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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
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49、あるいは死地にこそ

 虐殺は僅かの間に収束した。その後に残されるのは何時でも無数の死体と血の川。それ以上のものなどここにはない、否、それだけしかここにはないのだ。

 それでも兵達は未だ血を求める、虐殺の熱と戦士としての滾りはおさまるところを知らない。このように敵方の総大将を討ったとあっては尚更のこと。放っておけば、どこまでも熱に浮かされ殺戮を続けるだろう。

 

「――退き時なり。ロベルト、全軍に撤退を命じよ。ヴァンホルト殿もよろしいな?」


 それを治め、支配し、先導してこその将。滾りにも狂気にも使い処というものがある、それを見誤っていては直ぐに身を滅ぼすだけ。今は狂気を抑え、滾りを堪え、この場所から退きのくべき時だ。

 山中に隠した馬を拾い、踵を返して坑道を目指す。さすがにこの山道で馬を手繰るのは難しい。自然坑道までは徒歩での移動を強いられることになる。


「一人仕留めそこなったか……惜しいが仕方あるまい」


「贅沢はいえますまい。この手勢でこれだけの手柄を挙げたるは古今無双と心得る」

 

 それでも、渋る様子を見せるヴァンホルトに対して、弥三郎は宥めるようにそういった。

 あの場にいた将、おそらくは総大将の護衛についていたものを仕留めることは終ぞ叶わなかった。アルカイオス側としては、ここで仕留めうる将は全て仕留めておく必要があった。追撃の指揮を執りうるものは少なければ少ないほどいい。ここで、将帥を、しかも、総大将の護衛に任ぜられるほどの将を取り逃がしてしまったのはあきらかな失策といっていいだろう。

 だが、それでも冷静さを旨としている弥三郎の声でさえどこか熱を帯びている。無理もあるまい、総大将を討ち取る、これだけの戦果を挙げたのは弥三郎の長い戦歴の中でも初めてのこと。本来ならば、快哉を叫び、勝ち鬨を挙げてしまいたいほどの戦功だった。その戦果を前にしては、敵将の一人を逃がしたとしても、大した失策とはいえない。

 

「――よし、坑道まで退くぞ! 全員遅れるな!」


 しかし、今は退くべきとき。総大将を討ったとはいえ、三万の大軍勢は未だ顕在。敵が統制を取り戻せばその瞬間、ラケダイモニア勢、ヴァレルガナ勢、両陣営とも瞬く間に踏み潰されてしまう。手柄を誇るのも、失策を嘆くのも、全ては生きていてこそのこと。ここで敵に討たれれては元子もないのだ。

 足元を慎重に探りながら、彼らは暗い山中を進んでいく。目指すべきは場所はそう遠くはない。奇しくも、敵が逃げ込んだのは坑道のある東側だった。このまま夜陰に紛れていけば敵に見付かることもない。あとは脱兎の如く逃げ出すのみだ。

 総大将を討ったとて戦は終わりではない。アウトノイアの城にたどり着くまでは、気を緩めるような暇はない。


「――見えたぞ!」


 しばらく闇の中を進むと、前方に明かりが見える。よく目を凝らせば、その周囲には青い軍旗、間違いない、ヴァレルガナの陣地だ。

 兵たちにとってはこれ以上ない朗報。またあの行動を駆け抜けねばならないものの、ここまでくれば逃げ切ったようなものだ。彼らの緊張にゆるみが見えたのも仕方のないことではあった。


「ようやく来たか! 待っておったぞ!!」


「叔父上! ご無事で!」


 弥三郎たちが陣地へと踏み入ると、すぐさま、グスタブが駆け寄ってくる。多少息を切らし、返り血を浴びているものの、目立った傷はない。この老将の無事は即ち総大将の無事を意味する。敵を撃滅したとして、こちらの総大将が討たれては負け戦。彼のもたらした安堵はそれだけ大きなものだった。


「叔父上、これを」


「これは……もしや……」


 グスタブが何事か発するよりも先に、下馬したヴァンホルトが懐より血に塗れた十字架を手渡す。最後の瞬間まで握り締めていたのか、持ち手には指の跡がついていた。


「敵方の総大将のものでござる。鎧を着ておりませなんだので指ごと剥ぎ取ってまいりました」


 興奮冷めやらぬといった様子で弥三郎がそう付け加える。オリンピアにおいて、首級を示すは首ではなく鎧である、ということはロベルトから言い含められていたが、此度はその総大将が身分を示す鎧を帯びていなかった。全くの丸腰で、首や鎧の代わりとなりうるものが、この数珠ロザリオ以外になかったのだ。

 しかしながら、それで十分。今回の戦、タイタニア方の総大将が司祭長であることはヴァレルガナにも知られていた。そして、巨人の御手と三位の紋章の記された十字架は司祭長の位を示すものであり、それだけで鎧の代わりとなりうる。


「――見事であったぞ! 二人とも! だが、戦功褒賞は後! わかっておるな!」


「――は!」


 老将の一声。緩みかけていた兵たち、浮き足立っていた将たちを一瞬で引き締める。状況は未だに予断を許してはいない。本隊は既に坑道へと入り、あとは弥三郎及びヴァンホルトの隊を残すのみとはいえ、三万の大軍勢は未だ背後に健在。追撃を受ければ一溜まりもない。

 確かに弥三郎たちの挙げた戦果は比類なきものであった。だが、それに浮かれていては綻びが生まれる。タイタニアという巨人を彼らが打ち倒すことができたのはその綻びがゆえ、同じ轍を踏むようなことはあってはならない。

 若さを抑え、逸りを鎮めるのは戦場を知り尽くした老将の役目。老いさらばえても、その慧眼と威厳はますますの冴えを見せていた。


「――御注進! 敵、騎馬隊、こちらを目指して進撃を開始!」


「やはりか。しかし、思ったより早いな」


 駆け込んできた使者は敵の襲来を告げるもの。統制を取り戻した敵が、逃げるヴァレルガナ勢の背後を突くべく動き始めたのだ。追撃そのものは軍議の時点から、予想できていたこと。その程度では軍は動揺しない。

 問題はその早さ。総大将を討たれたというのに、タイタニア軍は瞬く間に反撃へと打って出た。本来ならば、総崩れ、もしくは今迄以上の混乱をきたすことは必定。にも関わらず、神懸かりと言えるような早さで巨人は体勢を立て直してみせた。さすがは強兵タイタニアと称えるべきなのか。それとも総大将のもつ重さがあってなきがごとしであったのか。それは定かではないが、どちらにせよそのあまりの早業は、弥三郎にとっても、老獪なるグスタブにとっても、予想外のことであった。もし仮に、この戦においてヴァレルガナ方の落ち度があるとすれば、この一点、敵方の抱える綻びの大きさを大きく見積もり過ぎたことに他ならない。

 状況は僅かの間に一変した。戦の主導権を握っていたヴァレルガナ勢は今より追われる側になる。攻めることではなく、耐えることが彼らの役目となったのだ。


「御家老どの! 殿は某にお任せあれ! 引き退くまでの時はーー」


「ならん! 従者どのはあくまで客将、むざむざ死地においてはいけん!!」


「今更そのようなこと!!」


「叔父上!!」


「ならんものはならん!!」


殿を申し出る弥三郎に対して、グスタブは断固として之を跳ね除ける。周囲では、兵たちが困惑した様子を見せていた。ここまで来て、という憤りは兵たちにも共通のものだった。

確かに、ここまで共に戦っておいて、外様扱いをするなど騎士としての信義に反する裏切りでもある。

だが、それでもこの殿を弥三郎に任せるわけにはいかない。それだけの理由と信念がグスタブにはあった。


「ヴァンホルト、お主もだ。若の元へ急げ!」


「な、何を言われる! 俺はヴァレルガナの騎士長の1人だぞ!? おめおめ尻尾を巻いて逃げおおせるものか!」


「ならば家老筆頭として命ずる! 今すぐ退け! 若と合流せよ! ここの手勢は僅かでよい!」


 自らの甥であり、ヴァレルガナの家臣であるヴァンホルトに対しても、グスタブは頑なだった。それこそ命を聞かねばこの場で切り捨てる、そう言わんばかりのそんな様子だった。

 繰り返すが、殿とは戦場においても最大の死地である。如何な劣勢にあっても退くことは許されず、味方が逃げ切るまでの間、死に物狂いで時間を稼がなければならない。生還の見込みなど微塵もなく、味方の生がそのまま自らの死と同義となる。しかし、死に怯え、ここを支えきれなければ、先を行く味方が敵の凶刃にかかる。故に殿を担う将に必要なのは、武勇でなければ、知略でもない、自らの死を恐れぬ覚悟。ここで己が一命を擲つにたるだけの信念と忠義がなければ務まらないのだ。

 幸いにも守るべきは一点、この坑道の入り口のみ。数百に満たぬ僅かな手勢であっても、時を持たせるのには充分だ。


「叔父上一人置いて逃げ出せるわけねえだろうが! なんといおうと俺は残るぞ! 全軍――」


「ここはわし一人で充分だと言うておるのだ! お前はこれを若にお渡しせよ! 我が家の誉れぞ、お前が持ち帰らずに誰が持ち帰るのだ!!」


 それでも渋る甥の手に、強引に数珠を握らせ、そう言い放つ。その言葉は哀願のようであり、自ら親代わりとなって育て上げた甥子への最大の親愛を示すものでもあった。

 もしここで、グスタブ、ヴァンホルト両名が命を落とせば、ヴァレルガナを支え続けた名門、ユーティライネン家は途絶えることとなる。それが私情であるとは承知している、だがそれでも、グスタブには家を守る義務がある。早逝した兄に病床で誓った詞は今も生きつづけているのだ。


「――しかし!」


「しかしではない! お前は生きて帰るのだ! よいな!」


「…………ッ」


 どれだけ食い下がり、言葉を重ねたところで、グスタブの決意は揺るがない。それを察したのか、対するヴァンホルトも断腸の思いで引き下がる。弥三郎とて、客将のみでこれ以上、渋るわけにはいかない。それが何であれ家老の命には逆らえない。なによりも敵はもう直ぐそこ、これ以上討論しているような暇はないのだ。

 誰がこの場を引き受けるにせよ、ここが死地であることには変わらない。ならば、老い先短い己こそが相応しい。そう考えたからこそ、主の反対を押し切ってでもこの場所へと残った。歳若い甥や大恩ある客将の命をここで使うわけにはいかない。一命を捧げるのは老骨で充分だ。

 遠雷のようだった蹄の音が確実に近づいてくる。それはまさしく死の行進。それがこの場所に達したその時こそ、彼等の運命は帰結するのだ。

 ここが死に場所。六十年に及ぶヴァレルガナへの、引いてはアルカイオスへの忠義。その集大成がここにある。いまこそが、命の使い時にほかならない。


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