13、あるいはその性(サガ)ゆえに
森に僅かな変化が生じた事を彼女は見逃さなかった。日課の通り森に意識を繋いでいたのが幸いした。危機ではないにせよ把握しておくには越したことはない。
北の方角、村のある方角に何らかの異物が侵入している。森を通じて感知したのはそんな漠然とした事実のみ。それ以上のことは彼女にも分からないが、これまでの彼女にはそれで十分だった。
しかし、今はそういうわけにもいかない。もうあの村とは関わり合いになってしまっている、何が起こるにせよただ放置することはもうできはしない、
「――ねえ」
「いかがした?」
隣を歩いていた弥三郎は彼女が声を挙げるよりも早く、彼女の変化を察していた。その変化が良いのものではないことまで彼には理解できた。もとは小姓だった男、主の機微の変化には目敏く反応できる。それこそ、言外に何を求めているかを見て取れないようでは手打ちにされてもおかしくはなかったのだ。
「――村の方が騒がしい」
「ふむ、村というと北か。参りますか?」
らしからぬ優しい口調は彼女を慮ってのもの。さらに一月を過ごして弥三郎は彼女にとって何が負担になり、何を是としているのか理解できていた。ゆえに止めはしなかった、彼女が望んでそれをなすなら喜んで同道するだけ。そこに迷いはない。
「うん、東から回り込む」
「承知した。某も同道いたす」
当然のように先導を買って出る弥三郎の後ろを遅れないように彼女は歩いていく。彼女の助けがなければ直ぐに弥三郎は森の迷い子だ。方角と距離を決して間違わない勘には感心するが、流石に細かい場所までは把握できてはいない。彼女とて十年以上の歳月を掛けて森を知ったのだ、一月やそこらで森を掌握されては立場がない。
「しかし、巫女殿、この森は広うござるな。城下一つ分はあるのでは……」
「貴方の故郷にはないの?」
「山はありますが、これほどの森は流石に……」
「そう」
迷いなく進みながら弥三郎は感心したようにそう言葉を漏らす。何度歩いてみても、その度に森の広大さに弥三郎は驚かされていた。
それもそのはず、この大樹の森はオリンピア全土でも有数の樹海、不用意に人の手が加えられていない原始の森だ。古くは材木の産地として名を馳せたそうだが、そのあまりの広大さと強固さにとうとう当時の王が音を上げたという逸話も残っているほどだ。たった一月で深淵を覗けるほど、この森は甘くはない。
「……なにがあるの?」
「ともうされると?」
「貴方の故郷」
「あ、ああ、日の本でござるか。そうですな……」
不意の質問に弥三郎は面食らってしまった。彼女が自分から弥三郎に声を掛けてくることそのものが珍しい、ましてや質問など滅多にあることではない。
故に考え込むことになる。滅多に無い事な以上、できうる限り期待には応えたいと思うのが人の性。短い質問の応答をどれだけ意に沿うように工夫するか、そのぐらいのことは元小姓として当然できてしかるべきだ。
しかし、如何せん質問の意図が分かりにくい。何があるかと漠然と聞かれても、そうそう答えなど出せようはずもない。
「……琵琶湖などはなかなかに大きゅうござる。あとはまあ、富士の山や飛騨がなかなかのものと聞き及んでおります。まあ、城下なら安土と岐阜が天下一でございますがな!」
「アヅチ? ギフ? それはどんな……」
なんとか弥三郎は答えを搾り出した。大雑把で大いに主観的な答えだが、それでもその全てが彼女にとっては未知のもの。大いに興味を誘ったことには違いない。特に最後に並べた二つについて彼女は強い興味を示していた。
弥三郎の答えに含まれ単語はひとつとして彼女の知らないものだったが、湖や山なら彼女にも想像がつく。それがどれほど美しいかどうかは分からないが、少なくとも美しいということは理解ができた。そこをいくと最後の二つについてはまるで考えの及ばないもの。どんな街なのか、どれほど広いのか、どんな家が立ち並んでいるのか、どんな人々が住んでいるのか、何一つ分からない。どんなことでもいい、彼の過ごした街について彼女は少しでも知りたかった。
「ああ、ええと、安土も岐阜もまず城がござる。城といっても平城ではなく山城で、安土はさらに金色の天主もあり申す。その城から見下ろす場所に城下が軒を連ねておりまして、ご家老や家臣衆の屋敷も城下にあり申す」
「――そう、金の……」
「しかし、岐阜安土といえばやはり楽市でしょうな」
「ラクイチ?」
「む、こちらにはござらんのか。簡単に申せば、何の縛りもなく商いができる場所でござる。それはいつも大賑わいでしてな、人で城下が埋め尽くされるときもあります」
「……すごい」
街一つ埋め尽くすほどの人の群。数え切れない木々ならば見慣れているが、どれほどの人数がいるのか及びもつかない。小屋にあるどの絵巻物にもそんな様子は書かれていなかった。金で作った城よりもそのことのほうが彼女には素晴らしいものに思えた。
「おお、安土といえば、こんなこともござった。確か去年であったか、城下と船に火を灯して城を照らし出したことも。ああ、ほかには……」
興が乗ったのか弥三郎は次々話を披露していく。二つの城が如何に素晴らしいか、それを治める彼の主がどれほど高潔で勇壮な人物であったか、どんな人々と共に生きてきたかまで短い道中の許す限り彼は語り続けた。最初は彼女を愉しませるために話し始めたはずが、いつの間にか自分自身も心から楽しんでいた。
だが、その間一瞬たりとも彼女は退屈を覚えなかった。弥三郎の語る一つ一つが彼女には新鮮で胸の躍るような物語、遠い昔母が寝物語に語ってくれた英雄譚と同じかそれ以上のものにさえ思えたのだ。
弥三郎の語る物語は尽きることがないように思えた。駆け抜けた年月は短くとも、経験の密度でいうのなら彼ほど充実していた人間はそうはいまい。話の種なら一晩掛けても語りつくせないほどにある。
「しかし、鬼武蔵様ほどの剛勇はそうはおりますまい。ご本人が仰るには……どうなされた?」
「わからない……けど、良くない感じがする」
出来のいい物語と同じように楽しい時間もまた、終わりは直ぐに訪れる。境界の手前、森を抜けるいっつぽ手前で彼女の背筋を悪寒が駆け抜けた。明確な警告ではないものの、森が許容できない異物がこの先にあるのは確かだ。出来ることなら近寄りたくはない、実際以前の彼女なら近づきはしなかっただろうが、今は違う。
「とにかく、行ってみる。だから――」
「言われずともこの弥三郎、何処までもお供仕らん」
何も言わずとも彼女のとなりに弥三郎は並び立つ。彼は言葉を違わない、何処までもというなら本当に何処まででも傍を離れはしない。
果たして彼女自身、自分が浮かべた表情の意味を胸に湧き上がるなにかの正体を理解できていたか分からない。彼女にとってそれはかつての戦と同じく物語のなかのもので縁遠いものだったからだ。彼女がそれを真に知るのはこれから少し先のこととなる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ようこそ、お越しくださいました。私はこの村の長を務めております――」
「よい、こんな村になど用はないわ」
老いた身体を引きずって現われた村長に対して騎士達はそう応じた。慣例に則った名乗りせず、彼らは下馬することもないままに村へと無造作に踏み込んだ。横柄な態度というよりも、関心そのものがない、そんな様子だった。
そのまま居並んだ村人達を意に介することなく、十数頭の騎馬と一両の馬車は村の中心を踏み荒らしていく。その様子は村人達に否応なく一月前の出来事を思い出させた。
「なんて失礼な……」
アイラは腹底からわきあがる怒りを噛み殺す。人間扱いされない程度は予想はしていた、しかし、存在すらしないように扱われるのは限度を越えている。馬車の造りを見るにその乗り手は相当以上の身分の人間のはずだ。それに伴う高貴さなど付き従う従者からは欠片のほども感じられなかった。
高貴さと気高さを競うのなら、森の主従のほうが遥かにそれを体現している。そう常日頃から感じているだけに彼らの態度はあまりにも傲慢にアイラには思えたのだ。
「おい、そこの娘! 森の案内をせよ!」
「……はい」
内心の憤りを堪えながら彼女は従順に行動した。どれだけ腹が立っていても相手は貴族、どこまでも謙っても足りない。この際自分の身に何が起こったとしても甘んじて受け入れる、それが今とりうる唯一の対処の方法だ。
「……森? 連中、何を……」
ロベルトの酔いはすっかり醒めていた。仮にも傭兵団の長、一大事にあっても盆暗では務まりはしない。だが、酔いは醒めていても答えが直ぐに出てくるわけではない。
アルフレッドが案内をしてきた一団、ロベルトの目から見ても奇妙なものだった。それなりの家格であるのは見て取れるが、それ以上のことが分からない。名乗りもしない上に家紋が刻まれていないことから、明確な身分を隠したいという意図は感じられるが、それにしては連れている騎士があまりにも物々しい。完全武装な上にあの態度、隠したいのか隠したくないのか、中途半端にもほどがある。何を考えているのか、何が目的でこの辺鄙な村まで赴いたのか、それが全く分からない。
「おい、アル。なにか聞いてないのかよ……」
「いや、聞いてない。それが条件だったんだよ、こいつを口外しないことは勿論、何も聞くなってな」
声を潜めとなりで膝をついた副長に答えを求めるが、明確な答えは返ってこない。それどころか聞けば聞くほどますます分からなくなる。なにかの秘め事にしてはあまりにも大仰だ、身分を隠してどこかを尋ねる理由など奥方に知られずに愛人の元を尋ねるくらいが精々。今回は明らかにそれとは違う、それならそもそも案内をつける必要すらない。案内をつけてわざわざこの村を訪れたくせに村には用がないというのだからますますもってわからない。
「け、面倒な仕事請けやがって。この村にはなんの名所もないんだぞ、あるとすりゃそれこそ森くらい……待てよ、森といや……」
はたと答えに繋がる。考えてみれば簡単なことだ、この何もない村にわざわざ訪れる理由など眼前に広がる大樹の森、いやその森に住まう主従しか考えられない。
そう考えれると不可解な断片が明確な意味を持つ。身分を隠したお忍びにしては物々しい警護、森の魔女を相手にするのなら納得もいく。何故わざわざ今になって森の魔女を狙うのかそれはまだ分からないが、目的が森にあると分かっただけで十分だ。
「お、おい、ロベルト、何処へ」
「ちょいと野暮用だ。お前は嬢ちゃんを手伝ってやれ」
腹さえ決まれば直ぐに行動に移せる。警告は早ければ早いほどいい。連中が彼らにあって何をするかは知らないが、良いことではないのは確かだ。今から急いで森へと向かえば先回りできる。警告さえすば、あの広大な森のなかならどうとでも逃げられる。一両日でも凌ぎきれば、気の短い貴族連中ならば諦めて帰るだろう。
森の中で迷わず小屋まで辿り着けるかは分からないが、それでもやるだけの意味はある。森の主従には一方ならぬ借りがある、それを返さずにおくようでは傭兵の名折れ。無駄に終わったとしてもいくだけの価値はある。
「――――な、なんだ、何の騒ぎだ!?」
「ッ……!」
甲高い馬の嘶きに悲鳴、村の南側、大樹の森へと繋がる場所でどよめきが湧き起こった。ただ事ではない、なんにせよ良くないことがそこで起こっている。
堪らずロベルトは駆け出していた。騒ぎの現場となった南側には、村の人口のほとんどがその場所に集まっているそうおもえるほどの人だかりができていた。その人混みを掻き分け、押しのけ、群衆の最前列へと辿り着く。
「――な……!」
最前列から垣間見た光景は思わず言葉を失うような、そんな光景だった。
馬車を守るように居並んだ十数騎の騎士達がすべて剣を抜き、一点を睨む。一触即発の張り詰めた視線の向かう先には奇妙な二つの人影。小柄な片割とそれを守るように立ちはだかる大きな片割れ。相手はたった二人だというのに騎士達には恐怖にも似た緊張感を漂わせていた。
それもそのはず、腰の得物に手を掛けていた片割れ、その瞳には殺意にも似た光が宿っている。指の一本でも動かせば、その瞬間に切り掛かる、その意思を全身を持って示していた。肌を刺すような威圧感は少し離れたロベルトにもひしひしと感じることができる。森の魔女、その従者下方弥三郎はたった一人で、騎士達と相対していた。




