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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第五章、龍の旗
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61、あるいはこの夜から

 涼やかな夜風は戦に火照った体を静かに冷ましていく。風向きは南風、胸いっぱいに吸い込めば、あの大樹の森の香りを感ぜられるようだった。

 アウトノイアの城壁、敵陣を見下ろすその場所に下方弥三郎はいた。


「――ふむ。これもまた良きかな」


 ロベルトから譲り受けた葡萄酒のビンを傾けながら弥三郎はそう息を吐く。甲冑は脱いでおらず、未だ軍装のままだが、その表情は僅かに緩み、腰の刀も壁に立て掛けていた。如何に戦を生業とする武士ちはいえ、休息は必要だ。よく食べ、よく休み、よく学ぶ、その三つこそ戦士として不可欠なものでもある。

 その夜、アウトノイアの攻防戦、第一日の夜は両陣営にとって、最後ともいえる休息の時となった。落とし穴と弥三郎らの突撃によって大損害を被ったタイタニアにしても、また突撃を行ったヴァレルガナにしても今は明日の戦いに備え、兵馬を休めなければならない。

 特に数に劣るヴァレルガナ方にとっては休息こそがもっとも重要ともいえる。一日一日、一戦一戦に命運が掛かっている彼等だからこそ、休めるときに休んでおかなければならないのだ。稼ぐべき日数はどれだけ早くとも三日。その日数を稼ぐまで、軍の消耗をできるだけ抑え、三万の大軍勢を相手に城を守り続ける必要があった。

 本来ならば昼間の出陣も無用のもの。罠を活かし、城に篭り、亀のように殻に閉じこもって戦うべきで、このオリンピアにおいては篭城戦とはそのような耐える戦いを指す。数には圧倒的に及ばぬものの、このアウトノイアの城は王都へと続く道を守る要害。三万の軍勢といえど容易に落とせるものではないし、城内にこもる将兵の団結も披見するものがないほどに強固だ。完全に守りに入れば、三日どころか一週間とて持ち堪えるだろう。


「さて、如何したものかな」


 暗闇に浮かぶ松明の火、その明かりを頼りに弥三郎は敵陣の様相を把握しようと努める。体は充分に休めても、頭までは眠らせてはおけない。明日の戦のためにできるだけのことを知っておきたかった。

 ただ耐える、それもまた戦である。そのことは弥三郎とて理解している。理解しているからこそ、それで十分とは考えてはいない。その一点においては、弥三郎とヴァレルガナの首脳陣の考えは異なっていた。

 弥三郎にとって篭城戦とはただ耐えるだけの戦ではない。守ると見せかけて攻め、攻めると見せかけて守る。一点に留まるのではなく、絶えず軍を動かし、敵に攻める機会を与えない戦、それが弥三郎にとっての戦である。

 古くは大陸、三国の時代、合肥の戦いにて、泣く子も黙ると謳われた張遼文遠の如く。あるいは二十万とも言われる大軍を翻弄してのけた楠木正成公の如く。弥三郎にとって手本とすべき篭城とはそのようなものだった。

 ただ守るだけではなく、攻めて、欺き、活路を開く。それが弥三郎の考える最善の戦。このようなただ耐えるだけ、ただ休むだけというのは性にあっていなかった。できることならば、昼の出陣で得た機を逃さずに、夜襲を行うつもりだった。

 しかし、それが軍議の総意とあらば仕方がない。弥三郎はあくまで客将の立場で、彼に賛同したヴァンホルト以下の騎士達も未だ若輩の身。城主アレンソナが否というのなら勝手を行うわけにはいかない。

 それに性には合わないものの、こうした守りの戦を選ぶことは筋が通ってはいる。出陣や夜襲は劇的な戦果を齎し、戦局を覆しうるが破られればそのまま味方の危機に直結する諸刃の剣。奇策とはそういうものである以上、堅実な手を打ったヴァレルガナを愚かと断ずるのは浅はかだ。援軍の当てがあるのなら、城に篭り、期日までを確りと守り通すことこそ最も賢い選択ともいえる。

 焦らず、逸らず、緩まず。それを維持するのは実際に刀を振るい、戦場にて活躍するよりもなお厳しい戦いだった。

 

「――弥三郎」


「――っ!?」


 背後からの声に、反射的に振り返る。あまりに不意で何事かと考える暇すらない。弛緩していた右手が肩の柄に掛かり、腰が落ちる。これほどまで近づかれるまで気付かないなど、呆けていたとしか言いようがなかった。

 もし、背後にいたのが敵ならば何もできないまま殺されていた。常在戦場を心が掛ける武士としてはあるまじき失態だ。


「アンナ殿!? こ、これは面目なく」


「大丈夫。気にしないで」


「しかし、アンナ殿に刃を向けようとするなど……」

 

 背後にいたのは敵ではなくアンナ。使えるべき今生の主だった。いくら不意のこととはいえ、それに刃を向けるなど言語道断。後ろを取られたどころの失態では済まされない。放っておけばそのままでは切腹でもしかねない恥じ入りようだった。

 対するアンナの方は、弥三郎の様子に困惑を覚えるばかりで、刀を向けられそうになったことなど気にしてもいない。もともとできるだけ邪魔をしないようにと、気配を殺して彼に近づいたのは自分なのだから非は自分にあるとすら彼女は考えている。


「私は大丈夫だから。顔を上げて」


「――は。以後このようなことがなきよう誠心誠意お使え致します」


 だが、その忠心がたまらなく嬉しい。この行動、弥三郎の忠義を感じるたびに、彼に思われているのだと実感できる。決して一方通行の、自分が彼を想うだけではなく彼もまた自分を想ってくれているのだとそう感じることができる。たとえ、互いに求めるものが異なっているとしても構わない。彼が、弥三郎が自分の事を慮ってくれているただそれだけのことが堪らないほどに愛おしかった。

 弥三郎が弥三郎である限り、アンナがアンナである限り、この絆は揺るがない。その確信が愛おしくて仕方がない、こうしてここにあるだけで自分という存在を肯定されているようだった。

 僅かな沈黙。だというのに、決して気まずくなどない。此処には二人だけ、それだけで満たされている。他に余計なものなど何もない。この城を包囲する三万の大軍勢、差し迫った戦という現実さえ、遠く思える。あの森での安らぎ、失ってしまったものがそこにはあった。


「お二人とも! こんなところに……!」


「……アイラ殿」


 沈黙を破ったのは二人のどちらでもなく、アイラだった。手にした盆の上には、二人分の麺麭(パン)汁物(スープ)。どうやら二人を探していたらしく、息が上がっている。


「食事をお持ちしてもいらっしゃらなかったので……」


「む、それはすまなんだ。さ、こちらへ」


「…………うん」


 弥三郎に呼ばれて、アイラは駆け寄ってくる。二人が三人に、数週間前までこの三人で過ごしていた日々が遠い過去のように思える。

 この数週間は多くのことがありすぎた。城への旅路で出会った日の本の亡霊たち、ラケダイモニアでの戦いに、このアウトノイアでの決戦。たったそれだけの間で多くのことが起きて、あまりにも多くのものが変わってしまった。

 そう、何もかもが変わった。戦いは、良きにしろ、悪しきにしろ、なにもかもを変える。普遍と思えた彼女の在り方も、心も以前とは全てが異なっていた。


「…………」


 心の内、その最も深い場所を何かが這い回る。暗く、黒いそれは少しづつ大きくなり、首を擡げていくそれは本来ならば彼女とは無縁のもの。先ほどまでの幸福が大きければ大きいほど黒い何かはより強く、より大きくなっていく。

 邪魔をされた、そんなことを考える自分を必死で否定する。それを認めてしまえば、なにもかもが取り返しがつかなくなるそんな確信があった。今此処にあるためにはそれを否定するかしなかった。

 愛、いや、本来ならば恋とでも呼ぶべきそれに伴うそれの名を彼女は知らない。森の知恵、万能ともいえるその知識は、最初からその存在を想定していないし、その招待を教える前に彼女の母はいなくってしまった。


「そういえばアイラ殿、姫御の世話は宜しいのか?」


「はい、少し暇を頂いて、配食の手伝いを……私は戦えませんから……」


「いや、その言や良し。戦とは刀や槍だけでするものではござらん。飯炊きもまた立派な役目、この弥三郎、感服致した」  


「そ、そんな、私なんか……」


 目の前では弥三郎とアイラが談笑をしながら、食事を続けている。両者共に楽しそうで、気負った様子はない。アイラには、どこか浮かれたような様子すら見受けられる。弥三郎にしても、主たる彼女と接するときよりも幾分か肩の力が抜けているよう、少なくとも彼女にはそう見えていた。

 堂々巡り。否定したところで確かに存在しているという事実は変えようがなく、膨れ上がっていくばかり。それが表に顔を出さないように、決してその存在を気取られないように、そう抑えてつけているだけで精一杯だった。


「巫女殿? 如何なされた?」


「…………大丈夫、なんでもない」


 弥三郎に気遣われて、心臓が跳ね上がるようだった。弥三郎にだけはこの感情を知られたくない。そんな想いが表情を繕う。感情を隠すこと、感情を切り離すことは、彼女には慣れた事。例え弥三郎でもそう簡単には見抜けはしない。


「具合がお悪いようでしたら……」


「大丈夫、大丈夫だから」


 アイラの純粋な気遣いに罪悪感を感じながら、受け取った汁物に口をつける。夜風に当たられた汁物は少しばかり冷めていた。

 こんなものを、こんな暗くて重いものをアイラに向けるわけにはいかない。弥三郎の事を愛するように、アンナはこの憩いを愛している。たった三人だけでも、あの森での安らぎを思い出させてくれるものを失いたくはない。


「うん、私は大丈夫。心配ないから」


 笑みを浮かべるのは難しいことじゃない。それで二人が安心するなら今は耐えられる。

 心が軋み、感情があふれる。いつかは、あの時のように、彼女という器から零れてしまうだろう。いつかその時が来る、だが今はそうじゃない。重要なのはそれだけ。この僅かな安らぎを、幸福を噛み締めることこそ森の魔女にとってすべきことだった。

 アイラに世話を焼かれながら、二人で食事に手をつける。なんであれ空腹は全てを鈍らせる。弥三郎にとっても、アンナにとっても、今の第一は休むこと。明日一日を生き抜くためにも、身体を休める必要があった。


「――――!!」


 鬨の声。聞こえるはずのないその声が、最後の平穏に終わりを告げた。

 


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