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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第三章、王国大乱
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25、あるいはもう一つの戦い

 負傷者の治療と陣の建て直し、逃げ出してしまった馬達の連れ戻しが終わったのは、出発の予定よりかなり遅れて夕刻に差し掛かるころのことだった。本来ならば、アウトノイアの城に既に到着してしかるべき時刻に彼らは漸くの休息を得た。

 しかしながら、昨夜から一睡もなく、疲労を押しての行程ではあったにしては騎士達は未だに士気と体力を維持している、このまま休息なしにアウトノイアへ向けて出発することも可能だろう。休息を余儀なくされている原因はどちらかというと彼らの主、ユスティーツァの容態にある。

 太陽が中天に昇るその頃、騎士長ヴァンホルト・ユーティライネンは天幕の傍で苛立ちを隠せないままに立ち尽くしていた。部下達には出立の準備を整えた後はしばらくの小休止を命じてはいるが、本人はそのまま休むことなく、この天幕を訪れていた。

 かといって何か変化があるわけでもない。天幕に彼が入ることは許されているわけでもなく、入ったところで何ができるわけでもない。ただ待ち続けるしかないのだ。


「――チッ、どうなってやがる」


「急いても仕方あるまいよ、ヴァンホルト殿。戦でもあるまいし、我らにできることはありはすまい」


「け、こっちは姫さんに何かありゃ首が飛ぶんだ。お前さんみたいに気楽に構えてるわけにはいかねえんだよ」


「左様か。首が飛ぶのは何処も変わらんのだな」


 思わず零れた言葉に隣で同じく待たされるだけの弥三郎が応えた。天幕の中では彼の主たる魔女がユスティーツァの治療を続けている、それが無事終わるまでの間弥三郎も待ち続けるつもりだった。

 彼もヴァンホルトと同じく、あの一騎打ちから一睡もしていない。それどころか、戦いを終えて直ぐになにやら魔女と連れ立って林の中へと分け入り、そのまま何かの物品を持ち帰ってきたのだ。疲労の具合で言えば、ヴァンホルトよりなお重いといえるだろう。

 それでも、疲れた顔一つみせずにいるのは所謂意地のようなものだ。こうして隣に立つヴァンホルトがいまだに健在で指揮を取り続けている以上、自分が休むわけにはいかないという意地にしか過ぎない。


「――結局、あれは何だったんだ? 知ってることがあんだろ? 聞かせろよ」


「ふむ。ア……巫女殿によれば亡霊の類であり死霊の類でもあるとか、まあ、某にも詳しいことは良く分からん。だが、あの方々を知っているかと聞かれれば、左様ではある」


 避けては通れない問いに弥三郎は真っ向から受けて立つ。彼とて全てを把握できているわけではないが、それでも、話す事を怠るのは共に命をかけて共に戦ったヴァンホルトに対してあまりにも不義理だ。包み隠さずはなすだけの義務が弥三郎にはあった。


「……なるほど。つまり俺らが襲われたのはあんたのせいかもしれんってことか」


「否とはいえんのが悲しいところよな」


一通り話を聞くとヴァンホルトはそんな愚痴をこぼした。対する弥三郎もバツが悪そうに頭を掻くだけだ。

 気付けば洗いざらいをヴァンホルトに対して明かしていた。己が来歴までを語り聞かせたのは些か喋りすぎだったと言わざるをえないが、それでもそれだけのことを話すだけの意味はたしかにあった。


「……まあ、あんだけ戦って誰も死んでないっても、あんたらのおかげといえばおかげではある」


 気まずい沈黙に耐えかねてか、ヴァンホルトが口を開く。言葉の通り、彼の部下たちは昨夜の戦で誰一人として欠けてはいない。亡霊の刃を受けたものたちも全員が、魔女の治癒によって朝には目を覚ました。あれだけの劣勢、あれだけの激戦にあって誰一人として死していないというのは亡霊と戦うのと同じくらいありえないこと。まさしく奇跡といってもいい。


「貸し借りはなしってことにしといてやる。こんな目に合うのは二度とごめんだがな」


「それはありがたい。その方らを相手取るのは少しばかり骨が折れそうだと思っておったところだ」


 愚痴交じりの感謝の言葉に弥三郎はそう返す。直接感謝や信頼を示すことは無いものの、お互いに共に命を預けあったものに特有の連帯感とも言うべきものが存在している。世界こそ違えど、武人という人種は概ねそういった習性を持ち合わせていた。両者の間にわだかまりというべきものもはや存在していなかった。

 

「それにしても、気掛かりなのはそちらの姫様の容態よな。病を得られているのでは思っておったがそこまでお悪いとは……」


「なんだ、気づいてたのか。もともと察しの通りお体がお強くなくてな、旅の無理がたたられたのだろうよ」


「それはまた難儀な。しかし、巫女殿に任せておれば大事はありはすまい、安心召されよ」


 弥三郎はもちろん、ヴァンホルトもユスティーツァが本当にどんな病を得ているのかは、知らされてはいない。ゆえに彼らの現状の対する認識は甘いものであったと言わざるを得ないだろう。

 無理もあるまい、彼らにとっての戦は昨夜で終わっている。亡霊の軍勢と戦い、姫を守りきった時点で彼らの戦いは彼らの勝利で終わっている、それ以上を求めることは酷であり、また無意味であっただろう。

 しかし、彼らの目の前の天幕の中では今まさにもう一つの戦が佳境を迎えていたのだった。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


締め切った天幕の中にはうだるような熱気が満ちていた。中にいるものたちの吐く息、緊張感、恐怖までもが張り裂けんばかりに満ち満ちている。


「――ッハァ」


また一つ痛みに声があがる。陸の上で溺れる魚のように、彼女は喘ぐ。内側からせり上がる、痛みはすでに許容できる範囲を遥かに超えている。

神経そのものを引き剥がされ、それそのものを痛めつけられるような悍ましい痛み。表情を繕うどころか、痛み以外を認識することさえ難しいそんな痛みが彼女を襲っていた。


「――ああ、なんてこと……」


あまりのことに侍女の一人が崩れ落ちた。龍の痣はすでに彼女の喉元にまでせまっている、それがいずれ全身を覆い尽くせば、取り返しがつかなくなる。このまま放置すれば、半刻とせずに彼女は死に至るだろう。

避けられぬ死、抗うことすら許されぬそれは龍斑病を患ったものの定めだ。


「まだ早い、まだーー」


しかし、定めに逆らおうとするものがここに一人いる。

疲労は既に限界に近い。昨夜、弥三郎と契約を結び、力を分け与えた時点で、彼女の中に残されたものは既に枯れ果てている。さらに、ユスティーツァ自身の容態もかなり悪い、あと少しでも早く治療にとりかかることができたのなら簡単な施術で済んだ。侍女たちの立場を鑑みれば当然のことではあるが、彼女たちを説得する手間さえなければこんな事態にはなっていなかっただろう。

 それでも、まだできることはある。力が欠けているのなら、他で補えばいい。ヴァレルガナ公を治療するための薬は予備も含めて、多めに持ってきている。それがそのまま、ユスティーツァの治療に転用できる、末期に到っていない彼女なら辛うじて薬だけで救うことも可能だ。

いざとなれば、弥三郎にしたように彼女自身を通してなけなしの力を注ぎ込めばとりあえず命を取り留めることもできる。

当然、それ相応の代償は伴うが、それは承知の上。ここで彼女を見殺しにしては、彼女の願いを聞き入れた意味がない。ユスティーツァの父を救うとアンナは約束した、約束した以上は破ることはできない。それが森の魔女の掟であり、彼女自身の変わらぬ矜持だからだ。


「魔女さま! 私に出来ることは……」


「…………手を握っていて」


故に、アイラだけが、この天幕にあってアイラ一人だけが真にユスティーツァを想い行動していた。握った手を一度たりとも離すことなく、ただひたすら誠意をもって握り続けた。自分に出来ることはそれだけしかない、だから、それをし続けた。 誰よりも心を込め、恐れも畏れも忘れてただひたすらに寄り添い続けたのだ。


「それだけで……それだけでいいんですか?」


「うん、それが貴女にしかできないことだから」


たったそれだけのこと、一見たったそれだけのことでも、その行為は森の魔女でもなせない尊いこと。見返りも、打算も無く、ただ一心に自らを捧ぐ滅私の奉公は並大抵のことではできはしない。少なくとも、縁もゆかりも無い相手にそれを行えるというのは一種の才能、破滅と背を合わせた添付の際といってもいいだろう。それを易々と、たったそれだけといえるだけの器が幸か不幸か備わっていた。

 しかして、一見ただ手を握り締めているだけにも思える行為は彼女蝕む病に対して確かな効果を持っている。アイラの握り締めた手から伝わる暖かさ、安心感は死の淵をさまようユスティーツァを留める縁となっているのだ。

 如何に薬や秘術を使おうとも、最終的に病と戦い、打ち勝つことができるのは病を得た者自身だけ。術を施し、薬を与える前に本人が力尽きては何の意味もない。死者を蘇らせることは森の魔女にも、厳かなる巨神にもできはしないのだから。


「――――ッ」


「――呑んで」


 荷物から取り出した丸薬を無理やりに口に押し込む。所蔵する中でも貴重な霊草を煎じた丸薬だが、それを気にしている余裕は無い。知識のとおりなら、痣の進行を一時的に抑えるはず。他の薬を用意して、術を整える時間を奏して稼ぐ。


「――――」


 少しすると、アンナの思惑通り、ユスティーツァの呼吸が落ち着きを見せはじめる。喉元まで迫っていた痣は彼女の胸元でとまっていた。まずは一安心、が、今までもこれからも一瞬の誤りも許されない。


「そ、そんなものを姫様に……」


「うるさい、黙ってて」


 横合いから口を挟んでくる侍女の一人を問答無用で黙らせる。いちいち問答をしていてはきりがない、薬の配分を少しでも間違えれば貴方たちの主が死ぬなどと、懇切丁寧に説明するような理由も今のところ存在していない。

 荷物から取り出した大量の薬草をより分け、組み合わせ、知識とおりの薬を寸分違わず再現する。必要な材料は全てそろっている、ほんの少しの時間さえあれば彼女の命を救うことができる。

 彼女の戦いはまだ終わってはいない。すべきことは一目瞭然、余裕はなくとも意志はある、力はなくとも仲間はいる。今度は従者の頑張りに、彼女が答える番だ。

 

◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


  彼女達の戦いはそれから半日以上も続いた。気を休める暇など一瞬たりともなく、予断の許されない凄絶な戦はそれだけの長丁場になった。

 しかし、その甲斐あってか、ユスティーツァの容態は快方に向かっている。一時は喉元まで到っていた龍の痣はすっかり薄れ、死者のように青ざめていた顔には瑞々し生気が戻ってきていた。魔女の煎じた薬と森の秘術は、ユスティーツァの命を留めたのだ。

 死病たる龍斑病、末期に到れば生還の望みは一切ないとされている、その病に森の魔女は打ち勝った。ただの薬師や巨神教の司祭ではなにもできなかっただろう。龍斑病の患者を救うというのは神の御業といっても差し支えない偉業だ。


「…………ふぅ」


 息の詰まるような天幕から抜け出し、外の空気を胸いっぱいに吸い込む。こうして新鮮な空気を吸い、なけなしの精気を体に取り込めば少しは回復を望める。


「お疲れ様でした、魔女様」


 疲労困憊といった様子で座り込んだアンナに同じく疲れた様子のアイラがそう声を掛けた。

 目の前では騎士達が疲れを押して、野宿の準備を始めている。もう既に日は暮れかかっていた。誰一人としてこの野営地に留まることは望んでいないが、今日のところは他にどうしようもない。まだ、ユスティーツァを無理に動かすことはできない以上、この地に留まるのは自明の理だ。


「……うん、貴女も」


「いいえ、魔女様ほどではありませんよ。お疲れでしょう、何かお召し上がりになりますか?」


「いい。あなたこそ休んだほうがいい」


 これだけの労力と力を注いでも、侍女たちは二人のことなど気に留めはしない。

 それを責める事はしない。寝台にて眠りについたユスティーツァの介抱が彼女達の本来の役目、それさえきちんとこなすのならなんら非難するべきことはない。もとより、感謝を求めての行為ではなかったのだ。二人共にユスティーツァの命を救えた時点で目的を果たしている、これ以上など求めようはずがない。

 

「お二方とも、お疲れの様子で」


「弥三郎様!」


「……あなたも」


 二人して地べたに座り込んでいると、天幕の外で待っていた弥三郎が歩み寄ってくる。アンナの言葉通り、流石の弥三郎も表情に色濃い疲れが浮かんでいた。

 

「確かに今回ばかりは草臥れましたな。まさか、化生と一騎打ち致すとは思いもせなんだ」


「……そう」


 そういいながら、二人の隣に弥三郎がどかっと座り込む。その手には錆びに塗れた剣のようなものが握られている。その剣に寄りかかるようにして、息を吐く。

 その太刀こそは彼等の残した唯一のもの。何百年もの間、土の下にあっても消えることのなかった彼等の誇り、亡霊たちから弥三郎の譲り受けた生ある同胞への選別だった。


「……姫御様のご容態は如何に? 快方に向かわれておられるのか?」


「はい、魔女様のおかげでご無事です!」


「私のおかげじゃない、アイラのおかげ」


 自分は何もしていない、と謙遜するアイラを無視してアンナは弥三郎にアイラの功績について懇々と語る。彼女の目から見ても、アイラの行いは尊敬に値するもの、言葉を尽くすだけの価値は充分にあった。


「……なるほど。つまり姫御様のお命をお救いしたのはお二人の功績というわけだ」


「そんなこと……」


「そういうこと。そしてあなたの功績でもある」


 弥三郎の目を正面から見詰め、アンナはそう言った。短い言葉であるものの、それは精一杯の彼女なりの感謝の言葉だった。


「――――ありがたきお言葉」


 思わず懐に抱いたたちを握り締めていた。手が、心が、魂が震える。こうして言葉を賜るなど、想像すらしていなかった。

 応えた弥三郎の言葉もまた精一杯のもの。主より賜る感謝、それはかつて彼の失ってしまったはずの誇りだった。たった一つの詞で下方弥三郎忠弘という武士は報われたのだ。

 彼らを置き去りに日が沈んでいく。再び日が昇るころ、彼らはこの地を立ち、アウトノイアの地へと再び進む。この場所で起きた出来事は当事者達の記憶にのみ残され、何れは思い出に変わることになる。それでも、弥三郎の手の中の太刀だけが彼らがここにいた事を確かに示していた。


 




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