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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
44/102

41、あるいは薄氷の上で

 息が上がり、視線が下がる。吸い込む空気は熱を帯び、一秒ごとに肺が焼けているような錯覚にとらわれる。意識を他のものに向けていないとこうして進み続けることさえ難しい。鞍から伝わる馬の息遣いがまるで自分のもののように感じられた。

 だが、視線を上げても、目に入るのは果ての見えない闇だけ。一歩ごとに気持ちが萎え、進もうとする意思が挫けてしまいそうだった。特に、歳若いコレンにとってこの闇行は終わりない試練のように思えていた。

 何しろ松明で照らしていても足元が怪しいのだ、神経をすり減らすような緊張感は一瞬たりとも緩んでくれはしない。周囲の制止を振り切って自ら望んでこの闇行に同行したが、これほどのものとは想像すらしていなかった。先陣全体で坑道を進んでいたころとはまるで違う。ただ闇を駆けるのは正しく試練といえた。


「――足を止めるな! 一度止らば、二度と駆けられぬぞ!」


 そんな中でも闇の果てを見通すものはいる。手綱捌きに迷いなく、声には力が満ちている。彼らを率いる弥三郎は闇の中でも行くべき道を知っているかのようだった。その姿が兵達を勇気付ける、闇の中を進み続けるだけの士気を保っているのは偏に、彼らを率いる二人の将の勇猛さが故だ。松明を持ち彼らを先導する二人は正しく、兵達にとって灯火そのものだった。


「御老人! 次はどちらか!」


「右じゃ、異国の人」


 道案内の老人を後ろに乗せたまま、弥三郎は迷いなくぺルソダスを駆る。いや、正確には語弊がある、弥三郎がぺルソダスに示すのは方向のみ、どのような速度で走り、どのような経路を辿るかはすべては馬に任せていた。

 乗り手が馬を駆るのではなく、馬が乗り手を導く。一見危なっかしく思えるが、この状況においてはそれが最も正解に近い。人の目では闇を見通せないが、夜目が利く馬ならば闇の中でも最も走りやすい道を見つけることができる。岩が転がっておらず、自らの足を傷つけない最適の道を走り抜けられるのだ。

 だが、一口にそう言ってもそれを実行するのは並大抵のことではない。馬を信じて身を委ねる、一片の疑念、恐怖が混じれば途端にそれは馬に伝わる。そうなれば終わりだ。道を見誤れば、途端に足を潰してしまう。どれだけ早く出口に辿り着いたとしても、それで馬を潰してしまっては意味がない。騎馬武者が真価を発揮するのは会戦のとき、その時まで力を残しておかなければならない。

 馬を信じ、身を任せ、最善の道を行く。そのためには乗り手と馬の確固たる絆がなければならない。馬の感覚を己のものとして感じ、全幅を預ける覚悟が不可欠なのだ。


「おい、爺さん! 後どれくらいで外に出る!? もうかなり進んだはずだぞ」


「もう一息じゃ。若いのは気が急いていかんの」


 痺れを切らしてそう怒鳴るヴァンホルトに対して、あくまで道案内の老人はあくまで冷静だった。それが齢を重ねたが故なのか、それとも、この闇の中で何処に進むべきなのか、どれだけ進むべきかを把握しているが故なのかは誰も知らぬことだが、この老人は一瞬たりとも平静を崩しはしない。

 だが、ヴァンホルトの方はそうもいかない。怒りにも似た焦燥が彼の背中を押している。怒りは恐怖と不安にも勝る。何しろ掛かっているのは同胞の命だ、一刻一秒が惜しい。友が死してから、砦に辿り着いたのでは何の意味もない。その屍を前に、どの言い訳しろと言うのだ。


「そう焦るな、ヴァンホルト殿、出口はそう遠くなかろう。粉塵のにおいに僅かに他のにおいが混じり始めておる」


「然り。あと、五百リーグほどであろうて」


 老人と同じく、弥三郎は焦っていない。出口は近い、それは感じている。手綱から伝わるぺルソダスの呼吸、自らの鼻からも明らかだ。着実に出口に近づいてはいる、問題はそこに至るまでどれだけ力を温存しておけるかということだ。

 迷いなく先陣を駆けをいくら鼓舞したところで兵達の疲労は着実に蓄積してきている。それはどうしようもない、彼等の役目はどの味方よりも早く砦に辿り着くことだ、休んでいてはその本懐を失う。将にできるのは、兵に掛かる負担をできうる限り減らすことだけ、彼らを勇気付け、導き、叱咤することだけだ。


「重いものは捨てていい! 剣と槍さえあれば戦える! とにかく走れ!」


 後方からは、ロベルトの怒鳴り声が響いてくる。副将としての彼は自らの役割を完璧に理解していた。兵を叱咤し、士気を鼓舞し、足を止めさせないという事に関してはロベルトは正しく適任だった。

 この場所に至るまで、鎧から腰兵糧に至るまで余計なものは全て、道中に捨て置いてきた。元より軽装なものを置き去り、戦いに必要最低限のものだけを持ってここまで進んできた。苦肉の策ではあるが、戦う前に決着が着いてはそれ以前の話だ。なにをおいても、砦にたどり着くことが重要だ。


「そのまま真っ直ぐじゃ。直ぐに出口が見えて来るぞ」


 老人の言葉の通り、弥三郎の頬を僅かな風が撫ぜる。外の風、日暮れ時に吹く涼しい風だ。どうにか間に合った。夜が訪れるよりも早く、日が落ちるよりも速く、彼らは闇の果てへとたどり着いたのだ。

 

 

◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 さらに出口を目指して駆けることさらに三刻ほど、漸く先陣の最後尾が坑道を抜けた。坑道の出口、砦の裏手へと続くどの場所は、入り口に比べると少々狭く、一度に軍勢が抜けるには少し難がある場所だった。周囲には木々が生い茂り、多少は切り開かれていた入り口側に対して、さらに鬱蒼としていた。まさしく忘れ去られた場所、不便ではあるものの、今はそれが彼等の味方だ。

 新鮮な空気が肺に満ち、疲労困憊にも思えた兵達が俄かに息を吹き返し始める。延々と続く闇を駆け抜けたことは彼等の中で確かな自信に変わっていた。もうすでに一つの戦を切り抜けた、そんな安心感さえ、彼等の間には漂い始めていた。


「斥候が戻ったら、直ぐに出立だ! 砦に着くまでは腰を下ろすんじゃねえぞ!」

 

 思い思いに休もうとする兵士達をヴァンホルトが叱咤する。彼自身疲れがないわけではないが、まだ気は緩められない。砦にたどり着くまで兵達の緊張感を保ち続けなければならない。

 いかに闇行が困難であったとしても、所詮は前哨戦に過ぎない、本物の戦はこれからだ。ラケダイモニアの砦を救うまでは、戦は終わりではない。


「日暮れ前か……思ったより時間が掛かったな」


「致し方あるまい。これ以上急がば、兵も馬も潰れておった。それに間に合ったのだからそれでよかろう」


「ここから分かるのか? 流石は旦那だな」


「大したことではない。ここからでも懐かしい匂いがする、それだけのことよ」


 木々にふさがれたこの場所からでは、とても砦の様子を伺うことはできない。それでも弥三郎は間に合った、戦は続いていると言い切る。幾度となく感じてきた戦の空気、高揚、血が流される場所でだけ感じられる背筋を走る冷たさ、そのどれもがここは戦場だと伝えている。この向こうにある砦ではまだ戦が続いていると、弥三郎は確信していた。疑う余地はない。


「――旦那! 団長!」


 枝葉を掻き分けながら、小柄な兵士が飛び込んでくる。斥候に出ていたコレンだ。


「うむ、報告せよ、コレン」


「へ、へい、砦は二リーグ先です。何とか見えました、それにまだ火は上がってません」


 コレンの報告に周囲の兵達が湧いた。弥三郎がどういおうとも彼等には間に合ったかどうかは定かではなかった。それを確かな形で聞かされるのと、そうでないのではまるで違う。砦はもう目の前、助けるべき味方はまだ生きている。その事実は彼等の疲れを吹き飛ばした。


「けど、砦の周りは凄いことになってます。死体が山みたいに積みあがってて、その周りをタイタニアの連中が包囲してて……」


「蟻の這い出る隙間もないか……」


 コレンの報告は予想の範疇だ。如何に攻め手を止めたといっても、囲いをとくほどタイタニアは愚かではあるまい。砦の兵を逃がさないために、二重三重にも警戒を敷いているはず。それに気付かれず、ラケダイモニアの砦に近づくのは至難の技だ。

 かといって、時間をかけてはいられない。敵が眠る真夜中まで待っていれば、フェルナーたちが無茶をしかねない。慎重に動きながらも、できるだけ早く砦へとたどり着く必要がある。


「ヴァンホルト殿、砦に裏門はござらんのか」


「あるにはあるが、その様子なら敵が張ってるだろうな。どうしたもんか……」


 策は無数にあるが、そのどれもが確実と言いがたい。敵の囲いの厳重さが実際にはどのくらいのものかにもよるが、ここで敵に見付かるのはだけは避けねばならない。


「ふむ、そういえばコレン、戻ったのはそなた一人か? 他の二人はどうした?」

 

 斥候に送り出したのは、コレンに加えて若い騎士二人、三人一組で敵の様子を探るように命じた。けれども、今戻ってきているのはコレンのみだ。


「あ、二人なら途中で分かれて、別のところを探ってまさ。直ぐに戻るはずですけど……」


「ラウェンとドレンだな……勝手なまねをしやがって……」


 いらついた調子でヴァンホルトはそう呟く。

 分かれて斥候を行えなど、そんな命は下していない。完全な命令違反。場合によってはそのまま死罪すらありえる。もし万が一敵に見付かっていれば、そう考えると腸が煮えくりかえるようだ。


「だれか探しに出しますか、単に道に迷ってるってこともありえますぜ」


「それでまた返ってこぬでは意味がなかろう。もう少し待って……」


 瞬間、背後の物音に先んじて刀の柄に手を掛ける。少し遅れて、ヴァンホルトとロベルトも反応する。噂をすれば影が差す、敵かもしれない。


「――隊長!」


 振り返ってみるとそこにいたのは敵ではなく、斥候に送り出した二人だ。息が切れてはいるものの、傷はなく、血を浴びてはいない。幸いにも敵に見付かるという最悪の事態は避けられたようだ。


「全く驚かせやがって……テメエらなにやってた! お前らのせいで――」


 安堵と共にそう怒鳴りつけようとした直前に、ヴァンホルトがそれに気付いた。戻ってきたのは二人ではない、三人だ。いるはずのないもう一人がそこにいた。

 騎士たち二人に引きづられるように連れられたその男、男が身に纏った甲冑には巨神の御手の紋章が、タイタニアの紋章が確かに縫い付けられていた。

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