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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
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37、あるいは先槍の如く

 巨神暦、戦後百九十年、八の月の二つ目の週、三番目の日、アウトノイアの城は戦の只中に合った。

 城からラケダイモニアの砦までは三日の行程となる。軍勢である以上これ以上急ごうとすれば、綻びが生まれる。よしんば、二日で砦に辿り着いたとして、疲れ切った兵と泡を吹いた馬など何の役にも立たない。さらに、兵站の手配、軍の編成、武具の分配、もろもろの準備を整えるのにどれだけ急いでも半日。あわせて三日半。それが彼らに取りうる最速だった。

 出陣するのはたかが千三百とはいえ、その軍備は容易なものではない。ましてやそれを一日でこなさなければならないのだから、戦といっても差し支えはない。


「よーし、分担は済んだな! 走り詰めになるから蹄鉄はキチンと見ておけよ!!」


 城の外庭にロベルト・イオライアスの声が響き渡る。自身の率いる率いるアラストリア傭兵団、他の二つの傭兵団に加えて、任された騎兵二十、あわせて百二十名。それだけの人足を率いる副将として一切手抜かりがあってはならない。一日しか時間がないとはいえ、彼はできうる限りの事をするつもりだった。

 軍議の間、一度も口を開かなかったロベルトではあるものの、出陣策にははなから賛成であった。

 数年前、まだクリュメノスの兵であったころ、彼は一度篭城を経験している。アウトノイアの城は比べ物にならないような小さな城ではあったものの、その戦いは彼の記憶に焼きついていたままだ。

 たかが三日、されど三日。流された血も生まれた死も、野戦のそれとはまるで異なっていた。

 あれを乗り切るためには何らかの策をこうじねばならない、そうでなければ如何な堅城といえど、辺境伯や弥三郎の言の通り、一月ともちはしなかっただろう。

 かといって、出陣するのが容易なわけではない。同じか、それ以上に厳しい道となることは理解している。それでも、希望はある。グスタブ卿の言った抜け道があるのなら、勝算は充分。あとはそのための準備を念入りに整えるだけだ。


「――随分と気が入っておるな、ロベルト」


「旦那、こっちの準備は……っと、これはグスタブ卿まで……」


 声を掛けられ、振り返るとそこには弥三郎と、意外にも今回の戦の中核を担うグスタブ卿がいた。異国風の甲冑に蒼のマントと奇妙な出で立ちの弥三郎に対して、グスタブは獅子の紋章の編み込まれたヴァレルガナの正式な軍装。それをまるで我が物のように着こなすのはその年季ゆえだろう。

 慌てて畏まると、グスタブは笑って楽にするように返す。確かに特異なところがあるとはいえ一隊のもとに彼ほどの人物が訪れるなど、早々あることではない。


「うむ、中々によき貌だ。従者殿が自ら選ばれただけのことはある」


「は、はあ、勿体無いお言葉で……」


 グスタブの言の通り、他の二つの傭兵団の長と騎士を差し置いて、ロベルトがこの隊の副将に任ぜられたのは、弥三郎の意向がゆえに他ならない。勿論それは、あのネモフィ村での共闘で見せたロベルトの力を見込んでのものである。

 ならば一層、身も引き締まろうというもの。自身の率いる隊の副将を任せる、それは即ち、背中を任せるということ。戦場において示される信頼の中でも最上のものだ。同じ戦士として、それを裏切ることなどできはしない。こうして大声を張り上げているのも偏にその信頼に応えるためだ。


「軍議の通り、そなたと従者殿には我が隊と共に先陣を切ってもらう。その前に命を預ける将の顔を見ておきたかった。安心したぞ、そなたのようなものになら背中を預けられよう。頼んだぞ、ロベルト・イオライアス」


「は、この身に代えても……」


 ロベルトの覚悟をその表情から読み取ったのか、グスタブは口元に笑みを浮かべる。例え傭兵の身分であっても命を預けるに足ると、グスタブはそう口にしたのだ。

 その詞に戦士としての誇りが応える。金で雇われた傭兵に過ぎないとしても、誇りはある。その誇りに懸けてロベルトはそう答えていた。


「うむ、良い返事ぞ。では、従者殿、また後で」


 グスタブはさらに満足げに頷いて、その場を後にする。彼は多忙な身だ、自身の軍は勿論の事、この救援軍全体の陣立てを任されている。軍が今日中に出立できるかどうかは、彼の双肩にかかっているといっても過言ではないだろう。

 

「――旦那、挨拶は済ませてきたのか」


「いや、まだだ。まったく困ったものだ」


 弥三郎はそういうとばつが悪そうに刀の柄に手を置く。将として従軍すると決してから一日近く、彼はその事を己が主に伝えられずにいた。

 客将として軍を率いてもらいたい、そうグスタブから告げられたとき、弥三郎は驚きはしなかった。軍議に参加するということはそういうことであるし、出陣を促しておきながら自ら城に引き篭もるなどという恥知らずなマネをするつもりもなかった。グスタブから提案されていなければ、自ら無理にでも頼み込んでいただろう。

 その結果として弥三郎は百二十足らずの兵を率いることとなった。日の本、嘗ての主の下で共に戦った軍勢とは比べるべくもないが、それだけの人足を率いるのは彼にとって代えがたいものだった。

 だからといって、今の主を蔑ろにしていい道理など何処にもない。むしろ、彼がこの場に立っているのはすべて今生の主たるアンナのおかげ。功を挙げるより前に忠道を疎かにしては面目が立たない。


「一体何処に居られるのやら、ご隠居の寝所には近づけぬし……」


「そいつは待つしかないだろう。とりあえず今は、陣立てのほうを見てくれ」


 うむ、と頷き、ロベルトの言葉に耳を傾けるものの、頭の何処かでは主の身を案じざるをえない。この城に残る事を選んだのは彼女であり、最初からこうなることは織り込み済みであったとしても、彼女一人城に残すことは気が退けた。

 しかし、弥三郎はグスタブの頼みを辞して、城の残る事を選ぶことはほかならぬアンナが許しはしないだろう。どれだけ恐れていても彼女は弥三郎のためにこの道を選んだ。故に、今更引き返すなどと彼女に告げるのは彼女の覚悟への侮辱。気が退けたとしても、止る事は許されない。


「……徒歩足軽はもっと軽装でよい。最悪胴丸だけでもかまわん。騎馬のほうも余計な荷は減らせ」


「む、いいのか? 騎士たちはともかくここの連中、お世辞にもいい鎧とはいえんぞ」


「だからこそよ、安鎧なら着ておらぬほうがましぞ。それに我等は先陣、できるだけ軽くせねばな」


 弥三郎の指示になるほどと頷くと、ロベルトは再び兵達の元へと駆け戻っていく。

 迷いは在っても将としての彼は澱みなく機能している。今は目の前のことに集中せねばならない。これからは戦、一瞬の逡巡が生死を別つ。心残りなど残していては、屍を晒すことになる。


「……ふむ」 


 立てかけられた武具の中から、素槍パイクを手に取る。長さは二間ほど、長さはそう変わらないが、僅かばかり彼の振るっていたものよりも重たい。使われている鉄の違いか、それとも単に腕が衰えたのか、どちらにせよ、馴らしておかなければならない。それに身体を動かしていれば自然と頭は澄む。


「――――フッ」


 徐に構え、突く。そのまま流れるように払い、薙ぎ、再び突く。持ち手を変え、間合いを変え、踏み込みを変え、迷いごと払うように力強く槍を振るう。

 石突から穂先まで、二間の槍を体の一部のように操る。多少重さが違っても、骨身に染みた武芸は身体が覚えている、ものの数分で勘は戻ってきた。

 弥三郎は武士である。武士であるからには刀しか使えないなどということは当然ない。槍から鉄砲、素手まで一通り修めている。


「――おお!」


 槍を収めると同時に感嘆の声と賞賛の拍手が上がった。

 弥三郎の気付かぬ間に周囲には人だかりができていた。弥三郎の隊だけではない、周囲の隊のものたちまでもが彼の演武を見物に来ていた。

 傭兵達、志願兵たちは勿論こと、ヴァレルガナ騎士たちから見ても、弥三郎の槍捌きは目を見張るものがあった。そもそも歩兵の使う槍をあのように自在に操るすべはオリンピアには無い。騎士達の槍といえば馬に乗り用いる突撃槍ランスであり、パイクは所詮は徒歩歩兵の武具、それゆえに術利が育たなかった。

 いうなれば物珍しい。腰に帯びた村正を含めて、彼等の目に弥三郎は、ある種、神秘性を帯びたものにさえ映っていた。

  

「いや、お見事、旦那。あんな技を見たのは初めてだ、ヒノモト仕込みですかい?」


「この程度、嗜みすぎん。武芸は戦場いくさばで示すものぞ」


 群集の中からロベルトが歩み出てまっさきに賞賛の言葉をかける。対する弥三郎の方はというとばつが悪そうに視線を伏せた。あの槍振りは弥三郎に言わせれば演武ではない、基本を確かめただけのことだ。それをこう手放しに讃えれられては決まりが悪い。見世物にされてはなおのことだ。


「まあまあ、そういわず。少なくとも仕事はし易くなった」


 そんな弥三郎を宥めるようにロベルトは背後で再び準備を始めた兵達を指してみせた。決して真剣味がないわけではないが、どこか精彩を書いていた彼等の動きに色が加わっている。馬に鞍を結ぶ手に力が篭り、剣を磨くのもより丁寧に、目には力が灯っている。

 彼らとて人の子、いかな経験を積んでいたとしても、大戦を前にしては逸る心と奥底の恐怖を払拭しきることは難しい。ましてや、自分たちを率いる将が得体の知れない異民族であればなおさらだ。弥三郎がどれだけ武勇を誇っても、それを知るのはネモフィ村で轡を並べたアラストリア傭兵団の面々のみ。拭いがたい疑念と恐怖は戦場で晴らすほかない、ロベルトはそう考えていた。

 しかしながら、その不安を弥三郎は払拭してみせた。彼の見せた槍捌き、その技の冴えと美しさは浮き足だった兵達を魅了した。疑念と恐れを吹き飛ばし、尊敬と畏れを勝ち取るだけのものが彼の武芸にはあった。


「……まあよい」


 兵達の疑念は弥三郎も感じていた。意図せざるところではあるとはいえ、それを払うことができたのなら、我執よりも実を取るのはやぶさかではない。迷いと同じく戦場では致命的なものになりうるのが、疑念であり恐れ。それを支配し、操り、時に狂わせてこその将。この程度のこと呑み込んでこそだ。


「――兎も角、ロベルト、我が背、お主に任せるぞ」


「応! アンタの背中なら守り甲斐があるってもんだ」


 それは正しく信頼の証。背中を預け、また背中を預かる、戦場においてそれ以上の信はない。輩の刃に自らの刃を預けるにたるという、揺るがぬ自負があってこそ。それは強固な守りを開く鏃であり、刃を阻む無敵の鎧ともなる。

 戦の準備は整いつつある。アウトノイアの城では千の兵が蠢き、牙を砥ぎ、その時へと向かう。恐れはある、迷いもある、悔いもある。

 だが、行かねばならぬ。千の同胞が小さな砦に篭り、命を懸けて時を稼いでいる。それを見殺しにすることなどできようはずもない。彼らを救う、その一念が彼らを死地へと推し進める。

 もう止れはしない。すでに流れは勢いを増し、堰は既に切られた。後は行き着く場所まで流れるのみ、その中で何ができるか、彼等の前にはその問いが敢然と立ちはだかっていた。

 巨神暦、戦後百九十年、八の月の二つ目の週、三番目の日、後の世にラケダイモニアの夜戦といわれる戦、その三日前、戦は既に始まっていた。

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