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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
18/102

15、あるいはその言葉が

 ここ一週間のアウトノイア城は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。城中の人間が忙しなく歩き回り、半日に一度は息を切らした早馬が城門に駆け込んでくる。戦前にも似た空気が城に充満し、息が詰まるような緊迫感を下仕えのものたちまでもが共有していた。

 城の姫君、ユスティーツァの行方が知れぬと分かったのがちょうど一週間前、その後の一切の便りが城に届いていない。分かっているのは一週間前に姫君が御付の衆を連れて城を出たということだけ。何処へ向かったのか、何のために出掛けたのか、城の誰にもそれを告げずに姫はもう一週間も城を空けている。

 もとよりユスティーツァが城から出たことなど片手で数え切れる程度しかない、それが一週間ともなればただ事ではない。家督を継ぐことはないといっても、彼女はヴァレルガナ伯の一人娘。なにかあれば、いや何かあることなどあってはいけないのだ。

 しかして、悪事とは重なるものである。その一大事にあって城には実質の家裁を取り仕切る若殿が不在であった。姫君の父であり、現当主アレンソナ・フォン・ヴァレルガナは病身のため床から起き上がることもかなわず、これ以上の負担はかけられぬと姫の状況を伝えてすらいない。この一大事に際して城には指揮を取るべき人間が一人としていなかった。

 それでも留守を託された家老はできることをした。近隣の街全てに早馬を飛ばし、集めうる情報は全て集めた。姫の不在を秘している余裕はない。いくら御付の護衛が確りと警護しているとはいえ、彼女自身、長の旅路に耐えられはしない。なんらかの揉め事に巻き込まれておらずとも、危険なことには違いがなかった。

 彼らの必死の探索が功を奏していたかといえばそうでもない。すべてが無しの礫に終わっている、七日あまりの時が過ぎてもなんら姫の行方について分かっていることは一つとしてなかった。

 もはやできることは姫の無事を日々祈ることくらいしかない、そんな有様だった。城中にはもはや、諦めにも似た気運すら漂い始めている。市中でも姫の不在を噂する声が上がり始め、病床の当主の耳に入るのも時間の問題だった。

 姫よりの報せが城に飛び込んできたのはそんな頃合であった。姫の御者の一人が裏門から密かに城へと入り、姫の無事の帰還を家老に告げた。一応城下には姫の不在を秘している以上、堂々と正門から迎えるわけには行かないが、それでも最低限の歓待がすぐさま用意された。当然、お雇いの薬師もそこに同席を許されていた。

 姫のご一行が城へと帰りついたのはその日の夕方のころだった。一行は誰一人として欠くことなく、容態を心配された姫君はなんの触りもなく、むしろ馬車から身を乗り出した彼女の姿は城を出る以前よりもなお精気に溢れていた。しかし、一つささやかながた大きな変化があった。

 城を出た御付の衆は十三騎、城門から見下ろす一行には十四騎の騎馬が列を成している。他とは異彩を放つ黒一色の鎧と特徴的な形をした兜、奇妙な騎士が一行には加わっていた。

 彼女達の帰還はこのアウトノイアの街を、このアルカイオス王国全体にとっても重要な転換点となる。そんな出来事だった。

 巨神暦千五百九十年、ケレスの月の二つ目の週、その日は歴史の中で潸然と輝いている。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 その発端を語るなら三日前、ネモフィ村での会談に遡ることになる。

 会談の場所として村で最も大きな村長宅が選ばれた。そこならば十数人が一堂に会しても充分な広さがある上に、ユスティーツァへ一切の無礼がないようにという配慮の元の選択だった。それでも、御付の騎士達は鷹揚に文句をつけた。いくら文句をつけたところでこの村にはこの館以上の建物はありはしないし、屋外ですませるにはお互い身分が特殊すぎる。その上時間がない旨を言い出したのは騎士達の側だった。


「まあ、良い別棟ですわね。私、木造の建物など初めて拝見しました」


「は、はあ、どうも、身に余る光栄です」


 どこか楽しげに振舞うユスティーツァに対して、疲れ切った様子のアイラが答える。

 双方の準備が整うまでの間、ユスティーツァへの応対を任されたのはアイラだった。といっても、相手は殿上人、彼女にできるのはユスティーツァの言動一つ一つに一々恐縮することのみ。そうしていても、もともとの侍女達の視線は四六時中刺さるようだし、何か一つでも間違えば村が滅びかねないのだから、堪ったものではない。準備が整うまでの一刻、アイラにとっては針のむしろ以外の何者でもなかった。

 

「……偉くもったいぶるな」


「まあ、御貴族様はいつもそういうもんですよ、旦那」


「ふむ、何処であってもそういうものか」


 ロベルトの答えに弥三郎が感慨深そうにそう呟いた。彼のいた織田家は例外としても、何処の国であっても身分高いものほど形式と儀礼に凝るもの。ロベルトの言葉は否応なく弥三郎に故郷を思い出させた。

 一応村の側の代表者の一人として出席を求められたロベルトだが、内心戦にならずに済んだことに胸を撫で下ろしていた。腹は括っていたとはいえ、貴族と事を構えればただではすまない。勝てば逃亡者、負ければ良くて処刑だ。しかも相手はただの貴族ではなく、ヴァレルガナ公の一人娘。個人の処刑で済めば御の字だった。


「しかしまあ、あのヴァレルガナ公の御息女とは驚いたもんでさ」


「某には良く分からんが、どれほどの身分の御方なのだろうか?」


「え、旦那、知らずに応対されてたんですか?」


「うむ、まあ、察しは着くのだが……」


 まさか、とも言いたくなるが言葉を飲み込む。緊張感だけでいうなら戦場のそれとも大した差はない。すこしでも弥三郎が態度を誤っていれば、全員の首が文字通り飛んでいたのかもしれない、先程までの状況がどれほど危うかったのか改めて思い知らされるようだった。


「……ヴァレルガナ辺境伯家は元々はアルカイオス王家とは姻戚関係。国父クラート一世の娘を妻として迎えたことがある。家格で言うならエストリウス公爵家にも準ずる家柄」


「なんと、摂関家に準ずる御家でござったか……」


 書物をそらんじるように答えた森の魔女に、弥三郎は閉口することになった。弥三郎が対峙した姫は彼の故郷で言うところ、公家公達の中でももとっとも貴き身分に相当する。それなりの身分だとは分かっていたものの、そこまでとは思ってものみなかった。分かっていれば、弥三郎とてもっと慎重な態度をとっていただろう。


「さすが、魔女殿……何事にもお詳しい」


「……大したことじゃない」


 感心した様子のロベルトに彼女は冷淡に返した。アルカイオス王国の歴史なら全て記憶している。さらに歴史だけではない、小屋に所蔵された書物に載っていることなら彼女は全て暗記している。この場でオルフェの詩集を暗誦するくらいなら容易いことだ。


「……始まるみたい」


「む……」


 ロベルトがイリアスの暗誦をせがんでいる内に、準備は整えられた。部屋を占領するように置かれた長机は侍女達の手により原形を止めないほどに飾り立てられ、そこだけが城の大広間のような様相を呈してる。

 その上座には既にユスティーツァが着座しており、周囲には御付の騎士達と侍女が控えている。当然、本人にそのつもりはなくともかもし出す威圧感は相当のものがあった。


「皆様、御着座を」


「…………わかった」


 着座を促されても彼女以外誰一人動けなかった。同席を許された村の顔役達、アイラ、ロベルト、弥三郎でさえも、どう振舞うのが正解なのか分からず、二の足を踏んでしまていた。そんな中、森の魔女だけは泰然自若、思うが侭に振舞っていた。


「――失礼致す」

 

 遅れて弥三郎を含めた全員が席に着く。そのうちほとんどが緊張からくる震えすら覚えていた。対して弥三郎は持ち前の冷静さをほとんど取り戻している。相手がどんな身分であろうとも、彼のやるべきこと、使えるべき人物は何も変わりはしない。それを失念していた自分を恥じることはあっても、もう物怖じする理由は何もなかった。


「それでは始めるとしましょう!」


 この場にそぐわぬ花のような笑顔と共に彼女がそう告げた。つられて笑うものは一人もいない。むしろ次に何が告げられるのか、その不安感に息を呑むものばかりだった。

 それも無理はない、彼女の言葉一つでこの村全体の命運が左右されるのだから。


 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


「――私達がこの地に参ったのは故あってのことです。それも、急を要するもの」


 ユスティーツァはそう切り出した。短い言葉ではあるものの、その言葉の端々に彼女の真剣みと哀しみが滲んでいた。まるで身内の不幸を語るようなそんな口ぶりだった。


「――私がこの大樹の森までまかりこしましたのは全て、我が父のため。病に苦しむヴァレルガナ公をお救いするためでございます」


 自らを励ますように言葉を切って、彼女はそう続けた。今度こそその言葉には深い哀しみと強い決意が滲んでいた。


「村長殿、我が父のことはご存知でございましょう?」


「え、ええ、まあ、市中でも噂になってございますので……」


 問い掛けられた村長は思わず言葉に詰まった。市中に流布したその噂の内容を口にすることそのものが不敬にあたるようにさえ思えたからだ。それ以前に実の娘の前でそれを口にすることは憚られたことも事実だ。


「――噂のとおり、父は病を得ておいでです。それも、ただの病ではございません。薬師の見立ててでは龍斑病、余命はあと幾許もございません」


「なんと……」


 龍斑病、その言葉にほぼ全員が言葉を失った。確かに病であるとの噂はあった、もう一年近く公務にも若殿が代理として出席していないことからもそれは確実であろうとも言われていた。

 だが、しかし、龍斑病とは誰一人として考えもしなかった。そして、オリンピアに住まう人間なら例外なくその言葉の意味を知っている。その意味とは即ち、避けられぬ死。龍斑病とは決して治癒することのない死病の名であった。


「周知の通り、龍斑病は決して癒える事はありません。老いた父の身体ではもはや発作に堪えることすら……」


 ユスティーツァの語る言葉はそれだけで病の苦しみと痛みを連想させた。龍斑病を知らぬ弥三郎でさえどれほどの病か想像に難くないのだ、ましてやオリンピアにてその恐ろしさを知らぬものはいない。龍斑病が末期まで進行した場合、焼かれるような発熱と堪えがたい激痛を伴うようになる。いずれ体力が尽き死に到る、その前に痛みを苦にして自ら死を選ぶほどの激痛、その激痛こそが不治の病であること以上に龍斑病が恐れられる所以の一つだ。


「――姫様」


「……わかっています」


 思わず言葉に詰まった彼女を侍女の一人が促す。敬愛する父の苦しみを語ることは彼女にとっては身を切られるような苦しみだが、それにかかずらっている暇はない。この僻地を訪れたのは決して彼女自身の感傷のためではないのだから。


「本来ならば、龍斑病を患ったその時点で父を巨神の御手に委ねるべきだったのでしょう。しかし、今はそういうわけには参りません。我が父は、ヴァレルガナ公は、あのお方はただの人ではございません。今はまだ……」


 自分にいい聞かせるように彼女は言葉をつむぐ。彼女のなそうとしていることが巨神教の教会に知れれば家ごと破門されかねない。中途半端な決意では決して口にすることはできない。長々、言葉を重ねていたのも全て、その決意を固めるためただそのためだった。

 

「――あ」


 無意識に胸に手を当てても、あるべきものはそこにはない。この場所に赴くと決めたときに、母から譲り受けた数珠(ロザリオ)は城の居室に置き去りにしてきた。


「――森の魔女様」


「…………」


 ユスティーツァは森の魔女へと視線を向ける。真っ直ぐな瞳を真っ直ぐな瞳が受け止める、森の魔女はユスティーツァの言葉も哀しみも正面から受け止めていた。病の苦しみ、喪失の哀しみ、押し潰されそうなそれを受け止めるだけの器を彼女は持ち合わせていた。


「貴方様の森の秘術には癒えぬ病を癒す術もあるとお聞きしています」


「…………」


 彼女の問い掛けに魔女は静かに頷いてみせる。確かに彼女の持つ知識の中には龍斑病に関する知識も存在している。森の霊草のどれがどんな効能を持つか熟知しているということは、病についても熟知していることに他ならない。街の薬師に打つ手はなくても、彼女ならば病を癒すことができるかもしれない。事実、途絶えて久しいものの、その可能性に縋って森を訪れるものはこれまでにもいた。しかし―――。


「その御業を私の、いえ、この国のためにお使いくださいませんでしょうか? どうか、どうか、我が父をお救いください」


 その言葉とその後の彼女の行動がもとらした驚きは想像に難くない。辺境伯家の息女が自ら頭を下げる。その意味を解することができないような人間はこの場には誰一人としていない。

 後にこの出来事は歴史に大きな波紋を齎すこととなる。だがいまは、その本当の意味を知るものは森の魔女以外誰一人として存在しなかった。




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