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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
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16、あるいはその道が

 薬箱をあさる手つきは酷く手馴れたもの。ラベルも付けられていない無数の薬草と霊草、山のようなそれらからそれぞれ正しい分量で掴み取り器に盛っていく。組み合わせる薬草の種類が百であろうとも二百であろうとも大した差はない。わざわざ書物を開く必要もなければ、間違えることもありえない。薬の調合など彼女にとっては食事や洗濯と同じ、自然と行える習慣そのものだ。

 龍斑病を実際に目にしたことは彼女にもない。症状と薬については記憶にあるが、それが実際にどのような苦しみや痛みを齎すのか彼女は知らない。苦しみも痛みも彼女にとっては遠いもの。生れ落ちたその時から遠ざけてきた多くのものの一つだ。あの姫が語った言葉がどれほどの痛みを孕んだものか彼女は真に理解できてはない。

 しかし、知識はある。街の薬師も、国学院の学者であろうとも知りえない数多の知識を彼女は所蔵している。その中には当然、龍斑病に関する知識も含まれている。彼等が不治のであること、肌から肌へ伝わる病であることしかて知らずとも、彼女にはそれを遥かに凌駕する知識がある。実際に治療を施すのは初めてのことでも、自信はある。目の前にすればするべきことは自ずと分かるはずだ。


「――そこのとって」


「む、この擂り粉木でござるか?」


「うん」


 刀の手入れをしている弥三郎に振り向きもせずに声を掛ける。弥三郎にとっても彼女の選択は意外なものではあった。だが、その程度のことではもはや揺るぎはしない。会談の最中、黙したまま弥三郎は何も言わなかった。そうするべきとも、止めておくべきとも、何一つ口にしなかった。ただその態度とあり方だけで自らを証明した。何を選ぼうとも、必ず傍にあり続けると。身命をとして命の恩に報いると、彼は証明していた。

 

「準備は?」


「万端にて。後は巫女殿をお待ちするのみでござる」


「わかった。すこしまって。えっと……」


 もともと荷物といっても弥三郎の持ち合わせているものは身に纏った鎧と帯びた刀のみ。準備などあってないようなものだ。身一つ、刃一つ、身軽といえば身軽であろう。

 準備をするべきなのはむしろ彼女のほうだろう。薬を煎ずる手は止らないが、正直なところ彼女には何をどう準備すればいいのか、何一つ分かっていなかった。森のこと、書物の中にあることは全て知り尽くしている、何を問われても間をおかずに答えを出すことができる。しかし、この森の外、書物に記されていないこととなると、彼女の経験は幼子と変わりはない。どう振舞うべきなのか、どうあるべきなのか何一つとしてわからない。


「……まずは羽織でしょうな。夏でも夜は冷えましょうから」


「そう」


 惑う彼女を見かねたのか、弥三郎がそう声を掛けた。彼女は迷いを抱いていない、そのことは弥三郎とて理解している。しかし、それと同時に彼女が奥底に恐れを抱いていることも弥三郎は見抜いていた。それを責めはしない。

 彼女は十六年間の人生において一度たりともこの森から出た事がない。それは弥三郎とて知っている。言わば彼女にとっては初陣にも等しい、怯えるのが自然。先達としてそれを影から支えるのもまた弥三郎にとっては自然なことだった。


「できた」


「では、参りましょうか。連中は待ちくたびれておりましょうぞ」


  薬草を煎じ終え、手早く準備を整える。そのまま、別れを告げることもなく家をでた。帰りはいつになるかは分からないが、それでも、ここが、ここだけが彼女の帰るべき場所だ。それは何があっても変わりはしない。

 彼女は、森の魔女は二つ返事でユスティーツァの願いを聞き入れた。迷うことも、恐れることもなく、彼女の願いを叶えると決めた。

 勿論、ユスティーツァの願いは純粋なものだ。信仰を捨てて、三日を費やして森を訪ねた真摯さも偽者ではない。多少は傲慢であってもそのあり方は、森の魔女からみても美しいものであった。

 それでも、以前の彼女ならユスティーツァの願いを聞き入れることはしなかっただろう。どれだけの願いを高尚であっても、どれだけ高潔な人間であろうが、森の外のことでは彼女が干渉する道理はない。いくら掟に、求められれば応えるべしとあろうが、それは森の中に限った話。街の、それもアウトノイアの城の出来事など夢物語や絵巻物とそう変わりはありはしない。わざわざ、街に出向いて治療を施したことなど長い一族の歴史を紐解いたとして一度もない。前代未聞といってもいいだろう。

 前例のない事を、自ら行う。そんなことは想像したことすらなかった。最後の魔女として伝統と掟を守って静かに朽ち果てていく、それが運命だった。そこに疑問も抱いたこともない。

 そんな自分が森を出て、どの魔女も行わなかった事をする。そこに迷いはないが、自身の行動が信じられずにいるのも確かだ。


「? 何か?」


「……なんでもない」


 見詰め返され、思わず視線を逸らした。以前の彼女ならこんな反応をしはしなかっただろう、そもそも心を許す相手すらいなかったのだ。正直なところ、彼に対してもどう接すればいいのかも彼女は掴みかねている。そんな状態だというのに彼女はユスティーツァの願いを叶えると決めた。

 こんな事をすることになった原因はただ一つしかない。この男、この男しかありえない。そもそも全て、この男が現われた日から始まったこと。ネモフィ村での一件にしても、今回の一件にしてもそうだ。下方弥三郎という男が齎した変化が全ての発端なのだ。彼と関わってしまったがばかりにこうしてありえない事をしている。

 それが良いことなのか、悪いことなのか、それは彼女には分からない。外の世界にでることを掟は禁じてはない、だが、実際にそうしたものは一人もいない。けれども、母は外の世界のことを寝物語に語ってくれた。その世界に自分が身を投じる、その意味は彼女とて知りはしない。


「……行こう」


「――応」


 振り返ることなく止ることなく歩き出す。一歩でも立ち止まれば、決心が鈍る。例えそうでなくても、もう立ち止まることはできない。それでもそうするべきだと、今も確信しているのだから振り返ることはしない。例え、運命に逆らったとしても成すべきを成す、それが彼女の新しい在り方だった。


 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


「姫様、お体に障ります。どうか、ご自愛のほどを」


「構いません。ここで待ちます」


 まだ夏とはいえ早朝のこと。冷たい空気は骨身に染みる、生まれつき身体の強くない彼女には辛いものがある。馬車の中にいれば寒さを感じずにすむが、それを彼女は拒否していた。彼等二人が現われるまではこうして待つ、それは彼女自身が決めたことだった。

 ユスーティーツァ・エル・ヴァレルガナはその生涯の大半を城の中で過ごしてきた。外の世界は窓の向こうでしかなく、興味こそあれ関心はなかった。城の中だけで彼女の生活は満たされていたし、わざわざ外に出向くような気も起きなかった。

 十四歳、成人を迎えるその直前まで彼女は外の世界について何も知らないままに育った。


「所詮相手は異教徒の蛮族と同じでございますぞ。姫様がそのような事をなさる必要など……」


「バンホルト、あの方達は私の客人です。無礼も侮辱も許しません」


「しかし……」


「そこまでいうのなら、貴方が父上を救ってくださるのですか? 薬師が皆、匙を投げた父をあなたが救ってくださるのですか?」


「そ、それは……」


 彼女の言葉は抑えようのない怒りが現われている。もし、彼の態度で約束が反故になれば、彼女はバンホルトを許しはしないだろう。

 彼女がこの地を訪れたのは全て、父のためだ。あの会談で語った言葉に嘘偽りは一切ない。そのためだけに、安寧とした城での日常と信仰の証を置き去りにしてきた。我が身の苦痛などどうでも良いこと、自身の犠牲で事が成せるのならそれで構わない。そう彼女は決心していた。

 彼女にとっては城の中だけが世界だった。その世界を守るためなら、どんな犠牲も厭いはしない。自らを世界の外においてでも、彼女には守るべきものがあった。


「せめて外套をお召しませ。姫様に大事あっては元も子もございませぬぞ」


「分かりました、クローディア。手間をかけます」


 年嵩の侍女が窘めるようにそういった。信条はどうあれ、従者達にも立場というものがある。彼女のみに万が一が起きないようにするのは彼らの義務だ。

 シルクがあしらわれた外套を身にまとい、彼女は只管に時を待つ。出発は夜明け、東の方からはすでに朝焼けが顔を出していた。


「ええい、おい、お前、いつまで待たせるのだ!」


「――――は、は、そうもうされましても魔女殿のお考えは私達にも……」


 待ちかねた騎士の一人が控えていたアイラにそう食って掛かる。言い掛かりにも等しい、アイラにしても魔女達が何を考えているのかなどわかりはしない。彼女達が貴族達の依頼を受けたことでさえ、アイラにとっては意外だったのだ、それ以上のことなど彼女に分かりはしない。


「では、呼んで参れ!! 道は知っておるのだろうが!?」


「は、はい、今すぐ……」


 またも怒鳴りつけられ、アイラは駆け出そうとする。それに合わせて背嚢が揺れる、枯葉色の旅装は使い古したものではあるものの、農民のそれにしては立派なものだった。


「それには及ばぬ。遅れながら、推参いたした次第」


 アイラが迎えにいくまでもなく、件の二人は森の中から姿を現した。相も変らぬ緑の礼装に大きな背嚢を背負った森の魔女と黒い甲冑の上に紺のケープを纏った弥三郎。両者共に長旅に備えた旅装を調えていた。

 

「いえ、お気遣いなく。無理を申していますのはこちらのほうですから」


「姫様、馬車の中へ」


 貴人として丁寧な挨拶を送るユスティーツァに対して、控えていた従者達は彼等二人に対してあくまで疑いの目を向けている。平静を装ってはいるものの、視線に篭った冷淡さは隠しようがない。

 その視線を意に介することもなく、二人は進む。足取りに迷いはない、未練も恐れも当の昔に切り捨てた。この程度の視線など、相手にもならない。


「む、アイラ殿。そなたも参るのか?」


「は、はい、弥三郎様。アウトノイアまでの道案内を仰せつかりました。あとは例の盗賊たちについてのご報告も……」


「…………某相手にそう畏まる必要はない、肩の力は抜いておいたほうが良いぞ」


 必要以上に緊張したアイラに緊張をほぐすように笑いかける。旅路は長い、三日間もこの調子ではもちはしないだろう。知己が災難にあうのを見過ごせるほど薄情な質ではない

 弥三郎にとっては彼女の同行は意外なことではなかった。細かい事情は把握しきれていないが、大まかな予想は立てられる。要は彼女を事が露見した場合の題目とするつもりなのだ。この姫たちにとって、森の魔女を訪ねることが後ろ暗いことであることくらいは弥三郎にも分かっている。故に、堂々と尋ねることはしなかったのだ、身分を隠しての訪問は得てしてそういうものだ。

 互いに思惑は違えど、出発の準備は着々と整えられていく。それぞれの愛馬に跨った騎士達は号令を待つのみだ。


「魔女殿は馬車の中へ。アイラさんもこちらに」


「……じゃあ、あとで」


「は。ご用命あらばいつでもお呼びくだされ」


 ユスティーツァ自ら二人を馬車の中へと招く。元からこの馬車は大人数を載せることのできるものだ、二人が乗っても充分な余裕がある。侍女達はともかくとして、ユスティーツァは彼女達を招くことに何の抵抗も感じていない。それに抵抗を感じているようでは、わざわざこの地まで魔女を訪ねてきはしなかった。


「ふむ……如何したものか……」


 主たる魔女を確りと見送ったあとで、弥三郎はそう呟いた。騎士達も含め、旅の同道者たちは全て、全員が全員騎乗している。対する弥三郎は徒歩。彼には乗るべき騎馬がなかった。これでは彼らの速度についていこうなど無理があるというものだ。

 付いて行くとすぐさま決めたものの、そのためにどうしておくべきかを完全に失念していた。落ち度いえば落ち度といえる。


「従者殿、こちらに」


「む、如何した、村長殿」


 内心途方に暮れていると、村長が弥三郎を手招いた。その顔には隠しきれない憂いが現われていた。その隣には一頭の馬が行儀良く控えていた。


「従者殿、このぺルソダスをお使いください。些か草臥れてはおりますが、いまだ千里を駆けましょうぞ」


「しかし、村長殿……」


 目の前の駿馬はこの村唯一の馬だ、彼がいなければ農作業や野良仕事にも支障をきたす。たかが馬一頭とはいえ、この小さな村にとって大損害だ。

 弥三郎とてそれを知らないわけではない。ただ村から馬を徴発するのとはわけが違う。この村の者たちをただの故知らぬやからと切り捨てるのは彼には無理だった。


「よいのです。思えばこの娘を救っていただいたお礼を今だしておりませなんだ。このぺルソダスも貴方様のようなお方を乗せるのなら本望でしょう」


「村長殿……この弥三郎、ご厚情は忘れませんぞ」


 しかし、それでもと村長は言った。いわばこれは村長としての意地であり、また父親としての最低限の恩返しでもあった。ならば弥三郎とて、それを無碍にすることはできない。喜んでこの駿馬を受け取るまでの話だ。

 

「うむ、よき馬ぞ。きちんと乗り手に応えおる」


 鐙に足を掛け、一息に跨る。僅かに暴れる身体を押さえつけ、受け流し、瞬く間にぺルソダスを鎮めてみせる。そのまま、楽しげに黒い体毛を優しい手つきで撫でる。

 オリンピアに生息する黒毛馬は弥三郎の故郷の騎馬よりも二周りも大きいが、弥三郎にとってはさしたる問題ではない。弥三郎の背丈がオリンピア人と比しても劣らぬものであるというのもあるが、それ以上に武士とっては馬の扱いなどできて当然のもの。たとえ、馬が違おうがそれは変わらない。手足のように操れてこその武士なのだ。


「従者殿、はばかりながら、娘をどうか……」


「お任せあれ。我が主ともども傷一つ付けさせはせぬ」


 真摯な村長の言葉に弥三郎は応えた。もとよりそのつもりではあったが、こうして馬を託された以上、ただの口約束ではない。武士としての約束事だ、信義を重んじるのなら破ることのできない約束になったのだ。


「――では、出立する。皆、我に続け!」


 弥三郎が戻ると、騎士長たるバンホルトがそう号令を掛けた。居並んだ騎士達と馬車が彼のあとに続いていく。領都アウトノイアへの旅はこうして始まった。

 この旅の間に起きた出来事について歴史書は何も語ってはいない。ただ、アルカイオスの黒雷が領都アウトノイアへと到達した、そうとしか記されていない。しかし、道中に起きたその出来事こそ、弥三郎と森の魔女にとって大きな意味を持つことになるのだった。

 




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