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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第三章、王国大乱
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27、あるいは力無くとも

 ユスティーツァに連れられたアンナとアイナは控えの間に通されることとなった。アンナとしては直ぐにでも治療に取り掛かりたいところだが、そういうわけにもいかない。まずは辺境伯の居室へと立ち入る許可を辺境伯本人から得なければならない。ユスティーツァの一存で通せるのは控えの間までだ。


「ま、魔女様、私、場違いではないでしょうか……?」


「……知らない」


 落ち着きのない様子のアイラと違って、森の魔女は手持ち無沙汰に佇んでいる。しかし、一見落ち着き払ってはいるものの、内心ではアイラとそう変わりはない。

 この城は全くの人工物、彼女が本来寄り代とする自然や森の痕跡はどこにもない。四方八方何処を見ても非自然に切り揃えられた石ばかり。動揺は覆い隠してはいるものの、内心では戦々恐々としていた。

 そんな中で待たされたのは時間は一刻ほど。そう長くもないが、二人にとってはまるで一日にも感ぜられた。

 

「…………来た」


「み、みたいですね」


 正面の扉、卿の居室に繋がる廊下から足音が響いてくる。ユスティーツァのものではない、彼女の足音にしては重く、確かな足取りだ。

 足音は扉の前で止ると、扉に手を掛ける。そのまま、重々しい音を立てて扉が開いた。


「――こちらへ」


 扉の向こうから現われた老執事がそう言って手招きする。

 彼の背後には薄暗い廊下、その先には近づくものを遠ざけるような厳つい扉が待ち受けている。その先こそが、彼女達の行くべき場所だ。


「…………わかった」


 それに怖じけることなく、アンナは進んでいく。もはや恐怖はない、するべきことが目の前にある以上、どんな状況であれそれを成すだけだ。


「……早く」


「あ、はい、直ぐに――」


「お待ちあれ! わしも同席させてもらうぞ!!」


 戸惑った様子のアイラを急かしていると、背後から野太い声と軽快な足音が響いてくる。慌てて駆け寄ってきたのは先程見た白髭の男。歳のわりには機敏で軽快な動きだった。


「グスタブ卿、申し上げにくいのですがこの先へは……」


「そういうなアルフレード。殿とワシは竹馬の友、通したところで問題はあるまい」


「しかし、姫様より……」


「お叱りはわしが受ける。ともかく通せ!」


 なおも食い下がろうとする執事を強引に引き下がらせ、その男は廊下をずんずん進んでいく。すれ違い様に、彼女達に一礼すると、男はそのまま厳しい扉を無造作に開け、扉向こうへと消えていった。


「……とりあえず、行こう?」


「あ、はい、そうですね」


 男に続いて、大きな扉に手を掛ける。内心の恐怖はもう消えていた。

 嵐のように現われた男のせいで毒気を抜かれたものの、おかげで不要な力も抜けた。何はともあれ、すべきことは一つ。

 彼女達のすべきことは変わっていない。あの男が誰で、何を目的にしているにせよ、目の前のすべきことを成すまでのことだ。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 部屋にはいると、甘ったるい香りが彼女達の鼻をついた。

 香りだけではない、空気そのものが重たく淀んでいる。肺に吸い込めば、脳を蕩けさせるような、そんな空気がこの狭い寝室に満ちていた。


「……なんでしょうか? この香り……」


「……あんまりかいじゃだめ。これ、呑んで」


 困惑した様子のアイラに森の魔女は丸薬を一つ手渡す。


「はあ、一体これは……」


「いいから」


 彼女の言葉どおり、この香りをあまりに吸い込み過ぎればよくないことを引き起こす。そもそもこうやって部屋一杯に満たしている時点で異常だ、使うにしても使い方というものがある。

 この香りの正体はソムヌスの花と呼ばれる薬草。香として焚けば今のように甘ったるい香りを放ち、嗅いだものをゆっくりと眠りへと導く。森だけでなく街でも治療にも使われる一般的な薬草の一つで、それ自体は珍しくはない。

 だが、それは適量を使用した場合だ。このように過剰な量を使えば、齎されるのは眠りだけではない。嗅ぎ続ければ、眠りではなく麻痺が襲ってくる。体が動かなくなるのを第一にして、次は感覚の麻痺、最期は痛みすら感じることなく、呼吸を忘れて死に至る。便利なのも確かだが、正しく使わなければ、死を招くことのもまたこの薬草だ。

 アイラに渡した丸薬はその効能を押さえ込むもの。毒霧にも等しいこの部屋の空気にはそういった対策が必要だ。


「魔女様はお呑みにならないんですか?」


「私はいい。それより――」


 不要と断じると森の魔女は霞の立ちこめた室内に目を凝らす。窓は全て締め切られ、日の光も月の光も届かない。薄暗い蝋燭の光だけが、部屋を仄かに照らしていた。

 部屋の中央には天蓋つきの豪勢な寝床ベッド、その直ぐ傍には一つの人影がしゃがみ込んでいた。その人影の正体は彼女達の見知ったもの、ユスティーツァその人だ。その背後には先程の人物が静かに佇んでいた。


「……魔女様、こちらへ」


 二人の入室に漸く気付いたのか、ユスティーツァが手招く。目を背けてはいたものの、部屋の空気も、締め切った窓も、たいした問題ではない。最初から問題は一つ、あの寝床だった。


「……待ってたほうがいい」


「そうですね。何かあれば直ぐに……」


「……うん」


 この場に留まるようにアイラに告げ、森の魔女は寝床へと近づいていく。この先に何があれ、覚悟は全て決まっている。


「…………魔女様、どうかお願いいたします」


「わかってる」

 

 天蓋の下には彼女の予想したとおりのものがあった。

 寝床に横たわった痩せ細った老人、彼こそが嘗てアルカイオスの荒獅子と名を響かせた男だ。その在りし日の逞しさや力強さは全て失われ、死を間際にした一人の人間だけがそこに残されていた。

 哀れ、傲慢ではあるもののそうとしかいいようのない有様だった。


「……お体に触れます。よろしいですね?」


 アンナの言葉に辺境伯は一瞬の逡巡すらなく首肯した。すでにユスティーツァから話を聞かされているのだろうが、それでも迷いのない返答だった。

 死にかけの一人の人間に対して、彼女は敬意をもって接する。孤高と平等を旨とする森の魔女が敬意を払う、それだけのものが目の前の老人にはある。

 ヴァレルガナ侯は死に瀕してなお誇りだけは失っていない。彼女を射抜く鷹のような視線には未だ消えぬ炎が宿っている。貴人として恥じぬだけの尊厳を厳然と讃えていた。


「魔女殿、手袋を――」


「私には必要ない。大丈夫だから」


 周囲の気遣いを魔女は退け、自らの手で彼に触れる。彼女には手袋など必要ない、痣に触れたとして病が彼女を侵すことはない。死を約束する龍の痣であっても、ほかの死病であっても、自然から生まれたもの、彼女を害することは万が一にもありえないのだ。

 それに治療を施すにあたっては、彼女が直接触れることは重要な課程の一つ。そうすることで相手の身体の異常を隈なく知ることが彼女にはできる。どこの何が悪いのか知ることは彼女の治療の第一歩だ。


「…………ッ」


 触れた手からありとあらゆる情報が流れ込んでくる。何処に病の元があり、それがどんな影響を及ぼしてるのかまで、手に取るように分かった。

 だからこそ、決定的な現実を彼女は思い知らせれることとなる。

 龍の痣は既に全身を蝕んでいた。全身に及んでいるという点においては、昨日のユスティーツァと同じだが、その深度が全く違う。ことはただの痛みだけではない。牙が内臓へと突き刺さっている、痛みだけならどうにかできるが、機能が止ってしまえば彼女にもどうにもできない。

 これでこの過剰なソムヌスの香も説明がつく。常人の体を蝕む香りは痛みを誤魔化すため、不意に襲い来る耐え難い激痛に耐えるためのもの。吐き気を催すほど香を焚かねば痛みを誤魔化せないほどに痣が進行しているのだ。

 ここまでくれば死を先延ばしにすることはできても、死そのものを避けるに至らない。彼女の知恵をもってしても救うことはかなわないかもしれない。


「――かかったのは何時?」


「去年の冬でございます。確か公務の途中のことでした」


「……そう」


 尋ねたのは半ば言い訳の様なもの。その答えまでもが、彼女を追い詰めていく。現実を認識すればするほど、どうしようもないのだと判決を突きつけられてるようなものだった。

 龍斑病、患った年齢が高ければ高いほど進行が早い。体力の問題は当然あるが、子供と老人を比べてもその速度は凄まじいものがある。彼女の脳内に保管された知識の中の症例はそう示している。

 それは現実においても変わらない。幼少期から病に蝕まれてきたユスティーツァよりも、痣が現れたヴァレルガナ卿のほうが症状が明らかに重い。

 端的に言えば、もはや手遅れ、そうとしか言いようがなかった。


「どうでしょうか? 魔女様」


「……少し待って」


 だが、それを告げるのは簡単なことではない。元より彼女は彼を救うためにこの場所に呼ばれたのだ、それを易々とできないなどと口にすることはできない。

 もう一度情報を集め、知識に検索を掛ける。あの夜と同じように、バラバラの断片を繋ぎ合わせ、新しいものを作り上げようと試みる。考えうる全ての手段を使い、新しい解答を導き出す。

 一度引き受けた以上、如何に現実が厳しくとも、諦めずに最善を尽くす。そうでなければ、魔女としての誇りを損なうことになる。森の掟と誇りにかけて、できうる事を全て尽くす義務が彼女にはあった。

 

「――なにか、なにかあるはず」


 感染経路は分かりきっている。龍の痣は血に宿る、親から子、子から孫へと受け継がれるのだ。発症することはなくとも、血の中には確かに龍の牙が潜在しているのだ。その発症がたまたま老年期に引き起こされたというだけ、運がないといえばそこまでだが、そうとしか言いようがない。

 では、発症のきっかけはどうだろうか。切欠を理解すれば突破口が見えるかもしれない。

 堂々巡りだ。思いつくどんな考えも重箱の隅をつついているに過ぎず、一向に解決策など降っては来てはくれない。

 手詰まりだ。最善は尽くしている、間違いは一つも犯してはいないし、使える力は全て使っている。どれだけ考えても彼女にできることはもうない。


「…………まだ、まだ……!」


 それでもまだ、諦めるつもりはない。

 森の掟に恥じないために、自らの誇りに準ずるために、あの従者に恥じないために。形は変われど、森の魔女、アンネリーゼ・クレイオネス・シビュラネア、その名に恥じぬ行いこそ、彼女の生き方だ。




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