第一歯
ツクモの心を知ってるか
心のツクモを知ってるか
それはお前で
お前がそれだ
食われたくなきゃ 手を出すな
戻ってきたけりゃ 目を見るな
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老化が進んだ木目調の扉に、一枚の紙が貼ってある。
そこに書かれた一遍の詩に、蛍は目を止めた。
春の風が通り抜ける廊下は新学期に胸を躍らせる生徒の声で賑わい
部活動の勧誘、参考書の販売場所、有名魔術師公演のお知らせ等々、壁という壁にあらゆる新入生向けの広告が貼られている。
その中でぽつねんと存在する黄色味を帯びたその古紙。そこに漆黒のインクで刻まれた文字を、蛍は日に焼けた小麦色の指でそっとなぞった。
「ガルディノ戦士、ココニ記ス ヤシャ歴304…って今から約200年も前だ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
校庭から吹き込む春風に子供たちの声が交じり、旧校舎の廊下は爽やかながらも騒然とした熱を帯びていた。
そんな中食い入るようにそれを見ている蛍の前を、何人もの生徒が通り過ぎ、自分の教室へと入って行く。うち何名かは立ったままの蛍を不思議そうに見て、それから少し驚いた顔をして、去った。
「"ツクモ"の心を知ってるか…食われたくなきゃ手を出すな、か」
大昔に生きた見ず知らずの戦士。
何百年という時を越え届けられた彼の言葉は、私の背中を押しているのか 警告なのか。
しばし感慨に耽った後、蛍はようやく覚悟を決めるように頬を叩くと
「よし!」と教室の紙が貼られた扉に手をかけた。
ガタラララ!!!
レールが勇ましい音を立てて軋む。
それは教室内の人々の声に吸い込まれて行ったが、蛍が一歩室内に踏み入れるとそれに気づいた数名の生徒らが「あ…」という顔でこちらを見た。
次第に集まる視線。
それにきずかない振りをして、蛍はできるだけ颯爽と教室のまん前を通ると窓際中央席へと向かった。
風に吹かれたカーテンが、彼女を呼ぶように揺れている。
「ほら…あれ、もしかして」
すれ違いざま囁かれる声。
「ほらそうだ、あの水色の髪…」
「あの入校試験で過去最高点だった」
「満点って聞いた」
「ていうか見ろよあの服。一段と派手だな」
「既に具現化に成功したって聞いたぜ」
広い校内に溢れた若者たちの声に、周囲の囁きが混ざる。
膨大な雑音の中からそれらは抜き出てくるように耳へと届いた。
途中、 蛍は近くでひそひそこちらを見ていた少女らに
「おはようございます」
と笑って見せた。
「お…お、おはよう!」
急に声をかけられた少女二人は小さく悲鳴をあげると、今度は頬を赤らめ走って逃げた。
それを見送ってから、蛍はできるだけ涼しい顔で席に着き、真新しい鞄から今朝の入校式で配られたパンフレットを取りだした。
A4サイズほどの大きなそれは、表紙に金色の文字で『MAJIC JONEY SCHOOL』と書いてある。
その文字をなんともなしに見つめていると、それまでの雑念が遠退き代わりに、遂にここまで来たんだ、という熱い思いがこみ上げてきた。
温まる高揚感と共に高質な固い紙をめくり中を覗くと、四角い枠が描かれたページに行き当たった。
そこで手を止めると、その中からマスコットキャラクターらしきネズミの絵が顔を出し――そのまま空中へ浮かび上がった。
情報の3次元化、高等魔法の一つだ。
やけに紳士ぶったそのネズミは被っていたシルクハットを外すと、蛍の鼻先で恭しく礼をして言った。
『ようこそ。ここは、泣く子も黙るジョニーマジックスクール。
この星唯一かつ最高の、魔術師養成学校だ』
ネズミは黒いマントを大げさに翻してパイプをくわえると、『私の名前はジャックだ』と煙でJACKの文字を作って見せる。
それが鼻に当たって、くしゃみがでる。
『知っての通り魔術師とは、星人口の1%にしか許されない、特別かつ崇高なな能力。
それに見合った、地位と名誉が君たちには約束されているだろう』
今度はその小さな体で腕を一杯にあげると、手の平から小さな宝箱をポンポンッと出して見せる。
続いて中から、宝石に食べ物に薔薇のブーケが顔を出す。
蛍は思わず「すごい…!」と目を見張った。
ジャックはそんな蛍を見上げ、『まあ、毎年入校生の例え半分が途中離脱するのだがね』とにやりと笑う。
そして『さあ、君の夢はなんだい?』と腕を広げてみせた。
「私の、夢」
ジャックと見つめ合ったまま、本を持つ手に力が入る。
「私は…」
「ねえ。あなた、もものけ蛍さんよね?」
急に声をかけられ驚いて顔をあげると、先ほどすれ違った少女たちがいつの間にか蛍の周りを取り囲んでいる。
蛍は慌てて笑顔を作ると
「ど、どうして私の名前を知ってるの?そう、蛍です。初めまして」
と手を差し出した。
ジャックは閉じられた冊子の中へ消えていった。
「知ってるも何も、有名だよ。入校式で名前呼ばれてたじゃない。成績優秀特待生なんでしょう!?」
「一応ね」
手を握られた少女が歓喜の声をあげ、それに釣られた人々が周囲に集まり始める。
あっという間に小さな人だかりが蛍を囲んだ。
「どこの塾行ってたの?」
「生憎、どこの先生にもついてないの」
「すげーっ今度俺らにも勉強教えてよ」
「ええそのうち」
「その服、どこかの衣装?」
大量に降ってくる質問の雨に笑顔で対応する。昨夜のイメージトレーニング通りの、完璧な出来栄えだった。
掴みは大事。だってここで色々なモノを"見極める"必要があるのから。
しばらく会話が盛り上がった後、「ここには飛行魔法、医療魔法、科学魔法なんていう学科があるけれど、皆どのエキスパートを目指しているの?」という声が上がった。
一緒なら、テストも安心だよね、なんて弾んだ声で笑い合っている。
「俺は家業を継ぐから飛行術」
「私は公務魔術師を目指してるから、とりあえずその試験に有利なとこ」
「一番確実に卒業できそうなとこかな」
「ばっか、そりゃ皆同じだろ」
「ねぇ。蛍さんは?」
少女たちは期待にあふれた顔でこちらを見ている。
蛍は言葉を交わしながら、周りの生徒たちの言動、表情、服装から体つきまで念入りにチェックしていた。
――なんだ。全然使えそうなヤツいないじゃない。
表情とは裏腹の心中でがっくり肩を落とすと、蛍はそれまで上げていた口角を下ろし、一の字に結ぶと静かに立ち上がる。
「そうね、実は私」
周りを見渡し、集まった視線を全て受け止めるてから、蛍は息を吸って
「ツクモ使いを目指してるの」
と言った。
空色の髪に窓から差し込む光が反射して、小さく跳ねる。
その声を最後に、時が止まったような静けさが教室を包んだ。
「ちょ、ツクモ使いって…」と、生徒たちが眉をひそめる。
先ほどまでしきりに質問を浴びせてきた少女が
「う、うそでしょ?"ツクモ"なんて禁忌中の禁忌魔法じゃない」
と顔をひきつらせて言ったが、一方の蛍は変わらぬ笑みを浮かべたままだ。
少女は苦虫を噛みつぶしたような顔で言い淀む。何か言いたげな瞳が揺れる。
今度はその隣の少年が言った。
「ここに居る皆は難関試験を突破してようやく、魔術師を目指すこの学校に入れたんですよ。皆で力を合わせて頑張ろうねって言うところなんです。それを」
そこまで言って彼もまた口を閉じた。
彼らの言いたいことは、手に取るように分かる。
「なんでそんな危険なことを…って?」
蛍は先ほどと異なる、多少の軽蔑を込めた笑みを浮かべた。
ツクモとはこの星に伝わる、最強魔法のことである。
『ツクモを手に入れた者は誰よりも強い力を得、一方で周囲に必ず災いをもたらす』
魔法を知らない地方の子供さえ知っている古からの戒めだ。
ツクモに食われた者は己を失い、狂い、全てを壊し、関わる者すべてを闇へと導くという。
両刃の剣、の中でも少々危険すぎるそれを大抵のものは滅多に口にしない。
ましてや、万が一蛍が九十九を手に入れたとして、そいつが暴走でもしたら…
生徒らは自分に降りかかりかねない災難を思うと思わずたじろいだ。
「まぁ、蛍さんも僕らもまだ入ったばかりだよ。色々見て考えてからでも」と誰かが不穏な空気にフォローを投げる。
そうだよなぁ、なんて安堵した声が上がったところで
「悪いけど私、維持軍入りを目指しているの」
無情にも蛍自身の声がそれを遮った。
その言葉に再び教室内がどよめく。
「あらゆる魔術部門の頂点に君臨し、この星をまたに掛けて活躍する通商『平和維持軍』。彼らは皆、ツクモ使いだって聞いたの。」
――私はそこに入るの、どんな手段を使っても。
と、最後の一文は心の中に留めておいたが
蛍の変わらぬ笑みはもはや友好用のものでもなんでもなかった。
それは彼女の、異質で危険な、確固たる意志の現れに他ならないとようやく気付き始めると
周囲は次第に蛍から視線を逸らし、我関せずと遠ざかるように元のおしゃべりへと戻って行く。
まあ賢明な判断だろう。
そんな室内をもう一度見渡してから、蛍は視線を落としてもう一度席に座った。
窓から差し込む光が手元の机に影を落とす。知らぬうちに高鳴っていた心臓をそっと抑える。
『初めからこれだけ先制しておけば、後あと面倒なことも起こらないだろう。下手に足を引っ張られてはかなわないんだから』
上出来よ、と自分に言い聞かせ、もう一度先ほどの冊子を開こうと手をかけた。
その時、
パチパチパチパチ!!
後ろから手を叩く音が聞こえた。
ギョッとして振り向くと、金髪の少年がこちらを見ている。
大人びた外見に相応しからぬ幼そうな瞳を輝かせ、しきりに拍手している。
手元には、大量の、色とりどりのお菓子……
目があうと、少年は人懐っこい笑顔を浮かべた。
蛍は多少なりとも動揺すると、ひきつった笑顔を返した。
それから慌てて前に向き直る。
「へ、変な奴…」
奇妙な少年の視線を感じたまま時を過ごして間もなく、チャイムらしき美しいコーラスが学校中に響き渡った。
高尚な余韻が廊下に木霊し、教室内の緊張が一気に高まった。
先ほどまでの話声が瞬時に沈黙へと変わる。
と、扉を開く音と同時に白衣を着た男が現れた。
入ってくるときに一度ドアに体をぶつける。目が悪いらしい。
20代、と思われる若い顔立ちに白い髪。教師というより科学者寄りの内向的なオーラを醸し出している。どこか暗い。
男は教壇の前に立つと、持っている鞄を脇に携えたまま小さな声で言った。
「あー…初めまして。皆さん、入校おめでとうございます。あまり名乗りたくありませんが、私はチェンです。覚えなくて良いです。どうせ今日は代行ですので」
チェンは、薄紫色の眼鏡を直して教室を見渡すと、苦虫を噛んだ。
目が合ったように思われた生徒が身を強張らせる。
「んー…出席人数多いです。面倒ですので出席確認は省略します」
ふるふる、と兎のように首を振ったかと思うと、「カーネルが怒られるだけですので」と意地悪く笑っている。
「だるくなってきたので本題に移ります。
ご存知のとおりここは魔術師養成所です。皆さんにはこれから三年をかけ、まぁある人は四年をかけ、五年をかけ、魔術のなんたるかを学んでもらいます。
授業の基本は講義と実践で…まぁやればわかります」
喋ることに飽きたのか、チェンは白衣を翻し生徒らに背を向けると、黒板に何かを書き始めた。
丸の下から線がのび、横へ、下へ、上へ……
戸惑いつつも身動きをとれない生徒たちが固唾を飲んで見守る中、出来上がったのはお粗末な棒人間である。
9人目まで書き終えると、チェンは棒人間を3人ずつ大きな丸で囲んでいく。
そして、状況を掴めてない子供たちに向かってこう宣言した。
「えー…とりあえずですね。本校では3人1組で行動してもらいます」
一瞬の沈黙。後、教室がどよめきが生じる。チェンは構わずに続けた。
「この3人組でお互いを監視しあうのか、お互いを高め合うのか足を引っ張りあうのかはみなさん次第です。僕は早く帰りたいのですが、学校生活を共にする大切な3人組なので、慎重に急いでしかし焦らずに5分で決めてください」
そして「では、開始」とだけ告げると教壇前の椅子に座ってしまったではないか。
開いた口が塞がらなかったのは生徒たちである。
顔を見合せる者、教師と棒人間を見比べる者
教室は混沌とした空気に包まれた。
隣のクラスからも、「えぇ――!?」というどよめきが聞こえる。
おそらく同じ発表がなされたのだろう。
素知らぬ顔でパソコンを取りだしたチェンは、そそくさとスイッチをつけた。
生徒の視線も気にせず、何かを見つめている。
しばらくして、小馬鹿にするような『ぬーっこぬっこ動画♪』という腑抜けたメロディがパソコンから届いた。
ど…動画サイト…?
と生徒が思わず二度見した折、チェンは「あ」と呟き顔をあげると
「言っておきますが僕はニートではなく、インドアです。そこ取り違えないように」
とだけ言って、画面へ視線を戻した。
――ど…どうでも良い…!!
極めてどうでもいい。
しかし生徒一同の総ツッコミも虚しく、チェンは今度こそ本当に動かなくなった。
驚きを通り越して呆れた声もあがらない生徒たち。
しかしこれ以上あがいても仕方ないようだとだけ悟ると、観念して顔を見合わせた。
「どうする?とりあえず俺光魔法科志望だけど…」
「私まだ志望決めてないよ!」
「ていうかまずは自己紹介じゃない?」
とりあえず同じ学科同士で輪になろうぜ、等と誰かが声をあげ
賛同した者たちが動き始める。
教室は徐々に活気を取り戻し、時折笑い声も交じるようになっていた。
段々賑やかになってきたところでただ一人、教室の真ん中で動けない少女。
水色の髪を風になびかせ、否、肩で震わせた…蛍である。
「さ、三人一組って…聞いてない!」
つい先ほど勇ましく"禁忌魔法使い宣言"を終えたばかりの彼女と、一体誰が組んでくれるというのか。
案の定同級生らは彼女を避け、蛍は甚だしい誤算に打ちひしがれるしかなかった。
"利用価値が無い"と見切った同級生に、今度はこちらが見事に見切られてしまったのだ。
無情にも時間は刻々と過ぎる。
耐えきれなくなったように立ち上がると、蛍はそのまま廊下に飛び出してしまった。
「あ、ちょっと君」
と声をかけたチェンに
「トイレです!」
と叫んで走り出す。
盛り上がる教室でひとり空いた机と、開け放された扉にチェンは小さくため息をついた。
「…面倒になりそうですよ、カーネル」