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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
23/102

20、あるいは彼らこそが

 その場所は遥か伝承も堪えるほどの古、亡霊の棲み処として畏れられていた。その廃墟に流れ着いたものたちが何ものであるかを知る前に彼らは恐れを抱いた。出自も知らなければ、あらゆる全てをことにした彼らを、今は滅びたこの地の民はただ畏れ遠ざけたのだ。迫害することもなければ、助けることもない、傷つき死を待つだけの亡霊たちを彼らはただ静観していた。墓を建てることもなければ、名を書き記すこともない、ただその地には亡霊がいたと畏れ続けていただけだった。

 流れ着いた彼らにしても、最期を迎えるその時でさえ、答えを得ることはできなかった。自らが異なる地へと辿り着いたと知ることすらなく、この地で果てたのだ。自らの無念がもはや果たされることないものだと知ることすらないままに、彼らの命数は尽きた。

 そのまま彼らの全ては土に埋もれ、塵へと還り、誰の記憶に留まることなく、ただ消え行く運命にあった。そのはずだった。

 どれだけ運命を恨もうとも、どれだけ無念を訴えようとも、それは変わらない。世界が違えども摂理は同じ、消え逝くべきものは消え逝くが定めだ。しかし、それでも、彼らは待ち続けた。名を忘れ、故郷を忘れても、無念だけは残った。

 そして、いまこそその無念は結実する。彼らを識るものが、彼らの無念を祓うものがようやく現われたのだ。同じ出自を持ち、同じ血の流れる者が漸く現われたのだ。

 もはや、待つことは適わない。たとえそのもの他になに概要とも構いはしない。最期の日を覆すため、無念を祓うため、彼らは再び異界を駆ける。


 

 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 



 


 開戦の合図は一つの悲鳴だった。

 悲鳴の挙がったのは野営地の西側、見張りに立っている騎士の一人が挙げたものだ。眠りに堕ちかけた騎士達を耳を劈く悲鳴が醒ました。彼らが警告を発するよりも速く、まるで奇襲のように彼らは現われたのだ。

 その真贋はどうあれ、切羽詰ったその声は疑いなく危機を知らせるもの。ほぼ全員がまどろみから脱し、武器を取る。すぐさま、飛び起きてきた騎士長たるヴァンホルトが彼らを纏め上げ、命を下す。彼らにとって優先すべきは一つ、姫たるユスティーツァの御身の無事。迷うことなく彼らはその場所に駆けていた。

 彼らとて長く鍛錬を積んだ精鋭の戦士たち、にわか仕込みの傭兵や山賊などとは違う。寝込みを襲われたとしても、並大抵のことでは士気が崩れるようなことは無い。例え相手が我に倍する敵であっても姫を守りきるだけの自身が彼らにはあった。相手が彼らの想像しうるものであったのなら、実際にそうすることができただろう。

  明かりを手に彼らが姫の天幕の周囲へ展開し終わると、見張りに立っていた騎士が逃げ込んでくる。剣をうち捨て、鎧すら乱し、敗残兵のような有様だった。青色吐息、その顔には明確な恐怖が刻まれていた。


「お、おい、アレン! どうしたんだ! 何に襲われた!?」


「あ、ああ…………」


 必死に揺すって答えを求めても答えは返ってこない。見た目には傷一つ負ってはいないというのに、彼は無残なほどに衰弱し、言葉を発することすらもできなかった。


「クソッ、どうなってる! おい、あんた等! 何か知ってるんじゃないのか!?


 彼らが集うよりも一歩早く、天幕のものへと駆け着けていた弥三郎にヴァンホルトがそうがなりたてる。何が起きてるにせよ、ただの夜襲ではないことは確かだ。となれば、この場においても最も異質な人間に問い掛けるのは自然なことといえる。


「生憎と我らも正体は知らぬ! しかし、戦わねばならんのは確かであろう!」


「チィッ、一体何だってんだ! おい、何をやってる! とっととアレンを天幕に運び込め!」


 しかし、異邦人達とて困惑は同じ。正体の推理すら適わないものとの邂逅など予想だにしていなかった。

 何一つとしてわからない状況に苛立ちを覚えながら、ヴァンホルトは努めて冷静に指示を飛ばす。この異常事態にあって礼節がどうのなどと言っているような余裕はない。この天幕を傷を負った部下の臨時の避難場所として扱うのもやむをえない。何が起ころうとも守りきる、そのためには手段は選ばない、それだけの覚悟が彼にはあった。


「な、何事ですか! 姫様のご寝所を騒がすなど、無礼にもほどがありますぞ!!」


「それどころではないんだ! 直ぐにでも逃げられるように姫様に支度いたされるように申せ!!」


 騒ぎを察して出てきた侍女にヴァンホルトが怒鳴り返す。彼女の言うよう順序を踏んで悠長に構えているようなことはできはしない。彼の戦士としての直感が状況は刻一刻を争うと告げていた。

 それはヴァンホルトに限った話ではない。この場にいる全ての騎士達もその危機感を共有していた。一秒ごとに何者かに囲まれているような錯覚、まるで戦場に立っているかのようなそんな緊張感さえ漂っていた。


「何処からきやがる……何処から……」


 破裂しそうな空気の中、全員が闇へと視線を向ける。野営地の周囲を囲む林では明かりに照らされていない夜の闇がそのままにこちらを睨んでいる。その闇の中に何かが潜んでいる、そんな予感が彼らを襲っていた。

 果たして、その予感が結実したのか、それらは闇と共に姿を現す。林の向こう、夜の向こう、闇の向こうからそれらはやってくるのだ。彼らの脳裏に過ぎるのは寝物語に語れる亡霊の御伽噺、この世界においても死者は闇と共に戻り来るとそう伝えられている。


「――――なんだよ、ありゃ」


 誰かが思わずそう漏らした。目の前に現われたそれらは騎士達にとって全てが未知のもの。それが何であるのか理解しようとすることすら難しい、そんなものが目の前に存在していた。


「く、来るぞ……!」


 周囲を闇に染めながらじりじりと近づいてくる無数のそれらに対して、彼らはただ慄くことしかできなかった。戦おうにも、どう戦っていいのかも分からない。目の前にいるものは彼らにとって全くの未知そのものだった。


「おい! 魔女! 本当にアンタにもあれが何か分からないのか!?」


「……わからない……本当に」


 震えた声で森の魔女が答える。彼女もまた混乱の中にあった。

 闇の中で蠢くそれらは彼女にとっても未知のもの。必死に頭の中の知識に照らし合わせても、そのどれに当てはまらない。

 ただ感じることはできている。ただの資料の類とは違う、あの闇の主には明確な意思をもっている。だというのに、彼女の詞が通じていない。あらゆる呼びかけも、あらゆる制止もそれらは聞いてはいない。

 恐怖、今まで感じたことのなかったそれが胸中で渦巻く。目の前のそれらは二千年を越す歴史と膨大な知識を持つ森の魔女をして理解できないものだった。

 森の魔女を含めてほぼ全員が恐怖に足が竦んでいた。ただ一人を除いてすべての人間が何をすべきかもわからずにいた。


「――アイラ殿、巫女殿、お下がりを」


「や、弥三郎様!?」


「……なにを…………」


 怯える二人を背に弥三郎が一歩前に踏み出す。周囲に恐怖と驚愕が満ちる中、彼だけが唯一平静を保っていた。彼とて亡霊や化生を恐れぬわけではない、だが、恐ろしいからといって退くような下方弥三郎ではない。そも相手が人間だとは思っていなかったのだ、それが彼女にとっても未知のものであったとしても今更怖気づく理由は何処にもない。

 さらに前に、騎士達をも抜きさって闇と相対する。一寸先はまさしく闇だが、恐れず怯まず、腰の刀を抜き放ち、大上段に構えた。自身に高徳や祓いの類の力が宿ると自惚れるつもりは一切ない。

 さりとて、こうする以外に彼は所作を知らない。主命あらば相手が何であれ己の武威を頼りに戦う、その武士としての不文律に彼は何処までも忠実だった。


「――下方弥三郎忠弘、参る!」


 気迫の一声と共に目の前の闇へと白刃を振り下ろす。雑念は一切なく、正しく乾坤一擲であった。

 しかし、どれほどの剣豪であっても闇を斬る事は適わない。刃はただ空を切り、無為に終わる。そのはずだった。


「――ッ!」


 瞬間、響いたのは風きり音ではない。金属が金属を、刃が刃を受け止める甲高い音が闇に反響した。

 思わず驚愕に声が漏れる、何者かと鍔競り合う確かな手応えを弥三郎は感じていた。それは決して偽者ではない、打ち合っているこの敵は確かにこの場に存在している。


「なんと……!」


 力の拮抗は一瞬、蹈鞴を踏んで弥三郎が押し戻されてしまう。すぐさま弥三郎は体勢を立て直し、村正を構えなおすが、出鼻をくじかれたという感覚は否めない。正しく剛力、弥三郎をして舌を巻くほどの技量をこの闇の主たちは備えていた。

 

「――――ッ!」

 

 闇が揺れる、一層深く激しく形を変える。不定形から定型へ、やがてそれらは人型へとその姿を取り戻していく。恐怖と嫌悪に全員が息を呑み、剣を持つ手がどうしようもなく震える。それはまるで自然の摂理を冒涜するようなおぞましい光景だった。

 永遠にも等しい恐怖の後、それらは彼らへと姿を変える。その姿を知るものはこの世界には誰一人としていない、そのはずだった。

 

「――あれは」


 あらゆる感情に先んじたその言葉は感嘆さえも感じさせる響きを含んでいる。目の前にある異形たちは弥三郎にとってはこの世界の何者よりも鮮明に映った。

 顔のない十数の騎士達、奇妙な鎧甲冑を纏った彼等、騎士達にはただの異形としか映らずとも、弥三郎には違った。


「弥三郎様……あれって……」


「某にも分からん、だが、あれは、いや、こやつらは間違いなく……」


 弥三郎の言葉には驚愕と感嘆が滲んでいた。目の前にあるは彼の世界にて過去になったもの、史書と物語語られるもの。この邂逅は二つの意味でありえないものであった。

 相対するは着背長の大鎧、佩びたるは二尺三寸の飾り太刀、そのどれもが弥三郎の武具とあらゆる点で酷似している。だが、違う、彼らの纏うそれは、弥三郎の生きた戦国の世より四百年の昔、源平の御世にて用いられたもの。彼の世界に確かに存在したものがこの場所にも存在している。

 幾星霜のときを越えて、今再び、オリンピアの地に平家の赤旗、揚羽蝶の旗印が掲げられた。




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