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異世界の天下布武  作者: big bear
第一章、ある森よりの始まり
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1、あるいは似通った二人

 

 弥三郎は、自己の経験を古の書物を読み解くように眺めていた。


 石山、伊勢長島、長篠、岩村、信貴山、上月、甲州、そして二条御所。思えば二十三年、戦ばかりの生涯であったが、弥三郎に悔やむことなどなかった。


 親よりも早く逝く親不孝が心残りであるものの、主君に殉じたのだから責められはすまい。郷里の父は健在であるし、お家は弟が継げばよい。元より武門に生まれた身、畳の上で往生するような贅沢は望んでいない。むしろ、あの死に様は武人としての本懐だった。


 黄泉への先達となる覚悟はできている。武士とはそも常中座臥、死を忘れてはならぬもの。武運拙く討ち果てても、それも弓矢を取るものの倣いだ。

 裏切りを働いた明智日向への怒りはあるが、討ち死そのものに関しては恨むところはない。


 加えて言えば、過ぎ去った浮世のことより、黄泉への一番槍となることが今は肝要だ。行く先は地獄と決まっているのだから、後から来る主君のための露払いをしなければならない。


 鬼を相手に大立ち廻りというのまた一興。喜んで相務めるのが、真の武士と言うものだ。


「――――っ」


 幾度いくどかの反芻を経て、弥三郎は目を覚ました。

 最初に目にしたのは、血の池でもなければ針の山でもなく、背の低い木造りの天井だった。


 地獄にしては静か過ぎると、そんな疑問を感じる余裕すらあった。

 仏門の僧の語るそれや、絵巻に伝わるものとはあまりにも違いすぎる。

 かといって人斬りが本分たる武士であり、さりとて仏門に特別帰依したわけでもない我が身が極楽に逝く道理など何処にもないと、弥三郎は考えていた。


  とすると、ここは何処(いずこ)か、という根本的な疑問が残る。


「……面妖な」


 霞掛かった視界のまま周囲を観察する。目にするものは全て、弥三郎にとっては未知のものばかりだった。


 まず狭い。

 人一人がどうにか生活できる程度の広さしかない。民百姓の住まいとてこれほど狭くはない。


 天井から吊り下げられたるは燭台と思しきものだ。壁にはなにやら見慣れぬ鉄器が掛けられている。


 らしくもなく心が乱れている。腸が腹からまろび出ても動揺することなかった弥三郎だが、目の前の光景の奇怪さに不覚を取っていた。


「南蛮、か? しかし……」


 経験を摺り合わせ、不完全ながら答えを導き出す。

 机と思しき小さな台の上に置かれた木の杯の形が、南蛮渡来の硝子(ギヤマン)の杯に似ていたからだ。


 しかし、南蛮であったとして、日ノ本で死したはずの自分がどうしてここにいるのかまるで説明がつかない。堂々巡りになるばかりだ。


「――ぬっ」


 身体を起こそうとして、痛みにうめいた。

 直ぐにでも起き上がりたいが、身体は金縛りにあったように動かない。


 おまけに、ふんどし以外何も身に纏っていない。死ぬ前に身に付けていた黒漆の鎧兜も、腰に差していた村正もいまは手元にない。


「情けなや、丸腰の上、遅参とは……」


 そんな恥辱は我慢ならんと、歯を食いしばり、どうにか身体を引き起こす。

 未だに痛む左足を床に着き、立ち上がるため踏ん張るが、総身に力が入らない。寝台の上で力なく座り込むのが限度であった。


 無理に動いたせいか、傷口に巻かれていた布に血が滲んでいる。再び視界が霞み、座っていることすら、苦行のように感じられた。


 少なくとも極楽浄土ではあるまいと、弥三郎は笑う。極楽では一番槍の挙げようがないが、地獄かそれに類するものなれば手柄の取りようもあろうというものだと。

 ならばと、ふたたび意を決して立ち上がらんとしたところで、小さな扉が、大きな音で開いた。


 戸の向こうから表れたのは、珍妙な小鬼だった。


「――、―――――」 


「面妖な……」 


 緑色の小鬼は弥三郎には解せぬ言葉を発しながら、小屋の中を歩き回る。


 地獄の極卒にしては、毒気を抜かれるほどに小柄で、肌の色も緑だ。恐ろしいというよりは、愛らしい。


「……なあ、小鬼よ。そなた真に餓鬼の類か? 伝え聞くのとは随分と違うが……」


「――、――」


 地獄の極卒ではないだろうから、賽の河原の餓鬼かと暢気に問いかける弥三郎。完全に毒気を抜かれていた。


 弥三郎が見物している間も、小鬼はいそいそと動き回っている。

 手に持った草花を鉢で摺り、火に掛け、何事かを口ずさむ。その意味を弥三郎にはとんと理解することができなかった。


「……ふむ、困ったのう。それがし、日の本の言葉しか喋れぬぞ」


「――――!」


 会話が成立しないのは、言葉が違うからだと結論付ける。

 実際それは間違っていない。弥三郎は言うに及ばす、彼女も弥三郎の言葉を解してはいない。これでは会話を成り立たせる以前の問題だ。


 しかしながら、言葉は千差万別でも行動に現われる態度は万国共通。言葉は解せずとも、目の前の小鬼の真剣さは、その剣幕から明らかだった。

 ゆえに、弥三郎も言葉を慎む。なんであれ、真摯な態度に不真面目に臨むのは武士の行いではない。


 そうして、すぐに小鬼は作業を終え、弥三郎に杯を差し出した。


「――――。――」


「……これを呑めと?」


 小鬼はゆっくりと頷いた。弥三郎は杯を慎重に受け取る。


 南蛮風の杯に注がれているのは、薄緑色の液体。先程まで目の前で、摺り合わせていた草花の汁だ。


「薬湯の類……か? しかし、何故小鬼のそなたが薬を遣わす、妙な話よな」


 奇妙な状況を前に流石の弥三郎も逡巡した。

 ここまで堂々と毒を盛られるとも思えないが、警戒は当然のことだ。


「――――ッ」


 逡巡の理由に気付いてか、気付かずか、小鬼は弥三郎の目の前で杯の中身を含んでみせる。毒の類ではないとその身をもって証明したのだ。


「…………あいわかった。そこまでされれば引き下がるわけにはいくまい」


 その姿を見て、弥三郎は腹を決めた。ここで臆するは武士の名折れと、杯をむんずともぎ取り、一息で飲み干した。


「ぐっ、こは……」


 口に含んだ瞬間、強烈な臭いが鼻を突く。舌が痺れるほどの酸味以外、他のどんな味も感じられない。


 喉が引きつけ、吐き出すことも叶わない。飲み切る以外に苦しみから逃れる術がなかった。

 杯の中身は泥のようでゆっくりとしか喉を進んでくれなかった。


 鉛のような泥が臓腑にどんと圧し掛かった。しかし、それっきり痺れも感じず、苦しさも痛みを襲ってはこない。むしろ、なにやら快調になったかのようにも感ぜられる。霞掛かった頭が晴れ、腹の痛みも消えた。


「……毒ではなかったか。しかし、凄まじい味であった。小鬼よ、何故このようなものを飲ませた?」


「………………小鬼(ゴブリン)じゃない」


 文句のように呟いた言に、思わぬ答えが返ってきた

  良く見れば小鬼かとも思ったその人物は年端もいかぬ少女。僅かに見える栗色の髪と白い肌は弥三郎にここがどこであるかを確信させた。


「そのほう、言葉を解するのか!? なんと不可思議な……」


 一瞬の静寂のあと、弥三郎が声を上げる。彼自身に異国の言葉を口にしていると言う自覚は一切なかった。


「……違う。貴方がしゃべれるようになっただけ」


「もしや先程の苦物か……? なんとも珍奇な、南蛮にはそのような薬もあるのか……これは殿と上様に良い土産となろう……」


「……そう。いいから、動かないで」


 仰天せんばかりの弥三郎を一瞥して、森の魔女は冷めた口調でそういった。


 弥三郎が自分の身に何が起こったのかを理解できていないとしても、言葉が通じればそれで大した支障はない。


 彼女にとって、言葉を変質させる程度の呪いはそう難しいことではない。傷を治したり、火を起こしたりするよりは負担も軽い。

 元々彼女の一族は言霊を使うことに長けていたのだ。材料さえ揃っていれば、この程度の秘蹟は片手間でも行える


 大事なのは折角塞いだ傷が開くか開かないかのみだ。開けば、また命懸けの施術を施さねばならない。


「では小鬼よ、これもそなたの仕業か?」


 腹に巻かれた布を指して、弥三郎が問いを発した。


 身体の調子を確かめるように関節を動かしては満足げに頷いている。まだ褌一丁という出で立ちだが、意気軒昂、心中ではすでに甲冑を纏い、太刀を帯びていた。


「だから、小鬼じゃない。折角塞いだ傷が開くから動かないで」


 すでに話を聞いていないのか聞いているのか分からない弥三郎に若干苛つきながら、魔女は薬を整える。


 彼を救ったのはそれが義務だからであり、それ以上の意味は一切ない。掟に従って、目の前で死に掛けた生き物がいたから助けただけだ。

 そこまでに掛かった労力は並みのものではないが、それも仕事の内と弁えていた。


「それは礼を申さねばならぬな。(ハラワタ)を晒したままでは不便だと思うておったが、おかげで心置きなく戦える……」


 そう勝手に結論付けると、弥三郎はすくっと立ち上がる。

 自分に都合のよい部分しか耳に入っておらず、意気揚々と駆け出さんばかりだ。腹の布は朱に染まっているが、気に停めてもいない。


 幸か不幸か、先程の薬が効きすぎている。自らの傷の具合をも把握できていない。


「……もういい、『動くな』」


「ぬっ、く、なんだ、動かぬぞ……」


 彼女が詞を唱えると、弥三郎は指一本動かすこともできなくなった。そのまま倒れこむように背後の寝台に座り込むことになった。

 怪力無双とはいかぬものの、剛力の範疇に数えられた弥三郎が人形のように操られていた。


「おのれ、小鬼め! 某をなんと心得る! 織田家家中のものに手を出したのだ、どうなるか判っていような……!」


「判らないし、そのオダケとかいうのも知らないし、私は小鬼じゃない。いいから、話を聞いて」


 油断なく詞で弥三郎の動きを制止しながら、油断なく彼女は近づいていく。


 詞での制圧自体は簡単だったが、拘束に対する抵抗が怪我人のそれとは思えないほどに強い。少しでも語調を緩めれば、簡単に振りほどかれる。



「話だと? ではまずこの戒めを解かれよ、そのあと貴様の首と話をつけてくれん」


「貴方がどうしようと勝手だけど、救った命を無駄に使われるわけにはいかない。傷が治るまでの間は……私の領分」


 殺気をむき出しにする弥三郎にしかと向かい合う。戒めを解いたあとどうなるかは考えない。


 掟を守るのが最優先。自分の命など二の次、三の次だ。


 自分の命を勘定に入れない、という点では弥三郎と森の魔女は似た者同士と言えた。

どうも、みなさん、big bearです。

今回から本編です。暇な年末年始のうちにもう一つはあげたいですなあ……(おい

では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。

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