第二歯
慰鶴は空になった箱をひっくり返すと、悲しそうな声をあげた。
「あー…ポッキー無くなっちゃった」
教室内に溢れた子供たちは、先ほどから何かを必死に話しあっている。
本当は自分も参加すべきなのだろうが、ガッカがどうだとかスリーマンなんとかだとか、難しい言葉だらけでよく分からない。
分からないので、それを見ていることにしたのだ。
慰鶴は鞄の中から次のお菓子袋を取り出すと、それをおもむろに開ける。
今朝ほど開店一番に飛び込んで買った、新発売のかぼちゃ味きのこの山だ。
きのこのくせにかぼちゃって。と、周りなら苦笑しそうなところだがそのちぐはぐさがまた良い。
一つ口に含むと、なんとも言えない甘さが慰鶴を包んだ。
その時、
「慰鶴君は輪に入らないの?」
と近くの少年が声をかけてきた。
「三人組作らないといけないんだってよ」
「え、そうなの?」
「そうなのって…今さっき先生が言ったじゃないか」
「あー、俺他のこと考えてたのかも」
きのこの里とたけのこの山の今後についてとか、と言うと、親切な同級生は慰鶴を見て吹き出した。
「なんだよそれ。面白いジョークだな。今行かないと乗り遅れちゃうよ、ほら、一緒に行こう」
「あ、うん♪」
ジョークじゃないんだけどなぁ、と頭をかきつつ、呼ばれるがまま立ち上がる慰鶴。
食べかけのお菓子が名残惜しいが、別段断る理由も無いのでとりあえず同級生の背に続く。
出迎えてくれた少年たちは、慰鶴を見ると次々と自分の紹介を始めた。
「俺はひとまず、造形魔法が有名なメイト先生のゼミに入りたい」
「じゃあお前は物理系の志望者と組んだ方がいいな」
「あ、俺磁力系に行こうかと」
次々と発せられる言葉の渦を前に、慰鶴は1人頭から煙を出している。
ゾウケイ、ブツリ、ジリョク…
そして慰鶴がしゃべる番が来た。
「君は?」
「うーん、体育科とかある?」
「はっ?」
「俺魔法てんで駄目なんだよねー」
とへらっと笑うと、周囲からもそれにつられた笑いが起こる。
「また変なこと言って。それでうちの学校に入れるわけないじゃんか」
「面白い人だね慰鶴くんて」
えー?ほんとなのに、とまた頭をかいてみる。
その時、教室から一人の少女が飛び出していくのを見た。
「あ…」
綺麗な水色の髪がなびくのを、思わず目で追う。
「じゃあさ、ひとまず慰鶴くんは同じく志望決めてない人とくむってのはどうだろう」
親切な同級生がそう提案してくれたが、慰鶴は曖昧な返事を返しつつ
「ごめん!俺ちょっとトイレ!」
と立ち上がった。
「え!?」
「皆で決めててくれていいから、声かけてくれてありがとう!」
それだけ言うと、飼い主を見つけた犬のように嬉々として、机を軽々と飛び越え教室から出ていってしまった。
*****
「何やってんだろう、私」
逃げ込んだ階段下で、抱えた膝に顔を埋める。
込上げる涙をため息で押し殺そうと試みるも、そのたびに涙が視界を覆った。
先ほどまで自分の周りにあった話し声笑い声が、ひどく遠くから聞こえる。
「みんな、決めちゃったかな?」
蛍は腕につけた、銀色の時計に目をやった。
それは入学祝にと自分に自分で買ったもので、カラフルなガラス細工がついた流行りのデザイン。
多少値が張ったものの、光を反射して輝くその姿に今後の自分を重ね合わせて思わず買ってしまったのだ。
性能もお墨付きとして気に入っていたのだが、今回ばかりはその正確さが恨めしい。
ピンク色の長い針は、彼女が教室を飛び出してからとっくに5分以上経過したことを指していた。
「ばっかみたい…」
何が輝かしい未来だ。このままでは、スタートラインにすら立てないじゃないか。
蛍は恨めしげにきらきら光る時計を眺めた。
教室から溢れる声が廊下の向こうに響き、楽しげな会話は自分を嘲笑しているようで、蛍は耳を塞いだ。
戻らなければと思いつつも、そこに入る勇気が無かった。
「こんなところで止めるわけにはいかないのに…」
と呟いた折
「何してーんの?」
歌うような軽やかな声が頭上から聞こえる。
蛍が顔をあげると、見覚えのある顔。
お菓子に囲まれ、ただひとり蛍に拍手を贈った少年がそこに蛍を見下ろしているではないか。
人より垂れた目尻で、相変わらず人懐っこく微笑んでいる。
「な、何でここにいるのよ」
驚いて後ずさった蛍に
「何でって言われても…何でかなぁ?」
へらへらと笑う少年。
蛍は潤んだ瞳で少年を睨みつけると、
「どうせ笑いに来たんでしょう?哂いなさいよ!あんな強気な発言して墓穴掘って、馬鹿だって!…ほんと、私馬鹿」
耐えきれず顔を伏せた。
そんな蛍を、少年はきょとんと見つめている。
頑なに顔をあげない彼女に困ったように頭をかくと、辺りを見回した。
そしてぱっと顔を輝かせると、蛍に向き直り
「ねえ、のど乾かない?」
「え?いや別に」
急な問いに思わず顔をあげてみるも、なんと少年の姿はすでに廊下の奥にある。
「はや!」
移動魔法でも使ったのかという速さである。
いぶかしげに目を細めると、少年はそこで何かを叫んでいることが見て取れる。
「な、何やってんのあいつ」
教室から聞こえる話声にかき消されるその声に、蛍は耳をそばだてる。
「…!…ス!もじゅーす!」
「も、桃ジュース??」
更によく見れば、少年が向かい合っているのは自動販売機である。
「ねぇー!無視??」
少年はそれに向かって、懸命に何かを言い続けている。
新たな魔法かしら…と、思わず追いかけた蛍がそれに近づき
「な、何してるの?」
と声をかけると、少年はたれた瞳をさらに下げ
「中に居る人が、売ってくれないんだ!!」
と、目の前の自販機を指差した。
「中に…いる人…?」
「そうだよ、ジュース売ってくれないんだ!」
少年の目は真剣である。
「桃ジュースくださいって言ってるのに、
理解するのに数秒を要した。
気のせいか凄く寒い風が通りぬけた気がして、蛍は身震いをする。
「あなた、これ自動販売機、だけど」
「じどうはんばいき?変わった名前だね」
「自動で販売してる機械、だけど」
「キカイ…でも、しゃべったよコイツ?」
見れば確かに、自販機からは『いらっしゃい!何か飲んできなよ!』との声が…プログラムされた機械音が聞こえる。
569年度卒業生制作、と書かれたそれは、確かに多少魔術を使っているようだ。
正しくコインを入れると、星中のどこのお店からでもお望みの飲み物を取り寄せることができる。
高度な移動魔術だ。
思わずしげしげとそれを眺めつつ、ふと少年に視線を戻すと、彼は機械的な返答しかしない自販機に対して『さあ受け取れ』と言わんばかりにコインを突き出していた。
「まさかとは思うけど、あなた、自動販売機使ったことないの?」
「ん?つまり、えっと・・・ジュース屋さんだよね?」
――だめだこりゃ
蛍は諦めたように小銭を出すと、自動販売機に乱暴に投入し、少年への苛立ちをぶつけるように商品モデルの下に並ぶボタンを押した。
押したというより拳で叩いた。
そして一つ目が出るタイミングでもう一度、ガツンと後ろ蹴りをくらわした。
思わず口を開ける慰鶴。
タイミングはばっちり!とすかさず受け取り口を見れば、
蛍の読み通り、ガンッガンッと重い音がして…自販機からはお目当ての缶のと、それに続いてもう一つ。
「クララおばあちゃんのひ・み・つ」と印字された桃ジュースが2本、無造作に並んでいた。
「やった、成功!1本得した!」
ここに来るまでの慎ましい生活の中、身に付けた技だった。
蛍はガッツポーズを決め、その戦利品を取り出す。
「久々にやったけど、魔術使った自販機でも使えんのね~」
と言いながら、隣で茫然と立ち尽くす少年に1本手渡した。
「奢り、喉乾いてんでしょ。感謝しなさ」
「すごい!!」
蛍の言葉を遮ったかと思うと、少年がこれまで以上に目を輝かせて言った。
「君、魔法使えるの?今の何魔法?」
「普通に買っただけだけど…まあちょっとセコイことして」
「俺、慰鶴って言うんだ!教室での宣言と言い、君すごいよ!」
蛍の言葉を聞かずして、少年がずいっと右手を差し出す。
「俺、慰鶴!よろしく!」
「え、ああ。よろしく・・・」
思わず慰鶴の手を握り返すと、嬉しそうにぶんぶんと振られる。大きくて温かい手だった。
「教室、戻ろう?あと1人見つけなくちゃ!」
「あと1人?」
「うん、俺と君と、あと1人」
「はあぁ?何をいきなり…よろしくってそういうこと?」
目を白黒させる蛍に、慰鶴が八重歯を覗かせてにんまりと笑う。
その無邪気な笑顔にたじろぎながらも、蛍は慰鶴の手を払うと「勝手に決めないでよ」とごまかすように缶を開けた。
ようやく現れた自分への需要に、嬉しさが無いわけではない。
しかしだからと言って、いきなり現れた変な少年を信用できるほど自分は純粋では無かった。
この学園生活に掛けた想いを、邪魔されるわけにはいかないのだから。
口に入れたジュースの甘さはどろりと重い。
思わず顔をしかめつつも、何かを期待して希望を胸にそっと相手を見上げると…
生憎、下がったタレ目から思った以上の不甲斐なさが。
「すっごく弱そう…なんかバカっぽいし」
落胆甚だしく思わず口をついて出た暴言だったが、当の本人は「チーム名を考えなきゃ!」だかなんだかに夢中で聞いていないようだ。
「君の名前は確か…虫!あ、でも3文字だった気がする」
「虫て!嫌な覚え方しないで。ほ・た・るです」
「蛍。きれいな名前だね。あだ名はカカオ99%でいい?」
「だから嫌な覚え方しないで。そもそも蛍とカカオ、関係ないじゃない」
「え、蛍ってあれでしょ。チョコレートに似た小さいヤツ」
「似てないにも程がある」
そこまで言うと、蛍は急に ぷぷぷ… と笑いはじめた。
「なんなのよ、もう調子狂う」
何かのタガが外れたかのように込み上げるおかしな気持ち。
それは先程まで沈んでいた奥底から、蛍を地上に押し上げるようだった。
蛍は空になった缶を見て 「…ありがとう」と言った。
「声かけてくれて、助かった、かも。でもチームは無しよ」
「えっなんで?」
きょとんとする慰鶴をみて、蛍は苦笑した。
「貴方も聞いてたでしょ、私、ツクモ使いを目指すのよ」
投げた缶が遠くの壁にあたり、そのままゴミ箱に入る。
「正直に言うけど、私は利用価値のある人としか組まないの。
簡単にいえば、私についてこれて、私にも相応のメリットを与えてくれる相手としか組めないの。
私はここに命かけてるから」
だからあんたは、もっと平和なやつと組みなさい。
そう言って笑った。
しかし慰鶴は目を瞬かせると、
「え、だから何?」
「何って!あのねぇ、私はあんたのことを思って忠告してっ」
思わず立ち上がる蛍。
近くで並ぶと、慰鶴は蛍より頭一つ分大きかった。
身長は180くらいだろうか。
「大丈夫!俺、マラソン得意だし!」
ついてくるってそう言う意味じゃないってば、と釘を指しつつ、ついいつもの癖で蛍は慰鶴の体を見回した。
こうして見ると、かなり訓練された体つきをしている。
バランスのとれた筋肉に、歪みのない体幹。
幼い言動に気をとられていたが、こいつ もしかしたらなかなか動けるのかも…
「ねぇ、ちなみにだけど。入学検査の身体能力偏差、いくつ?」
慰鶴は指で曲線を描くと
「よくわかんないけど、こんなマークが書いてた」
「S!!?Sランク!?」
それは学年飛び越え学校の中でも一握りの人間にしか与えられない称号だ。
相当体術に長けていなければ、ましてや新入生ではけしてとれないようなものである。
女子としては高ランクに位置する蛍でも、Eである。
「ま、まぁ体力的には不足は無さそうね」
と、蛍は思わず顔をひくつかせた。
それを聞いた慰鶴は、
「じゃあ作戦会議しよう!おれポテチあるんだよ」 と顔を輝かせると蛍の手をとった。
ぎょっとしているのもつかの間、慰鶴は鼻唄混じりに教室へと向かっていった。
「ちょ、ちょっと…!」
「あ、そうそう」
慰鶴は振り向くと、屈託のない笑顔で言った。
「魔法のとこにはこういうのがあった」
今度は直線混じりの図形を描く。
Sにも似た動きのそれは…
「…Z?」
蛍の顔から、血の気がひいていった。
「あんたそれ、ドベじゃない!」
「楽しみだなぁ♪」
悲痛な叫びも虚しく、二人は先程出た教室へとようやく戻っていった。