8、あるいは決着のあと
総大将を失ってからの盗賊たちの行動はそれぞれだった。
大半のものが転がるようにして森に逃げ込んだ。武器を放り捨て降るものもいる一方、捨て鉢になって戦いを続けるものもいた。
結果、抵抗を試みた者達も瞬く間に討ち取られて、逃げ出す者はそのままに、降った者達は捕らえられた。
降伏したものを殺すことは弥三郎が許さなかった。法度を持って処すならばまだしも、ただ単に降り首を刎ねることは武士として許されない。
昂った村人たちはあっさりと弥三郎の命に従った。彼が戦場で見せた武勇はどんな肩書よりも強力だった。
戦場となった隘路ではすでに後片付けが始まっている。
負傷者を村人総出で搬送している。それでも手が足りず、死者は打ち捨てておくしかなった。
「…………南無三」
弥三郎の静かな成句は、喧騒に中に消える。
眼前には屍山血河。死んだのは敵だけではない。味方においても少なからぬ人数が討ち死にした。
勝利に浮かれる村人たちは今はそれを忘れている。
それを責めることはできない、戦というのは得てしてそういうものであり、そこに彼らを引きずり込んだのは紛れも無い弥三郎自身だった。
無論、そこに後悔を抱くような弥三郎ではない。しかし、死を悼むことを怠ることはない。
それを忘れたときに、人は畜生に堕ちる。戦場での命の取り合いは当然のこと、戦が終われば死者を弔うこともまた当然のこと。戦場での勇猛さとは矛盾したその姿もまた弥三郎の在り方だった。
「――酷い」
「巫女殿か」
いつの間に彼女は弥三郎の傍に立っていた。言葉こそ弥三郎に向けられたものだが、緑衣から覗いた視線は目の前の光景に向けられている。
彼女とて死体は見慣れている。だが、これほどまでに多くの死と実際の戦いを目にするの初めてだった。
弥三郎に隠れるようにいわれた彼女は森の中に潜んでいた。危険はなかった、元より森は彼女の領域、見つかるようなへまはおかさない。
それゆえに彼女は誰よりも冷静かつ客観的に戦場を俯瞰することができていた。
実際の戦いはどんな絵物語よりも悲惨で壮絶だった。つい数時間前ここで行われた虐殺を彼女は我がことのように感じていた。
森を通じて彼女の感じ取ったそれは常人が感じるそれとは比べ物にならないほどの熱量を持っている。
数十人分の死を一度に受け止めたようなもの、それでも立っていられるのは皮肉にも森が多くの精気を吸い込んだからだ。血が流れ、命が消費されればされるほど森は潤う。森に齎された豊かさは彼女に伝播し、瑞々しいまでの精気が身体の内に流れ込んでいる。弥三郎を治療する前ですらこれほど力に満ちてはいなかった。
「……いつも、こんな感じなの?」
自然と言葉が漏れていた。彼女は弥三郎がこうして戦ってきた事を知っている。
彼女の疑問に答えることができるのはこの場においては、弥三郎だけだった。
「む、まあ、このようなものですな。勝ち戦でも負け戦でも、人が死ぬのには変わりはござらん」
「……そう」
弥三郎は何気なく答える。彼にとっては戦の後に味わう勝利の高揚も、奥底に蟠る不快感も既に慣れ親しんだもの。一々意識するまでのこともない。
だが、彼女はそうもいかない。実際に戦っていなくとも、感じた恐怖も狂気も本物だ。杖を持つ手がどうしようもなく震えるのも無理からぬことだった。
「――巫女殿、村へ戻られよ。今は休まれることが肝要、無理はされぬほうが良い」
「……だめ、まだやることが残ってる」
弥三郎なりの気遣いを退け、彼女は喧騒の中へと歩を進める。
戦いは彼女の領分ではないが、死者を慰めるのは彼女の義務だ。それが敵であれ味方であれ死んだ以上は死者でしかない。
「巫女殿、なにをなさる?」
「仕事。あなたこそ休んだら?」
「この程度何のことやあらん。恩人一人働かせ、のうのうと休んでおっては武士の名折れ。お手伝いいたす」
「そう」
少しづつ人気の失せていく屍の道を彼女はゆっくりと進む。
手にした杖の先端が淡い光を帯び、森の闇を照らし出す。
口ずさむ詞は弔いと鎮魂。巨神教による葬儀とはまるで違うものの、厳かで力のある森の詞は聞くものに畏敬を抱かせた。
「……なんと」
弥三郎がこぼした言葉は心からの感嘆だった
彼には彼女が唱える言葉の意味を理解できているわけではない。ただ漠然とそれは念仏の類であるということはわかる、それだけだ。
それでも、彼女の言葉の持つ力を感じることができた。それは彼が振るう武威のような直接的な力でもなく、一向宗の僧侶の辻説法とも、南蛮のバテレンたちの祈りともまるで違う。真に神仏を宿す業があるとすれば、この姿こそそうなのではないだろうか、そう思えるほどに彼女の弔いは威厳に満ちていた。
ならばこそ、彼女に恩を返す意味がある。彼の生きてきた時代においては、宗教とは民にとっては支えであり、武士にとっては利用すべき道具であり、また敵でもあった。
一つの題目の元、命を顧みることなく一致団結した敵には何度も煮え湯を飲まされてきた。重視はしても真に尊んだことは一度もなかったと言うのが弥三郎の偽らざる本音だった。
けれども、尊いと感じた。ただひたすら己の役目に誠実な彼女の姿に弥三郎は誠を見たのだ。
ならば、それだけで今生の命を預けるに足る。この在り方を守ることが義と主命に恥じない道だとそう信じることができた




