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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
43/102

40、あるいは定めでさえ

 日が暮れるころには砦の眼前には地獄が具現していた。斬り殺されたもの、突き殺されたもの、射殺されたもの、押し潰されたもの、そこには戦場で具現しうるありとあらゆる死があった。

 その死骸の中には士分のものもあれば、平民のものもある。最期まで生き延びようと足掻いた傭兵もいれば、祈りの姿勢のまま死を迎えた敬虔な信者のものもあった。死は正しく区別なく、ありとあらゆるものに平等だった。

 区別はない、偶さか彼らに死が訪れただけ、戦場においてはそれだけのことが生者と死者を分かっている。だが、そのたったそれだけが戦場においては全てである。


「――何人残った。生きておるものは名乗りを上げよ」


 すでに死地とかした城壁の中で、フェルナーは彼らを見渡して、そう口にした。五百はいた砦の兵はもはや見渡せるほどに減っている。

 結果だけで言うのなら、ラケダイモニアの砦はこの日を持ち堪えた。三万のタイタニア兵を相手に回して、彼らはこの小さな砦をまた一日延命してのけた。

 だが、その結果がこれだ。フェルナーの呼びかけに答える声は、昨日の半分程度。敵はとうとう門を破り、砦の中へと足を踏み入れてきた。どうにか本丸に立て篭もり、夜まで戦い続けたものの、相応の犠牲を払うことになった。

 明日の朝、そのときがくればこの砦は陥落する。兵は疲弊し、矢は尽き、剣を振るうだけの力も既に使い果たした。次に攻められれば、もはや、半刻として持たないだろう。


「ようやった。ようやったぞ……」


「……騎士殿」


 自然、そう漏らしていた。

 残ったのは半分足らず、それでも彼らはよく戦った。ただ愚直にフェルナーの下知に従い、この一日を只管戦い続けた。正しく見事、それ以外に言い表しようがない。彼は士分ではない、フェルナーのように騎士として戦場に立っているわけではない。けれども、彼等の今日示した勇猛さ、気高さは騎士のそれにも勝る。そのことが誇らしく、また哀しくもあった。

 それだけの戦士たちと轡を並べるのは今日が最期だ。またの機会はない、そのことは降伏の使者を追い返したときから決まっていた。

 覚悟している、今更死など恐れはしない。ただ、今生の別れが少しばかり哀しくはあった。


「……皆のもの、心して聞け。最後の命である」


 気力を振り絞り、居並ぶ兵達、否、朋友達に語りかける。手は震えない、恐怖は微塵もない。あるのは誇りと清々しさのみ。ここに至って心は水のように澄み切っていた。


「お前達はよく戦った。だがそれももうよい。この砦より退去せよ。我が一命をもって、タイタニアへの嘆願とする」


 それは最初から決めていたことだ。自らに付き従った兵達、彼等の命を永らえされるために、一命を懸ける。あの使者を追い返したときから、決めていたことだった。たとえ、タイタニアがそれを聞かずとも、彼らが逃げ延びるだけの時間は稼げる、最初からフェルナーはその腹積もりだった。


「騎士様、そんな……」


「何を仰いますか! 我らも最後まで戦います!」


「そうだ! 今更騎士殿一人、死なせねえぞ! なあ、皆!?」


 だが、ここまで共に戦った兵達が、戦友たちがそれを許してはくれない。誰かの挙げたその声に続々と皆が答える。フェルナーにとって彼らがただの兵ではないように、彼らにとってもフェルナーはただの将ではなくなっている。血縁のつながりよりもなお深く切れることのない血の絆、フェルナーと兵達の間にはその絆が結ばれいている。


「ならぬ。ならぬのだ、私の最期にお前たちまで付き合うことはない。ヴァレルガナ公の下まで落ち延びれば……」


「騎士殿、その気遣いは無用。俺達全員、最初から覚悟は決めてるんだ。俺達は最後まであんたに付き合うよ」


「そうさ、騎士殿、最期にタイタニアの堅物どもに一撃くれてやろうぜ」


 ゆえに、彼は退かない。心底惚れ込んだ将と最期を共にできるのなら、それでいいと、彼らは心からそういいきっていた。これでは如何に言葉を用いたところで説得は適わないだろう。


「――馬鹿者どもが……よし! ならば、ついて参れ! 我らの最期にアルカイオスの男はかくあらんと、やつらに示してくれようぞ!!」


「応!!」


 覚悟を決めたフェルナーの一声に、兵達が一声に気勢をあげる。傷を負い、疲れ果てた幾百の兵達は、この時、ただ敵へと向かう一矢となったのだ。

 ならば、取りうる選択肢はたった一つ。共に進む、死地へ向かって、戦友たちと共に、ただ進むしかない。死はもはや避けられない、死して故国の盾となるほかない。悔しくはあるが、清々しくもあり、また、誇らしくもある。ここで死したとしても後悔はない、そういいきれる。

 運命はとうに決した。死は避けようがなく、敗北は覆しようがない。後は迎えに行くのみだ、遮二無二なって白刃に飛び込み、屍を晒す。そう運命は決していた、この時までは。


「――ふむ、さても見事な兵と将かな。なあ、ヴァンホルト殿」


「それにしても、昔から真面目に過ぎる。捨て鉢になるにはまだ早いぞ、フェルナー卿」


 ここに運命は覆る。ここにいるはずのないもの、ここに来るはずのないものがここにいた。来るはずのない救援、翻るはずのない旗がそこにある。希望はここにあり、矢がつき、槍が折れ、剣を砕かれても、まだここに抗うための最後の武器があった。

 八の月、二つ目の週の五日、その夜、ヴァレルガナ救援軍、その先陣はラケダイモニアの砦へと達していた。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 ヴァルカンの大口、そこへ最初に足を踏み入れることになったのは、必然ながら弥三郎とグスタブ卿率いる先陣であった。それに加えて、後詰として合流したヴァンホルト率いる隊、あわせて二百五十、それだけの人足が闇の中を押し進む。

 だが、彼らがいかに勇猛果敢とはいえ、闇の中を無策で進むのは無謀というほかない。かの坑道は一本道ではない、山の中を枝葉のように走り、崩れたものもあれば崩れかけているものもある。道案内がなければ、果てのない闇を踏破することなど夢のまた夢、ラケダイモニアに辿り着くことなく屍を晒すのが関の山だ。

 軍勢を無事ラケダイモニアの裏手へと導くため道案内として選ばれたのは土地の猟師であったとヴァレルガナの公文書には記されている。古くからこの土地にすまい、山の民が道を切り開く様を見届けたものの末裔。唯一闇の果てを知る老人が軍勢の道案内を担ったのだ。

 ヴァレルガナ記に曰く、かの老人は闇の中をまるで真昼の散歩のように進んだという。そのさまは頼もしくもあり、そして、恐ろしくもあったとも、記録には残されている。


「――っ」


 かといって、闇を進む兵達に同じことはできない。ごつごつした坑道を馬を引いて進むのは簡単なことではない。ましてや、一寸先は闇、続くものたちのため明かりを灯しながら進んでいるとはいえ、先頭を行くものたちの恐怖は計り知れないものがある。

 

「鎧を軽くして正解だったな。暑くてかなわん」


「馬にしてもそうであろう、荷を乗せていては潰れかねん。それにしても暑いな」


 坑道内は揺るやな上り下り、両方の坂が散在しており、足を休められるような場所は中々ない。目的地に辿り着くには、進み続けるほかになく、止ることはすなわち敗北を意味する。

 問題はこの暑さ。閉塞され淀んだ空気が山の熱に暖められ、肌に纏わりつく。一歩進むごとに、汗が噴出し、少しづつ窒息していくようだ。おまけに目の前にあるのは闇、半日近く進んでも果ての見えないこの闇が兵士達の心に重たく圧し掛かっている。

 それは、弥三郎たち将とて例外ではない。一歩進むごとに、燃え立っていた戦意が少しづつ鎮まっていくのを感じていた。


「ちんたらしてんじゃねえぞ、お前ら! 亀じゃねえんだ! とっとと歩け!」

 

 血気盛んなヴァンホルトの声が兵達を叱咤する。その声は暗路をいく疲れを微塵も感じさせない。

 この道は進めば進むほど、魂を衰弱させる。だからこそ、将たる彼らは虚勢を張り続けなければならない。将の弱った姿は兵に動揺を与える、たとえ腹に穴が開いていようとも、はらわたがまろびでていようとも、勇姿を示し続けなければならない。


「案内人、後どれほどか。もう半日以上進んでおるぞ」


「半分と言ったところですかいの。兵隊さんたちがもそっと足が速ければ夜には着きましょうが……」

 

 グスタブがそう尋ねると、老人はそう答えた。同じだけの時間を歩き続けているはずだが、老人は息一つ切らさない。上り坂でも下り坂でも歩調が緩むことは一切なく、同じ速度のまま只管、歩き続けていた。

 対して、グスタブの側はどこか馬鹿にした調子の老人の言葉に怒る余力はない。この熱さは老骨には堪える、気力と意地でどうにか保っているが、休息が必要なのは明らかだ。

 疲れているのはグスタブだけではない。兵も馬も、あるいは将たちにも疲れが見えてきている。この暑さを半日休みなく進んできたのだから、それも当然。如何に急いでいるとはいえ、どこかで休息をとる必要があるのは目に見えている。


「夜か……」


 だが、ここで休めば余計に時間を食うことになる。ただでさえ予定していた行程からかなり遅れている、今日、二つ目の週の五日目の夜には裏手から使者を送り、砦の守兵達と算段を付けていなければならない。だというのに、老人の言によればこのままでは夜までには間に合わない。既に、あとから坑道へと入った本隊とは早馬を通じて段取りをつけているから問題はないとしても、それでも夜に間に合わなければ致命的な事態を招きかねない。

 ラケダイモニアの砦がタイタニアと先端を開いてから既に三日のときが経過している。砦を守るロエスレラ卿がいかに勇将とはいえ、限界が近いはず。砦が辛うじて落ちてはおらずとも、自棄を起こして突撃でも仕掛けかねない頃合だ。砦に辿り着いたときには守兵みな玉砕の後では何の意味もない。彼らが生きているうちに、こちらの存在を知らせる必要がある。

 その期限がこの五日の夜。ロエスレラ卿、いや、その父子についてグスタブはよく知っている。彼等の性格、ラケダイモニアの兵の練度を鑑みて、そこが限界点であるとグスタブは睨んでいた。これについては確信がある、それが過ぎれば彼らは身を盾として決死の突撃をしかねない。

 それは許容できない。騎士の誇りに泥をぬることになろうとも、彼等には生き延びてもらわなければならない。そのためには危険を犯す必要がある。


「御家老殿、下方忠弘、参上いたしました」


「――叔父上、何かあったのか?」


 ほんの少しの逡巡の後、グスタブは二人と二人の隊を呼び寄せた。どれだけ考えても、この先陣の中で、それだけの任を託せるのはこの二人しかいなかった。若く、気力と体力に満ちたものでなければ、この任はこなせない。

 下方弥三郎忠弘、並びにヴァンホルト・フォン・ユーティライネン卿、この二人の将に命じられたその役目はまさしく決死といっても過言ではない。並みの将では、半ばで心折れ、膝を屈し、死を迎えていただろう。それほどまでに、その任は過酷なものだった。

 その任とは凄まじく単純で且つ明確なものであった。軍の先頭を行く先陣、それになお先んじて進む、ただそれだけのこと。それは即ち、延々と続く闇の中を道案内なく進むということに他ならない。

 それだけのことを彼は二つ返事に引き受けた。今も戦う同胞を救うためなら、喜んで闇の中を進むと彼らはそう胸を張って答えたのだ。

  八の月、二つ目の週の五日の夕刻、後に黒雷の闇行と呼ばれる伝説はこうして始まった。


 



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