10、あるいは一度の幕
巨神暦千五百九十年、ネモフィ村の奇襲戦。後の歴史書においてアルカイオスの黒雷の初陣として語られるこの戦はさまざまな異説に彩られている。
奇襲戦ではなく正面からの会戦であったとか、はたまた森の魔女の魔術によって敵を皆殺しにしたなどという珍説にいたり、黒雷の百人切りだとか、、盗賊団の数は五百を越えていただとか、様々な脚色が加えられた。そもそもこの戦自体が存在しないと主張する学者さえいるほどだ。
それほどまでにこの戦について後世に伝わっていることは少ない。彼がネモフィ村側の総大将であったと言う事実は真偽不確かな伝承としてのみ残っている。
いつしかアルカイオスの黒雷について語る際に、この奇襲戦は無視できないものになり、軍記の冒頭には必ず副えられるようになった。
実際の戦の様子や規模を真に知るのは当事者であった村人達と傭兵達、アルカイオスの黒雷その人、そしてその主森の魔女だけだ。
二日後に村に辿り着いたヴァレルガナ領の騎士団には偽りの顛末が伝えられた。
盗賊たちを退治したのはあくまで自分と傭兵たちであり、盗賊の数も実際の半分の数が申告された。
公式文書はその報告を元に製作された。噂話に異国の騎士や森の魔女について語られることはあったものの、公式文書に魔女と弥三郎のことは一文字たりとも触れられていない。
奇妙なことに、奇襲戦を勝利に導いたのは後のアルカイオスの黒雷と森の魔女であるということは村人達と弥三郎その人によって隠匿されていたのだ。
その真意についても諸説ある。が、そのどれもが所詮推測の域をでることはない。さまざま複雑な理由を考察したところで、文書から読み取れる情報にはどうしても限界があるからだ。
結果として、戦における弥三郎の勲功や森の魔女の力は隠蔽されたという事実のみが後の世に残されることなった。
アルカイオスの黒雷、下方弥三郎忠弘の名が正式な文書に現われるのは、この三ヵ月後、アルカイオス王国王都ラケダイモンにおける国王暗殺事件、通称「エストリウス大乱」を待つことになる。
今話で第一章完、次話からは二章です。




