14、あるいはこの時こそ
騎馬が十三騎、足軽徒歩兵はなし。そのうち槍持ちが二つ、のこりはすべて剣のみ。具足の質から見て、それなりの家中の武者であることは明白だ。どの騎馬武者も腕は確か、いささか殺気立ち纏まりは欠くものの戦力として十分。頭目は先頭ではなく、中段に構えている。上を取っているのはこちら、背後には森、足元はわるく馬では思うようには進めない。正面から臨むのは愚策、逃げに徹して勝ちは三分ほどであろう。彼女を連れていても、悪い賭けではない。
「――――っ」
「巫女殿、某の後ろに……ご安心召され」
不安げに見詰める視線に力強く応える。彼女がおびえるのは無理もない、生の殺気を浴びるのは彼女にとっては初めてのこと。気丈に振舞えというのは些か酷な話だ。
もともと敵かそれに準じるものがいるというのは知っていたが、それでもこの遭遇は予想外だった。
森を抜け、村との境に着いたその時に、弥三郎と彼女は一団と遭遇した。全くの想定外ではあったものの、それらが発する殺気を感じた瞬間に、弥三郎は冷静かつ正確に状況を把握、彼我の戦力差を分析しおえていた。目の前の集団が完全に敵と決まったわけではないが、警戒に値する存在であるのは間違いない。いざというとき、彼女を逃がせるように立ち回るのは武士としての本能ともいえた。
「……隊長、あれが例の……?」
「わからん、が、それらしいのは確かだ。しかし、あれはなんだ、オーガーか?」
突然の遭遇が予想外だったのは彼らにとっても同じだった。手筈どおりなら、彼らの尋ね人がいるのは森の中心、こんな村境での遭遇は想定していない。それに探し人は二人ではなく一人、森の魔女が従者を連れているなんていう話は聞いていない。
その従者がまた奇妙に過ぎる。顔立ちはオリンピアのいかなる民族とも似ておらず、頭からは角のようなものが見えている。太陽を照り返す黒の甲冑は彼らが知る如何なるそれらとも異なり、しなやかな体毛を持つ一匹の獣のようにも見えた。
理解できるものが何一つない。全てが未知であり、奇怪だった。それが彼らの恐怖を呷る、どれだけの修練を積んでいても内側からわきあがる衝動を完全に抑えつけるのは難しい。そして、恐怖は判断を鈍らせる。もはや本来の目的は隅に追いやられ、何かの切欠が破裂するそんな状態にあった。
「そこな二人、不敬であるぞ。神妙に平服し、名を名乗れ!!」
痺れを切らしたように先頭の騎士がそう二人に問いかける。警戒を隠すつもりは毛頭ない、剣を鞘に収めることもせずに下馬をすることもない。彼等にとっては二人は潜在的に敵でしかなく、礼儀をもって接するべき相手ではなかった。
「馬上からの物言い、失礼千万! どこの家中でも、名を交わすならそちらから名乗るのが礼儀であろう!」
当然、弥三郎が恩人への無礼を見過ごすばすもない。馬印も家紋も掲げず一方的に平服しろなどと刃傷沙汰になっても文句は言えない。むしろ直ぐさま刀を抜かなかったのだから、穏やか過ぎるといってもいいだろう。
「なにをーー!」
「そも、尊きお方ならまず剣を抜き、頭を下げろなどと申すような破廉恥な行いはすまい! 切っ先を突きつけ平伏を迫るなど、野盗や野伏せりにも等しいぞ!!」
叩きつけるような大音声。弥三郎の中では既に彼らは敵だ。武威を楯に降伏を迫られ大人しく尻尾を振る事などできない。それに目的がなんにせよこんな連中が背中で怯える彼女を真っ当に扱うはずがない。なんにせよ彼女を守るのは今の自分の使命だと弥三郎が自負している以上、彼等は敵だ。
「ふざけるな! 我らは由緒正しき――」
「名乗りもせぬくせに、由緒も糸瓜もあるものか。礼をはらってほしくば、それに能うものを示せと申しておるのだ。その程度のこともわからんのか、この戯けどもが」
「そ、その言葉聞き捨てならん! この場で切り捨ててくれる!!」
らしくもない挑発を続け、こちらの土俵に相手を引きずり込む。品の良い手とは言えないが、彼女を守りながらことを構える以上、使える手は全て使う。泥や汚れを厭っていられるような状況ではない。
「やれるものならやってみろ! 木っ端武者程度に取れるほど我が首安くはないぞ!」
思惑通りに動いた騎士達に対して、弥三郎は殺気を漲らせる。背後の彼女には事が起こればすぐに逃げるよう伝えてある。森に誘い込み、地の利を活かせば勝算は十分。例え自身は死しても、彼女は逃げ切れる。無論、死ぬつもりなど毛頭ありはしないが。
「お、お待ちください! この方達は……」
「ええい、邪魔だ!」
只ならぬ様子にあわてて身を挺して止めに入ろうとしたアイラも取り付く島もない。弥三郎が一騎当千の兵だというのは彼女も知っている、しかし相手は貴族。たとえここでこの騎士達を皆殺しにできたとしても、ことはそれだけではすまない。報復は森の主従だけではすまない、この村とて皆殺しの憂き目にあうのは想像に難くない。我が身を呈してでもこの場を治めなければならない。
「っおい、ロベルト、どういうつもりだ!?」
「どうもこもない。アル、あいつらを呼んで来い、いざとなりゃあの二人に加勢する」
「は? 一体どういう……」
「いいから行け。任せたぜ、アル」
有無を言わせぬロベルトに押され、アルフレッドは走り出す。アルフレッドからすれば、あの奇妙な二人組みに味方する理由は一つもない。それでもロベルトがそう命じた以上、それに沿って動くのが彼の役割。利益や損得はそのあとに考えるべきものだ。
ロベルトとて後先を考えているとは言い難い。彼の率いる傭兵団が味方すれば、たしかに勝算は大いに増す。それだけではない、いざ恩人の危機となればおびえた村人達もどうでるかわからない。だが、それだけだ、後の事を考えるのなら貴族と事を構える意味は何もない。彼らに味方をするのは全くの私情からだった。
「…………」
じりじりと焼け付くような空気に彼女は息を呑んだ。どちらが先に動くか、事態はそこまで進行している。殺気だった騎士達は二人を囲むように展開をはじめ、腰のものに手を掛けた弥三郎はいつでも刀を抜き放てる。一瞬後には、鮮血が舞っていてもおかしくはない、そんな状況だった。もはや彼女でも止められはしない。
声には出さずに静かに詞を紡ぐ。ことが起これば、直ぐに彼女も動かなければならない。直接この騎士達と殺し合いをするわけにはいかないが、せめてものこと弥三郎の足手纏いにならないように立ち回らなければならない。森に溶け込む程度彼女には容易いことだ。もしいざとなれば、森は彼女の領域、どうとでも対処できる。
数時間にも思えるような静寂と緊張。実際にはほんの数秒のことであっても彼女には永遠のようにも感ぜられた。指の一本、汗の一滴、それらが開戦の狼煙となりうる。その緊迫感に堪えかね、誰かが動く。
その直前に第三者が静寂を破った。
「――お待ちあれ」
静かでありながら良く響く鈴の音のような声だった。そんなか弱い一声で、血の気の多い屈強な騎士達が、周囲で固唾を呑んでいた村人たちまでもが一斉に声の元へと振り返ることとなった。鶴の一声というならまさしくこれがそうであった。
「下がりなさい、ヴァンホルト。お二方とは私が直接お話をします」
「し、しかし……」
「私は下がれと命じたのです。そこな殿方の仰るとおり、礼を失していたのは我々のほうです」
「は、ですが、こやつらの無礼をさし許すのは……」
「私がよいと言っているのです。それこそ、貴方が言葉を差し挟む事を許した憶えはありません。下がっていなさい」
「は、はい、仰せのままに」
上品さの中に意志の強さを感じさせる言葉で声の主は従者を諌める。渋りはしたものの、騎士達、その頭目と思しき男は意外なほどあっさりと矛を収めることとなった。取り返しのつかないと思われた状況がたったそれだけで元の膠着状態へと戻されていた。
「女の声……? アル、お前知ってたか?」
「いや……俺も声を聞くのも始めてさ。道中ずっと馬車に引き篭もってたんだ」
兵を率いて戻ってきた、アルフレッドにロベルトが声を潜めてそう問いかける。とりあえず衝突の危機を回避できたのはいいが、馬車の中身がまさか女だというのは彼らには予想外だった。
「巫女殿、もう心配は無用かと」
「……そうなの?」
「ええ、おそらくは」
弥三郎までもが騎士達の主の登場に驚いていた。籠に載っている以上、女子だろうとは当たりをつけていたものの、事ここに到ってからの登場は弥三郎にとっては考えの外にあったのは確かだ。てっきり目の前で殺し合いが起きようが、そのまま引き篭もっているものと弥三郎は思っていた。
「――お、お出になられるぞ」
馬車の扉が開くと、それだけで村人達にどよめきが起こった。まだ見ぬ声の主、騎士達を一声で静めたその声の主に、全員が全員さまざまな予想図を描いている。
まずは御付の侍女と思わしき二人が先んじて降りる。跪いた白衣の二人の間にとうとうその人物が現われた。日に映える白を基調としたロープに透けるような金の髪、凛とした顔立ちは柔和ながらも意志の強さを見て取れる。ただ見ているだけで、見るもの全てに高貴さと優雅さを感じさせる、そんな立ち姿だった。
「――先程は失礼をお掛けしました。私の名はユスティーツァ、ヴァレルガナ辺境伯が息女、ユスティーツァ・エル・ヴァレルガナと申します。森の魔女殿ならびにその従者殿、以後お見知りおきのほどを」
堂々とした名乗りは喧騒中でも凛として響く。その響きと共にあたりが一瞬で静まり返った。言葉を発する事を躊躇うそんな沈黙だった。
周囲の村人たちも、アイラも、ようやく追いついてきたアラストリア傭兵団も共に言葉を失っていた。それもそのはず、目の前にいるのはただの代官や田舎貴族とは違う。彼らの領主、大樹の森とこのネモフィ村を含めたヴァレルガナ領全体の支配者、アレンソナ・フォン・ヴァレルガナ、その息女だ。そこを疑う余地はない、ローブに刺繍された盾を抱いた獅子の紋章と金の髪は何よりの証拠。しかし、彼らのような農奴や傭兵がお目にかかることなどありえない。ましてや、こんな僻地に現われるなどとてもじゃないが現実のこととは思えなかった。
「――ご尊顔を拝し、恐悦至極。某は下方弥三郎忠弘と申すもの。こなたにおわすは我が主にして森の守護を務めておられる魔女殿でござる」
言葉の意味は分からずとも彼女の言葉遣い、態度、服装から彼女が一方ならぬ身分の姫だと察した弥三郎は最大限の礼をもって応えた。先程のように最初から無礼を働かれれば、無礼をもって返すのが流儀であるように、きちんと礼儀を通す相手には礼儀を通すのが弥三郎のやり方だ。
後に共に歴史書に名を残すこととなる両者の出会いは緊張と殺気に満ちたものであった。もしかりに、ユスティーツァが言葉を発するのを少しでも躊躇っていれば、弥三郎が少しでも血気に逸って腰の村正を抜き放っていれば、騎士達が躊躇わずに切りかかっていたのなら、アルカイオスの黒雷が歴史の表舞台に躍り出ることはなかっただろう。一度目の彼の人生にとっての激的な転換点があの燃え盛る二条の城だとしたなら、二度目のそれはまさしくこの時、この邂逅であった。




