7、あるいは狂気のごとく
策はなった。
釣り野伏せ。風説に聞こえただけの知識に、手を加えただけのものであったがその威力は一目瞭然だ。
事前の評定のとおり、ロベルト率いる別働隊は最適の頃合で敵の中段に喰らい付いた。
定石どおりの手ではあるものの、だからこそ、その効果は目を見張るものがある。
総大将のいる中段を奇襲された盗賊側にはもはや統率も何もあったものではない。最初の戦いでは唯一士気を保っていた総大将の近習でさえ、敵が何処にいるかも分からずにただ討ち取られていく始末。まさしく総崩れと言ってもいいだろう。
故に勝利に立ち塞がる最後の壁は時間だ。混乱はそう長くは続かない。瞬く間に決着を付けなければ先程の二の舞になる。
敗走し背を晒した総大将の首を刈り取る。それが勝利のための唯一の血路だ。戦いにおける有利不利が如何に二転三転しようとも、そのことは変わっていない。
弥三郎は自分の役目に何処までも忠実だった。
「行くぞ! かき乱すんだ、足を止めんじゃねえぞ!!」
「応!」
己の役目を過たずに行っているのは弥三郎だけではない。別働隊を率いていたロベルトもまたこの戦の要をしっかりと理解していた。
別働隊を手足のように操り、中段を右へ左へかき回す。敵の大将はいまだに健在だ。
総崩れの混乱の中にあって、逃走経路を見つけるために自ら剣を振るって奮戦している。
いかに策が成功したとはいえ、総大将を討たなければ戦いの勝敗は決しない。今がその絶好の機会だ、足を止めている暇は存在しない。
「ロベルト! 近習を崩せ!!」
「了解した! 聞いたな!? あそこだ! あの一団に仕掛けるぞ!」
黒の甲冑を朱に染めた弥三郎が大音声で指示を飛ばす。その指示にロベルトが応える。
阿吽の呼吸、これが初めての共闘とは思えないほどに二人の連携は完成されていた。
確かな予感がロベルトの背中を押していた。
この異国の甲冑を着た男から最初にこの作戦を聞いたときは疑念しか沸いてこなかった。
それが今はどうだ。あれほど渇望しても手に入らなかった勝利が目の前にある。勝利をもたらしてくれるのならたとえ相手が化け物でも喜んで従おうというものだ。
「どけ! 道を空けろ!! 野営地まで退けば逃げられるんだ!!」
賊将エルドもまた自身の役割を全て理解していた。
ゆえに仲間を押しのけ、屍を踏みつけて走っている。先程、村人達の置かれていた状況に今度はエルドが置かれていた。
逃げ切れなければ彼が死ぬだけではない、待ち受けるのは完全な敗北だ。
「追いついたぞ!」
怯えた背中に弥三郎が追いついた。手にした二刀を血に染めて、エルドの前に敢然と立ちはだかる。
近習は散り散りになり、護衛も全て弥三郎に全員が切り捨てられた。エルドはその身一つで敵方の総大将と対峙することになった。
だが、対する弥三郎もまた身一つ。彼を守る供の者は一人もおらず、付き従う配下もいない。率いていた彼らは周囲の敵を掃討し、弥三郎の背後を守っている。
大将同士の一騎打ち。弥三郎にいた世界でも、このオリンピアでもその前例は少ない。
足軽が生まれ、鉄砲が普及し、集団戦を旨とする戦国の世にあってそもそも将同士の一騎打ちというのは物語の中にしか残っていないものだ。ましてや総大将同士の一騎打ちなど古の軍記物の一場面のような光景だった。
「――織田家家中、下方弥三郎忠弘。此度こそその首貰い受ける」
「お、おのれ!」
作法に則り厳かに名乗りを上げた弥三郎に対し、エルドは剣を構えているのが精一杯だった。対峙した相手の武勇はいやというほど思い知らされている。
こうして正面から向かい合った時点で勝敗は決したようなもの。後の行為は悪足掻きにすぎない。
「おおおおお!!」
獣じみた咆哮と共にエルドは弥三郎に切り掛かった。大上段からの切り下ろし、後の事を考えない乾坤一擲の全てを込めた一撃だった。
「ッ!」
その一撃を弥三郎は正面から迎え撃つ。左手に構えた剣でエルドの攻撃を受ける。
予想以上の衝撃と手応えに弥三郎が思わずうめき声を上げた。
既に刃こぼれをしていた剣が衝撃に軋み、根元から圧し折れる。剣が甲冑の肩当てに食い込んだ。
肩の刃をそのままに弥三郎が間合いを詰める。左の脚を踏み込み、右の村正を構えなおす。今度はけっして外しはしない。
「――覚悟!」
一閃。まさしく閃光のような突きが放たれた。真っ直ぐに突き出された切っ先がエルドの喉元へ。
鋭い刃は柔らかい肉を容易く裂き、脳幹までを一気に断ち切る。さらに刃を捻り、そのまま弥三郎はエルドの首を落とした。
一呼吸の間にエルドの命は尽きた。当人とて何が起きたのかを理解していなかっただろう。まさしく早業、弥三郎の手による絶技だった。
「賊将!! この下方忠弘が討ち取ったり!!!」
左手でエルドの首を高く掲げ、大音声で弥三郎が宣言した。
未だに戦いの続くこの隘路の隅々までその声は響き渡る。敵味方問わず、混乱した全ての目が彼と彼の手にした首へと向けられた。
「――おおおおおおおおおおお!!」
ほんの一瞬の空白の後、割れんばかりの歓声が暗い森を揺らした。村人たちが一斉に勝鬨を上げたのだ。
盗賊たちは状況を理解していない。ただ漠然と自分たちの敗北を受け入れるしかなかった。




