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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第三章、王国大乱
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35、あるいは選択のとき

「――ラケダイモニアへと続く山道には抜け道がございます」

 

 周囲が静まるのを待ってから、グスタブはその報を口にした。これまで温めてきた策は、弥三郎の口にした出陣という提案に確かな中身を持たせた。

 山道の抜け道。地図上では、ヴァレルガナ領の端から、ラケダイモニアの砦までは山道ではあるものの、一本道、その一本道の先に広がる台地にラケダイモニアの砦はそびえている。高地であるが故に、タイタニア側から迫る軍勢であれ、ヴァレルガナからの援軍であれ、その行軍、陣容を丸裸にすることができる。

 それは、国境を守る砦としては最適のもの。その最適が今となっては仇となる。急使によれば既に砦は取り囲まれている、つまり敵からもこちらの接近は容易に把握されてしまう。

 このまま挑みかかれば、地の利も数の利も劣ったまま、タイタニアという難敵と戦うことになる。それでは、どれほど天運に恵まれていようとも勝てる道理は一縷もない。

 それを知るが故に、重臣たちは、そのほとんどは、ラケダイモニアの救出に反対していた。

 だが、グスタブの言上した抜け道、それが本当に実在しているのなら、それを打開するこれ以上ない策となりうる。もし知られず、山を抜け、砦に辿り着く道が本当に実在するのならそれは最後の希望だ。

 重臣たちも、息を呑んでグスタブの言葉を待つ。この城の運命は彼の持つ情報、その信憑性と正確さに掛かっているといっても過言ではなかった。

 

「古くは、嘗てのロストロモ公がその抜け道を使ったと、そう書物に記されております。それによれば、山の麓、すなわちラケダイモニアの砦の裏側に抜けるとのことでござりますれば」


「――ふむ、かのロストロモ公か」


 アルカイオス王国の興る前、嘗てこの地を支配したものたちもその抜け道を使ったと、グスタブは口にした。それだけではない、ロストロモ公は少ない手勢で持ってこの地を守り通した無双の勇士。その勇士が使った抜け道となれば信用できる。少なくとも、騎士達にとっては信ずるに値するものだ。


「私自身の目で確かめてはおりませんが、すでに土地のものにあたりはつけています。そのものによれば道幅は中々に広く、少数ならば問題なく行軍は可能、その上砦の北側に続いておるとのこと。上手くすれば、砦の者達を逃がすこともできましょう」


 今度こそ、議場が沸いた。先程のような怒りではなく、漸く見えた活に彼らは歓喜の声を挙げた。見捨てるほかないと、打って出ることなど適わないと、そう諦めかけたところへのこのグスタブの策、彼らが湧くのも無理はない。

 

「しかし、抜け道があるとはいえ、無謀に過ぎましょう。定かではないものに縋って、全軍を危機に晒すわけにはいきませぬ。よしんば、敵の背後をつけたとしても多勢に無勢、二千に満たぬ我らでは三万の軍勢にはとても……」


 それでも、異論を唱えるものはいる。臆病ゆえに、そう言っているのではない、彼等には彼等なりの道理があって出陣に否と唱えているのだ。

 如何に、グスタブ卿の策とはいえ不確かな情報に命運を託すわけにはいかない。


「確かに無謀ではあることはそのほうの申すとおりだ。だが、このままこの城に篭ればお客人の申されたとおり、この城は内部から割れることとなろう。ラケダイモニアを、ロエスレラ卿らを救わずして我らに活路はないのだ。血を流す事を厭い、国が滅んではもともこもあるまいて」


 血を流さないために、血を流す。一見矛盾しているようにも思えるが、戦においてはその限りではない。少数の犠牲で、全体を救うことができるのなら、それは許容しなければならない。

 篭城であれ、出陣であれ、どちらにしても道理はある。あとはどちらを選ぶか。その決断を下すのは、兵ではなく将、この場に集った騎士達、傭兵隊長たち、そして、城主たるアレンソナに他ならない。


「――アレクセイ、そなたはどう考える? 存念を申してみよ」


「わ、私ですか……私は……」


 突然答えを求められ、アレクセイは口ごもる。出陣すべきか、否か、その間で彼の心は揺れていた。

 今は父が当主ではあるが、近い将来、彼はこのような決断を幾度となく迫られることとなる。だが、彼には未だその準備は整っていない。清濁併せ呑むだけの器量と強かさを身につけることはできないでいた。


「わしの心は決まっておる。だが、倅よ、そなたが決めねばならん。そなたが命じなければならんのだ、それが当主というもの、それが将よ。今、此処で、覚悟を決めよ」


「わ、私は此度の戦…………」


 だからこそ、ここで変わらなければならない。辺境伯が采配を振るうことができるのはこの戦が最後。これから先、迫る国難を前にヴァレルガナを率いるのはアレクセイだ。若さや、未熟さを言い訳になどしてはいられない。

 今此処で代理ではなく当主として、個人ではなく将として、決断を下す。そうでなければ、この先の苦難を越えることなど到底できはしない。


「……私は――」


 八の月の二つ目の週、二番目の日、アウトノイア城での軍議は、アレクセイ・フォン・ヴァレルガナのその言葉にて決着をみた。

 その決断こそが、後の世におけるヴァレルガナ辺境伯家の位置づけ、ひいてはアルカイオスの王国の運命を大きく左右することになるのだった。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 明けて、二つ目の週、三番目の日、その日のことはヴァレルガナ辺境伯家の公式書簡に残されている。その書には短く事実のみがしるされているのみではあるが、実際はその前日、ラケダイモニアの窮地が明らかとなり、かの軍議の行われたその日よりもなお騒がしいものであった。

 結局のところ、謁見の間にて行われた軍議は日が明ける直前まで続き、その結果が城中に達せられるまではさらに数刻を要した。

 方針が決せられたとはいえ、軍議においては細かな陣立てや兵站の確保、その他諸々も決定される。戦全体の流れから兵の槍の振り方まで、全てを定めるまでは軍議は終わらない。特に、このような大戦を前にしておよそ半日だけの軍議というは短くすらあるだろう。

 軍議の結果、陣立ての発布は、若きアレクセイ・フォン・ヴァレルガナ、御自らによって行われた。小間使いから傭兵達、軍議に参加していなかった末端の騎士たちまでもが、大広間に集められ、その言葉に耳を傾けることとなったのだ。

 その場には、城の姫、ユスティーツァ・フォン・ヴァレルガナも同席した。当然、仮初とはいえその従者、アイラもその場に居合わせていた。

 そして、森の魔女、アンナリーゼ・クレイオネス・シビュラネアもまた、そこにいた。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 少しやつれた顔に緊張を浮かべて、アレクセイは現れた。父が病に倒れてから、幾度となく代わりに公務を担ってきたが、このような大事を任されたのはこれが初めて。ここ二日まともに食事を取っていないのに、胃の中身がひっくり返るようだった。

 大広間の階段の上から、集った者たちを見下ろす。城にいるほぼすべての人間がこの場に揃っている。彼を見上げる顔は老若男女様々、期待や不安が綯い交ぜになった瞳は全て、書状を携えたアレクセイへと向けられていた。

 足が竦むようだ。どれだけ才があっても、彼は二十そこらの若者に過ぎない。これほどの視線に晒されたことなど今の今まで一度としてなかった。

 助けを求めるように周囲に目を向けても、その場に控えるのは様子のおかしな妹、見覚えのない侍女二人。ヴァレルガナの嫡子として女子に助けを求めることなどできない。震える足を叱咤し、なけなしの勇気を振り絞るのが、唯一の策だ。


「――我、アレクセイ・フォン・ヴァレルガナの名を持って命を下す」


 大きく息を吸い込んで、一息に言い切る。その詞に応えるように、眼下のモノ達が息を呑む。

 その様子を目の前にすると、言いようのない高揚感が湧いてくる。広間に揃った数百人からの群集に命を下す、その実感に頭が痺れるような快感を感じる。今までに味わった如何なる感覚とも違う、群集団を手足のように扱う全能感をアレクセイは覚えていた。

 だが、いつまでもそれに酔っているわけにはいかない。優秀な将とは、感情に身を任せるのではなく、支配し、操るもの。熱に浮かされていては、何時までも青いままだ。このうねりを支配しなければならない。


「此度の戦は篭城と相成った!!」


 ついに下された命に、歓声が上がることはない。篭城となるであろうことは、秘しても秘し切れなかった。戦の道理を知らない使用人達にも、目先の利益しか見えていない末端の傭兵達でもその位は考えが及ぶ。敵はかのタイタニア、野戦で勝ち目などあろうはずがない。

 しかし、それはあくまで道理。ラケダイモニアの砦が、危機にあることは彼らにも知られている。篭城するとは、それを見殺しにすることに他ならない。

 道理の上では、そうするしかないと理解していても、同胞を見殺すことを感情で受け入れることは難しい。特に実際に戦う兵達にとっては明日は我が身とも限らない、納得するほうが難しい。

 それはおそらく、タイタニアという難敵を前にしては致命的な綻びとなるだろう。

 そのことも、兵達の感情も、既に織り込み済みだ。


「――されど我らは決して同胞を見捨てず! 出陣の陣ぶれである、必ずやラケダイモニアの輩を救わん!!」


 声を、一層張り上げて、自らを鼓舞するように、アレクセイ・フォン・ヴァレルガナは初めての命を下した。

 篭城のための出陣、血を流すために血を流す、その矛盾を孕んだ解をアレクセイは選択した。すべきと思った事を成す、そのために彼はそうした。迷いはなく、後悔もない、幾度この時をやり直したとて、この選択をするだろう。

 この場、この命こそが、まぎれもなく彼にとって、後戻りのできない初陣であった。将として、ヴァレルガナの嫡子として、その在り方を決める日こそが、今日この日だったのだ。

 八の月、二つ目の週、三番目の日、その日、ヴァレルガナ辺境伯家の運命は決したのだった。


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