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11 教わる。

 発熱した日から三日経ち、一般的な休日である今日は普段よりお客さんが多く入ってくれる。すっかり体調万全のわたしはありがたい忙しさに追われながら、ふと首を傾げた。

 不思議な現象が起きている。

「先代の頃より繁盛してんじゃねえか?」

「そうですか? あの頃はまだ小さかったし、人手も足りてたからよくわからないんですけど……いやらしい話、先月の売り上げはかなり増えました」

「小さかったって、今でもガキだろ」

 指定席を陣取ったサム先生が呆れた視線を寄越す。確かにその通りだけど、両親の手伝いをしていた頃よりは成長している。多分。

 ここのところ、お客さんが増えた。恐らくあのお祭りが終わった頃から、女性客が急増したのだ。

 元々フィーリアは地元の人がよく通ってくれる店で、宣伝も特にしていないのでご新規さんは滅多にいない。それが突然増えたものだから、こちらとしては正直てんてこ舞いである。

 理由は最近、なんとなく察した。

「美形は罪だなあオイ」

 しみじみとサム先生が呟く。わたしは苦笑した。

 女性客の多くが口にすることがある。「背の高いお兄さんたちは今日はいないんですか」と。間違いなく二人の兄貴分のことだった。わたしが彼らはお祭り限定のお手伝いさんだったのだと教えると、彼女たちは「そうですか」と少し落胆した様子を見せるのだ。

 とどのつまり、ヘンリーさんとハーヴィーさん目当てのお客さんが来てくれている、ということ。

 本当に彼らだけを目当てに来ている人は少ないようで、たいていの人はいないと知りながらもまた来てくれた。お料理も気に入ってくれたのだと思うとそれは嬉しかった。中には彼らについて詳しく聞きだそうとするお客さんがいて、少し困ってはいるのだけど。

「マルヴの話じゃ過労で倒れたって言うけどよ。このまま減る様子がないなら店員一人か二人、雇った方がいいんじゃないか?」

「マルヴおばさんそんなこと触れ回ってるんですか……」

「先代は二人でやってたし、お前も手伝ってただろ。むしろなんで今まで雇わなかったんだ?」

 サム先生は細い瞳で不思議そうにわたしを見つめる。

 どうしてと問われるのは当然だと思うのだけど、これといって明確な理由はない。

 最初の頃はわたし一人で両親の店をもう一度やり直したかったのもあるし、十二歳の子供が経営する店で誰も働きたがらないだろうとも思った。収入が安定して、一人くらいなら雇ってもちゃんと給料を払ってあげられるだろうと思えるくらいになっても、なんとなく必要性を感じなかった。

 扉近くの円卓に着いたお客さんに呼ばれ、勘定を済ませる。お礼と共に見送りつつ、こうなるとやっぱり一人くらいほしいかもなあなんて考えた。閉店時間が迫りつつある店内は次第に人口密度が減り、自然とほっと息を吐く。

 すると、火にかけていた鍋からぶくぶくと音がするのに気がついた。

「ルカさん。お鍋、そろそろよさそうですよ」

 真剣に教科書と睨めっこしていた顔がハッと上げられる。ルカさんはすぐさま調理場に向かった。その表情がなんだか楽しげに見えて、つい笑みが零れる。

 サム先生は首を捻った。

「なんだ? 急に。ルカの奴、料理でもすんのか?」

「オコメですって」

「オコメ? なんだそりゃ」

「ジーラなんですけどね。ルカさんの国ではオコメって言うそうですよ」

 今朝いつも通り市場で買い物をしている時に、隣のルカさんが突然「コメ!?」と叫んだものだから、わたしはもちろん、周りの人までぎょっと驚いた。

 我に返ってあたふたする彼にどうしたのか尋ねれば、少し離れた天幕の下にある、白い粒が詰まった大きな袋を指差す。そこは外国からの輸入品ばかりを売っている店で、わたしは利用したことがなかった。

 彼が若干興奮気味に指差すのは、ジーラと呼ばれる食材。この国では生産されておらず、外国料理をふるまう飲食店で見かける程度のものだ。わたしも、見たことはあっても食べたことはない。

 ルカさんが言うには、ジーラはニホン人の主食であるオコメにひどく似ているのだそうだ。彼はきらきらと目を輝かせるし、そう言われるとわたしも興味が沸く。

 何かこれで料理が作れるのか尋ねたのだけれど、まずスイハンキがないとタけないと言われてしまった。スイハンキとは何かを聞いてみても、オコメをタくものと答えられ、ちんぷんかんぷんだった。とりあえず手持ちにないことだけを把握した。

 仕方なく、お店の人に調理法を尋ねた。ジーラは水で洗って(ルカさん曰く「トぐ」)、湯を沸かしたお鍋に入れて煮る(ルカさん曰く「タく」)らしい。本当においしいのだろうか。

 疑いつつも好奇心とルカさんの期待に満ちた瞳に負け、とりあえず二人前に相当する量のジーラを購入した。

「ジーラなあ……」

「サム先生は食べたことってあります?」

「いや、ねえな。ジーラが食べられる店すら知らねえ」

 先生がどこか難しい顔をして頬杖をついた。

 わたしも、このあたりでは見た覚えがない。隣街にあるのかもしれないけれど、わたしはこの街と森しか基本的に行き来しないのでわからない。

「作り方は聞いたんですけど、わたしが作ってもどうなれば正解なのかわからないので。ルカさんもやりたそうにしてたし、ジーラはルカさんに任せることにしました」

「まずいって話は聞かねえから、うまいんだろうが……どんな味か想像できねえな」

 サム先生と一緒に、ジーラを入れたお鍋をじっと見つめるルカさんを見守る。

 ジーラは煮る時間が重要だそうで、少しでも煮すぎたり足りなかったりすると、ちっともおいしくないらしい。単純な調理法なのに気難しい食材である。

 そういえば、ジーラの他に特別食材を買っていないのだけど、ジーラは何と食べるつもりなのだろう。もしかして単品で食べるもの? でもそれじゃあ料理店でふるまうには物足りないだろう。何かしら付け加えるものがあるはずだ。店にある食材なら別に何を使ってもらってもいいけれど、必要なものはなかったのだろうか。

 今更ながら心配になって、調理場に戻って声をかける。時計と鍋を交互に見つめていたルカさんは、不思議そうに振り返った。

「ルカさん。ジー……オコメって、ニホン人の主食なんですよね? 何と一緒に食べるんですか?」

「しゅしょく……ああ、うん、そう。ニホン人、オコメよく食べる。なんでも一緒でいい。……あ、でも、タンスイカブツは……一緒嫌だ」

「タ、タン……?」

「あー……えっと、焼いた、魚。ミソのスープ。ナットウ。フリカケ。ツケモノ。ニクジャガ……ないね、多分。ええと……あ、揚げたもの。テンプラ。カラアゲ。なんでもいい。オコメ、なんでもおいしい」

 変なことを言う。主食ならそれ相応の味があって、なんでも合うなんて万能なわけがない。味が強すぎて喧嘩してしまう。ニホン人は味覚音痴なのか。いやでも、ルカさんはわたしの料理をおいしそうに食べてくれるし、おいしいとも言ってくれる。なんだかこんがらがってきた。

 僅かに眉を寄せてなんとも言えずにただ彼を見つめていると、彼にもわたしの困惑が伝わったのか、困ったように眉を下げる。

「……あ。オニギリ」

 しばらく悩むような素振りを見せたルカさんが、ぽつりと呟いた。

「オニギリ。おいしい。何もなくていい」

「何も?」

「あ、嘘。あれいる。あれ。……んんんー……あっ、塩!」

 閃いたと言わんばかりの彼が言うとおりに、塩を用意してあげる。

 すると、時計を確認したルカさんが慌ててお鍋の蓋を開ける。むわりと白い湯気が立ち上るのが見えた。

「ルカさん、どうですか? うまくできた?」

 背後からそっと彼の様子を窺って、目を丸くした。

 ルカさんはお鍋を覗き込み、呆然としていた。少しだけ見開かれた瞳がゆらりと揺れた気がして、不安になる。

 けれどわたしが何かを言う前に彼は我に返り、わたしを見て小さく笑った。

「ごめん。ちょっと、驚いた……違う、懐かしくなった」

 黒い瞳の中に揺れるのが郷愁だと気づく。わたしは「そっか」と笑うしかなかった。

 お鍋の中でジーラは水分を吸い、ふっくらと白く輝いている。

 ルカさんはおたまでジーラを大き目のお皿によそい、パタパタと手で扇ぎ始めた。熱すぎるので冷ますらしい。一緒になってパタパタと手でしばらく扇いだ。

 湯気がたたなくなって少ししてから、ルカさんは蛇口を捻って手を洗う。その手に塩をまぶすと、驚いたことにジーラを鷲づかみにした。

「アヅっ!」

「えっ、ちょ、ルカさん!?」

 まだ熱かったのか、ルカさんはわたわたとジーラの塊を両手に行き来させる。軽くパニックのわたしを置いて、彼は次第にジーラを両手で握り始めた。雪合戦の雪球を作るような手つきだ。

 まじまじと見つめていれば、「あ、お皿」ともう一枚お皿を要求され、食器棚から新しいものを出す。なるべく平らなものがいいと言われ、一番平らなものを差し出せば、ルカさんが握っていたジーラをお皿に置いた。球を作っていたはずなのに、ジーラはなぜか三角形になっていた。

 きょとんとしたまま三角形を見つめていると、ルカさんはあっという間に同じものをあと二つ作ってお皿に乗せた。最後の三つ目が少し小さいのは、ジーラの配分を間違えてしまったせいだろう。

「できた」

「これだけ? 本当?」

「うん。オニギリ。終わり」

 さっきよくわからないものを列挙していたところを考えると、これはジーラの料理のうちの一つなのだろう。それにしても簡単すぎないだろうか。

 訝るわたしにルカさんはにこりと微笑み、三角形の一つを手に取った。それをわたしの口元に近づける。

「リリアンさん。あーん」

「あー、ん?」

「あーん」

 ぱかり、ルカさんが口を開ける。同じ行為を要求されているのだと察して、真似るように口を開けた。そこに三角形を押しつけられ、恐る恐る少し口に含んで噛む。あたたかくて、ふんわりした噛み心地だ。

 素朴な味だった。無駄なものが一切取り払われ、必要最低限なものだけで物寂しく感じかねない。けれどだからこそ塩の味を引き立て、また素朴な味を引き立てられて。

「おいしい?」

「……おいしい、です」

 ルカさんがたおやかに微笑む。

 こんなに何もかもがシンプルなのに、おいしい。不思議だった。

「オニ……ギル?」

「違う。オニギリ」

「オニギ、リ」

「うん。オニギリ」

 笑いながら歯型のついたオニギリを差し出され、素直に受け取ってもう一口。誰でも作れるような簡単なものでこれだけおいしいのだから、ニホンにはもっとたくさんおいしい料理が溢れているのだろう。

 好奇心を刺激されてうずうずしていると、最後のお客さんが不貞腐れたような声で呼ぶ。

「そんなにうまいのか? ルカ、俺にもくれよ」

「うん。どうぞ」

 ルカさんはサム先生の前にお皿を置いた。先生はしげしげとオニギリを見つめてから、小さいものをぱくりと一口で平らげてしまう。

「へえ、案外うまいなあ」

「普通は中にいろいろ入れる」

「いろいろ?」

「ウメボシ。オカカ。サケ。ツナマヨ」

「おおう。なんだそりゃ。聞いたことねえ」

 面食らった顔をしてサム先生がもう一つのオニギリを手に取った。ルカさんは苦笑する。

 さっきオコメと一緒に食べるものをいろいろ言っていた時、確か焼いた魚とも言っていた。こちらの魚もあうだろうか。ルカさんはなんでもいいと言っていたし、実際結構なんにでもあいそうだ。いろいろ試してみるのもいいかもしれない。

 私はようやくオニギリを食べ終え、なんだかカピカピする手のひらを見つめた。

「でも、この食べ方だと手を拭くものが必要ですね」

「ああ……ノリ、ない? オニギリ、ノリ巻く」

「ノリ? どんなものですか?」

「ええと……海の草。乾かすもの。薄っぺらい。パリパリ。黒、いや緑? 黒そっくりの緑。あとは……出しっぱなし駄目。湿気駄目」

 調理場に戻ってきたルカさんが残りのジーラを全てお皿に移し、またオニギリを作り始める。

 思い当たるものはない。もしかしたら、今朝ジーラを買った店に置いてあるかもしれない。置いてなくても、聞けばどこにあるかわかるかもしれない。お店で出すかどうかはともかく、ルカさんの大切な故郷のものをできる限り再現したい。もっとニホンのことを知りたい。

 ぎゅっぎゅっとオニギリを作るルカさんの手を見つめながら思案していると、ガタリと椅子が引かれる音がした。

「そろそろ帰るわ。リリィは料理のことになると、集中しすぎて相手してくれねえしなあ」

「失礼ですね。オニギリの代金も取りますよ」

「おお怖い怖い。んじゃ、いつも通り千六十リル。ここ置いとくぞ」

「はい。ありがとうございました」

 代金を円卓に置き、サム先生はひらりと手を振りながら店を出る。その背を見送り、開店中を知らせる看板を外した。

 店内に戻れば、ルカさんは何やら考え込んだ表情でオニギリを作り続けている。現在四つ目だ。

 私はなんとなく調理場の前の席に座り、彼の手元を見つめながら再び思案する。

 とりあえず、オニギリに入れるものは魚から攻めてみよう。焼き魚と、煮込み魚もいいかも。身をほぐして、骨が入らないように気をつけて詰め込む。おいしそうだ。

 明日もジーラを購入することを決めていると、ふとルカさんがあっと声を上げた。驚きつつ視線を上げれば、漆黒の瞳と目が合う。

「ルカさん? どうかした?」

「え、いや……その、思い出して」

「何を?」

 まさかオニギリには他に必要なものやことがあったのだろうか。

 そう思って尋ねたのだけれど、ルカさんはどこか困ったような顔をして「リリィ」と呟く。どきりとした。彼にその愛称で呼ばれたことはなかった。

「リリィ、俺の国にもあった。外国語」

「えっと……ニホンの言葉じゃなくて、ニホン以外の国の言葉ってこと?」

「うん。そう」

 ルカさんは彼の世界の言葉を複数使えるらしい。すごい。

 尊敬の眼差しを送っていると、彼は少したじろいで、ぽつぽつと口を開く。

「リリィ。花の名前。ニホン語は、ユリ」

「ユリ? どんな花ですか?」

「種類たくさん。白が一番有名。形は……こんなの」

 ジーラの粒がついた両手を重ね、それから指を開いて形を作ってくれたけれど、いまいちわからない。

 ルカさんは苦笑した。

「お母さん、好きだった。綺麗な花。女の子の名前にもなる」

「へえ……ユリちゃんってことですか?」

 彼が頷く。

 見たこともない花。白くて、綺麗な花。彼のお母さんが好きな花。彼の故郷の花。

 わたしはにっこりと微笑んだ。

「じゃあルカさん。わたしのこと、ユリって呼んでください」

「え?」

「女の子の名前なんでしょう? なら変じゃないですよね。リリアンってよそよそしいなあと思ってたんです。ね、お願い」

 戸惑いを見せる彼に言い募ると、ルカさんは眉尻を下げて困ったように見つめる。

 嫌ならそれで構わない。その時はみんなと同じように「リリィ」と呼んでほしい。そう素直に伝えると、彼は躊躇いがちにそっと口を開く。

「……ユリ、さん」

「はい。ルカさん」

 優しく微笑む。ルカさんもつられるように笑ってくれた。

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