表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第二章、亡霊と故郷と
14/102

11、あるいは先触れのごとく

 ネモフィ村に安穏とした日々が帰ってきたのは奇襲戦から一ヶ月がたったころだった。戦による傷が全て癒えたわけではないが、積み重なった死体が片付けられ、大地に染み込んだ血は乾いた。生々しい痛みは薄れ、喪失は過去のものへと移り変わり始める、そんな頃合だった。

 自らの一部で壮絶な殺し合いが行われたことも知らず、森にさしたる変化はない。青々とした木々は一層精気をつけ、燦々と照る太陽を吸って草花は実りの秋を待つ。

 時は夏も盛りのケレスの月の始まりの週。大樹の森は変わることなくそこにあった。


「――はっ!!」


 弥三郎にとってもその一月は、それまでこの異界の地で過ごした短い期間とそう代わり映えのしないものだった。ネモフィ村での戦いは彼にとってはさして重要なことではない、この世界での初陣であり、寡兵を持っての厳しい戦ではあったものの、戦であるならばそれは彼にとっては日常にも等しい。取り立てて騒ぐようなことはなく、彼の今の日常に劇的な変化を齎すようなことはない。強いてそれまでと違うところを一つ挙げるとすれば、鉞を振るうのも多少は様になってきたと言うことぐらいだろう。

 目下の所、すべきことは何も変わっていない。まずはなにをおいても、命の恩を還す。日の本に帰るにしても、主の後を追って腹を召すにしても、その後のこと。次の機会が巡ってくるまでは、薪わりが弥三郎にとっての仕事だ。


「――お昼、もう直ぐできるから」


「おお、巫女殿。ありがたい」


 あの戦から何も変わったところのない弥三郎に対して、彼女の方はようやく変化に対して適応し始めていた。森の巡察から帰ると、弥三郎が家の前で鉞を振るっている、そうでなければ刀を抜き一人稽古をしている、そんな光景にもようやく動じなくなってきた。一月もすれば慣れてくるのが人の性、どれだけ異質な光景、異常な出来事であったとしても、それだけの時間があればそれが日常になるのだ。

 しかしそれでも、彼女の日常はあの戦以前と今では比べ物にならないほどの変化を迎えていた。それまでの人生において彼女は人と関わることは全くといっていいほどなかった。関わるとしても森の端に流れ着いた死にかけの旅人や農奴のような、言葉を交わすこともなくただ死していく人々のみ。会話などあろうはずもない。鎮魂と追悼の言葉を掛けるだけ、それだけの関係しかない。ほんの数ヶ月前まで彼女の世界には、森と獣と、己と神、その四つしか存在していないようなものだった。

 それがいまはどうだ、あの戦いを通して数え切れないほどの人間と係わり合いをもった。接触を避けてきたネモフィ村に赴き、人々の眼前で力を振るい、森の知識を彼らのために使った。すべて先祖から受け継いだ掟に則っての行動ではあるが、以前の彼女からすれば考えられない行動だった。

 それもこれも全ての発端となったのは下方弥三郎忠弘というこの奇妙な男だ。彼の登場を境に変化することのないはずの彼女の人生は決定的な変化を遂げてしまった。それこそ取り返しのつかないほどに弥三郎という存在は大きなものになっていた。

 当初、彼女が弥三郎の面倒を見るのは傷が完治するまでの間、そのはずだった。しかし、あの戦いから一ヶ月のときが経ち、戦で追った掠り傷も含め全ての傷が癒えた後も、彼女は弥三郎に暇を告げることができずにいた。そうしなければと思っていても、何かと理由をつけその時を先延ばしにしてしまっている。何故自分がそうしているのかも分からないままに、彼女は弥三郎を傍に置き続けていた。無自覚なままに彼女はいずれ来るべきその時を拒絶し続けていたのだ。

 だが、変化は静かに、確実に訪れる。それは弥三郎とて、大樹の森の魔女とて、この世界そのものとて変わりはない。


「おーい、弥三郎様! 魔女様! いらっしゃいますかー!?」


 その変化は週に一度騒がしくやってくる。森の獣もなんのその、図々しいほどに堂々と彼女はやってくる。背に負ったのは焼きたてのパンを詰めた袋とワインのビン、その重さもなんでもないような軽やかな足取りは彼女の心境を如実に物語っていた。


「む、アイラ殿か。此度は特に早いな」


「――そうね」


 村長の娘アイラ、彼女こそがこの森に現われた新しい人物だ。週に一度、彼女はパンやワイン、弥三郎たちだけでは調達できないものを運んでくる。それは誰に頼まれたわけでも、命じられたわけでもない、彼女自身が思い立ち、自ら行っていることだった。

 大声で返事を返す弥三郎を横目で見ながら、彼女はアイラについて思考を巡らす。正直言って彼女には何故アイラが自分たちの元を訪れるようになったのか全く見当がつかない。あの一件を恩に感じていると結論付けることは簡単だが、もう既に礼はいらないと伝えているし、現に村全体からは感謝以外何も受け取っていない。だというのに、アイラだけが礼と称して毎週趣向品を運んでくる理由がさっぱり分からない。確かに彼女に関しては直接命を救ったという経緯があるが、それでも危険な森をわざわざこの小屋までやってくるには足りない。

 弥三郎にしてもそうだが、恩の貸し借りという観点でいえばとっくに採算は取れている。還してもらう恩などもうありはしないのだ。


「お、お邪魔しますね。今日は、塩とワインも持ってきたんです……切らしていらしたようですから」


「それはまたありがたい、いい加減味の薄さに辟易していた所であった」


 ここまで来た以上は追い返すわけにもいかず、彼女はアイラを小屋の中に招いた。掟に従えば、彼女たち森の魔女は悪意のない客人を拒むことはできない。

最初、勇んで出かけたものの彼女はこの小屋に辿り着くともできずに、森の中をさ迷っていたところを弥三郎に発見された。そこから考えれば、単身で小屋まで辿り着けるようになったのだから格段の進歩といえる。いまでは、森を無用に騒がさないようにと森の魔女謹製の護符まで受け取ってさえいる。ある意味彼女は森の一部と認められているようなものだった。


「よ、喜んでいただけて私も嬉しいです」


「しかし、塩とは……アイラ殿、ご厚意痛み入る」


「……はあ」


 アイラの持参品に、弥三郎が主に代わりに頭を下げる。内陸地において塩の貴重さはわざわざ口にするまでこともない。同量の銀の価値にも劣るものではない。それをわざわざ分けてもらうのだから頭を下げるのは当然のこと。ここで頭を下げるのを渋るようでは誇り高いとはいえない。

 神妙に頭を下げ、礼を述べる弥三郎に、それに恐縮しきるアイラ、それを無言で見詰める森の魔女。一ヶ月前とは比べ物にならないほど、この小屋は騒がしくなった。良きにせよ、悪しきにせよ、彼女の日常は変化の途上にあった。


「…………狭い」

 

 ようやくといった調子で彼女は口にした言葉は偽らざる生の感想だった。元々弥三郎と二人でも手狭な小屋、そこにアイラが加われば窮屈なのは当然のことだ。中央に置かれた小さな丸机では三人が全員座ることすら難しい。


「す、すいません。私、えっと」


「――別にいい」


 狭いと、口には出してみたものの、その狭さを不愉快なものとは思ってはいない。十年近く、彼女はここで一人で過ごしてきた。自分以外の誰かが小屋の中にいること自体が違和感の塊のようなもの。自身が感じている感情を解することができなくとも無理はない。


「まあ、アイラ殿、寛がれよ」


「あ、はい、ありがとうございます」


 対して弥三郎の方は完全な自然体。アイラが来ていようが、戦であろうと、いつも通りのまま過ごしている。彼にとってはこの世界そのものが変化、いまさらたいていのことで揺らぐことはない。

 むしろ、変化に弱いのはアイラや彼女のほうであり、変化に対して適応しようと努力する二人の姿は弥三郎の目から見れば微笑ましく思えた。


「あ、すいません、私の分まで……」


「……ついでだから」


 手狭な台所で彼女は器用に三人分の食事を用意してみせる。実際のところ、手間自体はアイラが恐縮しなければならないほどかかってはいない。

用意されたのは、パン一つにスープ、葡萄酒一杯と小さな干し肉。様々変化はあったが、この昼食の献立だけは代わり映えしなかった。

 

「ーーでは」


「うん。いただきます」


「今日の恵みを天の主人なる聖霊に感謝します」


  一瞬の静寂。弥三郎が手を合わせ、彼女が詞を紡ぎ、アイラが十字を切る。三者三様の感謝と祈りが昼餉に捧げられた。それは互いに混じり合うことなく自立していて、だというのに溶け合うような調べだった。

少しづつ変化は日常へと変わっていく。騒々しく、荒々しい戦は終わりを告げ、生々しい傷は時折痛む傷跡へ。巨神暦千五百九十年、八の月の始まりの週、新たな火種は静かに迫っていた。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 領主の住まうアウトノイアの街からネモフィ村までの道のりは早馬を走らせても二日もの時が掛かる。その上、街道は続いてこそいるもののろくに整備もされていたない荒れた道が延々と続く。ただ訪れるだけで一苦労な僻地、それが大樹の森と森に寄り添うネモフィ村だ。

 その荒れ道を延々と行く一団がある。馬に跨った十数人の騎士達。堂々と胸を張り、真新しい甲冑に身を包んだ彼らの腰には剣が下げられており、そのうちの何人かは槍すら備えていた。彼らの背後には一台の馬車が控えている。出自を示す家紋こそ刻まれてはいないものの、その確りとした造りと装飾、白く染められたその車体を見ればそれなり以上の家格の貴族の持ち物ということはわかる。これだけ見れば貴族のお忍びで済んだかもしれない。

 追い立てられるように先頭をいく人物だけがこの集団の中で明らかに浮いていた。騎士達と比べればみすぼらしい鎧に使い古された剣を下げた痩身の男。騎士や貴族というよりは野盗や傭兵といわれたほうが納得の行くようなそんな男が一団を先導していた。

 そんな奇妙な一団が街道を進んでいた。向かい側からやってくる商人や旅人がその奇妙な一団に好奇の視線を向けるのも無理はあるまい。


「――おい、傭兵。その村まではあとどれほどかかるのだ?」


 騎士の一団から進み出た一人が先頭の男にそう声を掛けた。見下した口調には隠す気のない苛立ちが存分に現われていた。


「へい、まあ、明日の昼ごろには着くかと思いますが……」


「なに!? また野宿をせねばならんのか!」


 わざとらしくへりくだった男の返事を気に留めず、騎士は非難めいた声を上げた。そうはいうものの、野宿をせねばならない原因は案内人たる彼ではなく、彼の雇い主たる馬車の乗り手にある。いかなる理由からか、乗り手は決して顔を晒さない。頑なに馬車に引き篭もり、用を足すために馬車を降りるときでさえ、人払いをする始末。当然、街に逗留し、宿を取ることすらできない。そうなれば家臣たちも宿を取ることは許されない、主と共に野宿をするしかない。主に文句を言うわけにもいかず、不満の捌け口としての貧乏籤を案内人が引かされていた。

 それだけわかっていればこの騎士にまともに取り合う必要はない。適当に頭を下げ、平伏して従順なふりをしていればいい。その程度の事は作法として身に付けらる程度には男は世渡りに慣れていた。


「ロベルトめ、あとで一杯奢らせてやる」


 騎士が去った後で一人そう呟く。あの騎士に恨むところはない、一々恨んでいるようではきりがない。無為な事をするよりも、不満を別のところに向けたほうが建設的だ。

 口止め料コミとはいえ今回のこの案内の報酬は法外な額、金貨十枚に銀貨二十枚など戦場でも稼げるかわからない。全員のおんぼろな装備を全て新品に買いなおしてもまだ一月分以上の酒代が浮く、それだけの額だ。そんな額を提示されては雇い主の胡散臭さや場所に隠れた素顔や村に赴く目的なんてどうでもよくなる。火の車の彼の傭兵団にとっては天恵にも等しい。

 ロベルトの驚く顔が目に浮かぶようだった。副団長たる彼と団長たるロベルトはもうかれこれ十年以上の付き合いになる。気心知れた同郷の輩、腐れ縁とも言えるだろう。

 それだけに彼の危機感、野心のなさには頭を悩ませてきた。個人としてはそれでいいが、頭目としてはそれではいけない。軍才と人柄だけで渡っていけるほど世間は甘くはない。そのことは嫌というほどみにしみていた。

 さりとて、彼らを見捨てることはできない。そもそもアウトノイアに一月以上も粘り仕事を探したのは偏に全て彼の属するアラストリア傭兵団のため、十数人の彼らの新たな食い扶持を見つけるため。いつまでも親類がいるからとネモフィ村に居候しているわけにも行かない、その決意の元彼は行動していた。

 この仕事が成功すれば少なくとも穀潰しの心労からは解放される、そうアラストリア傭兵団副団長アルフレッド・フォレンスは胸を撫で下ろす。自分が新たな心労の種を運んでいるとも知らないままに、彼は揚々と先導を続けた。

 そうして、目的を秘したまま一団は進んでいく。目指すはヴァレルガナ領の端、大樹の森。その場所に彼らの目指すものは確かに存在している。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ