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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
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42、あるいは死中に

 彼は、将の一人だった。生まれはタイタニア連邦の西部、地方領主の次男として生を受けた。生まれてついて何の取り柄があったわけでもなく、特別努力をしなければならなかったわけでもなかった。それに慎ましい領土と家は二歳年上の兄が継ぐことになっていたから、別段、苦労を背負い込む必要もなかった。適当な女を娶り、間に合わせ程度の分家を建て、あとは漫然と人生を送る、それが彼の未来だった。

 それが将として、前線に立つことになったのは気まぐれゆえに他ならない。箔でもつけようと想い志願した救世軍、三年の軍務を終え、実家へと帰り、貴族の娘と祝言を挙げる。そのつもりだった。

 北方での戦いは騎士団が担う、名前ばかりの救世軍は所詮は留守居でしかない.

精々戦ったところで山賊程度だが。万が一にも死ぬことはない。だが、故郷に帰れば、三年間、鎧をつけて馬に乗っていたというだけで英雄のように扱われる、支払われる年金を鑑みれば、これ以上割のいい取引はありえないだろう。

 それが、どうして、こうなっている。あれよあれよという間に留守居のはずの救世軍は、遠征の用意を整え、こんな蛮地にまで進軍した。剣を握ったことさえ数えるほどなのに、こうして前線に立っている。

 あまつさえ、敵に捕らえられるなど、想像すらしていなかった。用を足すために陣から離れた途端、後ろから強かに殴りつけられ、そのまま猿轡をかまされてここまで引き立てられた。正直なところ、何が起きたのか、まるで理解できていなかった。


「クソ、余計なことしやがって! こいつ、見る限り百人長級だぞ! 連中はこいつを探すはずだ!」


「まあまあ、その場で殺さずにおいただけよしとしましょうや」


「うむ、少なくとも敵には見付かっておらぬ。それに――」


 目の前では、奇妙な三人組が自分の処遇について話し合っている。騎士と思わしき男に、傭兵然とした粗野な男、そして、奇妙な装束の蛮族、おそらくはアルカイオスの軍のはずだが、それにしても奇妙な組み合わせ。軍というより寄せ集めのゴロツキのようだ。

 漸く状況に頭がついてきたのか、どうしようもなく足が震える。捕らえられた将の処遇など二つに一つ、人質にされるか、殺されるかしかない。どちらも想像したことすらない。戦うことさえ想像の外だったのだ、誰かに殺されるなんてことは彼の世界には存在していなかった。今の今までは。

 恐怖に頭が埋め尽くされ、直ぐそこに迫った死以外のものが、世界から追い出される。そこには信仰も、信念もなく、ただ死から逃れるための恐れで埋め尽くされていた。もし、これから逃れうるならどんなことでもしよう、そう思えた。


「ともかくこのままでは埒が開くまい。良いな、ヴァンホルト殿」


「……分かった、頼む」


 短いやり取りの後、奇妙な男は腰に差したこれまた奇妙な剣を抜く。月の光を反射するその輝き、緩やかに弧を描くその剣は伝え聞く砂漠の向こうの曲剣を思わせる。奇異であると同時に美しくもあった。死の間際にあっても、思わず見入るほどにそれは美しかった。


「これより縄目を解くが、決して声を上げるな。少しでも声に出せば、その場にて首を落とす。よいな?」


 死神のような男の言葉に、即座に頷く。殺されるなど御免被る。巨神に命を捧げるほどの信仰心など持ち合わせてはいない。死後の行き場がなくとも今生の生のほうがより重要だ。

 言葉の通り縄目が解かれ、猿轡が外される。おもわず、息を漏らす。一瞬の解放に、恐怖が薄れた。肺に吸い込む空気と額を流れる汗が生きているという事を実感させてくれる。


「――ヒッ」


 そう安堵したところで再び刃が彼の首元に当てられる。まだ、生きてはいるものの危機を脱したわけではない。数秒後には殺されるかもしれないという事は何も変わっていない。


「貴公に聞きたいことがある。正直に答えよ、さもなくばこの村正の錆とするぞ」


 二の句を次ぐまでもなく首を縦に振る。

 冷淡なその脅しは、疑いようもなく本気だ。目の前のこの男はいざとなれば何の迷いもなく自分を殺す、そのことが実感として理解できた。抵抗する気など、起きようはずもない。

 ほかの騎士達ならば、侵攻のために軍に加わった彼らなら敵に情報を渡すくらいなら死を選ぶだろう。同胞のための自己犠牲は、巨神教においては最も尊ばれるもの。彼らは喜んでその命を差し出すはずだ。

 けれども、彼は違う。信仰など建前に過ぎないと考えてきた彼にとって自らの命以上に優先するものなど存在していない。生き残るためなら、裏切り者の謗りも甘んじて受けようではないか。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


「ちょ、直接、砦を囲っているのは、アスカレノ騎士団の連中だ。率いてるのは、アルテア卿……まだ三十にもならない若い騎士卿だ、なんでも、エテナ司教長の肝いりで……」

 

 捕らえた騎士は、拷問にかけるまでもなく軍の内情を滔々と語り始めた。忠誠心の欠片も持ち合わせていないのかと、責め立てたくもなるが、弥三郎らにとってはありがたい。一つ面倒な手間が省けるのならそのほうがいい。

斥候に出した騎士達が、この捕虜を捕らえれてきたときは肝を冷やしたものだが、怪我の功名という奴だろう。砦に近づくために必要な情報はこの男から得られる。

 口の軽さにしてはこの騎士は、タイタニア軍の中でもそれなりの地位を持っていたらしく、隊の配置から政情までこちらの知りたいことはおおよそを知っていた。あと、聞くべき事は一つ。最も重要な、情報をこの男から引き出さなければならない。


「よし、これが最後の質問だ。正直に答えれば、命だけは助けてやる。もし嘘だったらその場で首を掻っ切るぞ」


「わ、わかってるよ。何でも聞いてくれ、答えられることは答える」


 ロベルトの言葉に対しても、騎士は抵抗を示すことすらしない。よほど命が惜しいのか、こちらに唯々諾々と従うばかりだ

 怯えぶりを見れば、嘘をつくための演技とはとても思えない。実際にこの目で確かめるまで、確実とは言い切れないが、情報の信憑性は高いと見ていいだろう。


「陣立ての薄い場所を知りたい、気付かれずに砦まで近づく道だ。どこでもいい、答えろ」


「陣立ての薄いところ? ま、待ってくれ、考えるから……」


 そういうと騎士は考え込み始める。他のことはすぐさま答えたくせにこればかりは答えを渋っているようだ。今更矜持が芽生えたのか、それとも仲間を庇っているのか、あるいは本当に、陣に脆い場所が存在していないのか。

 こうしている間にも時間は刻々と過ぎていく。その僅かな間に、砦のフェルナーらがやけを起こさないとも限らない。急がなければならない。


「こっちは時間がないんだ。早くしろ」


「わ、分かってるよ! だが、そういわれても簡単には……」


 ヴァンホルトが剣を抜いて、突きつけても、答えは返ってこない。どうやら、本当に思いつかないらしい。

 となれば、もはや一か八かしかない。夜陰に紛れて敵の真ん中を突っ切るほかにない。敵に気付かれる危険は勿論あるが、それでフェルナーたちを死なせては本末転倒だ。ここまで坑道を走りぬけた事も無駄になってしまう。


「これ以上聞いても無駄だな……」


 求める情報を得られないのなら、もはや問答は無用とヴァンホルトが剣を振り上げる。必要がないのなら生かしておく理由はない。むしろこれからの取るべき行動を鑑みれば足手纏いにしかならない。約束をたがえることになるが、この期に及んでそこに拘泥する理由はない。


「まあ、待たれよ、ヴァンホルト殿。某にお任せを」


 逸るヴァンホルトを諌めるように弥三郎が前に出る。こと冷静と焦燥の間に立つことに関しては、下方弥三郎という将は長じている。たとえ、敗戦のさなかであっても普段どおりに振舞って見せるだろう。


「なんでもよいのだ、思いつく限りを申してみよ。兵站路でも、寝所でも、いっそ便所でもよい。見張りの少ない場所ならどこでもよい」


「わ、わかったから、少し時間をくれ……」


 諭すような口調で弥三郎はそう問い掛けた。ここまでくれば、体裁はかなぐり捨てている。肥溜めを泳ぐことになったとしても、砦を目指す腹積もりだ。


「…………そういえば」


 何か思いついたのか、騎士は少しずつ、語り始める。完璧ともいえるタイタニアの陣、その弱点、存在しないと思われたそれを、囚われの騎士は口にした。

 それは、およそ当時の軍事的常識から見ても、およそ弱点と言えるものではなかった。一見すれば、ただの無謀でしかなく、砦の守兵たちが起こそうとしていた自棄とそう大した違いはない。

 だが、それ以外に道はなかった。同胞を救おうとするなら、あの小さな砦の灯火を守るためには、無謀であろうと行うしかない。あの闇を越えてきた弥三郎らにとって今更この程度の無謀は恐れるに足らない。たとえ、その先に死が待ち受けていたとしても、もはや止ることは相成らない。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 巨神暦千五百九十年、八の月、二つ目の週の五日、ならびに六日。その日のことはアルカイオス、タイタニアの両陣営の記録に大きく残されている。細部にはおいては違いが見られるものの、敵味方に分かれた両陣営において共通している記述は確かに存在しているのだ。

 その日は、のちにアルカイオス戦役と呼ばれる一連の戦いの趨勢を決したものであると、あらゆる文書に残されている。アルカイオスにおいては寝物語に語られるある英雄の伝説の始まりとして、タイタニアおいては二度と繰り返すまいという教訓として、後の世に語り継がれることになる戦はその日に起きたと、あらゆる文書が語っていた。

 だが、実際の戦は物語に語れるほど華やかなものではない。何か一つ違っていれば、結末の変わる綱渡りのような一日だった。その日のうちに、自らの勝利を確信していたものは誰一人としていなかっただろう。誰も彼もが、己にできる事をし、ただ勝利を信じるためだけに突き進んだ。明けない闇を抜け、十重二十重の陣を越えて、彼らは進んだのだ。誇りと刃を手に、前だけを真っ直ぐに向いて。

 ラケダイモニア砦の戦、下方弥三郎の名が史書に躍り出たその戦いは、そうして始まったのだ。

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