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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第三章、王国大乱
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32、あるいは忠義ゆえに

 

 結果としてヴァレルガナ辺境伯家は手痛い出費を被ることになった。城下に留まっていた傭兵をその手腕に関わらず掻き集め、志願するものは子供や老人までもを徴用したのだからそれも当然だろう。今回の一件で三つある蔵のうち、二つを空にした。

 その甲斐あってか、城の防備は驚くほど早く整った。騎士団と傭兵、そして志願兵、三つを合わせて千五百人。堅城として知られるアウトノイアに籠もるのなら、この人数でも充分な戦力といえる。相手がかのタイタニアの大軍勢だとしても数ヶ月、いや半年でも持ち堪えるだけの備えがアウトノイアの城にはあった。現状としては理想とも言える条件がそろっていた。

 城の大広間では、集められた傭兵達と志願兵が命を受けるべく、所狭しと犇いていた。緊張というよりはもはや殺気だった五百名以上が一つところに集う、城全体がその空気に呑まれているようだった。


「――こうして揃うと中々に壮観よな。寄せ集めとはいえ侮れん」


 その軍勢を見下ろしながら、弥三郎はそう漏らした。かつて故郷で数万の軍勢を目にしてきた彼にとっても、この群集団には目を見張るものがあった。しかも、これほどの数が半日足らずで集められたのだというのだから、驚嘆にも値する。

 既に日も暮れ、あとはその時を待つのみ、戦は直ぐそこに迫っていた。


「――旦那」


「ロベルトか、如何した?」


「……いや、落ちつかねえだけだ」


 どうにも疲れた様子のロベルトが背後から声を掛けてくる。戦場の空気には慣れているが、格式ばったこの城はただそこにいるだけで、ある種の息苦しさがあった。

 彼もまたあの広場で仕事を請けた傭兵の一人だ。声を掛けたのは当然弥三郎その人、彼等の実力を見込んだ上でのことだった。


「しかし、旦那、あんたとここで会うとはな。さすがに驚いたぜ」


「それはこちらもだ。その方らが城下に居るとは思いもせなんだ」

 

 再会してからは事はトントン拍子に進んだものの、あの広場での再会それ自体は両者にとって全くの予想外だった。まさか、ヴァレルガナの使者を伴って弥三郎が現れるなど、ロベルトも弥三郎自身でさえも思いもよらなかったことだ。


「しかも、少し見ない間にヴァレルガナの客将とはな…………一体どんな手を使ったんだ?」


「それについては某の口からはなんとも言えん。任ぜられた以上は力は尽くすがな」


 背に掛かった獅子の紋章のマントの示す通り、いまの弥三郎はヴァレルガナ家の食客の身分となっている。それは即ち、ただの異民族、ただの平民ではなく、騎士公としての位を持つことに他ならない。ネモフィ村で別れてより七日足らず、出世というにはあまりにも早過ぎる。

 

「そりゃまあ、律儀なことで」

 

「大したことではない。義を見てざるは、というだけのことだ」


 実際とのころ、弥三郎としてもいまだ状況を掌握できているとは言い難い。それらしく振舞ってはみせているものの、内心では困惑と高揚が入り混じっていた。

 城代たるグスタブ直々の頼み、それこそが弥三郎が獅子の外套マントを羽織ることになった直接の原因だ。

 客将として力を貸して欲しい、それが彼の頼みだった。無論彼とて、氏も素性も知れぬ異民族を客将として迎えることに抵抗がなかったわけではない。

 しかし、そんなどこの馬の骨とも知れぬ人物の力を借りねばならないほど状況を切迫している、少なくともグスタブ卿はその事を確信していた。

 ならば、素性は如何に怪しくとも実力の確かで胆力もある歴戦の士を遊ばせておくわけにはいかない。それが恩人に対する信義に掛ける行為だったとしても城を任された城代として、すべき事をする。たとえ、配信だと後ろ指を差されても御家のために身を砕く事を厭いはしない。


「魔女殿はどこに? 一緒にいると思ってたんだが……」


「上だ。巫女殿も巫女殿で為すべきことがあられる」


 そのグスタブの覚悟を察せられぬ弥三郎ではない。国は違えど、同じく忠義に生きたものとして、彼の決意が並々ならぬものだということはわが身のことのように解せられる。だからこそ、前代未聞ともいえるグスタブの頼みを承服したのだ。

 けれども、それ以上に弥三郎には重んじるべきことがある。常に最優先とするべきは主たるアンナ、どれだけ後ろ髪を引かれようとも彼女の望みに適わないのならば、辞退するのが筋だ。客将としての任を受けたのも、彼女がこの城に留まる事を選んだからにほかならない。


「…………」


「どうしたよ、旦那。あんたらしくないな」


 その彼女の選択こそが弥三郎の困惑の源だ。契約の繋がりを通して、感ぜられる彼女の心は確かにこの城を去り、故郷の森へと帰る事を望んでいた。

 彼女はこの城に残る口実として、辺境伯の治療をせねばらならぬ、と口にした。それが偽りであることは、弥三郎だけが理解している。すでに森の魔女としてできうる限りのことをした、もうできることはないと、彼女の自身の口からそう聞かされたからだ。

 義理は果たしている、ネモフィ村でユスティーツァと交わした約束は既に果たされているのだ。この城に留まる理由はない。あの時の城代の提案を受けることこそアンナの望みを沿うことだ。考えもつかなかったとはいえ、戦を避けることが彼女のためになることは弥三郎としても理解している。不服などあろうはずもない。

 だというのに、彼女は城に留まる事を選んだ。あまつさえ、二の足を踏んだ弥三郎にグスタブの頼みを受けるよう口添えさえした。

 それが弥三郎には解せない。彼女が自らの信念を曲げ、嘘をついてまでこの城に残ろうとた理由が何度考えても理解できなかった。それが困惑の元、繋がりから感ぜられるものと現実のアンナの行為がどうしようもなく乖離していた。今まで一度も疑うことのなかった主の行為に、ここにいたって弥三郎は戸惑いを感じていた。


「……そろそろ頃合か。ロベルト、上に参るぞ」


「――あいよ。よろしく頼むぜ、客将殿」


 未だ心は晴れずとも、今するべきことははっきりとしている。まずは軍議、ロベルトは一傭兵団の長として、弥三郎はヴァレルガナの客将として出席しなくてはならない。それがたとえ、大将を欠いた形ばかりのものだったとしてもだ。

 城の階段をゆっくりと上がり、一歩ごとに自らを将へと造りかえていく。この地へと、至る前、かの織田家の一員として過ごしてきたころの己へと立ち戻るのだ。これからは戦、迷いも情も抱えていては勝つことなどできはしないのだから。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


「……魔女様、何かお手伝いすることはありますか?」


「ない。大丈夫、私一人でできるから」


 心配げなアイラを退け、アンナは一人で治療を続ける。簡易の痛み止め、せめて眠りが安らかであるようにと、祈りと薬を捧げる。場当たりで大した効能も望めない、施術しないよりはいいという程度のものだが、それでも彼女にはそれをしなければならない理由が彼女にはあった。


「少し……冷えませんか? アイラさん」


「は、はい、少しだけ……」


「……我慢して」


 完全に締め切っていた辺境伯の居室は、昨日とは打って変わって窓は開け放たれ、ひんやりとした夜風が通り抜けている。侯自身の体のためというのもあるが、それ以上に締め切った環境よりもこうした開けた空間のほうが彼女には都合がいい。風も、月も、力を得るための寄り代はできる限り多いほうがいい。

 八の月の二つ目の週、二番目の日、その夜、森の魔女、アンナリーゼ・クレイオネス・シビュラネアはヴァレルガナ辺境伯の居室に彼女はいた。

 彼女とて、辺境伯の治療を完全に諦めたわけではない。彼を偽りのだしにした後ろめたさもある、今更かもしれないが森の魔女としての掟に準ずるという気持ちも当然ある。だが、それだけではない。一人の人間として、彼を助けたいと彼女は思い始めていた。

 

「……魔女様、父上は何時お目覚めになりましょうや?」


「…………わからない」


 せかすように尋ねられても、彼女にも答えは出せない。昨日の治療でとりあえず差し迫った死を遠ざけたのものの、追いつかれる前に深い眠りから目覚めるかどうかは辺境伯自身に掛かっている。彼自身が目覚める事を選び、それを為せるだけの素養が揃っていれば自然と眠りは終わるが、そうでなければ永遠にまどろみの中に沈むことになる。

 選択肢を選べるように辺境伯を援けることはできても、答えを決めることは彼女にはできない。そも彼女の在り方として、誰かの選択を歪めることは許されてはいないのだ。


「……アイラ、そこのをとって」


「は、はい」


 手伝いを買って出たアイラに指示を飛ばしながら、手は休めない。アイラにできることは少ないが、それでも彼女がいなければできないことがある。実際のところ、この城において弥三郎以外に真の意味で森の魔女を助けることができるのはアイラただ一人だ。


「どうぞ、魔女様」


「……うん。それと、あの……」


「どうかされましたか?」


「いや、なんでもない……」


 続く言葉、本当に口にすべき詞を口にすることができない。詫びるべき相手がいるのならそれは弥三郎でも辺境伯でもない、目の前にいるアイラその人だろう。

 アンナが嘘をついてこの城に留まる事を選ばなければ、彼女は戦に巻き込まれることはなかった。平穏無事に故郷に帰ることができた。言うなれば彼女は、アンナの偽りに巻き込まれることになったのだ。

 だというのに、言うべき言葉を口にする事に彼女は怯えていた。後ろめたさが逡巡を生み、逡巡は恐怖へと姿を変える。一つの恐怖は別の恐怖と交じり合い、正体の見えないなにかが生まれゆく。制御のできないそれは、常に傍らにあって自我を蝕んでいく。彼女の心中はこれまでに無いほどに千路に乱れている。森を出て生まれたそれ、感情とも言うべきそれは未曾有の敵へと成長していた。


「――姫様! 姫様は居られますか!」


 それに対処する時間は今はない。おおよそこの場所には似つかわしくない大声を上げながら、侍女の一人が部屋に飛び込んでくる。騒がしさを咎める間すらない、彼女の顔には確かな深刻さが刻まれていた。

 ヴァレルガナの後継者、アレクセイ・フォン・ヴァレルガナの帰還。その出来事は、彼女達の運命にもまた大きな影響を及ぼすことになるのだった。





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