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07 混乱する。

 ついにお祭りが始まった。街は花と人で溢れかえっている。

 昨日サム先生から聞いた話では、どうにか学校も無事綺麗に飾りつけすることができたらしい。それでも街一番の見せ場である学校ではまだまだしなければならないことがあるようで、お詫びとお礼は後日改めてすると言ってすぐに行ってしまった。面倒臭がりの先生もこればかりは面倒がってはいられないのだ。

 フィーリアもなかなかに盛況だった。いつもは人手不足であまりお客さんを受け入れられないのだけれど、ヘンリーさんとハーヴィーさん、そしてルカさんが手伝ってくれたお陰でお客さんの回転も速くなって、いつもの倍は働いたような気がする。

 日が沈んでも街は少しも賑わいを失わず、まだ行き交う人々が楽しげに笑っているのが窓の向こうに見えた。

『かんぱーい!』

 相変わらず綺麗に声を揃えて、ヘンリーさんとハーヴィーさんがジョッキをぶつけ合った。多分お酒だろうけれど、一体いつの間に持ち込んだのだろう。

 フィーリアは夜の色が濃くなる前に閉めた。夜になれば、当然お客さんが求めるメニューも変わる。けれどわたしはまだ子供なので、そういった要望にはお答えできないのだ。

 だからお酒なんか店内になかったはずなのだけど、双子はぐいっとジョッキを煽っては満足そうに息を吐く。

 二人の監視役になりそうなマルヴおばさんはいない。毎年、旦那さんと夫婦水入らずの時間をすごしているのだ。今年も例外ではないのだろう。

「ねえ二人とも、それお酒ですよね? どこから持ってきたんですか」

「んー、秘密ー。リリィも飲む?」

「飲みません。わたしまだ十七ですよ」

「十七も十八もそう変わらないって」

 彼らは本当に近衛隊に入ったんだろうか。未成年に飲酒をすすめるなんて。

 呆れながら円卓を丁寧に拭いていると、ヘンリーさんたちの標的はルカさんに移ったようだ。陽気な声に名前を呼ばれて、ルカさんは円卓を拭いていた手を止める。

「ルカはどう? おいしーぞー」

「もう、駄目ですよ。ルカさんだって未成年なんだから」

「そりゃあそうだろうけど。今いくつなの?」

「……そういえば、いくつなんだろ」

 わたしまで手が止まってしまった。ルカさんが何歳かなんて聞いたこともない。ただなんとなく、十五歳くらいだろうと思っていた。

 そんなわたしに『駄目だなあ、リリィ』と呆れた声が重なる。落ち込みそうになるのを堪え、黒い瞳をじっと見据えた。

「ルカさん。ルカさんは何歳ですか?」

「……なん、さい……」

「わたしは十七歳です。ルカさんは?」

 一応数字も教えたはずだけれど。算術はできなくても数を数えるくらいはできないと困ってしまう。

 ルカさんは考えるような素振りを見せて、ゆっくりと口を開く。

「じゅう、はち」

「えっ!?」

『十八!?』

 ぎょっとしたわたしたちを見て、ルカさんはどこか決まり悪そうに眉を下げた。

 嘘をついている様子はない。それじゃあ間違えたのだろうか。だって十八歳にはとても思えない。

 試しに一から順に数字を言ってみる。自分の歳が来たら止めてね、と告げて。一、二、と数えていくと、少しして彼が待ったをかけた。十八だった。

 目をまん丸に見開くわたしたちに、ルカさんは苦笑する。

「ええと……よく、子供に見られる。外国人に。ニホン人小さい」

 なるほど、ニホン人は小柄な民族なのか。新しい発見だ。

 意外すぎて呆気にとられたままのわたしより早く我に返ったらしいハーヴィーさんが、「じゃあさ」とジョッキを掲げた。

「ルカ成人だろ。一緒に飲もうよ」

「そうそう。子供は置いといて飲もうよ」

 ヘンリーさんまでジョッキをゆらゆらと揺らして誘う。わたしだけ仲間はずれなんてひどい。

 わざとらしくむすっとした顔を作って二人を睨むけれど効果はない。どうやらルカさんにしか効かないらしい。戸惑いを隠さない彼にそっと息を吐いた。

「絶対年下だと思ってたのになあ」

「ご、ごめん」

「いいですよ。嘘ついてたわけじゃないし」

 項垂れる彼に洗ったばかりのコップを差し出した。きょとん、と黒い瞳が丸くなる。

 成人ならわたしが飲酒を止める理由がない。何事も経験だと言うし、それこそわたしは彼にこの世界でたくさんの経験をしてほしい。

 もしかしたら同じお酒でもニホンとは全然違うかもしれない。もしかしたらニホンにはお酒がないかもしれない。違いを知るのは少し怖いけれど、同時にわくわくする。

 おずおずとコップを受け取ったルカさんに、ヘンリーさんがお酒を注いでくれる。緊張したように両手でコップを持ったルカさんは、一度深呼吸をしてからぐいっとコップを煽った。

『おお、いい飲みっぷり』

 双子が楽しげに笑う。確かにいい飲みっぷりだ。お酒に強いのだろうか。

 けれどルカさんは大きく息を吐いて、それから倒れた。

「ルカさん!?」

「あちゃあ。一気に飲みすぎたか」

「やれやれ。やっぱり子供ってことか」

 もう二度とルカさんにお酒は飲ませないと誓った。



 そして迎えた二日目。この際往生際の悪いことはせず、素直にお祭りを楽しもうと思う。

 ルカさんの体調を考えて昼頃から出ようと考えていたのだけれど、予想通りというかなんというか、マルヴおばさんのおせっ……ご厚意に時間がかかり、既に夕方になってしまった。

「うん。可愛い可愛い! やっぱり若い子はこれくらいしなきゃねえ」

 思う存分世話を焼いたおばさんは、ぐったりしたわたしに気づかずにご満悦である。

 わたしがやっとお祭りに繰り出すと決まってから、彼女はいろいろと準備してくれていたようだった。わたしの意見も聞かずに。

 優しい桃色の服にはところどころに小さな白いレースがあしらわれ、可愛くも清廉な印象を与える。それにあわせた白い小花が一つついただけの首飾り。いつもは適当にまとめるだけの髪は編み込みながら結い上げられ、手など加えたことのない顔には化粧まで施された。まるで鏡の中には金髪碧眼の人形がいるようだ。とても自分だとは思えない。

 正直、可愛い。確かに可愛いとは思う。可愛い服も好きだし、ここまでやってくれて感謝もしている。だけど、出かける前にわたしはもうくたくただ。

「ううう、おばさんの意地悪……」

「何が意地悪なんだい。服も化粧も完璧。髪はまあ、髪飾りの一つでもほしいところだけど、いいのが見つからなかったんだから仕方ない。折角綺麗な金髪なのにねえ」

「別に仕上がりに文句があるわけじゃなくて……これじゃあ乱れても自分で直せないじゃないですか」

「あら。乱す予定でもあるのかい」

「……人に揉まれれば髪くらい乱れますよ」

「つまらない子だねえまったく」

 呆れたような溜息。「いい? 女は仕事と恋を両立してこそ一人前なんだよ」と何度聞いたか知れない持論をつらつら並べ始めるマルヴおばさんは本当にお節介だ。

 聞かれてしまわぬようそっと溜息を吐くと、部屋の扉がノックされた。

「ちょっと、まだ時間かかるの? こっちは待ちくたびれてるんだけど」

「はいはい、今できたとこだよ。女は支度に時間がかかる生き物なんだから、これくらい待てないのかね」

 ルカさんの相手をしてくれていたはずの双子の片割れが呼びに来たようだ。苛立ったように返事をして、マルヴおばさんがわたしの背を押す。一緒に部屋を出れば、不貞腐れたような顔をしたヘンリーさんとハーヴィーさん、そしてルカさんがいた。

 黒い瞳と視線が交わって、しばし固まる。どうやらおばさんのお節介はルカさんにも及んでいたらしい。

 清潔感のある空色の上着には袖や襟などところどころにしゃれた装飾が入っていて、それなのに不思議とごてごてした印象にはならず、むしろ爽やかに見える。それはいつもの見慣れた借りものの服ではなくて、彼の為に選ばれたのだと容易にわかるほどルカさんに似合っていた。初めて会った時より少し伸びた黒髪もいつの間にか整えられているし、流行の髪型ではないけれど彼の異国情緒たっぷりの顔立ちにはぴったりだ。……これはこれは、女の子が黙っていなさそうな美少年である。

 けれど、わたしの意識はそんなことよりも、彼の襟に飾られたリボンが気にかかった。白と紺の縦縞模様のそれは綺麗に結ばれ、それが全体的に大人びた服装をどこか可愛らしくしていて、あくまでわたしたちからすれば童顔の彼にはやはり似合う。

「……マルヴおばさん。どうしてリボンなんか」

「嫌だねえ。男はどこかにリボンをつけなきゃいけないだろ? 働き詰めでそんなことも忘れたのかい」

「覚えてますよ! でも、ルカさんには必要ないでしょう?」

『もしかしてリリィ、妬いてるの?』

「違います! もう、ルカさん行きましょう! ……ルカさん?」

 親子揃ってからかうようにニヤニヤ笑う彼らから顔を背けると、またばちりと黒の瞳と目が合う。どこか呆然としていたルカさんはそれで我に返ったのか、ハッと目を丸くして、それから頬を紅色に染めた。今度はわたしが目を丸くする番だった。

 そんな彼を見て、更に笑みを深めた兄貴分がルカさんの肩にそれぞれ腕を乗せる。

『あれれ、ルカってばリリィに見惚れたんだ? かーわいー』

「えっ、な、違いますよ!」

「なんでリリィが否定するの?」

「まさかリリィ照れてるの?」

「う、いや、あの」

『あらら、リリィまで顔赤いよ? かーわいー』

 完全にからかい始めたヘンリーさんとハーヴィーさんに慌てて否定するけど、墓穴を掘っている気しかしない。マルヴおばさんは助けるどころか「リリィも枯れたわけじゃなかったんだね」と嬉しそうにしていて、味方は誰一人いない。一秒ごとに体温が一度上がっている気がする。

「もう知らない! 行ってきます!!」

「迷子になるなよー」

「変な奴に捕まるなよー」

「二人とも楽しんで来るんだよ!」

 最後までニヤニヤしている彼らに背を向けて、ルカさんの手を引っ掴んで今度こそ逃げ出した。



 橙色に染まった空下、色とりどりの花が街中に咲いている。ぼんやりしていれば簡単に人にぶつかってしまいそうだ。もうすぐ夜が来る。お祭りも最後の盛り上がりを見せ始めていた。

 既に昨日からどんな様子かは見ていたとあって、思っていたよりルカさんは落ち着いていた。興味深そうにきょろきょろしているけれど、はぐれないように繋いだ手はそのままに、歩調を崩したり急に立ち止まったりもしない。

 もっとはしゃぐかと思っていたのに。そう考えて完全に彼を子供扱いしていることに気づく。そういえばルカさんはわたしより一つ年上だった。しかも十八だから成人だ。子供はむしろわたしの方だった。

 なんだかなあと思いつつ、彼の様子を窺う。ルカさんは黒い瞳をきらきらさせて、ぽつぽつと単語を呟いていた。癖になってしまったのかもしれない。

「店。おもちゃ。子供。笑う」

 小さな声で、けれどしっかりと呟くのを聞きながら、彼の視線を追う。そこには、露店の前で買ってもらったおもちゃを嬉しそうに抱く子供がいた。ちらりと盗み見た彼の表情も嬉しそう。やっぱり可愛いと思ってしまうのは失礼だろうか。悩みどころである。

 とりあえず学校を目指して大通りを歩く。やはり目玉は見ておくべきだし、途中で露店も何があるか見れるからと勝手に決めた。多分ルカさんは通じても文句は言わないだろう。

 時折飴や果物などを買って適当につまみながら、賑やかな空気に誘われるように進む。学校が見えてきた。

「赤。橙。黄色。白。紫。……金色」

 色名に絞ったか、と考えつつ彼が見ているだろう色とりどりの花を見ていたけれど、ふと首を捻る。金色の花なんてありえないし、たとえ造花でもそういった色のものは飾らない決まりだ。あくまで花なのだから。

 一体何を見ているのかと彼の視線を確認しようとして、思いがけず視線が交わった。ルカさんの黒い瞳は、わたしを見つめていた。

「……青」

 わたしの、瞳の色。

 何故だか息が詰まった。心地いいような、息苦しいような。相反する何かがせめぎあってじわりと熱を生む。彼の瞳から目をそらせなくなった。

 ルカさんは穏やかな眼差しでわたしを見つめ、おもむろに襟を飾るリボンを解いた。しゅるり、リボンを引き抜く音が嫌に大きく聞こえる。彼の骨ばった手が、繋いだままのわたしの手を持ち上げた。

「……ルカ、さん……?」

 一度だけ、漆黒の瞳が窺うようにわたしを見た。けれどすぐにそれはわたしの右手に向けられて、そっと何の飾りもない手首にリボンを巻き始める。

 わたしはそれをただ見ていた。どういうわけか、身じろぐことさえできない。どきどきと、鼓動が体内に響くだけだ。

 丁寧にわたしの手首にリボンを巻きつけて、ルカさんは優しくわたしの手を握った。まるで壊れものを扱うかのように、丁寧に包み込まれる。

「……ありがとう。リリアンさん。ありがとう」

 目を伏せた彼の声が胸に染み込んでくる。真摯なその声は、切なく震えているような気さえした。

 わたしはそれを受け入れながら、信じられない気持ちで握られている手を見た。まさか、そんなはずはない。ありえない。そもそも、彼は何も知らないはずで……。

 そこまで考えて、ニヤニヤと笑う兄貴分が脳裏に過ぎった。

 もしかして、教えたのだろうか。ルカさんに。二人が。――リボンの意味を。

「リリアンさん。俺……」

「待って!!」

 ルカさんが弾かれたように顔を上げた。待って、ともう一度繰り返して、わたしは意味もなく首を振る。

 混乱していた。突然のことにどうすればいいのかわからなかった。

「リリアンさん?」

「ごめんなさい。急に、こんなことされても。わたし。わたし……っ」

「え、リリアンさん!!」

 気づいた時には駆け出していた。ルカさんが呼ぶ声がしたけれど、足は止まらなかった。人の間を縫うように走って、たまに肩をぶつけながら逃げた。

 ようやく足が止まったのは、体力がなくなってからだ。大通りからはずれた人気の少ない路地裏で、肩で大きく息をしながらその場に蹲った。日が沈んでしまったのか、薄暗くなってきていた。

「……ルカさん、置いてきちゃった……」

 まず浮かんだのはそんな自己嫌悪。何度も通ったことのある道ではあったけれど、まだ満足に会話ができるとは言いがたい彼を一人にしたことに罪悪感がわいた。でも、戻る気にはなれなかった。

 右手を少し持ち上げて、綺麗に結ばれたリボンを見る。結び目を見る限り、解こうと思えばできるけれど、簡単に解けそうにはなかった。

「……嘘」

 勝手に呟きが零れた。

 だって、あるはずがない。――ルカさんが、わたしを好きだなんて。

 お祭りにはいろいろな『付加価値』がつきものだけれど、無論この大きなお祭りにも『付加価値』があった。主に若い男女の為の伝統があるのだ。

 お祭りの最中、男性はリボンを一つ身につけることになっている。そして、それを素敵だと思った女性に贈るのだ。いわば告白である。男性を受け入れるなら、女性はその人のリボンを身につける。これで晴れて恋人同士だ。

 昔から続くこの伝統のお陰で、お祭り直後は恋人同士が増える。純粋にお祭りを楽しむのはもちろん、恋を求めてさまよう人も多くいることだろう。

 だけど、まさか自分がその立場になるだなんて思ってもみなかった。

 しかも相手はルカさんだ。見ず知らずの相手よりはよほど説得力があるけれど、彼はまだ子供……違う、大人だった。彼は十八歳の、立派な男性だ。

 どくん、と心臓が大きく脈打った。おかしい。変だ。体が熱くなる。なんだか居た堪れない気持ちになってきた。

 自分を落ち着けようと深呼吸する。それにあわせてリボンがゆらゆらと揺れた。

 混乱していた所為で、リボンを受け取ってしまった。

 あくまで伝統であって、規則ではない。実際一夜の相手としてリボンを贈られることもあるようで、まともに取り合わない女性もいるらしい。だからそこまで気にしなくてもいいと思うのだけど、やっぱりルカさんとなるとそうもいかない。

 彼がそんな意味でリボンを贈るような軽薄な男でないことなど、わたしが一番よくわかっている。彼が本当に純粋無垢だとか、そこまで綺麗には思っていないし、そんな人ありえないと思っている。だけど、彼はきっと誠実な人だ。

 どうしよう。どうすればいいんだろう。

 だって、ルカさんは家族だ。家族で、友人だ。

 一体、これからどんな顔をして暮らせばいいんだろう。


 背後から駆けてくる足音がした。


 思わずびくりと肩が跳ねる。バタバタとした落ち着きのない足音だ。もしかして、ルカさんが追いかけてきてくれたのだろうか。

 どんな顔をすればいいのかわからないままだけど、逃げっ放しでもいられない。わたしは、彼を守らなければならないのだから。

 そっと息を吐いて自分を落ち着ける。近づいてくる足音にあわせて振り返った。


「――その娘を放せ!」


 ルカさんじゃなかった。知り合いでもなかった。

 険しい顔でこちらを睨みつける男性を、見知らぬ男に捕らわれたわたしは呆然と見るしかなかった。

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