31、あるいは再会と共に
若い騎士の案内に任せて城内を進むと、城の中枢、謁見の間へと辿り着いた。次から次へと、矢継ぎ早に人が行き来しており、この城を包んでいる忙しなさをこの場所に集約したかのようだった。
それだけではない、城全体の空気そのものが時を追うごとに、少しづつ重くなっていくような感さえある。戦がそれ自体が、現実味を帯びてきていた。
「――おお、お二方、いらっしゃいましたか」
「――城代殿」
「俺も来てるんだがな」
老体に鞭打ってというよりは、水を得た魚と形容すべきだろう。喧騒の中心、絶え間なく指示を飛ばしながらも、城代たるグスタブ卿はどこか活き活きとしていた。
「ヴァンホルト、お前はそこで待っておれ。――みなのもの、少しの間人払いだ、外してくれたまえ」
「は、はあ」
城代の命令に異を唱えるものなどいるはずもなく、困惑しながらも、供の者達は謁見の間から揃って退出していく。
「さて、魔女殿、従者殿、改めてお二方にお話があるのです」
「――――っ」
全員が退出し、謁見の間にいる人間が魔女の主従と自らの甥だけになったのを確認してから、グスタブ卿は重々しく口を開いた。
瞬間、僅かながらだが弥三郎が警戒の色を滲ませる。無理もないだろう、彼と彼の主はこの場所においては異邦者でしかない。何の後ろ盾もなければ、誰の助けも望めないのだ。こういった場面に遭遇して気を張るなというほうが難しい。
「ヴァンホルト、控えよ。従者殿も心中察するが落ち着かれよ。我らは恩人に剣を向けるほど、恥知らずではない。わかっていただけるな?」
「――失礼致した」
僅かな殺気に応じて、思わず柄に手を掛けたヴァンホルトを制して、グスタブは弥三郎をそう諭す。彼の言葉には二人の若い武者に有無を言わせないだけの威厳と迫力が備わっていた。
「話というのは他でもない。従者殿にお伝えしたとおり、戦はとなります。この城にも遠からず敵が及びましょう、その前にお二人には城を脱していただきたいのです」
「……城を脱する?」
困惑したような声を上げたのは弥三郎だった。
戦の起こる前に主を連れて城を去る、そんな単純なことが思い浮かびもしなかった。いつの間にかこの城での戦を自らのものとして捉えていたのか、それとも単に戦の高揚に我を忘れていたのか、逃げて森へと帰るその選択肢が頭から消え失せていた。
その事を反芻する間すらなく、グスタブは話を続けていく。覆い隠された動揺に気づいたのは隣に立つアンナただ一人だった。
「左様。これは我らの戦、我らアルカイオス、ヴァレルガナの戦です。お客人たちにはなんら関係のないもの、巻き込むのはあまりに忍びない」
「だが、叔父上、道中はどうするんだ? 戦が始まれば南への道も危なくなる、帰りに襲われたんじゃそれこそ忍びないだろう」
「当然、こっちで護衛をつける。きちんと客人を送り届けるくらいはせんとな」
「そりゃそうだ、うちの部下を付ければいいな」
とんとん拍子で話は進む。異論を差し挟む余地さえない、二人には貴重な戦力を割いてでも、無事魔女の主従をネモフィ村に送り届ける義務がある。遠い地よりやってきた辺境伯の恩人に傷一つでも負わせれば、ヴァレルガナの騎士としての面子はもちろんのこと、個人としての誇りにもかかわる。一見無駄のように思えても、それだけの事をする意味が彼らにはあるのだ。
「――待って」
「魔女殿、如何なされた?」
決定事項のように話を進めていく二人に、待ったをかけたのはアンナだった。
彼らに彼女達を逃がす理由があるように、彼女にもここに残るだけの理由があった。例えそれが間違っていても今の彼女はそうする必要があった。
「…………まだここから離れるわけにはいかない」
「――しかし、魔女殿……」
「まだ卿の治療が済んでない。完璧に治すなら、まだ時間が欲しい」
詞を紡ぎながらも、自らの欺瞞に嫌気が差す。
昨夜、もはや打つ手はないと諦めたのは誰だったか。その自分が今更時間を掛けてなにをするというのだ、あの死を待つことしかできない老人にこれ以上何をしてやれるというのか。
だからこれは、方便に過ぎない。辛くとも、堪らずとも、この城に留まるための嘘でしかない。城を出て戦から逃れれば、胸の底に感じている蝕まれるような不安も恐怖も消える、森へと帰れば失った力を取り戻すこともできる。それは分かっている、ここにいることそれ自体が間違いであることは重々承知しているのだ。自らの選択が、これまでの彼女自身を否定することに他ならないことも。
「では、今は帰られてまた後日いらっしゃるというのは……」
「それは駄目。今のうちにやっておかないと意味がなくなる」
「……ぬう、それは困りましたな」
「……とにかくまだここに残る。それが貴方達と私達のため。いいでしょ?」
「巫女殿がそう仰るのなら、弥三郎めは何処までも」
そうして彼女は偽りと苦難を選んだ。それは己のためであり、なによりも隣に立つ従者ためであった。
いや、ただ単に自らの業ゆえかもしれない。森へと帰れば、彼がいなくなってしまうような、この場所こそが彼のいるべき場所のようなそんな予感が彼女を突き動かしていた。それをなんと名づけるべきなのか、彼女はまだ知らなかった。
「……そういうことでしたら一つだけ、一つだけお頼みしたいことがあります」
魔女がどうあっても引き下がらないことを解すると、グスタブは重々しくそう口にした。できうることなら、こんな恥知らずなことは言いたくなどない。
だが、それでも彼はこの城を任された城代だ。いまは国の存亡の掛かった一大事、この状況で使える戦力を遊ばせておくわけにいかない。彼女が嘘をつく事を良しとしたように、恥を忍んで、泥を被り、茨を踏み越えることになったとしても、するべきことが彼にはあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼らがアウトノイアの城下町へと辿り着いたのは狼煙台に火の灯ったその日の夕方のことだった。夜になり、城門が閉鎖され、何もかもを締め出すその直前だった。少しでも遅れていれば、アウトノイアを目の前にしてすごすごと引き返すことになっただろう。
当然、城下を満たす張り詰めた空気には驚かされたが、推薦状を示せば割とすんなりと街に入ることができた。
彼らがイルンラトの狼煙台に火が上がったということを知ったのは、それから直ぐ後のことだった。城下の何処を見ても、暗く陰鬱な雰囲気が漂い、息の詰まるような緊迫感に誰もが落ち着いてはいられなかった。正しく戦の前夜、なにもかもが浮き足立っていた。
しかし、彼等の生業を考えればそれはむしろ歓迎すべきこと。それが何処の国との戦であれ、戦であるのなら傭兵たる彼らの独壇場だ。
彼等、アラストリア傭兵団もまたその場所に居合わせていた。
魔女の主従、アンナと弥三郎がネモフィ村を発ってから二日後、傭兵団は彼等の後を追うようにして第二の故郷ともいえる村を出発した。
巷を騒がしていた賊を退治したのだから、次の仕事を求めて街へと向かうのは当然のことといえるだろう。村長や村人達には留まるよう求められたが、丁寧に断った。如何に居心地がよくても、あの村に留まり続けるわけにはいかなかった。
あのまま暖かさに身を任せてしまっていてはいずれ本分を忘れてしまう。彼らは傭兵、傭兵である以上一つところに留まることはできない。街から街へ、戦場から戦場へと流浪するのが傭兵の性。それを忘れてしまってはもはや彼らは彼らではなくなってしまうのだから。
「――しかし、城についてそうそう戦とは…………あまりにお誂え向けだな」
「ああ、無理を言って村を出発した甲斐があった。推薦状もあるし手柄を立てる機会も転がり込んでくる、漸く運が向いてきたのかもしれん」
とりあえず仲間達に逸れないように命じると、ロベルトとアルフレッドはその時を待ちわびる。周囲では同じように甲冑と剣を帯びた傭兵達が屯している。そのどれもが、興奮を隠せない様子でそわそわと酒を傾けたり、仲間達と戦についてあることないこと語り合っていた。
此度の戦は彼らにとっても全くの予想外だったのか、鎧も不揃いで腰の剣も立派とは言い難い。押っ取り刀で駆け付けた、そういった有様だった。
「――団長、相手はタイタニアって噂ですよ? もうラケダイモニアは落ちたって話も聞きます、負け戦ですかね?」
「所詮は噂だ、尾ひれの付くもんさ。特にこういう場じゃな」
意外というべきか、当然というべきか、この場で最も落ち着き払っていたのは新参たるアラストリア傭兵団の面々だった。
あの森での戦い以降、多少のことでは動じなくなっていた。我に数倍する敵と正面から戦い、勝利する。そんな経験をしたのだ、大戦の予感を前にして談笑するだけの余裕が彼らにはあった。
「っと、ようやく来たらしいな」
喧騒に包まれた広場が、一瞬で静まり返った。これで根拠のない噂も落ち着きのない空気も払拭される、待ちに待ったものが漸くやってきたのだ。
アウトノイアの城からの使者。ヴァレルガナ辺境伯家が戦に備えて傭兵を集めるための使者がこの酒場を訪れるはずだ。
戦になれば何処の城でも傭兵を掻き集める、それはこのオリンピアにおいても共通した戦の慣習だった。お抱えの騎士団を持っていても常に兵は不足している、騎士たちが如何に鍛え上げられた精鋭であっても、城と城下を守りきるためには圧倒的に数が足りないのが現実。特に、アルカイオスのような国力の小さな国ではその傾向が顕著といえるだろう。
そこを補うために安価且つ使い捨ての効く彼等傭兵が戦力として重宝される。たとえ戦力として騎士達に劣っていたとしても、彼らに忠義と名誉がなくとも、彼等傭兵は職業として極めて戦略的な意味を持つ集団だった。
また傭兵達にとってもこういった大戦は最大の好機でもある。手柄を上げれば、食い扶持に困るようなこともなくなるし、覚えがめでたければそのまま騎士として取り立ててもらえるかもしれない。戦とは即ち、一世一代の大舞台でもあるのだ。
故に、この酒場のざわめきも至極当然のこと。この平和なアルカイオスで燻ってきた彼らにはもう二度と訪れない最大の機会だった。
城からの使者は人混みの中にできた道をを堂々と進んでいく。一点の曇りもないその立ち姿に蒼のサーコートに編みこまれた獅子の紋章。少しと死若く見えるものの、間違いなくヴァレルガナの騎士の一人だった。
「――?」
奇妙なことにどこかで驚きの声が上がる。待ちに待った城からの使者の到着だというのに、傭兵達の間には歓喜ではなく困惑が広がり始めていた。
「ちょいと、失礼」
何事かと人混みを掻き分け、困惑の中心へと押し進む。何が起こっているにせよ、自分の目で確認しなければ気がすまないのがロベルトの性分だった。
天井に頭が達するような大男を押し退けると、ようやく使者たちが視界に入る。彼は、彼らは広場の中央、水の枯れた噴水の前に陣取っていた。
書簡を手に、緊張しながらも堂々と構えた若い騎士、城からの使者のその隣に困惑の源は立っていた。
「――あれは……」
「――おいおい、あんた、こんなところでなにやってんだよ……」
その人物を再び目にしたとき、ロベルトが抱いたのは困惑ではなかった。一瞬の驚愕とその後の納得、そして確信。考えてみればおかしなことなど一つもない、彼が城にいるのなら、ここにいるのも何もおかしなことではない。
黒く艶のある甲冑に腰に帯びた奇妙な剣、背中にはヴァレルガナのものである事を示す青地に獅子の紋章のマント。堂々としたその立ち姿と、研ぎ澄まされた気配を見紛うはずがない。あの日、あの森でともに戦った下方弥三郎がそこにいた。




