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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
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24、あるいは最期の時

 勝敗は一瞬の差が分ける。それは例え、大会戦であっても、一騎打ちでも変わりはしない。瞬間の決断、練り上げた技、天の運、それらがほんの一瞬に交錯し、勝敗を定める。どれが一つ欠けても勝利はない。それまで積みかさねた全てがたった数瞬で裁定される。勝利とは偶然と必然、その合間で漂う不確かなものなのだ。

 古今の戦においてそれは普遍のもの、神であろうと覆すことのできない絶対の法則。その法則が今まさに、裁定を下そうとしていた。


「――っ」


 はたして、勝敗を定めたのは決断でも、技でもなく、天の運であった。勝利と敗北、不確かなそれは生者と死者を再び分ける。それは正しく必然であり、偶然でもあった。

 亡霊の振り下ろした刃は肩口で当世具足に阻まれ、弥三郎の繰り出した突きは大鎧を貫き、心の臓のあるべき場所を過たず貫く。

 突き出された村正の切っ先、その鋭さが弥三郎の勝ちを定めた。もし仮に、亡霊の振るう刃に当世具足を正面から切り裂くだけの鋭さがあったのなら、亡霊が弥三郎を討ち取っていただろう。または亡霊が両の手で刀を振るっていれば、弥三郎の愛刀が斬鉄の村正でなかったなら、何か一つでも違っていれば勝敗は違っていただろう。

 だが、それでも天の運は塵へと還るべき死者ではなく、遂には滅びる生者たる下方弥三郎を選んだのだ。


「――見事」


 声なき声が弥三郎だけにそう伝えた。光をおびた刃は彼の存在を確実に脅かす。仮初の形を構成しているものは無へと還りはじめ、あるべきものはあるべき場所へと帰ろうとしている。永く待ち望んだその時が、訪れたのだ。


「――貴殿と立ち合えたこと、生涯の誉れと致す」


 届かずとも、聞こえずとも、弥三郎は静かにそう言った。彼にとってもこの戦、この一騎打ちは得がたいもの、正しく夢のようなものだった。源平の武者と立ち合う、日の本に生きた武人としてこれ以上の名誉はありはしない。今、勝利したのが己であってもそれは変わらない。生者であっても、死者であっても、武人としての尊敬、尊厳は存在しているのだ。


「――おお」


 光と共に一つの存在が消えていく。数え切れない時を過ごしてきた彼らに漸く最期の時が訪れる。死力を尽くした戦いの後、誉ある敵との立ち合いの後、確かな満足の仲、彼は死を迎えた。それは遠い地での最後であっても、安らかなものであることは確かだった。


「――――おおおおおおお!!」


  少し遅れて、固唾を呑んで見守っていた騎士達が喝采を挙げる。委細はどうであれ、一騎打ちに勝利したのは彼等の側だ。続いて、口々に勝ったという言葉が唱えられる。得体の知れない余所者とはいえ、味方の勝利は彼等の勝利だ。

 何時の世であっても、何処の地であっても、勝利とはそういうもの。ましてやこれは一騎打ち、劣勢にあっても勝利とは福音に他ならない。


「――来られるならば、来られよ、この弥三郎、最後の一人までお相手いたすぞ」


「…………ッ」


 しかしながら、当の本人、弥三郎とアンナだけは構えをとくことはしなかった。戦いはまだ終わってはいない。敵は先程倒した亡霊だけではない。彼がこの中で一番の猛者だったとしてそれでもまだ敵は十数騎、彼らがまだ挑み来るのなら弥三郎はそれら全てに勝たなければならない。無茶無謀としか言いようのない戦いであっても、そうするほかないのだ。


「――――」


 彼らは動かない。ただ黙したまま、勝利者を見詰めるのみ。なにかを想うように、なにかを待つように彼らはただ黙したままだ。勝利に浮かれていた騎士達も息を呑む。再び、息の詰まるような緊張感が周囲を満たしていた。


「……おい、魔女、あの光、俺達にはできないのか?」


「…………無理。あれはヤサブロウにしかできないこと」


「クソッ、この俺が見てるだけかよ……」


 先程よりもなお不機嫌にヴァンホルトがアンナに問い掛ける。彼にとっては死を背に劣勢に身をおくことよりも、こうして見ているだけというほうが遥かに耐え難い。異郷の魔女の力を借りてでも、自ら、いや共に戦うことを選ぶ。それはヴァレルガナ公に選ばれた騎士としての矜持であり、戦士としての意地であった。


「――ほう、今度は御大将か」


 亡霊たちの中から再びもう一人、亡霊が進み出る。纏たる大鎧も、佩びたる太刀も先程の武者よりもなおも贅を凝らしたもの。その優雅ともいえる立ち姿と堂々とした態度は朽ちてもなお平家の誇りを宿している。まさしく亡霊を引きいたる将に相応しい出で立ちだった。


「……?」


「なんだ……?」


 村正を構えなおして臨戦態勢の弥三郎に対し、その亡霊は太刀を抜くことすらしない。ただ悠然と、無防備なまま、弥三郎の眼前へと歩み寄っていくだけだ。

 そうして、柄に触れることもせずにその亡霊はヤサブロウの間合いに踏み込んでくる。居合いを放ったとして村正が彼の首を刎ねるのがなお速い、そんな間合いまで彼は踏み込む。そこには恐れもなければ、迷いもない、あまり堂々とした動きだった。

 

「…………」


 その振る舞いを前にして、弥三郎は矛をを収める。必殺必滅の間合いにあって彼は刃を振るうことでなく、刃を下げる事を選んだ。

 無論、敵を前に刀を鞘に納める愚行を理解していないわけではない。だがしかし、この目の前の敵将に殺意も敵意もない。もはや敵ではなく、彼は一人の将、誉れ高き平氏の荒武者として、一人の武人として、弥三郎の前にたっているのだ。それに刃を突きつける無粋を弥三郎が働けるはずもなしに、両者はただ無言にて向かい合っていた。

 静寂の中、亡霊の利き手が徐に腰の太刀へとそえられる。対する弥三郎は完全な無手。仮に亡霊がその気ならば、容易く弥三郎の首を刎ねられる、そんな間合いだった。


「――っおい!」


「ヴァンホルト殿! 心配はご無用!!」


 思わず声を挙げたヴァンホルトを弥三郎が制す。柄に手を掛けていたとしても、目の前のこの亡霊からは一片の殺気すらも感じられない。自らが死す事も、亡霊を切る必要すらない、その事を弥三郎は確信していた。

 それでも、己のものではない痛ましいほどの心配と相反するような信頼がひしひしと感ぜられた。契約を通じた共有はいまだに続いている。胸の奥底に注ぎ込まれる感情は全てアイナのもの、己が背を見守る主の心痛と苦痛は弥三郎のものでもあるのだ。

 だからこそ、何の心配も要らないと弥三郎は己が振る舞いと心の所作で示す。例え、突然亡霊が牙を剥いても、決して死しはしないと行動を持って約束した。


「――!」


 亡霊は周囲の視線も張り詰めた空気も意に介さず、悠然と動く。腰に差した太刀を鞘から抜かずにそのまま眼前へと掲げ、そのままの姿勢で動きを止める。そうやって彼は己が佩刀を目の前の弥三郎に差し出してみせた。

 武士にとっては佩びた武具は、それが槍であれ、弓矢であれ、刀であれ、自らを示す誇りに他ならない。それを差し出すということは即ち、対手への最大の尊敬と自らの敗北を認める事を意味する。

 それは声なき彼に取りうる勝者への最大の礼節だった。


「――謹んでお受け致す。いかにしてこの地に参られたかは存ぜぬが、御霊の安らかならんことを心底より慎み敬って申し上げなん」


 恭しく両の手で弥三郎は太刀を承る。弥三郎が彼等の行動の意味を理解できないはずがない。源平合戦のころより四百年あまり、気の遠くなるような年月を彼はこの遠い地にて彷徨っていた。それほどの無念と後悔、その凄まじさは察するに余りある。その最期に自らが選ばれた。

 何たる誉れ、何たる僥倖か、この遠い異国地にて彼らと平家武者の霊と見える事などそれこそ、天の差配に相違ない。日の本で生きていたとして。そんな機会にあずかるなど万に一つもありはしないだろう。

 そして、安らぎを祈るその詞もまた弥三郎の心より出でたもの。このオリンピアに辿り着いてから、何かひとつでも選択を違えていれば、自らもまた彼らと同じく無念に縛られた亡霊となっていた、その確信が弥三郎にはある。主を守りきれなかった無念を抱えたまま、アンナに救われぬまま死していれば彼らと同じものになっていた、その確信があった。

 故に、ここで彼等と戦ったことには大きな意味がある。弥三郎にとっても、彼らにとってもこの戦いはただの果し合いではなかった。


「――――おお」


 弥三郎が太刀を受け、亡霊が手放したその瞬間、声なき声が確かに響く。一人のものではない、十数騎の武者達すべてが一斉に声を挙げた。

 それが果たして安らぎを得た事のへの歓喜なのか、それとも塵と消え行くことへの嘆きなのか、それは彼らにしかわからない。ただ確かにこの時彼らは最期を認めた。一度目とは違い、正面から堂々と誉れある一騎打ちに敗北した。勝利でなくとも、はっきりとした結末が彼らは最期には必要だった。

 彼らは朝の霞のように、白日の夢のように、無へと還っていく。最初時からそこにあったことそのものが間違いであったかのように、彼らは最期を迎えている。


「――消えていく、のか……?」


 それを見守るのは、十騎に満たない騎士達と森の魔女、そして彼らと故郷を同じくしたこの世界唯一の武士。三者三様、亡霊と関わりあった彼等の立場も感情も異なっている。それでも彼等の間ではある一つの感情が共有されていた。

 それは限りなく単純で、当然ともいえるような感情。かつてない強敵への、尊厳ある死者への、誇り高き先達への敬意だ。


「…………」


 騎士達の剣が頭上に高く掲げ、魔女が祈りのため詞を唱え、弥三郎はただ静かに手を合わせる。自然、それぞれがそれぞれに自らのやり方で敬意を示していた。

 その姿を見届けることなく、一切の言葉をかわすことなく、朝焼けと共に彼らは最期を迎える。かの戦より四百年、この地に流れ着いてよりなお五百年、国と国が移り変わるよりも遥かに長くを経て、彼等の死はようやく彼らに追いついたのだ。

 こうして、何者にも記されずに、当事者の心にのみ、この戦いは、亡霊たちは留められることになる。誰にも知られぬまま、彼らは数多の人間の運命を変えていくのだった。

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