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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
26/102

23、あるいはその瞬間

  

 一騎打ちを望む。

 その言葉は彼等に失ったはずのものを取り戻させる。遥か昔、微塵も残さずに消え失せてしまった彼等の記憶、誇り、存在、その全てが一瞬に遡っていく。再び肉の身を得るようなそんな錯覚の中、彼らは最期を取り戻していった。


「な、なにがどうなってんだ? あんた等、なにかしたのか?」


 ヴァンホルトが驚愕の声を挙げた。周りの騎士達も状況の変化についていけず、統制を乱している。今まで間をおかずに攻め立ててきていた者達が、言葉一つで退いたのだ驚くなというほうが無理があるだろう。


「…………手は出さないで。私とヤサブロウ以外は下がっていないと意味がない」


「そういうことだ、ヴァンホルト殿。聞いての通り一騎打ちを致す。今のうちに陣を整えられるがよかろう」


 にべつもなくそう言い放ったアンナの言葉を弥三郎が取り繕う。弥三郎には彼女の言葉が手に取るように分かったとしても、他の者達はそうはいかない。彼女のために世益な軋轢を減らすのもまた今の彼の役割だ。


「一騎打ちって……相手は化け物だぞ……死なない相手にどうやって勝つってんだよ……」


「心配ご無用、今の我らには秘策がござる」


 不安と恐怖を打ち払うような自信に満ちた声。もはや弥三郎は自らの、彼女の勝利を一片も疑ってはいない。

 事前にアンナと弥三郎が練った策は既に半分が成っている。一騎打ちの名乗り、弥三郎のその言葉に亡霊たちが応えたその時点で活路は見えていたのだ。

 アンナと弥三郎が契約を結んだその影響で、彼らに関する弥三郎の知識をすべて彼女は共有した。彼らが弥三郎の故郷を同じくすること、彼らが過去に生きた人間であること、それら大まかな情報から彼らの行動理念まで彼女は全て理解している。

 その上で彼女はこの策を選択した。亡霊と朽ち果ててもなお消えぬ誇りが彼等の中にあるのなら、一騎打ちの申し出を彼らが断ることはないとそう判断したのだ。

 しかして、二人の詞は劇的な効果を見せている。亡霊たちは動きを止め、こちらを伺っているのみで、攻めかかろうとはしない。自らを反芻するように彼らは呆然と立ち尽くしているだけだ。

 これで早急の危機は凌げた。あのまま攻め続けれられていれば、直ぐにでも天幕は落とされていただろう。単に時間稼ぎだけではない。亡霊たちにとって一騎打ちとは戦の勝ち負けを占うもの、まして大将同士の一騎打ちともなればその勝敗がすなわち戦のそれといってもいい。即ち弥三郎が勝ちさえすれば、それでこの危機を切り抜けることができるのだ。

 故に、真に肝要なのはこれから。相手を一時退かせたとしても、これから負けては意味がない。


「…………ヤサブロウ」


「そんな顔をなさるな、某は負けはせぬ。相手が源平合戦の英雄豪傑であろうとも、必ず勝どきを挙げてみせましょうぞ。それに――」


 そこで言葉を切ると弥三郎は彼女に向き直り、傅いてみせる。彼にとってはこれ以上のないほどの忠誠の示し方だった。


「もはや某一人で立ち合うのではござらん。そうでござろう、アンナ殿」


「う、うん」


 そうあけすけに言い放つ弥三郎に思わず面食らう。こうして名を呼ばれるなど何時振りだろうか。そもそも母が死したときから彼女の名を知るものは彼女以外にいなくなっていた。

 しかし、今は違う。こうして目の前に彼女の名を知り、呼んでくれる誰かがいる。それだけのことが彼女を勇気付けてくれる、迷いも恐れも振り払ってくれる。


「――あちらも用意ができたようだ」


 遠巻きに動きを止めていた亡霊たちから一体が歩み出てくる。他のものたちよりも華美な装飾を施された甲冑に朱染めの太刀を佩びた武者が堂々と現われた。

 おそらくは整然彼等の頭目を勤めたであろうその武者は存在しないはずの目でこちら側をしかと見据える。太刀を抜くこともせずにただ静かに対手を待つその姿は彼らを知らぬ騎士たちの目にも堂々としたものに映っていた。

 彼は、かつての誇りに恥じることのない姿で敵を待ち受けていた。


「では、行って参る」


「……必ず勝って、ヤサブロウ」


「応!」


 彼女の言葉に弥三郎が応える。見据えるものは勝利のみ、相手が亡霊であろうと、尊ぶべき先達であっても構いはしない。自らの家名と名誉、矜持に誓って必ずや勝利を彼女に齎す。今の彼のすべきことはそれだけだ。

 

◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


「なりません! なりません、姫様!!」


「何故です!? 音は止んでいるのだから、戦いも終わったはずでしょう!」


 人が変わったように外に出る事を望むユスティーツァを侍女たちは必死で押し止める。確かにあの主従が外でてからしばらくして、それまで続いていた戦いの音が止んだ、それは確かだ。だがらといって外が安全とも限らない。戦いに勝つなり、敵が退くなりしたのなら騎士たちが報せに来てるしかるべき、それがないということは天幕の外で何かが起きているのは間違いない。

 そんな中に、彼女を行かせることは決してできない。彼女自身が何を望んでいようともだ。


「離しなさい! 無礼であろうが!!」


「どうか、どうか、お留まりくださいませ! 姫様に万が一があれば我々は……」


「ならば離しなさい! 私は……」


 続く言葉がでてこない。彼女自身何故そこまでそれを望んでいるのか、分かってはいないからだ。

 ただ漠然と天幕の外に赴き、そこに広がる光景を目の当たりにしたいとそう望んでいた。目の前で行われたあの戦いと奇跡、そのの行く末を見たい。ただそれだけが彼女を突き動かしている。

 

「私は――くっ、あ」


「姫様!!」


 気道を血が逆流する。体を無理に動かしたせいで、症状が進行している。熱に浮かされた頭は考えることすらできず、足は鉛のように動かない。

 

「――どうして、こんな……」


「姫様! 姫様!! ああ、なんて――」


 痛みだけならどうとでも耐えることができる、常人なら自死を選ぶほどの痛みでも彼女にとっては物の数ではない。しかし、身体の限界は如何ともしがたい、どれだけ彼女が動けと念じても手足はピクリとも動かない。龍の痣は一気に首元にまで進行している、このまま放置すれば命にも関わるだろう。もはや彼女には動けない我が身を呪う以外のことはできはしないのだ。

 倒れこんだ彼女を前にして、侍女たちにできることもまたありはしない。彼女達は医者でもなければ、呪い師でもない。できることといえば、せめて安らかに休めるよう寝床に運ぶことくらいだろうが、それすらも彼女達は躊躇ってしまう。ユスティーツァのような貴人に直接触れることは硬く禁じられている、その上触れれば病が移るかもしれない、その恐怖が彼女達に二の足を踏ませていた。幼少期から仕えてきたクローディアでさえ、すぐさま駆け寄ることはできないでいた。


「…………ッ」


 そのことは悲しいとは思わない。作り物の笑顔を浮かべようとも思わない。恐れられるのも、哀れまれるのも、もう飽き飽きしている。ただ望むときに望むように動かぬ我が身がただただ忌まわしい。ようやく新しいものを目にしたのに、ようやく変化が訪れたかもしれないのに動こうとしない身体が許せなかった。

 死が迫る中、彼女はただ自身の浅ましさとままならぬ身体を呪う。安らぎを捨ててまで望んだ変化、父を救う、国を救うと大言壮語を吐きながら結局のところ自らのためでしかなかった己の欺瞞が何よりもおぞましかった。


「ど、退いてください!」


 そんな中、あのただの村娘が、アイラだけが彼女の傍へと駆け寄った。立ち尽くすだけの侍女たちを押し退け、彼女だけがユスティーツァの手をとる。弥三郎と共に出陣した魔女に代わり、負傷者の世話をしていたアイラが誰よりも先んじて動いたのだ。


「あ、貴女、何を……」


寝床ベッドのほうにお運びします。どうか、気を確り」


 困惑した様子のユスティーツァに有無を言わせずアイラは彼女を抱え上げ、そのまま寝床へと運んでいく。

 無論、アイラとて龍斑病について知らぬわけではない。病が移るかもしれないという恐怖はある、貴人たる彼女に触れることへの畏れもある。後で罰を受けることになるかもしれないというのも承知している。それでも彼女には、アイラには倒れた誰かをただ見ていることなどできなかった。例え自分がどうなろうとも、例えそれが些細なことでも自分できる事をしたい、ただそれだけの単純で尊いものが彼女を突き動かしていた。


「あ……」

 

 触れた暖かさは何時以来のものだろうか。五年、いや十年かもしれない、龍の痣が現れたその日から彼女は人と触れるということすらなくなっていた。自らの熱に魘されることは幾度となくあっても、こんな風に誰かに触れられるなど彼女は想像したことすらなかった。

 だが、自らを背負うこのただの村娘は他の何よりも暖かい。伝わってくる鼓動の音、呼吸、感触、その全てが心地いい。遠い日、まだ道理も病も知らぬころに感じていた温度。ただ誰かに触れられているそれだけのことがこれほどの安らぎを齎すなんて考えたことすらなかった。

 痛みも、怒りも、悔しさも、安らぎに消えていく。ただいまはこの温もりが愛おしかった。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 名誉をもって向かい合う。一方は生者、もう一方は死者。お互い決して交わりあうことのない両者においてただ胸に秘めた誇りだけが彼らを結び付けていた。

 

「――――」


 お互いに名乗りはすんでいた。亡霊が語る声を持たずとも彼の誇りと無念は目の前の若武者に全て伝わっている。もはやあとは刃を交えるだけ、どちらかがどちらかを降すまでただ戦い続けるのみだ。

 しかしながら、自ら仕掛けることはしない。向かい合い、既に刃を抜き放ちながらお互いににらみ合いに終始している。

 それでも、息の詰まるような緊張感が周囲を満たしていく。無言の間にも無数のやり取りが存在している。呼吸の読みあい、最初の一手をどちらが指すか、それを互いに探り合っているのだ。


「――っ」


 凍りついた時を破って亡霊が先に動いた。太刀を正眼に構え、そのまま間合いを詰める。二尺六寸の大太刀が横薙ぎに振るわれた。

 風切る切っ先をすんででかわし、弥三郎は白刃の内に潜り込んでいく。弥三郎の刀よりも亡霊の太刀の間合いは広い。このまま距離を開けていれば、防戦一方だ。


「せいやあああああ!!」


 間合いを詰めた瞬間、居合いのように村正を振るう。刃の纏った仄かな光が帯を引く。

 光が太刀とぶつかり合う。散るは火花ではなく光の花、暖かさすら感じさせる光が周囲に照らした。


「な、なんだと!?」


 光が咲いたその瞬間、亡霊がよろめいた。少し遅れて周囲でざわめきが起こる。亡霊たちまでもが目の前の光景に驚きを感じていた。今まで亡霊たちは自ら退くことはあっても、決して傷つくことはなかった。それが今、目の前で彼等の仲間が傷を負った。

 傷、それは彼等にとっては福音に他ならない。やはりこの目の前の武者は間違いなく彼らに終わりを齎すもの、歓喜と名誉に全ての亡霊が声なき快哉を挙げた。

 けれども、勝利は別のこと。光に焼かれた亡霊はすぐさまその場を飛び退く。傷つくなら傷つくなりの戦い方がある。生前と変わらぬ戦いを変わらず続けるまでのことだ。


「―――これで五分、真に一騎打ちもできようというもの。なあ、平家の武者ども」


 未だ変わらず光を灯す刃を手に、弥三郎はにやりと獰猛な笑みを浮かべる。光の正体は二人の生気に周囲の力を集めたもの。本来は死霊を祓う、そのために使われる術式と詞、それを新しく創りなおしたのがこの光刃。これぞ正しく二つ目の秘策、亡霊を断ち切るこの刃こそがアンナと弥三郎の用意した切り札だ。

 弥三郎の言葉のとおり、これで漸く五分の勝負が行える。一騎打ちにて戦の勝敗を定めることができるのだ。


「参る!!」


 再び喰らい付くように間合いを詰める。あくまで状況が五分になったというだけ、未だ勝敗は闇の中にある。勝利ためには一手たりとも仕損じるわけにはいかない。

 迎え撃つ袈裟懸けを払い、懐の内に入り込む。踏み込みと同時に篭手を狙って切り返す。敵もさりとて源平の御世を戦い抜いた猛者。その程度では動じることすらない。

 

「――く」

 

 亡霊は一歩退き、弥三郎の一撃を唾で受けて、刃を跳ね上げる。体勢の崩れた弥三郎に亡霊は体当たりをかまし、もう一度、二歩分間合いを離す。瞬間、決定的な隙が弥三郎に生じた。


「ッッ!」


 再び大太刀が正面から振り下ろされる。兜割りの構え、纏った甲冑ごと叩き割る腹積もりだ。必殺の間合い、必中の隙、これ以上のないと太鼓判を押せるほどの一撃だった。

 だが、弥三郎とて木偶ではない。ギリギリまで刃をひきつけ、薄皮一枚、経った一歩で一撃をかわす。このような修羅場なら幾度なく切り抜けてきた。

 亡霊が太刀を守りにまわすよりも早く弥三郎が動く。浮いた大太刀を刀でかち上げ、必殺の隙を生み出してみせる。


「――取った!!」


 裂帛の気合と共に弥三郎の一撃が放たれる。甲冑の合間、喉を狙った正確無比な突き、村正の鋭さ、刀の間合いを活かした完璧ともいえるような一撃だった。

 だが、弥三郎にとっての必殺は亡霊にとっての必殺でもある。弥三郎の突きに合わせて大太刀がその首へと振り下ろされていた。

 

  

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