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三、「因縁」

|五|


 カズトがあからさまにほっとしているのが七枝としては非常に気に食わなかった。それに、金がないこと自体は決して免罪符になどならない。むしろ世の中には金がないことを理由にした犯罪がどれほど多いことか。

 いい年した若い男が無職なのも気になる。そのことも含め、あとでじっくり聞かせてもらわなくては。

 それをちょこちょこと手帳にメモすると七枝はふっと笑いたい衝動を覚えた。

 五十嵐七枝は、機嫌が悪くなると、適当に誰かをいじめたくなる。そういうときは積極的に取り調べを行って、容疑者をねちねちと追い詰めるのが専らだ。自分で言うのもなんだが天職だと思う。

 おかげさまで嫁にいきそびれそうな気配が漂う今日このごろだが、それはさほど苦にならない。男くさい職場にいると、努力しなければ女としての華やかさは次第に失われてゆくのだろう、それと同時に昔感じていた結婚願望もどこかへ行ってしまった。それより、男にひけをとらないくらい働きたいという気持ちのほうが強い気がする。

 メディアの言う「オス化する女」ってこういうことなんだろうな。


「それから、彼のたっての希望で夕食も一緒に食べました。場所は現場のダイニングです。料理をしたのは彼でした」

「そのときはとくに変わったこととか……」

「ありません。少し本の話をしていただけです。食べ終わってから、また一時間くらい話したあと帰りました」


 今のところカズトは落ち着いていて、誤魔化したり嘘を言っているようすはない。怪しかったのは先ほどの七枝の質問のときだけだ。


「あ、一旦帰ったんですか。それじゃどういう状況で遺体を発見したんです? それも随分、朝早くに」


 ちなみに通報があったのは午前六時三十分。叩き起こされた木崎が到着したであろう時刻は七時ごろだろうか。七枝はそれからさらに遅れて八時近くだ。


「今朝、五時くらいに連絡があって……寝ぼけてて出られなかったんですけど、留守電に、危険な感じのメッセージが入ってたので慌てて来たんです」


 カズトが話した内容は、こうだ。

 留守番電話に『助けてくれ、早く来てくれ!』という緊迫したメッセージが入っていた。柏木の声だと思った。

 なんとか始発に乗り、駅から歩いてここに辿り着いたのが六時すぎ。玄関のドアは開いていて、呼び鈴を鳴らしても声をかけても返事がないので、とりあえず勝手に入った。最初に覗いたダイニングの椅子に柏木が座っているのを見つけたが、仰け反った体勢と紫色に変色した顔を見て驚いた(ので、ダイニングには入らなかった)。

 驚きと恐怖ですぐには動けなかった。数分経って落ち着いてから警察に通報し、パトカーのサイレンが聞こえるまでは別荘を出て玄関の前で待機していた。

 警察が到着して調べたところ、別荘内にはとくに荒らされたようすはなかった。ただし廊下の一部とダイニングには海岸から運ばれたと思われる砂がまかれており、そこにはカズトのものらしい足跡が見つかったほか、何かを引きずったような跡もあった。


「助けてくれ、ねえ。その音声については後で調べさせてもらいますけど」

「なんだか苦しそうな声でした。もしかしたら、ちょうど襲われている最中だったのかも……」

「あ、じゃあ犯人の声とか聞きませんでした?」


 カズトは首を振る。メッセージは柏木の叫びを遮るように途切れていたという。実際に犯人がそこにいて、受話器を奪う姿が想像できそうだ。


「でも、助けを求めた相手が前日会ったばかりのあなたというのが少し妙ですね」


 そこで七枝は再び乱入する。


「……彼、犯罪者なんですよね。なら、追跡を防ぐために普段は人と連絡をとらないようにしているかもしれない。それにあそこは別荘で、自宅と違って電話帳はなかった……あったのは僕の電話番号のメモだけだった。

 これならおかしくはないと思いますよ、刑事さん」

「なるほど、意外に口達者じゃない」


 七枝が口端だけ持ち上げて笑うと、カズトのほうでも薄く笑みを浮かべた。が、お互い眼には違うものを込めていることも、きちんとわかっている。

 頭のいい青年だ。今の応答がいやにすらすら出てきたのは、事前に準備していたからだろう。つまりそれだけ自分が疑われることを念頭に置いている。

 けれども、こういう場面で相手の腹を探りながら話すことにおいては七枝のほうが経験を積んでいる。実際さっきはカズトも眼に見えて動揺していた。

 ならば、七枝も容赦はしない。


「ところで木崎刑事、いつまで遺留品のことを黙っておくつもりですか?」


 問いかければ木崎はぎくりとこちらを向く。七枝が今手にしているのは遺留品のリストだ。そしてそこには、決定的にひとつ足りないものがある。

 カズトは状況を理解していないようで、ふたりの刑事のやりとりを少し不安そうに眺めている。


「古田さん。残念ながら、現場ではあなたのいう本は見つかっていないようです」

「……そうですか」

「ちなみに、この聴取が終わり次第あなたの身体検査も行います。隠しごとなら今のうちに話してもらえると、お互い助かるんじゃないかな。……家にも帰れるし」


 ちらりと木崎を伺うと、帰れる、のあたりで顔が強張ったのがわかった。やっぱり、と七枝は内心ほくそ笑む。若い刑事くんがちらちら時計を気にしていたことはばれているのだ。

 カズトはしばらく黙っていた。最初のように。

 すぐに否定の言葉を発さないあたりが彼の逡巡の見せかたなのだろう。七枝は眼を逸らさない。青年の視線の流れる方向をじっと見定め、おいうちをかけるべきか否かを判断する。彼は嘘をつこうとしているのか、それとも真実を話そうとしているのか。

 答えは、しかし、予期せぬ妨害を受けた。

 ふいにカズトの肩がびくりと跳ね、パイプ椅子ががたんと煩く音を立てて静寂を切り裂いた。突然のことに思わず木崎と七枝も一瞬言葉を失う。


「うわ、……びっくりした!」


 叫んだのはカズトだ。


「いつの間にいたんですか、この猫! 急に膝に乗ってきたんですけど……」

「ね……猫?」

「これです。野良猫が入ってきたんですかね」


 そういうとカズトは膝のところから何か黒い物体を持ち上げて見せた。何かというか猫だ。斑のない黒猫。

 それはどこからどうみても、五十嵐家のくろだった。


「くろっ? あんた何やってんのこんなとこで!」


 七枝は立ち上がり、カズトからくろを奪う。両手からびろんとのびるくろは思ったより軽かった。いやいやをするように身体をよじるので、何度か持ち直さなくてはならない。ここで逃がすと後が面倒だ、絶対に。

 その光景を木崎とカズトはぽかんと口を開けて見ているしかなかった。


「だいたい一体どうやってついてきたの?」

「にゃー、にゃあん」(くるまに乗ったの)

「はあ? あとついてくなら兄さんのほうにしなさいよ!」

「うー」(えー)

「『うー』じゃない。あーもう……とにかく、今日一日はおとなしくして私の傍から離れちゃだめよ。いい?」

「にゃん」(はーい)


 くろはそのままちょこんとテーブルの上に鎮座した。

 七枝は頭を抱えたい気分になった。たぶん犯人は間接的には兄だ。自宅に置いてくるのが忍びなくて、こっそり職場に連れ込んでいたか……。

 どんだけこの猫に甘いんだよ。そりゃ意外に素直だったけども。

 七枝がため息をつきつつ顔を上げると、木崎とカズトが間抜けな顔でこちらを見ていたので、とりあえず睨んでおいた。



|六|


 何者なんだこの人。木崎は七枝と猫とを交互に見やりながら思った。

 さっき、猫と普通に会話してたぞ、この人。

 七枝に睨まれたので目を逸らす。このまま何事もなかったかのように聴取を続けなくてはいけないのか。仕方ない、早く仕事を切り上げるためには黙っていよう。

 カズトに向き直ると彼はまだ猫を見ていた。


「あー、その、古田さん。本なんですけど」


 そうそう、本が見つからないことを聞かなくてはいけなかった。本は被害者とカズトを繋げる唯一の鍵だ。

 できれば彼自身の口から語ってほしい。

 しかし木崎の願いも空しく、そこに携帯の着信音が響き渡った。咄嗟にポケットを見るとない。七枝に渡したままだったのだ。

 七枝は一瞬迷ってから木崎に渡した。自分も出たかったのだろうか。


『おう、木崎か。俺だ』


 高任だ。彼はまだ、このあとオレオレ詐欺が一世を風靡するようになることを知らない。


『聴取はどうだ。やっこさん何か話してくれたか』

「はあ、とりあえず電話の記録を調べる必要がでてきましたよ。あと、今から身体検査しようと思います」

『そうか。今からそっちに須藤を行かせる。なにやら面倒なことになってきやがったぜ……おまえも辛かろうが、早まるんじゃねえぞ』

「はい、気をつけます」


 とはいえほんとうは心底早まりたい気持ちで一杯だ。

 妻の身体が危機に面している。それがわかっているのにかけつけてやれないなんて。

ここにいるのが事情を知らない二課の刑事でも第一発見者でもなければ、今すぐにでも……同じ二課でもあの人だったなら……。


「おーい、木崎くん、身体検査やるんでしょう」


 ぽんぽんと七枝に肩を叩かれる。はっとして顔をあげるとカズトはもう立ち上がっていた。改めて見ると少し小柄な青年だ。

 その身体のどこに本を隠し持っているんだろう。見たところポケットのようなものは少ないし、本など入りそうもない小さなものばかりだ。もしかしたら文庫本くらいの小さいサイズの本かもしれないが。

 とりあえず机を動かして適当なスペースを設ける。ちょうどそこへ須藤がやってきた。


「じゃあ私は外に出てるから」


 七枝はそう言うと猫を抱えて出て行った。身体検査は全裸になることもあるので、あまり異性の警官は同席しないのだ。とくに検査を受ける対象が女性だった場合は。

 木崎は須藤に手伝わせ、青年の持ち物と衣服をすみずみまで調べた。

 ジーンズ、Tシャツ、パーカー、下着類にスニーカー。とくに変わったものはない。どれも衣料量販店で買える、無個性で一般的なものだ。ポケットには財布と自宅の鍵。

 本と呼べそうな代物は出てこなかった。


「もういいですか」


 カズトは少し寒そうにしている。そりゃそうだ。


「そうですね、とりあえず服だけお返しします」


 須藤に指示を出し、青年が裸ではなくなってから七枝を呼び戻した。七枝の腕の中では猫がうとうとしている。

 結果を伝えると、七枝は意外にも冷静にそれを受け止めた。

 それからしばらく青年を須藤に監視させて、木崎と七枝は須藤の持ってきた新しい資料を確認した。まずカズトと柏木が出会った古書店。店主の証言により、ふたりは確かにそこで意気投合したことがわかった。次にカズト自身についての資料が入っていた。

 カズトは幼いころ交通事故に遭っている。犯人は逃走し、カズト少年を助けたのはたまたま通りがかった大学教授の古田だった。彼は救急車を呼んで病院まで同行し、その後少年の身元がわからないことを知ると、彼を引き取って養子縁組をした。そう、カズトは事故で記憶を失い、古田カズトとして第二の人生を歩み始めたのだ。

 そして少年を轢き逃げし、その後捕まった男の名前は、柏木丈二という。

 ふたりは息を呑んだ。繋がった。柏木の顔写真は違っているが、整形手術でもしたのだろう。その他の情報はすべて七枝の持つ柏木の資料と一致する。


「……十三年前の事故の復讐、ってこと?」


 七枝は呟く。


「でも、それって殺すほどのことですかね……」

「だってその事故で記憶を失ってるのよ? 人生を奪われたも同然、しかも病院にも連れて行かず逃げた……再会することがあったら、それこそ『ここで会ったが百年目』ってもんでしょう」

「でも、当時彼はまだ十か九つくらいなんだし、顔も変わってる相手を名前だけで見つけるのは難しいでしょう。それに柏木は夕べ、偽名を使っている」

「あ、そうか。うーんでもこんな偶然って……」

「……にゃー、むにゅう」

「こら、あんたは黙ってなさい」


 会話に入りたそうな(しかし何を言いたいのかはわからない)猫を制し、七枝は資料をためつすがめつする。自然なやりとりに木崎はもう尋ねるのも面倒になった。

 とにかくこんな偶然があるはずがない。カズトは何らかの方法で相手がかつての轢き逃げ犯だと知っていたに違いない。

 それとももしかすると、その疑問を解く鍵は、消えた本だというのか。


「……刑事さんたち」


 呼んだのはカズトだった。ふたりの会話が聞こえていたらしい。違う部屋で話し合うべきだったか。

 今度は何がくるんだと、木崎は思わず身構える。


「本のこと、ちゃんと話します」


 ……前言撤回。もうあとは青年を信じるしかない。



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