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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
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12、あるいは終わりでもあり

 その日のネモフィ村はいつもと変わらぬ平穏であった。特別何か村を挙げての行事があるわけでもなく、いつも通り多少の農耕と野良仕事。一月前には村の命運をかけた大戦があったとは思えないほどに村は静かでいつも通りだった。

 その平穏の中、ロベルト・イオライアスは大きな欠伸をうった。あの戦いが終わってから、このところずっとこの調子だった。何かが変わったわけではない、ただ元通りの静かな生活に戻ったそれだけのことだった。

 だというのに、見慣れた景色が無性に色褪せたように思えた。喉に流す酒の味も、語らう四方山話も、触れる柔肌の感触も、いままで自分を見せてくれたそれらが急に価値の無いものに変わった、そんな錯覚がどうしようもなく付き纏っていた。


「――そ、それでよ、おいらが敵陣に切り込んで従者殿をお救いしたってわけさ! すげえだろ!?」


「はいはい、そりゃすごいね。で、おかわりは?」


 いまだ熱の篭った声で戦の様子を語るコレンと冷ややかな様子の村娘を眺めながらロベルトは杯を傾ける。味気はないが、無聊を慰めるのに酒以上に適したものはない。

 娘に流されても変わらぬ調子でコレンは話しを続けている。なにせここ一ヶ月間、同じ話を何度も繰り返している、本人が飽きていないのが不思議なくらいだ。

 それだけ歳若い彼にとってあの戦は衝撃的なものだった。初めての戦、初めての殺人、初めての勝利。なにもかもが初めてのことだった。しかも、その初陣は戦慣れたロベルトの目から見ても凄まじいもの。一生酒の席で語り続けたとしても罰は当たるまい。

 そう、凄まじい戦だった。ロベルトの体験したどの戦よりも鮮烈で壮絶な戦だった。戦とはいつでも首の掻きあいではあるものの、今回ほどそれが徹底した戦は経験したことはなかった。文字通りに、やるかやられるか、盗賊たちにしても、村人たちにしても後がない。退路は最初から存在せず、降れば殺されるだけ。誰もが例外なく命を懸けていた。そんな戦だった。


「おい、コレン! 戦の話しは構わねえが、村の外では注意して話せよ!」


「へ、へい、すんません、団長」


 どんどん白熱していく少年にそうロベルトは釘を刺す。森の魔女とその従者、あの勝利の真の立役者のことは外に漏らしてはいけない、その口約束を彼は律儀に守ることにしていた。理由は聞きはしなかった、ただ彼等二人、いや彼女がそう望んだ以上、そうするのが当然のことのように思えたからだ。

 傭兵というあこぎな商売をしている以上、綺麗事を言うつもりはない。汚れたことも散々してきたし、これからもそうする機会は何度でも巡ってくるだろう。

 だが、だからこそ、約束は守る。理でもなく、情でもなく、信頼を重んじるが故にロベルトはその信念だけはこれまで貫いてきた。ましてや、相手は念願の勝利を齎してくれた相手、その程度の労を惜しむ理由はない。


「御頭、御頭、ああ御頭! これからどうするんですかい? アルの兄貴が戻り次第、街に上がるんですよね!? そうですよね!?」


「くせえぞ、ロッチナ、その暑苦しい顔を近づけんじゃねえ。それについてはアルと相談してからだ! 何度も言わせんじゃねえよ」


 酔って絡んでくる団員をあしらい、ロベルトは再び酒を呷る。酔いが回り始めているが頭は妙に冴えている。

 彼を含め全員が街の騎士団に声を掛けられていた。農民達を率いて盗賊団を討伐した腕を見込んで貴族のお雇いに推薦状を出すと気前のよい騎士団長が申し出てくれたのだ。僥倖ではある、推薦状さえあればいつものように門前払いを喰らうことはない。団員が十数人しかいない貧乏傭兵団でも雇ってもらえる可能性がでてくる。そうなれば、野盗になることも、こうやって居候することもなく、全員の食い扶持を賄うことができる。一ヶ月前のロベルトであれば、推薦状を携え意気揚々とアウトノイアの街に乗り込んでいただろう。

 まさかそんな事を迷う日が来ようとはロベルトは思いもしなかった。懐の内に大事に仕舞われた推薦状は自らの功績で勝ち取ったものではない。あの戦を勝利に導いたのも、盗賊団の頭目と一騎打ちをしたのも、自分ではない。譲られたといえば聞こえはいいが、盗んだのとそう変わりはない。そんな推薦状を持って貴族に自分を売り込むなど、詐欺にも等しいのではないか。彼の中の何かが幾度となくそう問いかける。高潔な騎士とは言わないが、ロベルトとて武人の端くれ。できることなら、そんなマネはしたくはない。

 何度悩んだところで結論はでている。彼が一人ならこの推薦状は丁寧に返上する、だが、ロベルトは一人ではない。望むと望まざるにかかわらず、彼はアラストリア傭兵団を率いる身。考えるべきは個人の名誉ではなく、全体の利となることだ。居心地がよいからといっていつまでもこの村の住人に甘えているわけにはいかない。何処までいっても彼らは傭兵、戦での武功を立てなければ柄の悪いゴロツキとなんら変わるところはない。ともすれば、この村を襲ったあの盗賊団とも大した差はないのだ。

 だが、推薦状を土台にして貴族のお抱えになればそんな心配はしなくても良くなる。団長として利を取るのなら、迷うようなところは一つとしてない。

 迷ってはいない、ただそのときを先延ばしにしているだけだ。今すぐにでも街に向かうべきところを、副団長の不在を言い訳にして決断を先延ばしにしている。今のロベルトの逡巡は子供のわがままとそう変わりはなかった。


「――ああ、くそ。何でこの俺がこんな……」


 どれだけ酒を呷っても頭は回り続ける。先延ばしにした決断を忘れることすらできない。全てが退屈なのに、問題だけは常に頭を離れない。それもこれも全て…………。


「あ、なんだよ、そういうことかよ……人のこと言えねえじゃねえか」


 はたと気付いた。こんなに思い悩んでいるのも、何もかもが退屈なのも、らしくもない逡巡をしているのも全て、あの戦のせいだ。

 コレンと同じ、いやそれより悪い。初めての勝利にまだロベルトは酔っているのだ。あの戦の後に呷った酒の味は今まで味わったどんな飲み物よりも甘美だった。安酒の味が色褪せるのも無理はない。あの戦の後は何もかもが素晴らしく感じられ、なにもかもが輝いて見えた。勝ち鬨を上げたあの瞬間がまだ消えてはいない、ただそれだけのことだった。

 

「――よし、そうとわかりゃ話は簡単だ」


「ん、御頭? 何処に行かれるので?」


「ちょいと野暮用だ。夜には戻る。あんまり羽目を外すんじゃねえぞ」


 酒瓶を片手に酔いの残る足取りでよろよろと歩き出す。剣は帯びたままだから準備をする必要も無い。長々考えた甲斐もあってようやく結論がでた。目指すは森の奥。彼らの住まう小屋の場所はだいたい覚えている、最近通い詰めてるとかいう村長の娘に案内を頼むのも悪くない。遠いには遠いが急げば夕方になる前には辿り着けるはず。それこそ酒を酌み交わす程度の時間は残るだろう。

 彼と、下方弥三郎と名乗ったあの男と話せば、この逡巡が晴れる、そんな気がしていた。もし、それが晴れずとも彼と酌み交わす酒はここでの酒よりは美味いはずだ。意気揚々とはいかずとも、確りと歩き出す。

 

 それが現われたのはそんなときだった。この日を境に、ロベルトの運命は大きな転機を迎えることになる。その運命はロベルトだけでなく、彼の率いる傭兵団の全員、そして森の魔女と弥三郎までもを巻き込んでいくことになるとは当人さえあずかり知らぬことだった。

 巨神暦千五百九十年、八の月の始まりの週、後のアイゼン公、ロベルト・イオライアスと彼の率いるアラストリア傭兵団が歴史に名を残すのはこの日からだった。



 ◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 その日、ネモフィ村は一月ぶりの喧騒に包まれていた。それもそうだ、この村に来るのは精々が小さな商隊か旅人で、徴税役人ですらあまりの辺鄙さに倦厭する有様。この村に客が来ることそのものが異常事態とも言えた。

 しかも、その客がまたおかしな客だった。キャラバンでも、旅人でも、ましてや徴税役人でもない。貴族の一団がこの村を訪れるなど村始まって以来の一大事だ。衝撃の大きさ、緊張感で言えば盗賊の襲来にも匹敵しうる。

 いや、対処の難しさで言うならそれ以上かもしれない。家格はどうあれ騎士まで引き連れた貴族となれば、機嫌を損なえば何をされるか分からない。無論、無抵抗でそれを受け入れるほかない。相手が貴族である以上、抵抗すればするほど酷いことになる。鍬やら鋤を手にいざ戦というわけにはいかないのだ。

 それこそ、今回の来訪もまた村の存亡がかかっているといってもいいだろう。故に今またアイラは村中を全速力で駆け回っていた。


「とにかく! 村を少しでも綺麗に見せないといけません!! 特にそこで酒盛りしてる人たち! 貴方達は表に出てこないで!」


「け、けどよ、アイラ嬢そりゃ…………」


「いいから行け!!」


 強面の傭兵を気迫で黙らせ、そのまま指揮を続ける。未だに混乱した様子の村人達を纏め上げ、手足のように巧みに操っていく。その指揮ぶりたるや歴戦の将もかくやとばかりのもの。


「次は……えーと、掃除です、掃除しましょう!」


 といっても、彼女自身何をするべきか分かっているわけではない。とにかく村の見栄えを良くする、そんな基本的なことぐらいしか思いつかない。

 彼女がいくら村の家裁を取り仕切ってきたとはいえ、貴族を迎えたことなどない。歳を召して経験豊富な彼女の父ですら戦同様このようなこと初めてのことだった。

 誰一人として右も左も分からないそんな状況で彼女は良くやっていると言えるだろう。


「アイラさん、何かお手伝いすることはありませんか?」


「ああ、副団長さん。助かりましたわ、団長さんの酔いが醒めないようなら貴方が代表になっていただきたいのですが……」


「お困りとあらば喜んで」


 件の貴族達の案内人だったアルフレッドが手伝いを進み出た。二刻もすれば貴族の一団が村に到着すると知らせてきたのは彼だった。彼が馬を飛ばして知らせてくれなければ何の準備もしないままに貴族を迎えることになっていた。

 恩人のようでもあり、疫病神にも思える。しかし、心象はどうあれ妖精ニンフの手でも借りなければ今の事態は乗り切りない。へべれけの盆暗よりも、まだ目付きの悪い堅物よりもまだマシだ。


「アイラー、村長が話があるってー」


「はーい、直ぐ行きまーす!」


 時間がない。もう直ぐにでも到着してもおかしくはない、それまでに一つでも不安要素は取り除いておくべきだ。相手は貴族、なにが怒りに触れるか分かったものではない。

 今度ばかりは森の魔女とその従者の力を借りることはできない。自分たちで乗り切れないようではこれから先やっていけはしないのだから。


「男であれば大成しただろうに……惜しいものだ」


 走り去っていく背中をそんな言葉で見送る。アルフレッドの目から見ても彼女の姿は見事なものだった。同じ年頃であれだけの事をそつなくこなせる人間など国中を捜しても見つかりはしないだろう。


「それにひきかえ……うちの団長は――」

 

 二十年来の竹馬の友を視界の端に捕らえ、アルフレッドはそう溜息をついた。手には酒瓶、無精ひげをだらしなく伸ばし、千鳥足の男。とてもじゃないがお堅い騎士様、御貴族様の前に晒せるような状態ではない。


「あ、なんだよ? アルぅ。 帰ってそうそう面倒事持ち込みやがってこの野郎。お前俺達がどれだけ大変だったかわかってんのかこのやろう」


「知らん。お前こそ俺がどれだけ大変だったと思ってやがる。もう少しシャキっとしたらどうだシャキっと。盆暗すぎて女神ヴィクトリアに見捨てられても知らんぞ、俺は」


「け、女神様が俺を見捨てるもんかよ。現に一月前だってな……」


 なおも要領の得ない話を続けるロベルトを適当にあしらいつつ、アルフレッドは決意を固めた。普段ならいざ知らず今のロベルトを連中の目に付くところにおいておくわけにはいかない。どこぞの小屋にでも押し込めて自分が出迎えたほうがいい。


「ほらいくぞ、話しなら後で聞いてやるから酔いが醒めるまでじっとしてろよ。いいな!?」


「あ、あん、おお、分かったよ。後で話し聞けよ、大事な話しだかんな? 俺らの今後に関わる……あ、あなんだ?」


「遅かったか」


 ロベルトを引きずり、手近なところに放り込む、その直前だった。村を通り抜けるように馬の嘶きが響き渡る。喧騒が一瞬途絶え、束の間の静寂が訪れた。

 その静寂のなか、騎士達が姿を現す。それは凶兆のようでもあり、吉兆のようでもある。なんにせよこの村に、彼らに、そして森に二度目の変化を齎すことになる、それだけは確かだった。



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