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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第三章、王国大乱
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34、あるいは己が故に

 ユスティーツァ・エル・ヴァレルガナはこれまでないほどに焦れていた。流石にはしたないとは思いながらも、ただ座ってるだけのことすら彼女にはできなかった。

 同じように城内を忙しそうにしている家臣も控えの間で焦れる彼女を目に留めると、憚りながらも振り返る。あのユスティーツァをこうして居室以外で見かけることもそうだが、それよりも、彼女が怒りとも焦りとも思える表情をはっきりと浮かべていることのほうがアウトノイア城の臣下たちには驚くべきことだった。

 周囲の人間の好奇と関心を引いても、急ぐだけの理由が彼女にはあった。

 謁見の間、今まさに軍議の行われているその場所のすぐ傍で彼女はその結果を待ちわびていた。女たる身ではいくら望んだところで、列席は許されない。いまほど、自身の生まれを呪ったことはないだろう。


「姫様、お部屋で待たれたほうが……」


「アイラ、それは言っても無駄。聞いてない」


 アイラの気遣う声も耳には入らない。もしもの事を考え、アイラと森の魔女も、控えの間での待機を許されていた。

 戦の趨勢や軍議の内容など彼女には分からないし、もし列席したところで足手纏いにしかならないことは重々承知している。彼女が列席を望む理由は偏に、病床から目覚めてすぐ軍議へと列席した父のため。

 もし発作が起きれば、直ぐにでも駆けつけることができるようこの隣の部屋ではなく、軍議の席にでも控えていたかった。

 目覚めたものの、辺境伯の病は完治したわけではない。命を蝕む龍の痣は未だにその牙を研いでいる、隙を見せれば直ぐにでも命を刈り取るだろう。

 本来ならば、動くことでさえも控えるべきなのに、ましてや軍議など言語道断だ。

 再三の制止、治癒を施した魔女だけでなく娘であるユスティーツァも必死で押し留めたものの、辺境伯はそれを押し切って軍議の場へと向かった。

 先ほどまで死に掛けていたとは思えないほどに悠然とした足取りと耐えがたい苦痛の後さえ残さない威厳に満ちた表情を讃えて彼は自らの在るべき場所へと戻ったのだ。

 それはある種、消えかけの蝋燭のようなもの。最期が近いと自ら知るからこそ、より一層に燃え上がる。その様は傍目には美しくもあり、それ以上に痛々しかった。

 本人がいかなる存念かはもはや関係ない。ユスティーツァはヴァレルガナの息女として、ただ一人の娘として、今すぐ父を連れ戻したかった。


「……っなにごとですか?」


「紛糾しているみたいですね……」


「…………みたい」


 思索に沈み込みそうになったユスティーツァを部屋越しにも分かる喧騒の音が引き戻す。

 さきほどまで不気味な静けさを漂わせていた軍議の場が俄かに熱を帯び始めていた。流石に詳細は聞き取れないが、歓声か怒号か、なんにせよなにか変化があったことには違いない。

 

「まさか……」


「……大丈夫。死の気配はしない」


「そ、そうですか……ならば良いのですが……」


 ユスティーツァの懸念をすぐさまアンナが否定する。擬似的にではあるものの、治療を施した段階で彼女と辺境伯の間には繋がりが生まれていた。なにか侯に異変があれば、真っ先に彼女に伝わる。謁見の間での騒動は彼の容態とは関係ない、それだけは確かだ。

 

「…………」


 だからといって、この壁の向こうで起こっていることが彼女に無関係であるとは限らない。辺境伯との曖昧な絆ではく、もう一つの確かな絆に異変を感じる。彼女の従者、下方弥三郎のみに何事か起こっているのをアンナは感じていた。

 この石の城と連日の治療で弱った力では目を借り受けることもできないし、それが吉事なのか凶事なのかも分からない。ただ何事かが起こっているということが分かるだけ。生半可に状況を掴んでいるだけに彼女の感じている恐怖は並々ならぬものがあった。

 

「魔女様、弥三郎様に何か……」


「……多分」


 気遣うようにアイラが声を掛ける。必死で取り繕い隠していても、彼女にはアンナの感じているものが理解できていた。それが客将として、軍議に列席しているヤサブロウに起因したものだということも彼女には察しがつく。


「……弥三郎様ならきっと大丈夫ですよ。村での戦の時だって、大手柄を上げて戻られたのですから、例え軍議でも……」


「……そう」


 続く励ましの言葉は自分にも向けられたもの。アイラとて、決して確信があるわけではない。この広い城で彼女の頼れるものは森の魔女とその従者しかいない、その逆もまた然りだ。ましてや今は、タイタニアとの戦という難事、乗り越えるためには自らを偽ってでも戦い続けなければならない。

 そのことはアンナとて理解している。弥三郎を信じてヴァレルガナに託した以上心配は無用なもの。彼が万全で戦えるよう背後を守るのが今の彼女の役目、後はそれに準ずる覚悟だけだ。


「……わかった。ここで待つ」


 覚悟を決めることは慣れている。森の魔女としてこれ以上無様は晒せない、信じて託したのだから疑うことはもうしない。己が従者を、弥三郎を信じてただ待つだけだ。

 彼女達の決意を他所に、壁一つ隔てた謁見の間はさらなる白熱を見せていく。切欠は一つの進言、まさしく下方弥三郎の言上した一つの策であった。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 彼の発言の間、軍議の場に静寂が訪れる。この場に居合わせた全ての人間が、この奇妙な客将がどのような策を述べるのかを固唾を呑んで見守っていた。


「――かの砦の救援、篭城のための布石としてまずはそれこそが肝要かと」


 その策に静まり返っていた場がふたたび騒がしくなる。漸くといった調子で弥三郎が口にしたのは一見、この場で決した篭城とはまるっきり逆行したもののように思えた。本意ではないものの、ラケダイモニアの砦を見捨てることは決まったことであった。それを今更、救援するなどと策ともいえないのではないか、そんな考えすら騎士達の脳裏に過ぎる。砦を見捨てることに反感を持つ若い騎士でもそうなのだから、中には所詮は蛮族かと、侮るものさえいただろう。

 だが、しかし、弥三郎の述べた策、その策が真に何を期したものなのか、それを理解することができる人間は確かにいる。


「――まずは打って出るべきだと、そなたは申すわけだな」


「は、畏れながらこの城の兵は寄せ集め。騎士殿や野武士衆、個々の武は疑うまでもござりませんが、ことは篭城。こうなると武とはまた別儀のことでござりますれば……」


 騎士達のざわめきを制し、弥三郎にそう問い掛けたのは辺境伯その人、それに応える弥三郎の態度もまた物怖じせずに堂々としたものだった。


「……篭城において最も恐るるべきは内から瓦解することに他ならず。この城がいかに堅固であろうとも、守る城方が四分五裂では戦になりませぬ」


「道理ではあるな。我が城は将は傑物揃いでも兵の鍛錬は足りておらん」


「その上、聞き及ぶかぎり此度の戦の相手は言わずと知れた難敵。兵の士気は否応にも下がりましょうや」


 弥三郎の言い挙げた事柄は何一つとして間違ってはいない。若く血気に逸った若い騎士達には見通せずとも、城の重臣たちはそのことは重々承知している。問題はその先、兵の士気を如何に盛り立て、場内を一枚岩にするかが策の真髄だ。


「憚りなく申し上げるに、砦の危機は城中に知られております。お味方の危機をただ見過ごしたとあっては如何なる策をもってしても兵の意気を盛り立てることはもはや適いません。敵方がどれほど精強であれ、砦に援軍を送ることが唯一の正道とお心得くださいませ」


 まさしく弥三郎の口上は正しい。道理に適った言上であるし、それを否定できるものはこの場には誰一人としていはいはしない。しかし、それはあくまで正道、正しいだけの理想論に過ぎない。


「――それは我等とて承知しておる。だが、相手はあのタイタニア。異国のものである貴公にはわからぬだろうが、ただの軍とは違うのだ。たた無謀に挑みかかるだけでは軍を失うだけ、それこそ元も子もない。ただ太鼓を打ち鳴らし、突撃すればいいだけの蛮族の戦とはわけが違うのだよ」

 

 最初に声を上げたのは古参の家老の一人たるオレルガナ卿だ。多少の嘲りと侮りがあっても、彼の言い分もまた正しい。現実を踏まえて考えるのなら、彼の言い分こそ軍議の場では支持されてしかるべきだろう。

 三万の軍勢、タイタニアの威名という現実はあまりに重たい。いくら弥三郎が正しくとも、その重たさの前には何の意味ももちはしない。


「敵が何者であれ、ただ篭城するは愚策。なにも野戦で敵を全て打ち倒すとは申しておりませぬ。砦の救うために出陣し、矛を交えることこそが肝要なのです」


「――あたら兵を減らすことこそ愚策ではないか! そもそもこの場にそなたの様な……」


「控えられよ! オレルガナ卿! この方は姫様の客人、この方への侮辱は姫様へのひいては大殿への侮辱となりますぞ!!」


 白熱しかけた卿をグスタブが制する。それだけ言われてはオレルガナ卿とて黙り込むしかない。彼とて、諍いを起こすためにこの場にいるわけではない、あくまでこのヴァレルガナへの忠義のために言葉を荒げたのだ。


「――客人よ。そなたは自ら血を流さねば十日の篭城ですら適わぬとそう申すわけだな?」


「……然り。そうでなくては将は兎も角、兵は付いて参りません。三万の軍勢に城を取り囲まれれば、必ずや城内で火が起こりましょうや」

 

 弥三郎の答えに今度こそ、議場が白熱した。弥三郎に怒号を上げるものもいれば、気まずそうに視線を伏せるものもいる。これほどまでの反応を呼ぶのは偏に、弥三郎の答えが紛れもない事実だからだ。誰もが目を背け口にしようとしなかったことであるからに他ならない。

 城内での裏切り、それは誰もが思い至る最悪の可能性。口にすることすら憚られるその未来を弥三郎はあえて口にした。

 この場に集ったものたちはヴァレルガナに仕える騎士かそれに雇われた傭兵である。身内に裏切りが出るかもしれないなどとは口が裂けても、言上できはしない。

 それに対して弥三郎はあくまで客将にすぎない。だからこそ、憚るようなことも口にすることができる。血を流すことを厭うなと、そう言上することができる。そうでなければならない、少なくとも弥三郎は自分に与えられた役目をそう解釈していた。

 その弥三郎の思惑通りというべきか、ともするとそれ以上に謁見の間の熱はさらなる激しさを帯びていく。もはや、軍議も何もありはしない。謁見の間は戦場と負けず劣らずの戦いの場となりかけていた。

 こうなると歳若いアレクセイは勿論の事、家老筆頭たるグスタブですら場を収めることは難しい。一度灯った火を消すのは容易なことではないのだ。

 

「――静まれい!!」


 そんな中、響いたのは炎を一掃する嵐のような一喝。とてもやせ衰え、死病に蝕まれた老人のものとは思えない、それほどの大音声だった。

 

「客人の申したのはまぎれもない真実! それを突きつけられたとて取り乱すなどそれでも誇り高きヴァレルガナの騎士か!!」


 続く一声に、騎士達はすぐさま佇まいを直す。戦いの熱に呑まれかけても、彼らにとって辺境伯の号令は何よりも優先すべきこと。疎かにすることは何があってもできない。

 凄然となっていた軍議の場に、再び秩序と静けさが戻ってくる。弥三郎の進言は真実であったものの、それ以上の意味を持つことはできなかったのだ。閉塞した事態を開く策はまだ現れていなかった。


「――大殿、このグスタブより重ねて言上仕る」


 沈黙を破ってヴァレルガナの懐刀、この場随一の知恵者が漸く口を開く。弥三郎の言上を魁として、彼は秘策を作り上げた。彼がこの場で口にした策こそが、後の歴史に大きな影響を及ぼすこととなる、一世一代の策であった。




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