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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
25/102

22、あるいはその名こそ

 彼らの歓喜は今も続いている。この日、今宵、この一瞬のために永き眠りはあったのだと、彼らは刃を振るう。日が昇るまでのあと幾許かの時がかれらにとっては全てだった。

 

「集まれ! 密集陣形! なにがなんでも姫様を守りきるんだ!!」


 彼らの知らぬ異国の武者の号令でほかのものたちが一点へと集う。数は少なくとも鉄壁に等しい守り、亡霊たる彼らであっても破るのは容易いことではない。そのことがまた彼らにとっては天啓にも等しい

 全くの予想外ではあったものの、騎士達の奮戦もまた彼等にとっては喜ばしいもの。最期に相応しいのは武辺確かな武者だけ、あのときあの場所で戦った源氏武者と肩を並べるだけの者達でなければならない。そうでなければこれほどの年月待ち続けた意味がない。

 その点においてはこの異国の武者達はこれ以上なく似つかわしいものたちだ。戦い方から装束まで何一つとして見知らぬものであっても矛を交えれば自然と分かるものがある。この敵は強い、これ以上は望めまいと確信できるほどに得難い敵だ。

 一振り、二振り、三振り。太刀を振るえば振るうほど、彼らは己を取り戻していく。覚えていないほどの昔、こうして彼らは戦っていた。来る日も来る日も延々と戦い続けてきた。都を追われ、屋島で敗れ、壇ノ浦で滅してもなお彼らは戦い続けた。例え落人と罵られ、背中に刃を受け、諸行無常に逆らってなお、彼らは彼らであり続けた。

 それがようやく報われている。この異国、この見知らぬ地でも彼らが己であり続けたそれだけの意味がこの戦いには存在している。


「――チィッ、なにをやってやがるあの野郎! ただでさえ、人手が足りねえってんのに!!」


「隊長! このままじゃ持ちませんよ!!」


「んなことぁ、分かってるよ!!」


 しかし、まだ足りない。騎士達が如何に強くとも彼らだけでは最期には足りない。この戦いからは最も重要な駒が欠けている、彼らにとって最も待ち望み、最も意味のある駒がまだ欠けている。

 天幕から敵を追い払ってなお、弥三郎は未だに天幕の中に留まり、戦線へと復帰していない。騎士達は重要な戦力を欠いたまま戦いを続けていた。

 彼らが真に待つのも彼のみ。唯一彼らを知るもの、同じ地で生き、同じ国で戦ってきた武者、彼らの最期を迎えるのにこれ以上相応しいものなど存在しないだろう。何処の家中の武者であったとしても構わない、あの武者だけが、あの下方弥三郎と名乗った荒武者だけが彼らの戦うべきものだ。

 あの武者を討ち取りあの天幕を落とすか、あの武者に討ち取られ塵と消え失せるか、そのどちらかでしか、彼らは最期を迎えることはできない。華々しい勝利か、確かな敗北、その二つしか彼らには存在していないのだ。

 果たして、終わりはやってくる、今こそが彼らの最期のときだ。


「――では、参る」


「……うん」


 美しき緑の君と共に彼は姿を現す。構えた刃は怪しく光をおび、視線には力と戦意が漲っている。彼らに喉があれば息を呑んでいただろう。

 隣に控えたものもまた彼らの関心を大いに集めた。手にした杖の放つ光は偉業たる彼をして不可思議なもの。何が起こるのか一挙手一投足を注視するだけの価値がある。

 二人の威容を前に、彼らは間合いを離す。彼らの出陣がこの戦の潮目を変えるものだと感じ取ったのだ。


「――遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!! 我こそは森の魔女が従者、下方弥三郎忠弘なり! 平家の荒武者共よ! 未だ武士の誇りを宿すのなら、我と神妙に一騎打ちせよ!!」


 轟け、響けとばかりの大音声。惚れ惚れとするほどに堂々と彼は一騎打ちを申し出た。

 その声は、その言葉は、失われたはずの彼らの記憶を呼び覚ます。何時とも知れぬ昔に彼らもこうして名乗りを上げ、一騎打ちに臨んだ。名誉と命を己の武に掛け、相応しき敵と競い合う。その失われた一瞬こそが彼らの望んだものだった。


 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 弥三郎の名乗りから少し前、彼は天幕の中で息を吐いていた。彼をして、傷を負うことのない亡霊との戦いは並大抵のものではなかった。傷こそつかぬものの、亡霊の刃を受ければ確かな痛みが襲ってくる。例え掠り傷であっても、痛みと疲労は着実に蓄積していた。


「――ッ少々拙いな」


 外では変わらずヴァンホルト率いる騎士隊が奮戦を続けている。相も変わらず見事な戦ぶり、言葉を尽くして褒め称えても足りないだろう。

 だが、それでも勝てはしない。このまま消耗していけば夜明けまでは到底もたない、どれだけ奮戦しても敗北はそこまで迫っている。この天幕への侵入を許したのがその証左、天幕の隅で未だ意識を取りもどさない騎士達は何よりも雄弁に状況を物語っている。遠からず戦線は崩壊するそれは確定した事実だった。


「ご無事か?」


「え、ええ、私は」


「それは幸い、では、某は」


 未だ呆然とした様子のユスティーツァの無事を確かめると弥三郎は再び前へと向き直る。恐れと驚愕の入り混じった侍女たちの視線の中に、二つだけ彼を心から案じる視線があった。無理を押して進もうとする彼に直ぐに二人が駆け寄ってくる。


「…………大丈夫?」


「巫女殿……なにこの程度、大したことはござらん。それよりも――――」


 発しかけた言葉を思わず飲み込んだ、この期に及んで落ち延びよと彼女に告げることは弥三郎にはできない。自らがどれほどそれを望んでいたとしても、それは彼女への侮辱に他ならないからだ。自らの無念で彼女の信念を押し曲げることは彼にはできなかったのだ。

 

「アイラ殿はご無事か?」


「は、はい、弥三郎様!」


「そうか。…………抜かせぬと約束したはずが守れぬとは面目ない」


「い、いえ、私は大丈夫ですから……」


「すまぬついでに巫女殿を頼む。某は行かねばならんのでな」


「え、でも……」


 ならばすべきことは一つ、なんとしても彼女達を守りきる、ただそれあるのみ。この身を捨ててでも夜明けまで戦い続けるほかない。

 膝に力を込め、覚悟を決めて立ち上がる。迷いなどあろうはずがない、あの燃え盛る城から、主君を死なせたあの時から命などとうに捨てている。今更主君のために身を捨つることに何の迷いがあろうか。


「ま、待って、その、どうする気?」


「…………どうもこうもござらん。この弥三郎、巫女殿に勝ちを約束致した。その約定を果たすのみ」


 らしくもなく動揺した彼女の声に一抹の罪悪感を抱きながらも弥三郎は振り返らない。ただ漸く名を呼ばれたのに直ぐに今生の別れとなることだけが未練ではあった。

 だが、未練を残したまま死に損なうことはもうに度々許されない。今度こそ、主がために殉じる、その決意を弥三郎は固めていた。


「…………駄目、それは駄目……」


 彼の思いを知った上で森の魔女は自らの従者を引き止める。それは義務からでも使命感でもない彼女自身のうちからわき出でた感情からの行動だった。彼を失う、下方弥三郎という男が消えてしまう、そう考えただけで地さえも消え失せてしまうような不安感に蝕まれる。自分が今何処に誰として立っているかさえわからなくなってしまう、そのことへの恐怖が彼女を突き動かしていた。


「しかし、巫女殿、某が行かねば――」


「……わかってる、でも、勝ち目がないなのに戦うのは駄目。でしょ?」


「それはたしかにそうだが……」


 とってつけた理屈でもって彼をどうにか引き止め続ける。武士たるもの勝ち目のない戦はせぬものというのは弥三郎の言ではあるものの、例え勝ち目のなくとも主のため戦うのが武士でもある。

 ただの言葉だけで止められるとは彼女も思ってはいない。彼を失いたくないのなら、彼の意思を無視してでも詞で止めるか、この戦いを勝利に導くかの他には無い。


「少し待って、必ず、必ず……方法を考えるから」


 深く一呼吸、瞳を閉じて思考を研ぎ澄ます。意識を限りなく透明にし、知識と自我を溶け合わせる。難しいことはない、森と行う同一化を自らに施すだけのこと。知識をただ検索するだけではなく、自らの一部となすことでその全てを組み合わせ、重ね合わせ、繋げていく。解答を導き出すには、彼女の所蔵する知識だけでは足りない。新たなものを既にあるものから作り出す、それこそが彼女が得た新しい力だった。

 あの敵はただの亡霊ではない、確かな体を持たずたゆたうことしかできないという特性を彼らは完全に無視している。意思を持たずに習性のままに行動するだけの死霊とも違う。肉の身でなくとも、現世に干渉する力は精霊にもにているが、人の姿を持つという点において彼らは決定的に異なっている。

 幾つもあるそれら幽界の者達の特性を彼らはバラバラに持ち合わせている。一つ一つならば彼女の知識で対応できる、どれか一つなら簡単に事態を解決できた。ではどうするか、導き出してみれば簡単な解答だ、こちらも全てを組み合わせればいい。対処法がないのなら新しい対処法を作り出せばいいのだ。

 大きな危険と大いなる責任を伴う、その選択を彼女は選ぶ。自らを守るため、自らの居場所を守るため、そしてそこにいる者たちを守るため彼女は決断を下した。

  

「―――よし」


 答えは出た。必要なのは一つだけ、弥三郎の同意だけだ。


「…………ヤサブロウ、手伝って」


「! 応! この弥三郎、もとより巫女殿が臣下にござれば……!」


 彼女の言葉に弥三郎が応える。主により名を呼ばれる、それはただの言葉ではない。彼にとっては福音にも相応しいものだった。

 彼女が頑なに名乗らず、人の名を呼ばぬのには意味がある。森の掟には名を守り、名を隠せ、とある。それは上辺の避諱や迷信とはわけが違う、名とは詞でありその存在そのもの、彼女達は容易くそれを操ることができる。それこそ名さえ知ればそのものの魂すら異のままにすることすら可能だ。

 だからこそ、魔女達はそれを最大の禁忌としてきた。唯一の例外を除いて、彼女達は誰かの名前を呼ぶことも、自ら名を名乗ることも決してしない。自身の名を宝とするように、他者の名を尊ぶだけの美徳が森の魔女達には受け継がれてきた。

 弥三郎にとって名を呼ばれること以上に、彼女にとって名を呼ぶことには大きな意味があるのだ。


「――それ、貸して」


「え、は、はい、これでいいんですよね?」


「……うん」


 アイラから脇差を受け取ると、森の魔女は自らの手にそれを押し当てた。刃が柔らかい肉に食い込み、赤い血が零れ落ちる。


「――我が血をもって奉る」


 詞による祈り、遍く万物へ呼びかけるその聖句と共に印を刻む。契約と共有を意味する森の文字を己が血で描く。

 詞を紡ぐにつれて力が収束し、印が光を帯びる。もはや、両者の同意さえあれば直ぐにでも契約が成立する。

 俄かに空気そのものが光を帯びる。息を呑んで見守ることしかできなかったアイラやユスティーツァ、侍女たちを置き去りに周囲の全てが彼女の言葉に応えているのだ。

 

「――これは契約、私と貴方の。一度結べば切れることはない契約、それでも……いい?」


 誠意と真剣さをもって彼女は問い掛けた。この契約を結ぶことは両者にとっての不可逆の変質を意味する、必要なこととはいえこれは決して並大抵のことではない。お互いのこれからを全て互いに差し出すことに他ならないのだから。

 彼女は生まれて初めて自身の感情に判断を任せた。彼は、弥三郎は彼女の命、それ以上に尊いものを預けるにたる人間だと、彼女は信じた。それは軽率だったといえるかもしれない、どうかしているといわれればそうかもしれない、それでも間違ってはいないと、胸を張って言い切れる。彼の変えた彼女がここに実を結んだのだ。


「もとより、弥三郎が身命、巫女殿にお預けしております。今更何を躊躇うことやあらん」


「うん。私も貴方に託す」


 恐れなく、迷いなく弥三郎は詞に応じる。一切の偽りはない、彼は心の底から彼女に全てを託すと、そう言い切ったのだ。


「――我が名はアンナリーゼ・クレイオネス・シビュラネア。森に仕えるものにして、知識を手繰るもの。我が名と我が血をもってこの者を我が従者と為す」


 詞と共に弥三郎の胸へ彼女の手が据えられる。何が起きているのかわからずとも、周囲の者達にもその行為の持つ大きな意味を感じ取ることはできた。


「下方弥三郎忠弘、我が名に掛けて承る。我が命続く限り、貴方を護るとここに再び約定致す」


 弥三郎の詞に紋章が応える。赤色の輝きが周囲を満たし、弥三郎と森の魔女、アンナリーゼを繋ぐ。お互いの感覚、記憶、感情が混ざり合い、新しく両者を定義する。その光が収まったその時、彼らは漸く真の意味で主従となった。

 森の魔女の名が何処にも記されず、この契約が歴史書の何処にも何も残っていないとしても、この夜、この契約こそが彼らの運命を変えたのだった。

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