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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
20/102

17、あるいは予兆として

 領都アウトノイアへの旅そのものはそう過酷なものではない。面倒な山越えはないし、沼地や大河が横たわっているということもない。街道筋を辿って旅をしていけば、何の苦労せずに辿り着ける。歩けば一週間、馬ならば三日、旅慣れているものならなんとも思いはしないだろう。

 なの見所もないただ踏破するだけの道のり。そんな道程が彼女にとっては新鮮で興味深いものだった。

季節は夏も佳境、馬車の窓から覗く小さな世界は瑞々しい命に満ち溢れていた。降り注ぐ太陽、遠くに映る街の影、風に揺れる穂波、額に汗して働く農夫達。叶うのならば、直に目にし、香りを胸いっぱいに吸い込んで、触れてみたい。そうすれば身のうちに蟠る恐怖も背筋を這うような違和感も忘れられるはずだ。

 しかし、そう思ってみても、馬車の中から出る事は許されていない。対面に座した姫と同じように森の魔女が姿を晒すことはできない。一目彼女を見て大樹の森の魔女と看破するものは一人としていはしないだろが、それでも用心に越したことはないと、彼女は馬車の中に閉じ込められていた。体のいい監禁だ、彼女を扱う従者達の態度は囚人に対するそれとそう変わりはない。


「魔女様、帳を下ろされた方がよいかと」


「うん」


 緊張した様子で隣に控えたアイラの言葉に従い、帳を下ろす。正面から行商隊(キャラバン)がやってきている。すれ違っても馬車の中身を見られるわけにはいかない。名残は惜しいが、仕方のないことではある。

 いく見ても見飽きることのない窓から目を離し、馬車の中に目をやると見飽きた光景が広がっている。憂いに満ちたユスティーツァに顰め面の侍女二人、となりでは落ち着かない様子のアイラが不安げに視線をさ迷わせている。換気はしているはずなのに、空気はよどんでいるように感じられた。正直なこところ、彼女にとっても居心地は悪いことこの上ない。

 もともと、他人が同じ空間にいることそのものに慣れていないのだ。残り一夜のこととはいえ、気の滅入るのも当然だろう。

 ネモフィ村を出発して二日、一行は二つ目の関所を通過したところだった。


「ふん、我らから税を取り立てるなど身の程を弁えぬ役人もおったものだ」


「仕方がありますまい、我らが何者か明かすわけにはいかんのですから。それにもうしばらく辛抱、明日の今頃になればエールで喉をうるわせましょうぞ」


「それに女もな。奥方衆が我らを待っておるぞ」


 下世話な会話を交わしながらも手綱を握る手は一瞬たりとも乱れはしない。多少品性に欠けていても彼らはヴァレルガナ騎士団の精鋭、眠っていても落馬するようなことはない。

 城まではあと一日。あと一晩、屋外で夜を明かすことにはなるものの、アウトノイアの街はもう目と鼻の先だった。


「騎士長、野営地はこの前のところで?」


「おう、あそこなら問題はあるまい」


「うへぇ、あそこは薄気味悪くて適いませんぜ、騎士長。何でも昔、あそこで戦があったって話でしょ……」


「俺も嫌だが、見栄では麦は買えん。それともお前が別の場所を見つけてくれるってのか?」


「いや、まあ、そういうわけじゃ……」


 旅そのものは恙無く進んでいる。不自由な旅だが、行きで慣れている分、行程をある程度短縮することができていた。野営地選びしてもそうだ、行きは街道を外れた場所を確保するのに苦労したが、帰りはもう一度同じ場所を使えば済む。それがどんな場所であっても、あるのとないのでは大違いだ。

 この分なら、城につくのは予定をよりも随分早くなるはずだ。急使を送れば、朝には城に無事を知らせることもできる。あと一息だ。


「しかし、アイツもきちんと付いて来ますね。へばるもんだと思ってたのに大損でさ」


「確かに蛮族にしちゃなかなかの手綱の使い方だ。まあ、所詮中々だがな」


「――――」


 ぺルソダスを巧みに操る弥三郎は彼らの速度に遅れずに追従している。その間、馬上でも一切気を緩めるめてはいない。それとなくではあるが、周囲に注意を向けていた。賊や獣、注意すべき対象はいくらでもいる。旅路に危険が付き纏うのはオリンピアにおいても変わりはしない。

 しかし、彼にしてもこのオリンピアの景色は目新しいものばかりだった。石造りの建物や麦の稲穂、一つ一つは興味深く愉しくとも、一々全てに驚いていては神経がもちはしなかっただろう。どれだけ風景は違えども、人は人である、文化の差はあれどそこは変わりはしない。額に汗して働く農夫達も、それを手伝う女子供も、柄の悪い騎馬武者たちも彼の見慣れたものと同じだ。それに気付かなければいまごろ気が滅入っていたところだ。


「おい、アンタ。あと三レウガ進んだら休憩だとさ」


「……相分かった」


 一応伝えられた距離を弥三郎はおおよその見当をつけた。この速度なら今日進めるのはおそらくは十里ほど。休まず千里を駆け抜ける自信がないわけではないが、それでも休憩はありがたい。息を整え、気を落ち着かせれば、先程から付き纏っている違和感の正体も掴める筈だ。

 目算どおり、日が暮れ始める前には予定とされていた野営地に辿り着くことができた。街道から少し外れた開けた場所、周囲には人の手の加わっていない林が広がっており、必要に迫られなければこんな場所に野宿しはしないだろう。

 気配、そうとしかいいようのないものを弥三郎は感じていた。二つ目の関を越えたあたりから、どうにも何者かに見られているという感覚が拭えない。虫の報せ、そうとも呼ぶべき予感が確かに警鐘を鳴らしていた。


 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 それらは長い間、静かに待ち続けていた。この土地に宿って幾世紀、三つの国が栄え、滅び、また栄える間も静かに待ち続けてきた。

 待ち続ける間に何もかもを亡くしてしまってもそれらは待つ事を止めはしなかった。痛みも、悲しみも、涙も、己らの名前さえも忘れるほどに永く、それらは終わりを拒んできた。誰一人として欠けることなく、愚純なまでにただその瞬間を待ち望む、それがそれらだ。

 憶えているのはただ一つ、自分たちが相応しい終わりを迎えられなかったことだけ。その無念がそれらを唯一、繋ぎとめている

 だが、それもいつか終わりが来る。唯一残った縁でさえ、年月と共に磨耗していく。無念さえも忘れてしまえば彼らはただ消えるしか他に無い。その終わりがいつ訪れるのか、今日なのか明日なのか、それとも遥か未来なのか、いずれ訪れる終わりが何時なのかはそれらにもわからない。

 それでもそれらは待ち続けた。いずれ相応しい時が、相応しいものが訪れるとそう信じて只管待ち続けた。

 どれほどの時をそうして待ち続けただろうか。忘却と妄執の果てに、漸く漸く、その時が訪れた。見えずとも、聞こえずとも、感じることはできる。確かめる必要すらない、それらが間違うことなどありえないのだから。

 無念を祓うものが、終わりに似つかわしいものが久遠の時を越え、漸く現われた。消えかけの炎が歓喜に燃え上がるようにそれらは己を取り戻す。

 その時が来たと十数のそれらは彼らを待ち受ける。幾星霜待ち続けたそれらは漸くの終わりを迎えようとしていた。



 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 



「…………ふう」


 人目につかない場所ならばと一応の許可を得て、魔女は馬車から降り立った。そのまま彼女は林の空気を肺一杯まで吸い込む。新鮮な空気を肺に満ちると同時に体中に力が溢れるようだ。

 そんな場所であっても彼女には落ち着ける場所だった。鬱蒼と茂った木々は故郷の森に似ているし、ジメジメとして肌に纏わりつくような空気と香る草花は一呼吸ごとに彼女を力付けてくれた。

 森を出て以来、力は下がり続けている。本拠から離れれば離れるほど流れ込んでくる力も、引き出すことのできる権能もますます衰える。一日、一時、一秒ごとにできていたことが少しづつできなくなっていく

 予想はしていたことだが中々堪えるものがある。何しろ初めてのことだ、期待も大きいがそれと同じようにどんどん不安が膨らむのも無理はない。

 

「…………っ」

 

 対処法がないわけではない。こうして木々と命に溢れる場所で休めば少しは回復を望める。直接大樹の森と繋がっていなくとも、こういった場所は彼女の力の源になりうるのだ。

 だが、それでも、違和感と恐怖は消えてはくれない。むしろ、この場所に降り立ったときから、気配はどんどん肥大を続けている。違和感が予感へと変わる、その直前だった。


「大丈夫ですか? 魔女様」


「……問題はない」


「少し歩きましょう。私、体が石みたいで……」


「うん」


 気遣ったアイラが声を掛けてくる。彼女にしても緊張したまま狭い馬車に押し込められて体調が悪くなりかかっていたところ、こうした場所でも休憩ができるのなら願ったり叶ったりだった。

 野営地には特に見るべきようなものはない。野宿のため準備を整える騎士達や姫のために張られる天幕を眺めたところで、無聊の慰みにもならない。


「あ。弥三郎様!」


「――――」


 気晴らしをかねて散歩を続けていると、同じく手持ち無沙汰に佇む弥三郎が目に入る。声を掛けるものの、弥三郎は愛馬に寄りかかり、らしくもない物憂げな表情を浮かべたままで、返事はない。


「…………ねえ」


「――む、あ、ああ、御二人でござったか。如何なされた?」


「……別に」


 近づいて改めて言葉をかけても、返ってくるのは気のない返事ばかり。彼にしては珍しく、何かに気をとられているようだった。


「あー、えっとどうかなされました?」


「……いや、どうにも気配が離れんのだ。ここに来たあたりからどうにも背筋に張り付いておる」

 

「気配……ですか?」


 うむ、と弥三郎は曖昧な返事を返した。らしくもないが、彼にしても自分が何を感じているのか正体を掴めずにいる。なにしろ森を出て以来、見る景色が違和感の塊のようなものなのだ。そんな中にあっては自慢の感覚も鈍ろうというもの。その事を自覚しているだけに気配に確信を持てずにいた。


「杞憂ならば良いのだが…………巫女殿は、何かご存念は?」


「……わからない。けど、気配なら私も…………」


 弥三郎の問いに彼女もまた自信なさげに答えた。ここが大樹の森ならば気配を察知する程度、眠っていても容易いこと。だが、多少は回復したとはいえ、今の弱っている力ではそんな芸当も不可能だ。


「何かお心当たりがございましょうか?」


「……分からない、けど近い……とおもう」


 しかし、弥三郎の感じている違和感は彼女にも共通したものだ。ただの杞憂と切り捨てるには、確かな予感を彼女は抱いている。森では感じたことのない気配だ、人間のものとも、獣のものとも違う。知識と記憶に照らし合わせても、当てはまるものがない。正体は掴みかねているものの、その気配が近くにある、それ以外に分かることは何もなかった。


「ふむ、弱わりましたな。巫女殿にも分からんとなると、それこそ物の怪の類としか思えぬ」


「物の怪……こ、怖いこと仰らないでくださいよ」


「すまん。滅多の事は口にするものではなかった。さりとて、それ以外には……」


 アイラのあまりの怯えように弥三郎は思わず謝罪を口にしていた。弥三郎とて、もといた場所では終ぞ遭遇することはなかったものの、そういう類の存在を信じていないわけではない。自身の仕える森の魔女を鑑みれば存在しないと断言するほうが難しい。むしろ、存在していると考えたほうが自然だろう。

 ならば、問題はそれが害を及ぼすものであるかどうか、その一点に絞られる。

 

「……少し見回ってみる」


 弥三郎の言葉を魔女は否定しなかった。可能性は充分にありうるからだ。森の秘奥を身につけた彼女をして未だ知りえぬ魔の類はいくらでもいる、気配を感じられても、正体を掴めないというのはそれが原因かもしれない。

 例え知識の中に存在してたとしても、実際に遭遇しなければ、それがどういうものなのかは彼女にも分からないのだ。


「お供いたす」


 間髪いれずに弥三郎が同行を申し出た。元より恐怖などない。疑念があるとすれば一つ、腰の村正で化生を切れるかどうかただそれだけだった。


 




 


 

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