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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
21/102

18、あるいは試練の始まり

「…………なにもない」


「――某の杞憂でござったか。いやはや耄碌するには早すぎるのだが……」


 驚いた様子でそう呟いた彼女に弥三郎が溜息を吐いてそう返す。彼女の言葉の通り周囲の茂みにはめぼしいものは何もない。周囲を一通り巡ってみたものの、何処も同じようで、二人の調査は完全な徒労に終わっていた。

 

「巫女殿、そろそろ引き時かと」


「……少し、少し待って」


 既に夕刻。もうすでに日は暮れかかっている、半刻もすれば夜が来る。野営地では既に夕餉の準備が整えられていることだろう。杞憂に過ぎないと分かれば、意味のあるとも分からない散策を続けるよりも腹を満たして、夜をやり過ごしたほうが懸命だ。

 弥三郎とて、自身の勘働きに自信がないわけではない。だが、森の魔女をしてなんら異常を見つけられないのだ。胸にくすぶる違和感は旅の疲れだと結論付けるのが自然だ。

 それでも彼女はまだ続けると、そう言った。確かに周囲一体は虱潰しに調べた。何もないことは彼女の自身の眼を通じて確認している。形をもたぬ魔をも見抜く彼女の眼に何も映らないということは実際に何もいないということに他ならない。懸念していた類のものはこの周囲には生息していていない。死霊も妖精も魔獣も彼女が領分とするものたちを彼女は終ぞ見つけることはできなかった。


「……わからない」


 だというのに、胸のうちに掬った違和感は予感にも似た不安に姿を変えている。彼女の魔女としての第六感は一秒ごとに警告を強め、ありもしないものに彼女は恐怖を憶えていた。それが叶うのなら今すぐこの場から逃げ出してしまいたい、そう思えるほどに。


「……巫女殿」


「…………なに」


 怯えた肩に力強い手が置かれた。思わず彼女はその手に自らの手を重ねていた。節くれだった指を握ると薪割りや素振りでできた肉刺や胼胝に触れられた。不思議なことに、そのごつごつとした無骨なその手がどんな言葉より彼女には暖かなものに感ぜられる。嘗ての言葉の通り、何があっても自分が守ると弥三郎はそれだけで示してみせたのだ。


「……ここで切り上げる」


「それがよろしかろう。なに、今宵は某が寝ずの番に立ちますゆえ、ご安心召されよ」


「……うん」


 そう胸を張って宣言する弥三郎を連れて彼女はきた道を引き返す。胸のうちの暗い不安は消え去ったわけではない。

 しかし、もう少し経てば夜がやってくる。それまでには野営地に戻っておかなければならない。日が沈み、月が昇れば、世界は一変する。そうなれば、潜んでいるものが湧き出てくるかもしれない。

 どうにかしてこの場所から移動するのが最善だが、今からでは夜までにはどうやっても間に合わない。しかも、どうやっても見つけることができない以上、来るかもしれないものに備えるのが現状、彼女にできる数少ないことの一つだ。為すべきこと為すという森の掟は外の世界でも変わりはしないのだから。


「如何した?」


「……ううん、なんでもない」

 

 ふと、隣を歩く弥三郎に眼を向けた。思えば、弥三郎は彼女と同時かそれよりも先に違和感を察知していた。戦士に特有の第六感か、はたまた彼女と共に森で過ごしたことによる影響なのか、それは彼女にも分からないが、とにかく彼は気付いていた。

 そのことが何故か彼女には嬉しくてならなかった。十数人いた騎士達と、姫とその侍女達、アイラ、その中の誰一人として気付きはしなかった。ただ自分と弥三郎だけがそのことに気付いた、ただそれだけのことなのにそれがまるで福音のように思えたのだ。どうしてそう思えるのか、それは彼女自身分かりはしない、その感情の正体が何なのか、彼女は知りはしないからだ。それでも、彼女は嬉しくてしかたがなかった。今はただそれだけで充分だった。

 そうして二人はその時を迎える。これから出会うものがなんであるかも知らぬままに否応なくその時は訪れるのだ。



 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 二人が野営地に戻ると既に日は暮れていた。あちこちで火が焚かれ、すでに夕餉の準備すら始まっている。奥にはこの場には似つかわしいくない簡易ながら豪勢な造りの天幕が鎮座しており、誰のものかは一目瞭然だった。

 

「あ、お二人様、一体どちらに……」


「アイラか、少しそこらを見回っておったのだ……そなたこそ何をしておる?」


 視線を集めながら野営地を横切っていると、残っていたアイラが駆け寄ってくる。そのアイラの姿は弥三郎から見ても些か奇妙な姿だった。

 活き活きとした表情のアイラは枯葉色の旅装の上から小汚い前掛けを掛け、両の手には三つの皿を抱えている。一体何をやっているのかと弥三郎でなくても問いたくなるだろう。


「あ、これですか? 折角だからお料理と給仕の手伝いをさせていただいてるんです! 折角なら美味しいもののほうがユスティーツァ様も喜ばれるかと思いまして」


 アイラがこの旅において期待されている役割はいざというときの保険でしかない。旅の間、余計なことさえしなければそれでいいという認識しかされていない。

 それでも手伝いを申し出た理由はいくつかある。一つは、ただ大人しくしているのが彼女の性分に合わなかったと言う事。いくら緊張しているといっても、三日もすればそのことにも慣れる。気晴らしに得意なことをするというのも悪くはない。


「これ、お二人とユスティーツァ様と侍女様の分なんですけど…………」


「む、そうか。では貰うとしよう。そなたが手を加えたのなら間違いはない」

 

 もう一つは、単に騎士達の作る雑な料理が我慢ならないというだけのことだ。味付けはしているのかさえ怪しいうえに、食材を適当に煮込んだだけのシチューは料理と呼ぶのもおこがましい。端的に言えば、弥三郎でさえ眉を顰めるほどに不味いのだ。二日もそんなものに堪えたのだ、せめて最後の日くらいはまともなものを食べたいと思うのが人情だろう。

 実際のところ、彼女の料理の腕は中々のものだ。宮廷に仕える料理人とまではいかないものの、田舎貴族のお抱え程度なら務まる。少なくとも、騎士達の舌を唸らせるくらいなら彼女には容易いことだ。使える食材はほとんどないに等しいが、貧乏所帯は慣れている。

 アイラの作った二人分のシチューを受け取ると、弥三郎は適当な焚き火の傍に腰を下ろす。これからどうするにせよ、飯を食っていないのではじっくり考えることすらできない、今宵は修羅場が待っているのかもしれないとなればなおさらだ。

 旅の最中であっても三人はこうして共に食事を摂っていた。気苦労ばかりの旅の中で普段の日常と変わらないこの時間はそれなりに心地のよいものであったのは確かだ。


「ふむ、中々に美味い。昨日までとは大違いよ」


「あ、ありがとうございます、そう仰っていただけるととっても嬉しいです。そういえば、なにか御見つけになられたのですか?」


「それがな、なにもないのだ。見事なまでに」


「そ、それは良いこと…………ですよね?」


 シチューに舌鼓を打ちながらそう答えた弥三郎にアイラが聞き返す。二人が散策に赴く前、嫌な予感がすると二人が口にしていた事を彼女は忘れてはいない。その予感が正しいものだったのか、杞憂に過ぎなかったかについては無関係のままではいられないのだから。


「……わからない、私にも」


「そ、そうなんですか」


 無言でシチューを口に運んでいた森の魔女がアイラの問いに答える。安心していいのか、どうするべきなのか、それは彼女にも分かっていない、それは嘘偽り誤魔化しのない答えだった。


「ユ、ユスティーツァ様にもお伝えしたほうがいいでしょうか?」


「まあ、そうしたほうがよいかも知れんな。まともに取り合ってくれはすまいが、伝えずにおくのも不義理ではある。如何いたましょうや、巫女殿」


「……うん、そうしたほうがいい、と思う」


 無駄だとは分かっていても伝えずにおくのは不義理だ。森の掟と彼女自身の心情に照らし合わせても、いざ事が起こるまで黙っているということはできない。アイラの言うとおり一応は伝えておくべきだろう。


「……私、行ってくる」


「では――」


「……いい、食べてて」


「しかし――」


「……いいから」


 食事も半ばに同行しようとする弥三郎を抑え、彼女は一人で天幕に向かう。弥三郎が隣に立っていてくれるならそれはどんな助勢よりも頼もしい。けれども、これから行うのは所詮は彼女の自己満足に過ぎない。そも、この予感そのものが不確かなものなのだ。すべき事をしているのは確かだが、それでも迷いは残る。迷いの残る行動に弥三郎を付き合わせるわけにはいかない。

 

「むう、ここは巫女殿にお任せするほかないか……」


「そうですね、私達じゃお目通りも適いませんし……」


 渋る自分を置いて一人歩いていく背中を見守りながら、弥三郎がそう呟く。なんであれ主の命には従わなければならない、心情としては反対でもおいそれと異を唱えるわけにもいかない。こうなってしまえば、上手くいくよう天に祈るくらいしかできることはないのだ。


「しかし、アイラ殿、その方も苦労なことよな。旅慣れておらぬ身では野宿は中々に堪えよう」


「い、いえ、アウトノイアまで旅をするのはこれが初めてではありませんし、眠るときは天幕のなかですから……」


「ほう。それはまた気苦労が多かろう」


「そ、そんなことないですよ!」


 あけすけに物を言う弥三郎に振り回されつつも、アイラは弥三郎との会話を楽しんでいた。彼と出会ってから半年足らず、未だ戸惑うことは多いものの、彼という人間を漸く理解し始めたそんな頃合だ。

 弥三郎にしても、このアイラという村娘の事を信頼している。村人を纏め上げる手腕も、皆から慕われる人柄も、賞賛に値するものだ。快活でありながら思慮深い性格も接していて快いもの。恩人の輩となってくれるのなら、これ以上は望めない人材といえるだろう。


「それに大変と仰るなら弥三郎様こそ……」


「いやなに、草を寝床に石を枕にするのは某とて慣れたもの。雨も雪も降らぬだけ、こちらのほうが楽でござる」


 故郷を懐かしむような言葉を弥三郎は口ずさむ。行軍となれば厳しい山道を三日三晩歩き詰めということも珍しくはない。それに比べれば、精神的な疲労はともかくとして、体力面で言えばこの旅路は楽な部類に入る。見方を変えれば、見慣れぬ景色を楽しむ余裕がある分、楽しい旅路とも言えるだろう。


「そうですか……そういえば弥三郎様のいらっしゃったお国についてお聞きしてもよろしいでしょうか? 私、その、興味がありまして……」


「ん、アイラ殿には話しておらなんだったか。話せば長いが、夜話には良いかも知れんな」


 弥三郎はそうしてつらつらと語りだす。まずは自らの生まれた国、故郷たる尾張のことから始まり、仕えていた家のこと、駆け抜けた戦場での手柄まで。自らを語るのは得手とする所ではなかった、それに万の言葉で語るより一つの行いで示すのが武士としてのあるべき姿でもある。

 

「ヒノモト、オワリ、キョウ、どれも聞いたことがありません……」


「そうであろうな。某とておりんぴあだの、ばれるがなだの、あるかいおすだの、一つとして聞き及んだことがござらん。南蛮の何処かではあるのだろうが……いやはや、遠くまで来たものだ」


 しかし、語れば語るほど弥三郎は雄弁になっていた。関を切った話は、ついにはこの場所へ、オリンピアへと辿り着いた経緯にまで辿り着く。話がそこまで進むと自然、弥三郎の口ぶりも熱の篭ったものに変わる。

 あの謀反、あの本能寺、あの二条御所、あの時の炎は消えることはない。自らの主を守りきれなかったと無念と口惜しさは消しても消えないものだ。そのことについて語るのに感情が噴出するのはいたしかたないことではある。


「…………すいません。無遠慮にお聞きしてしまって……」


 弥三郎が一通り語り終えると、アイラは申し訳無さそうに視線を落とす。何一つ実際を知らぬ彼女の耳から聞いても、弥三郎の語る物語、その終端が悲しみに彩られたものであることは容易に理解できた。話の奇妙さや奇想天外さなど気にはならなかった、ただこの目の前の男がそれだけの事を背負っているということを彼女は理解したのだ。


「よいよい、そなたが気に病むことではない。むしろ、非があるのは余計なことまで口にした某のほうであろうよ」

  

 そんな彼女の様子に同じく申し訳なさと僅かな喜びを感じながら弥三郎はそうアイラに告げる。単に同情や憐れみの言葉を掛けられるより、彼女の率直な言葉は弥三郎の心に響くものがあった。


「さて、某の話はここまでぞ。今度はアイラ殿、某はそなたの話を聞いてみたい」


「え、私ですか? ですが、私の話しなんて大したものでは……」


「それでよい、某はここの世俗が知りたいのだ」


 今度は弥三郎がアイラへと話しを返す。夜は長い、旅の無聊を慰めるには他愛のない四方山話ほどよいものはない。


「それでですね、村では毎年――」


 気付けば二刻近くが過ぎている。周囲ではすでに食事もすんで、就寝の準備が始まるそんな頃合だ。それに気付かないほど二人はお互いの話に熱中していたのだった。

 そんな団欒の中でもその時は静かに近づいてくる。ささやかな平穏など吹き飛ばす試練が、目の前に迫っていた。

 そうして、何も知らぬままに二人はその時を迎えることになる。歴史書の語らぬ戦いが、今始まろうとしていた。



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