故に彼等の、いや彼女の狙いは城下の破壊、その一点。ヴァレルガナ方の守るべきもの、それは城であり、そこに住まう領民であり、彼等の住まう城下だ。城そのものではなく、城下を狙い、燃やすことで敵の士気を削ぐ。城を落せぬならその周辺から城兵を攻め立てる、策としては単純ではあるものの、最も効果的な策を彼女は実行したのだ
それだけではない。タイタニアが夜襲を仕掛けた、その事実はことの成否以上に戦局を左右する。ヴァレルガナ方にとってこの夜は本来ならば身体を休め、士気を養い、明日の戦に備える時間だった。だが、これからは決してそうはならない。何時来たるとも知れぬ敵に神経は張り詰め続け、横になって眠ることもできない。一度でも夜襲が行われた以上、ヴァレルガナ方はそうせざるをえない。聖女の一撃が奪い去ったのは数十名の兵士の命と十数の家屋だけではない、彼等が得るはずだった安息さえも永遠に奪い去ったのだ。
この夜襲は正しくこの城の堅固さを支える土台への攻撃。数字としてみるだけの被害とは比べることできない被害をアウトノイアの城は被った。
「――旦那! 旦那! どこだ!?」
未だ愕然とする味方を搔き分けて、ロベルト・イオライアスは弥三郎を探す。誰に言われるでもなければ、命じられたわけでもない、ただ自然に彼を探していた。
それも当然、最初はただの胡散臭い人物だったとしても、今の弥三郎はロベルトにとっては唯一無二戦友であり、己が身上を預けうる主。彼の隣にたち、指揮を補佐し、配下に檄を飛ばすことこそ自分の役目、最も己が才を発揮できる場所だと信じている。
だからこそ、こんな困難な時こそ、彼の傍らにあるべきだった。悪態を吐こうとする唇を強く噛み締め、自らを戒める。昼間の手柄に浮かれ、はしゃいでいた自分が恥ずかしい。
「ここにおるぞ、ロベルト!」
人混みを掻き分けていると、不意に返事が返ってくる。声の源は城壁の上だ。未だ日の燻る戦場に立ちすくむでもなく、戦場を俯瞰するその場所に彼はいた。
「……大事はないようで」
「うむ。掠り傷のみよ。しかし――」
階段を駆け上ってきたロベルトに振り返ることなく、弥三郎はそう返す。視線の先にあるのは、眼下の敵陣。敵がどのような動きを取るのか、一つたりとも見逃すまいとその背中が語っていた。
この夜襲がこれだけの被害で抑えられたのは偏に、弥三郎の存在あってこそ。誰よりも早く現場に駆けつけ、兵を率い、反撃に転じた。それがなければ、城下の被害はこの程度では済んでいない。最善ではないものの、為すべきを確りとなすことができたのはこの下方弥三郎ただ一人だった。
「やはり動きおるか……これでは分が悪い」
当の本人は己が成果に振り返ることすらせずに、眼下に灯された松明の行方を追っていた。
夜襲の以前は静まり返っていた敵陣は俄かにそのようそうは変化させている。あちこちで松明が焚かれ、人影が絶え間なく動き回っている。それが虚なのか、それとも実なのか、それは重要ではない。敵陣全体が休むことなく動き回り、何時でも仕掛けられると誇示している、それそのものが問題だった。
「寝かせねえつもりか……タイタニアのやり方じゃなえな」
弥三郎に倣って敵陣を眺めながら、ロベルトがそう呟く。予想されてしかるべきことだが、実際に目の当たりにすると驚きを隠せない。タイタニアの城攻めといえば、正々堂々、王道を行くものであるとオリンピアでは知られている。搦め手など使わず、信仰に支えられた強兵と圧倒的な数の差で押し潰す、それが彼らの戦い方だったはず。
このような戦い方、軍略はどちらかといえば帝国の、東方のクリュメノスのものに近い。伝統と慣習に乗っ取ったものではなく、相手の不意を付き、裏を掻き、狙い済ました一撃で敵を瓦解させる、その戦い方はロベルトにとって馴染み深いものだった。
「また何時なりとも仕掛けてこようぞ……やはり、こちらから仕掛けておくべきであったか」
「……確かにな」
その馴染み深さは弥三郎にも当てはまる。今回敵の行った夜襲は、弥三郎が発想し、献策したものと極めて近い。こちらから攻めかかることで敵に休息を与えない、その思惑に至っては完全に合致している。軍議にて退けられた弥三郎の策を、敵が実行した、そう言ってしまってもいいだろう。
夜襲の成功によって、敵の士気は俄かに高まっている。夜を徹してこちらに圧力をかけ続けたとしても何の支障もない。三万の大軍であるタイタニアにはそれだけの余裕があるのだ。
対してこちらはどうか、比べるべくもないだろう。将はおろか、兵士一人一人にも代わりはいない。消耗してしまえばそれで終わり、夜にさえ安息が訪れないとなればその速度は加速度的に増していくだろう。
後三日、容易なはずのその日数が今は遥かに険しく、厳しいものへと変わった。昼間の出陣の優勢は消え去り、天秤の秤は完全にタイタニアの側に傾いている。あの夜襲、あの一撃は確かに戦いの潮目を変えたのだ。
その一撃を齎したのは、古今無双の勇士でもなければ、奇計百出の軍師でもない。ただの女、年端のいかない少女によってアウトノイアの城はその土台から揺るがされたのだ。
「――ロベルトよ、この国では女性が軍を率いるは珍しい仕儀ではないのか?」
何処か悔しさを滲ませて、弥三郎がそうロベルトに尋ねる。あの場であの将を仕留めていれば、この夜襲の衝撃も少しは和らげることができたはず。彼がいなければ、被害はこの程度ではすまなかったが、それ以上に彼女をこの場で討ち取れなかったことを弥三郎は悔いている。
だからこそ、敵を知らねばならない。この戦の要はあの女、それを打ち倒さなければヴァレルガナの勝利はない。少なくとも弥三郎はそう考えていた。
「女? いや、こっちでもそうあることじゃ……って、連中を率いていたのは例の聖女なのか?」
「聖女? 確かにあの時の使者に間違いないが、巫女殿のような役目か?」
「……いや、近いけど、少し違う。なんつったもんか……こう、神様に選ばれた人間っていえば分かりやすいのかね。まあ、奇蹟を起こすってのは似てるけどな」
ロベルトの説明は何処か要領の得ないもの。彼とてかのコンテフルナの聖女について特別詳しいわけではない。知っていることといえば、奇蹟を起こし、クリュメノス帝国東方軍を打ち破り、負け続けだったタイタニアに勝利を与えたという噂だけ。彼女が使者としてこの城を訪れるまで直接目にしたことすらなかった。
ましてや彼女がどのような戦い方をして、どのように兵を率いるのかなど見当も付かない。しかし、東方軍といえば、クリュメノスの中でも精鋭で知られる。それをいとも容易く打ち破って見せたというのだから、並大抵の将ではないのは確か。そんな聖女が敵の陣幕にいる、その事実を罵る以外にロベルトにできることはなかった。
「……左様か」
弥三郎の記憶にも似たような将は存在していない。聖職者であると一点に限れば、石山本願寺の僧兵達に近いだろうが、彼等には天を裂き、地を揺るがすような法力はなかった。そのような奇蹟を起こす伝承も幾つか聞き知ってはいるものの、彼等のような存在は俗世に関わるようなことはない。ましてや、戦場にてその力を振るい、将として戦うことなどありえない。
女性が戦場に立ち、あれだけ見事に兵を率いるなど弥三郎には想像もつかない出来事だったのだ。どう対処すればよいのか、どんな意図を持っているのか、実際に相対してみなければ何一つとして分からない。
だが、戦える。如何に妖術を操り、奇跡を行う神の使いだったとしても、かの聖女とて人間。あの時振るった刃は確かに届きかけていた。この地へと流れ着き、平家の亡霊と矛を交えた経験に比べればこの程度のこと何のことはない。この刀にて切り捨てることができるのなら、おびえる理由など何処にもないのだ。
「なんにせよ、肝要なのはこれから。先ずは明日一日耐え抜いて見せねばな」
「ああ、そうだな。相手が誰でもやるだけだ」
夜襲を受け、城の士気が土台から揺らいだとしても、戦いはまだ終わってはいない。元より城に篭り戦うと決めたときから命など捨てている。たとえ、矢がつき、槍が折れ、剣が砕けたとしても最後の一兵が倒れるまで戦い続ける。
重要なのはこれからどう戦い抜くか、その一点のみ。弥三郎もロベルトも、明日の戦いを見据えていた。敵はただ一人、かの聖女、旗の担い手こそが彼等の打ち倒すべき最大の敵だった。
巨神暦千五百九十年、三つ目の週の五日、後の世にアウトノイア城攻防戦と呼ばれるその戦いの一日目。幾多の波乱を孕んだその夜は静かに暮れていく。ラケダイモニアの砦の戦い、緒戦、その二つの戦いで大勝を収めたヴァレルガナの勢はこの夜を境に、未曾有の苦戦を強いられることになる。
以前その戦いの趨勢を握るのは、アンナリーゼ・アンナリーゼ・クレイオネス・シビュラネアとその従者にしてヴァレルガナの客将下方弥三郎田忠弘。そして、コンテフルナの聖女、ベルナデッタ・オレルアーナ。この三人が握るのはこのアウトノイアの城、アルカイオス王国、オリンピアの運命。この一戦が彼等のすべてを決することになるのだった。




