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グリッチライダー・サーガ

グリッチライダー

作者: さだきち


かつて、距離は障壁だった。

都市と都市を結ぶには道路が必要で、物流を維持するには船や飛行機、膨大な燃料と人員を要した。


しかし、今の世界において、距離は意味を失った。


テレポーター――正式名称、瞬間空間転移装置。

人類が空間の折り畳みに成功し、物質と情報を“瞬時に”移動させる技術。それは、交通手段であると同時に、経済基盤そのものを変革した。


食料は生産地から即座に配送され、医療物資は需要に応じて分単位で転送される。

小型の瞬間空間転移装置を組み込んで、大量のエネルギーをジェットエンジンに送り込んで飛ぶ「空中走行型自動車」までもが日常の一部となった。


だが、この技術は同時に、ある種の“依存構造”を社会に植え付けた。


テレポーターが一時的に停止しただけで、サプライチェーンは即座に崩壊する。

辺境の町では食糧と物資が尽き、都市では交通と医療が麻痺する。

国家単位の経済が、数時間で機能不全に陥ることすらある。


この転送インフラを監視・運用するのが、交通管理局(Transit Patrol Bureau)――TPBである。

建前としては中立的な国際機関だが、その内実には不透明な政治力と、古い王権の影がちらつく。


――テレポーターが止まること。それは、単なる技術的トラブルではない。

この世界にとって、それは“終わりの兆候”に等しい。


そして、ある日。

遠く離れた辺境の町で、ひとつのテレポーターが破壊された。


そこからすべてが始まる。


---


瞬間移動技術――テレポーターの登場は、国家の在り方すら塗り替えた。

その黎明期、この危険と可能性をいち早く見抜いた存在があった。イングリッド王家である。


イングリッドは、歴史的には小国の王統に過ぎなかったが、莫大な私財と人材を投じて技術開発を加速させ、空間転送インフラを世界規模で掌握する布石を打った。

やがて、彼らの主導によって国際的な交通監視機関――交通管理局(TPB)が設立される。


TPBは、建前上は中立的な国際組織だ。だが、その中枢には王家の影が色濃く残っている。

重要なポストの多くがイングリッド家と近しい者で占められ、重大な運用判断においても、最終的な発言権は王家が握っていた。


その象徴とも言える人物が、国王エルダー・イングリッドである。

合理主義者でありながら、民と家族を愛した賢王だった。

だが、彼は不治の病に倒れ、予期せぬ形で早世する。


――王の死は、王家の影響力そのものを揺るがせる出来事だった。


正当な後継者である王女レベッカ・イングリッドが王位を継ぐことは、法的にも血統的にも疑いようがない。

しかし、旧王制の規則に基づき、正式な即位には13日間の“政治的空白”が生じる。


その間、彼女はまだ「女王」ではなく、法的に国家機構を指揮する権限を持たない。

軍を動かすことも、TPBの中枢に介入することも許されない。


その13日が終わるまで、彼女はただの「王女」にすぎない――

王家の後継者でありながら、世界最大の交通インフラに指一本触れられない立場。


そして、そのわずかな空白を、誰かが狙っていた。


---


国王エルダーの死と共に、王家の政治的影響力は一時的に「静寂」へと沈んだ。

その沈黙を破る最初の動きは、軍部からだった。


イングリッド王国軍――表向きは王家の下に置かれた国防機関だが、実態は長らく独自の武装意思を持った“国家内国家”として存在していた。

その頂点に立つ男、将軍ジェラルド・ゴードンは、数十年にわたって政権中枢の座を狙い続けていた人物である。


彼は熟知していた。

王女が正式に即位するまでの「13日間」が、王家の権力が最も脆弱になるタイミングであることを。

だからこそ、彼は動いた。


まず、標的となったのは辺境地・レインフィールド。

王女が幼少期に家族と共に訪れた記憶を持つ、自然豊かで静かな地域。

だが、その地域に存在する地方テレポーターの破壊命令が、軍部の内部作戦として密かに実行された。


公式には「不慮の事故」あるいは「不明な外的要因」として処理されるが、実際には軍の工作部隊による意図的な破壊活動だった。

その目的は明白だった――

王女を“動かす”ためである。


軍は知っていた。

レベッカ・イングリッドは、形式だけの王族ではない。民の声を聴き、困窮する者を見過ごせない性格だ。

彼女が13日間の静養・警備義務を破り、TPBに自ら出向けば――

その瞬間こそ、軍にとっての「獲物が檻を出た」瞬間となる。


反逆行為の証拠は一切残さず。

あくまで「TPBの中で起きた事故」あるいは「テロリストによる襲撃」として姫の死を装う。


王家の血統が断たれれば、国家機構の権力は“空席”となる。

その空席を埋めるべきは、国家を武力で守ってきた軍部である――

ジェラルドは、そう宣言する準備を整えていた。


だが、ひとつだけ問題があった。


姫の暗殺を“軍が実行した”と公に判明すれば、政権掌握どころかクーデターとして国民の怒りを買う。

軍部は、それを避けるため、別の“道具”を使う必要があった。


その“道具”こそ――

TPBの中枢に潜り込ませた内通者である。


幹部ブレッド・ウィンダム。

かつて王家と親しかったこの男は、ジェラルドとの闇取引を通じて軍部の利害とTPBの情報網を共有していた。

表向きは行政官、裏では軍の影として動く存在だ。


ジェラルドはブレッドに密命を下した。

「王女レベッカ・イングリッドを、公式記録に残らない形で始末しろ。

 それも、13日以内に」


---


国の辺境、レインフィールド。

テレポーターの破壊により、物流は遮断され、地域住民の生活は危機的状況に陥っていた。

そんな報告を受け、姫レベッカ・イングリッドは苛立ちを隠せなかった。


「今すぐ何とかしないと!TPBに行くわ!」


彼女の声は鋭く、揺るぎない。だが、側近のマーカスは顔色を変え、即座に制した。


「陛下、冷静に。今は我慢の時です。十三日――正統な権限を得るまでの猶予期間を破れば、敵の思う壺です」


マーカスはレベッカの手を取り、瞳を真っすぐに見つめる。


「あなたの安全が最優先です。無用な露出は、彼らの罠に掛かるだけです。私が代わりにTPBへ赴き、交渉を進めましょう」


レベッカは一瞬、遠い記憶に沈んだ。


父王が穏やかな笑みを浮かべ、王宮の庭で彼女の小さな手を握っていた。

「王家の血は、忍耐と覚悟に支えられているのだよ」と。

幼い日の約束が胸に迫る。


「分かったわ、マーカス。十三日が過ぎるまでは、私は隠れている。あなたにすべてを託します」


彼女の決意は硬かった。


マーカスは静かに頷いた。そして、マーカスは一人でTPBに赴いた。


---


重厚な鉄の扉を押し開き、マーカスは冷たい空気の漂うTPB本部へと足を踏み入れた。

無数のモニターが都市全体のテレポート網を監視し、緻密なシステムが静かに機能している。

だが、その洗練された空間に漂うのは緊張と不穏な気配だった。


マーカスは幹部室へと足早に向かう。

「我らが王家の正当な後継者、姫レベッカ陛下の代理として参りました。レインフィールドのテレポーター修復の手続きを進めたい」

冷静ながらも強い意志を込めて告げる。


だが、返ってきたのは冷淡な拒絶の言葉だった。

「陛下が直接来られない限り、手続きは認められない」

幹部であるブレッドの声は機械的で無慈悲だ。


「十日間の猶予期間内にお越しいただけないなら、規定によりテレポーターの復旧は不可能だ」


マーカスの額に冷や汗が浮かぶ。

内部に巣食う者たちの意図を感じ取りながらも、強硬な態度を崩さなかった。


「国の安定と民の生活を守るために、どうかご理解いただきたい」


しかしブレッドの部下は冷ややかに一歩後退り、重い扉を閉じてしまった。

TPBは王家に刃を向けている。

マーカスは仕方なく、姫のもとに戻ることにした。


---


冷え切った部屋の中、マーカスは重い足取りで戻ってきた。

レベッカはひと目でその異変を察した。


「どうだった?手続きは?」


マーカスは短く息をつき、言葉を選んだ。

「幹部は頑なだった。陛下が直接来なければ、どんな理由でも認められないと。レインフィールドのテレポーターの復旧は、十日以内に完了しなければ廃止されるとのことです」


レベッカの目が鋭く光った。

「そんなの、許せないわ!」


マーカスは必死に言葉を重ねる。

「レベッカ殿下、十三日の間は身を隠し、命を守ることが最優先です。焦って動けば、罠にはまるだけです」


「でも、このまま何もしなければ…」


「だからこそ、私が行きました。だが、TPBは内部から腐敗している。信頼できる者などいなかったのです」


沈黙が流れた。レベッカは小さく拳を握り締める。


「…やっぱり、私が行くわ。このまま十日が過ぎるなんて、考えられない!」


マーカスはその決意に衝撃を受けながらも、理解を示すしかなかった。


「だが、陛下…護衛もなく、権限もないまま行動するのは自殺行為ですぞ?」


レベッカは視線を遠くに向け、(ささや)くように呟いた。

「こうなったら綺麗事は言ってられない。禁断の手段、『グリッチライダー』を使うわ。TPBの監視をかいくぐり、闇を駆ける者たち…」


マーカスはわずかに眉をひそめた。

「犯罪者に頼るのですか?」


レベッカは強く頷いた。

「私に残された最後の切り札。彼らがいなければ、TPBには太刀打ちできない」


二人の間に、緊張と覚悟の空気が満ちた。

闇に包まれた街の片隅で、新たな反撃の火種が静かに灯されたのだった。


---


イングリッド王国刑務所――

夜間の警備が強化される時間帯に、王女レベッカ・イングリッドは身元を伏せたまま、施設内に足を踏み入れた。

随行はなし。付き従うは、密命を預かったひとりのTPB監視員のみ。


厳重なセキュリティチェックを経て、彼女は特別区画へと案内された。

そこは“収容施設”というにはあまりに整いすぎた空間だった。


壁は光沢を帯びた強化樹脂、床には薄く高級な絨毯。

透明のホログラフィックパネルが空中に浮かび、カーテン越しに柔らかなジャズが流れている。

まるで監獄とは思えない。


その部屋の奥、白革のリクライニングチェアに腰掛けていたのは、ピエール・アンカーボルト。

目の前のカクテルグラスを軽く回しながら、扉の方に視線を向けた。


「やれやれ…こんな夜更けに、まさかのご訪問とは」


レベッカは黙って歩を進め、部屋の中央に立つと、小型の端末を取り出してピエールに見せた。

グラスをテーブルに置いたピエールが、それを見て片眉を上げる。


「その額面……冗談じゃないな。国家級だ」


「これは保釈金ではありません。“契約”です。あなたに求めているのは、闇を掛ける者の復活です」


「……ふん、グリッチライダーってやつか」


レベッカは静かに頷いた。

「あなたはこの刑務所の全てを知っている。なら、私がこれから頼もうとしていることの意味はわかるはず」


ピエールはしばし黙し、その眼光だけが鋭くレベッカを観察していた。

やがて、彼は立ち上がり、指をひとつ鳴らした。

部屋の壁面のひとつがスライドし、そこに設置された認証装置が現れる。


「この端末を接続してくれ。セキュリティプロトコルに従って、分割転送が始まる」


レベッカは迷いなく端末を挿し込み、虹色の光が端末から装置へと流れ込んでいく。

数秒後、装置の中央に《保釈契約 完了》と浮かぶ。


「さあ、ゲームを始めようか。女王陛下――いや、まだその資格はないんだったな?」


レベッカは彼をまっすぐ見据えたまま、言い返す。

「その資格を取り戻すために、彼が必要なの」


そしてピエールは笑った。

金と権力で世界を翻弄してきた男の、久しぶりに見る本気の笑みだった。


---


エンジンアッセンブリライン第7区画。

鋼鉄の床を、無数の油圧アームとコンベアが淡々と動く。点滅するランプ。インダストリアルな白色灯の下、金属の反響音が空間を満たしていた。


クロード・スペクターは、ライン工程A-43の作業ステーションに立っていた。

無表情。ルーティン通りの動作。右手で部品を固定し、左の義手で自動リベッターを起動させ、部材を溶接パネルにセットする。

時計のように正確な動作――が、彼の視線はほんのわずか、定められた焦点から逸れている。


身体が覚えている。機械の癖、工具の重み、摩擦係数さえ、五感の裏にこびりついているようだった。


「クロード、次のロット来るぞ」


背後から声がかかる。現場監督の声。

クロードはわずかに頷き、次のパーツをセットした。


左腕の義手は、無骨なマットブラックのカバーで覆われている。

公的記録には「工場作業中の事故によって切断、代用義肢を装着」と記されていた。

本人にとっても、それは“真実”だった。そう教えられたし、医療記録にも記載がある。


けれど――


ふと、ラインの向こう。作業員の一人が誤ってロボアームのセンサーを遮断し、部材が誤って落下した。

反射的にクロードの身体が跳んだ。わずか1.3秒で事故域に到達し、落下物を防いでいた。

動作の正確さと加速度は、ただの工員のそれではなかった。


一瞬、周囲が静まる。誰かが小さく「見たか…?」と呟く。

だが、クロードは何事もなかったように持ち場へ戻ると、再び無言で作業を続けた。


午後6時、交代のチャイムが鳴る。


クロードはロッカー室で静かに作業服を脱ぎ、ボルトで固定された義手のジャケットを調整する。

ふと、壁に掛けられた注意喚起のポスターが目に入る。


《注意1秒、ケガ一生》


「そんなこたぁ、わかってるよ…」


---


コンベアの流れが一時停止し、警告灯が橙から青に切り替わった。

休憩の合図。クロードは工具を丁寧に清掃しながら、視界の隅に立っている見慣れぬ若者を捉えた。


「新入りだ。今日から指導担当してくれ」

現場監督が言い残し、立ち去っていく。


若者は緊張した面持ちで挨拶した。「ビリー・ハウザーです。よろしくお願いします!」


クロードは黙って一礼し、隣の作業台を指差した。

ビリーは頭をかきながら、ぎこちなく工具の操作を始める。マニュアルを片手に、おそるおそる手順通りに部材を組み始めた。


だが――


「おい!おい待て、新人!」

クロードが鋭く言った。


手元を見れば、リベッターの角度が数度ずれている。

しかもこの工程では、僅かな誤差が熱膨張で致命的なズレを生む危険がある。

過去の記録にも、似たような事故があった。


「そのまま続けていたら、火花で爆縮してたぞ…これを見ろ、ビリー」

クロードは自らの左義手をわずかに持ち上げた。


無言の説得だった。

ビリーはそれを見て、青ざめながら深く頭を下げた。


「……すみません、クロードさん」


彼は何も言わず、部材の正しい固定法を静かに手で示した。

義手の動きは精密で、まるで訓練された技術兵のようだった。


---


「クロード・スペクター、至急、管理棟へ来てくれ」

場内放送が冷たく響いた。


休憩から戻る作業員たちをよそに、クロードは淡々と上階へ向かう。

管理棟は工場の喧騒から隔離された静かな空間で、古びた絨毯と人工観葉植物が並んでいた。


扉の前には、既にダッドリー・スミス工場長が腕を組んで待っていた。

白髪交じりの髪、堅い表情。だがその目には、どこかためらいがあった。


「クロード、ちょっと入れ」


応接室。簡素なテーブルと硬い椅子。空調の音がやけに耳に残る。


「……悪いな。会社から正式に通達が下りた」

「本日をもって、お前は解雇だ」


クロードは無言だった。

言葉が感情を生む前に、状況がすべてを語っていた。


「新人が入った。戦力は足りてる。お前は“特別枠”だったんだ」

「義手の維持費、管理ログの問題、いろいろある。会社も苦しい」


沈黙。


「……納得できないかもしれんが、俺にはどうにもできん」


クロードは静かに立ち上がった。

ジャケットを整え、応接室を出る前、ひとことだけ呟いた。


「了解しました」


その背中には怒りも悲しみもなかった。ただ、空白。

けれど、その歩みはどこか――不穏な再起動の気配を孕んでいた。


---


クロードの部屋は、八階建て中層ブロックの五階に位置する角部屋だった。

天井は低く、壁紙は時代遅れのプラスチック繊維でコーティングされている。

唯一の救いは、都市高層群の隙間から見える空――それだけが、逃げ場だった。


「今日は、空いてるかな?」


窓際に設置された個人通信端末を通じて、彼は屋台を呼び出した。


数分後、ジェット駆動の軌跡と共に、光る(ひさし)を携えた木造調の屋台がベランダの手すりにホバリング接近した。


「いらっしゃい……クロードさん、今日は濃い目に?」


屋台の主人・艶屋(あでや)は、常連の顔を見るなり手慣れた所作でボトルを用意する。


クロードは一言も返さず、カウンターに肘をついて座った。

銘柄も指定せず、ただ満たされるグラスを淡々と空けていく。


「いきなり解雇、か?世知辛いねえ」


艶屋はそれ以上何も言わなかった。言葉がいらない客もいる。


酔いが回り始め、クロードは黙って虚空を見つめていた。

都市の下層に広がる煙とネオンの海――そこは、過去の彼の“仕事場”でもあった。


グラスを三つ目まで空けたところで、クロードがふと顔を上げた。


「……四つ、作れ」


艶屋は一瞬だけ手を止めたが、やがて静かに首を振った。


「二つで充分ですよ」


「いや、四つだ」


「二つで充分です。酔いは、量じゃない」


クロードはそれ以上何も言わなかった。

それが“満たされるもの”ではないことを、どこかでわかっていた。


やがてタバコを取り出そうとポケットを探るが、空だった。

「……クソ」


「切れたなら、下で買ってきな。うちは売らん」


艶屋の台詞を背に、クロードは立ち上がり、よろよろとベランダの縁をまたいだ。


「……今日は、ありがとう」


艶屋はグラスを片づけながら、少しだけ微笑んだ。


「また、呼んでください」


次の瞬間、屋台は静かに浮上し、ジェットの余韻を残して夜の空に溶けていった。


---


濡れたアスファルトの匂い。

光る看板はすべて落書きで塗り潰され、まともな店は開いていない。

クロードは路地を歩きながら、昔通っていたタバコの自販機の方角を思い出そうとしていた。


そこで、出会った。


燕尾服にシルクハット――場違いなほど格式ばった装いの、小柄な男が、路上に立っていた。

その姿は、まるで舞台の演者のように、無言でこちらを見ている。


「……何だ、道化か?」


そう言いかけた瞬間、小男は脇にある郵便ポストに飛び乗り、懐から細い紐で繋がれた銀色のコインを取り出し、クロードの顔の前にコインを垂らし、宙に揺らした。


コインが揺れるたびに、視界が歪んだ。


鉄と火薬の匂い。

バネの跳ねる音。

跳ね上がる重力。切断された金属の感触――


記憶が、焼けたフィルムのように蘇る。


クロードはその場で膝をついた。


「……クロノ・ブレード……グリッチライダー……俺は……」


小男はニヤリと笑い、コインを手の中に消した。


クロードが再び顔を上げたとき、小男の姿はどこにもなかった。

ただ風だけが、過去と現在の狭間をすり抜けていく。


---


かつてグリッチライダーたちの連絡所だった酒場。

数年前に摘発され、今では看板もなく、ガラスも割れたまま。


クロードは微かな記憶を頼りに、その扉を開けた。

そのとき、美しい女性の声が聞こえてきた。


「あなたが…クロード・スペクター…ですね?」


カウンターの奥に座っていたのは――レベッカ王女だった。


艶やかで、そしてどこか鋭い目をしている。

彼女はまるで、この出会いが計画されていたかのように自然にそこにいた。


「あなたに依頼があります。護衛です。TPBまで、私を運んでください」


クロードはしばし彼女を見つめた。

「"依頼人"…?そうか、これが俺の”仕事”か」頭の中でつぶやいた。


「……報酬は?」


「あなたには十分な報酬を用意しています。それと王国の権限で恩赦もつけるわ」


クロードは静かに頷いた。


かつてグリッチライダーだった記憶が、完全に(よみがえ)りつつあった。


---


薄暗い地下室。天井から吊るされた裸電球が、室内の古びた設計図とホログラム投影装置を照らしていた。

クロードは壁際の端末にアクセスし、古い記録を引き出している。


「――ルートB16(ビーシックスティーン)。かつてグリッチライダーたちが使っていた、TPBの監視網を掻い潜るための非合法ルートだ」


レベッカはクロードの後ろで静かにその映像を見つめていた。


「現在の地図には存在しない。なぜなら、存在そのものが“消された”ルートだからだ。TPBの正規記録からは完全に削除されている。……だが、消すということは、それだけ都合が悪いということでもある」


クロードは操作を止め、振り返った。


「B16?危険なの?一応、生き延びないと意味ないんだけど、私」


「危険じゃない道なんか無いさ。だが、選べるとしたら――俺たちはこれしかない」


ホログラムに投影されたB16の構造図は、まるで迷宮のように入り組んでいた。

重力の向きすら一定ではなく、空間ごとに時間の進行すら微妙に異なる。


「内部は、時空干渉領域を通過するため、通常のナビゲーションは役に立たない。俺の記憶と本能、それと少しの運で進むしかない」


「この際、仕方ないわね」


レベッカの答えは即答だった。


クロードは一瞬、彼女の瞳を見つめた。そこには迷いがなかった。

女王になる前に、既に“決断者”の顔をしていた。


「TPBの幹部は、あんたの命を狙ってるんだろ?俺が現場から離れていた間に、B16がどこまで掌握されているかは分からん。……だがひとつだけ確かなことがある」


「TPBはまだ、スイッチルートの存在を知らない」


クロードが新たに投影した図面に、密かに分岐した通路が現れた。

「スイッチルート」――ルートB16の中でも特に機密性の高い空間転送接続点。


「AとB、二つの扉がある。Aは固定。Bは外部操作によって転送先を変えられる。うまく使えば追跡を撒ける」


「……おそらく、TPBは待ち伏せしてるはずよ」


「罠が怖いなら、王女様は屋敷で大人しくしていることだ」


レベッカは小さく笑った。

その目に浮かぶのは、少女ではなく――この国の未来を背負う者の意思だった。


「そんなことを恐れてたら、最初から来てないわ」


---


扉の前に立つ二人。

クロードは古いグリッチライダー用の防具を着込み、左腕の義手は剥き出しになっていた。

だが、彼の身のこなしからは迷いが感じられなかった。


レベッカはフードを目深に被り、周囲の視線を避けていた。


「もう後戻りはできないわ」


「最初からそのつもりだろ?」


クロードは笑わなかった。ただ、無言で手をかざし、転送装置の起動スイッチを押した。


機械の唸りと共に、空間が歪む。

ルートB16の入り口が開いた。


---


ルートB16の深部。

静寂と鉄の匂いが漂う空間に、重力の軋む音が低く鳴っていた。


クロードが足を踏み入れたのは、B16内でも特に機密性の高い空間――通称スイッチルートと呼ばれる特殊転送室だった。


内部には、ふたつの扉があった。


一つはA扉。固定出入口。

もう一つはB扉。外部の制御レバーによって転送先を任意に切り替えることができる特殊構造。


クロードが部屋の中央に立ち、周囲を確認する。


「ここだ。TPBもまだここまでは掌握できていないはずだ」


彼の声は抑えられた低音。

後ろからレベッカが慎重に足を踏み入れる。


「……なんだか、時間が止まってるように感じるわね」


「ここは、元々時空の継ぎ目に作られた場所だ。時計の針も、外のルールじゃ動かない」


クロードはB側の扉の横に設置された制御パネルに手をかけた。

それを軽く引き寄せ、端末に現在の転送先を確認する。


「……このままだと、B扉の先はTPBの旧監査通路に繋がってる。危険すぎる」


「ここから、転送先を変えるの?」


「いや。俺が外から変える。お前はここに残れ。どこにも行くな」


レベッカは口を開きかけたが、クロードの目がそれを制した。


「いいか。俺の合図があるまでは絶対にここを出るな。この部屋は閉鎖構造で電磁遮断されてる。見つかりにくい。だが、一歩外に出たら、TPBの監視網に引っかかる」


「もし……もし合図がなかったら?」


クロードはしばし黙り、わずかに視線を落とした。


「1時間待て。それでも戻らなければ、A扉から退避しろ。B扉は絶対に開けるな。何があってもだ」


レベッカはその言葉を一字一句、呑み込むように頷いた。


「分かりました。……でも、どうか、無事で戻ってきて」


クロードは、表情を変えず、ただ短く頷いた。


「まあ、どうだかな…。ま、何とかなるさ」


そして、彼はB扉から外に出た。


部屋に残されたのは、レベッカと、張り詰めた静寂だけだった。


---


素早い身のこなしで通路を駆け抜けていく。

テレポーターを抜けるたびにクロードの視界が切り替わる。

次の瞬間、彼は別の位置にある狭い通路の天井裏に出現していた。


「ちっ、ここは逆さか……」


重力の向きが天地逆転している。彼は冷静に足を壁にかけて体勢を調整し、天井(実質的には床)へと静かに降り立つ。


前方には、大小不規則に配置されたテレポーター。

B16の内部は、まるで次元パズルのように構成されており、通過するテレポーターごとに空間も重力も進行方向も変わる。


「……久々に来たが、やっぱり地獄の設計だな。グリッチを使えなきゃ即死レベルだ」


彼の左手が空中をなぞる。

目に見えないライン――時空間の歪みの境界を感じ取りながら、慎重に一歩を踏み出す。


そのとき。


――パンッ!


乾いた銃声が空間に跳ねた。

すぐに二発目が続く。


銃弾は、クロードのすぐ右肩をかすめ、背後の壁に焼けた痕跡を刻んだ。


「……来たか」


クロードは反射的に身を低くし、近くのテレポーターに飛び込む。


空間が反転し、彼は別の位置に着地する。そこから振り返り、発射方向を逆算する。


視線の先、TPBの捜査官が三名。フル装備。

一人が通信機に手を当て、報告していた。


「不審者の動き、確認。内部に対象が潜伏している可能性あり」


クロードはそれを聞きながら、すでに別ルートへ移動を始めていた。


「……やはり仕掛けてきやがったな。だが、スイッチルートの存在は知らないはず。今のうちに排除する」


しかし、捜査官たちが向かっているのは、自分が出てきたスイッチルートへの扉。

クロードは一気に回り込み、外部の切り替えレバーへ向かって走り出した。


彼が全く違う方向に行ってる間に、TPB捜査官がスイッチルートのB扉に手をかけた――。


だが次の瞬間、扉の先はただの壁になっていた。


「あれ?あいつ、ここから出てきたのに!」


ギリギリで、クロードが転送先を切り替えていたのだ。


---


切り替えレバーを操作し、スイッチルートの転送先を変更したクロードは、重力が反転する通路を静かに駆け抜けていた。

テレポーターが点在する空間。上下左右の概念が揺らぐ世界。


足音を殺しながら、彼は捜査官たちの動きを遠隔スキャンする。


「……3人。銃装備。しかも全員、連携取れてるな」


クロードの左腕が静かに変形する。


金属質なスライド音。

義手内部から、青白く光るエネルギーの刃――時空刃クロノブレードが展開された。


「刃で応戦しても、銃弾を弾くのが精一杯か。だが、ここは俺のホームだ。お前らに地の利はない」


彼は、あえて視界に入る位置まで移動した。

鋭い視線の一人が気づく。


「グリッチライダー……!」


捜査官がすぐさまクロノ・ガンを構え、発砲。

火花を纏った弾丸が壁を穿(うが)つ。


クロードは即座に跳躍し、宙を回転しながらブレードで弾丸を弾く。

床に着地せず、隣のテレポーターへ飛び込んだ。


空間の繋がりが反転する。


次に彼が現れたのは、捜査官たちの背後――奈落に繋がる出口の部屋だった。


「よし、一人釣れるな」


彼は姿を見せた――わざと、捜査官のひとりに。


「そこだッ!」


捜査官が叫びながらクロードを追う。

目の前の通路の先、クロードが右の出口へ逃げたのを視認。


だが、次の瞬間、捜査官の背後――


「よう、こっちだ」


クロードが“背中から”現れた。


錯覚ではない。テレポーターを通り抜け、空間の接続を利用した挟撃。

気づいたときには遅かった。


クロードの片足が捜査官の腰を蹴り上げ――


「うわああぁぁぁ…」


捜査官はバランスを崩し、そのまま奈落の底へと落下していった。


「まずは、1人目…」


---


クロードは空間構造をフル活用し、もう一人の捜査官を背後から追跡していた。


捜査官は警戒しながらも、視界にクロードの姿を見失っている。


クロードは、あるポイントで立ち止まった。


そして――両手を広げ、わざと姿を晒す。


「こいつ……まだ余裕あるのか」


捜査官が即座に銃を構える。

クロノ・ガンが火を噴く――。


だが、クロードは発射の直前、足元のテレポーターへすとんと落下。


「……なに?」


捜査官の銃撃は空を切り、クロードの背後に――


何者かの後ろ姿が見えた…どこか見慣れているような…


その瞬間。

後頭部を撃ち抜かれ、捜査官の意識が闇に飲まれた。


「これで、2人目」


---


残った一人の捜査官は、クロードの奇襲に対抗すべく、銃を床に投げ捨てた。


その手にあるのは――グリッチライダーしか持たないはずの違法武器、クロノブレード。


「……なぜ、それを」


「昔な……俺も少しだけ、あんたたちの側にいたんだよ」


捜査官はニヤリと笑い、クロードの前に立った。


「正々堂々と、剣で勝負しよう。逃げるなら今のうちだ、グリッチ崩れ」


「……いいぜ。望むところだ」


クロードもまた、左腕のブレードを展開する。


二本の時空刃が激突する。

青白い残光と、歪んだ空間の反響音。


ギィィィィン!!


刃が火花を散らし、重心のぶつかり合いが続く。


捜査官は剣術に長けていた。

一手一手が正確無比。クロードは徐々に押され、ついには体勢を崩して床に倒れ込んだ。


捜査官が勝ち誇る。


「勝負あったな」


クロノブレードが振り下ろされ――その瞬間。


パンッ!


一発の銃声が響いた。


捜査官の胸に、穴が穿(うが)たれていた。

クロードの右手には、さっき捨てられたはずのクロノ・ガン。


「き……貴様……卑怯だぞ……」


クロードは、うっすらと笑った。


「悪いな。正々堂々は苦手なもんで」


---


レバーが操作され、B扉のロックが解かれる。


トントン、ノックの音。


「……出てきていいぞ」


扉が静かに開く。

レベッカが慎重に外へ一歩踏み出すと、クロードの姿があった。


服が所々破けている。だが、その目は確かに、生きていた。


「……無事、戻ってくれて嬉しいです」


「時間はまだある。さっさとTPBまで行くぞ」


---


冷たく、整然とした建築美。

TPB本部はまるで一つの巨大な要塞のようだった。

高層構造の内外には、厳重な監視ネットとセキュリティドローンが絶えず稼働している。


だが、クロードは知っていた。

TPBには、グリッチライダーだけが知る“合法外”の接触手段がいくつか存在することを。


「ここから先、正面突破は無理だ。だが、女王陛下を連れて裏口から侵入なんて、皮肉なもんだな」


「ふふ……皮肉どころか、滑稽ですらあるわね」


二人は、東側セクターの地下排熱路に入り込む。

そこにはメンテナンス用のエントリーポートがあり、古い認証コードが通用することをクロードは確認済みだった。


コード入力。ロック解除。


「開くぞ」


重い空気が漏れ出る。

二人はその狭い通路を進みながら、TPBの心臓部――認証局を目指す。


---


通路の突き当たりに、鋼鉄の扉。

その先は、王家専用の承認ステーション。

ここでしか、“王権の更新”手続きは行えない。


しかし、扉の前には既に人の気配があった。


「……よく来てくださいました、レベッカ姫」


現れたのは、デイヴィス局長補佐官。

かつて父王と親交が深く、王家に忠義を誓った少数派の一人だ。


「あなたを待っていました。早く中へ。ブレッド・ウィンダムは、既にあなたが来ないという前提で全てを進めようとしていたのです」


「……思った以上に深く、軍部と繋がっているようですね」


「はい。ですが、手続きさえ完了すれば、すべてを覆せます」


クロードが背後を警戒しながら尋ねる。


「このまま通してくれるのか? 罠じゃないのか?」


「もし私が裏切るつもりなら、あなた方がここへ来る前に仕留めてます」


「……だといいが」


---


扉が自動的に閉まり、周囲の空間が隔離される。

光の柱がレベッカを包み、脈動するような電子音が響く。


『王家血統識別――進行中。

 王位継承手続き、ステップ1:認証プロファイル解析中……』


クロードは部屋の外で待機していた。


その間にも、TPB内部では不穏な動きがあった。


パトロールドローンが増え、ブレッド・ウィンダムが“非常警戒態勢”を発令し始めていた。


だが遅かった。

手続きは、正常に進んでいた。


『ステップ3:血統因子の完全一致を確認。

 王位継承手続き――完了。

 正統後継者・レベッカ=イングリッドの女王権限を確立』


音声が静かに告げる。


扉が開いたとき、レベッカは全く違う“何か”に変わっていた。


ただの姫ではない。

王家の意志と共に、国家の中枢を動かす存在へと昇華した。


---


今度は堂々と、中央通路を歩くレベッカとクロード。


前方に現れた、ブレッドと部下の捜査官たちが一斉に立ち塞がる。


「この施設に不法侵入し――」


「静粛に」


レベッカの声は、冷静で透き通っていた。

手には王家の正当証明――“権限リング”を携えている。


「私はレベッカ・イングリッド。先王の直系にして正当後継者。

 交通管理局における最高監督権限を、ここに行使します」


一瞬の沈黙。


そして、後方からデイヴィス補佐官の声が響く。


「本日をもって、軍部と通じたTPB幹部――ブレッド・ウィンダムは職務停止。即時身柄を拘束せよ」


ドローンが動き出す。

静かに、しかし確実に、内通者は取り押さえられた。


レベッカが振り返り、クロードに言った。


「あなたのおかげです。さあ――レインフィールドのテレポーター復旧申請、始めましょう」


---


王位継承の手続きが完了し、レベッカは正式な女王として、TPB中枢部にある「中央データ処理室」へと向かっていた。


ここは、国家全域のテレポーター網を統括する、極秘かつ最高権限者しかアクセスできない場所――。


「女王陛下、レインフィールド北部セクター第7拠点の復旧申請が、軍部の介入により拒否されたまま凍結されています」


データ処理官が端末に指を走らせながら、報告する。


「封鎖されたままだと、あと36時間でインフラコードが抹消され、再建には数年を要します」


「私が命令を下せば、封鎖は解除できるのですね?」


「はい。陛下の権限であれば、経路の解放が可能です」


レベッカは小さく頷いた。迷いはなかった。


「アクセスコードを開示。私の指示を音声記録として残しなさい」


処理官が即座に操作を始める。光のホログラムが宙に浮かび、女王専用の操作パネルが起動する。


レベッカは一歩進み、声を発した。


「第7拠点、レインフィールド、テレポーター施設――緊急優先コード:レベッカ=イングリッドによる再起動命令を発動。

理由:人道的支援、物流緊急確保、並びに王家の直轄領土としての管理責務に基づく」


端末に波形が走る。音声認証、DNA認証、王家リングによる最終認証が同時に走る。


『認証完了。復旧命令が有効化されました。第7拠点のアクセス制限を解除します』


空気が張りつめる中、中央スクリーンに再起動中の転送ゲートのステータスが表示される。


“オンライン”の文字が点灯する。


「レベッカ陛下……これで、物流ラインは復旧に向かいます。レインフィールド地方は救われます」


処理官の声には、目に見える安堵があった。


レベッカはその場に静かに立ったまま、辺境の民のことを思った。

飢え、孤独、不安、そして希望のない日々――

それを少しでも取り除けたのなら、王家の名に意味はあった。


彼女は深く息を吸い、ひとことだけ告げた。


「……手続きを、民に通知しなさい。救援を、すぐに」


---


破壊されたゲートを修復するため、臨時のテレポーターがドローンで運ばれてくる。

長らく途絶えていた物流ラインが再接続され、最初の支援パッケージが転送されてくる。


周囲に集まった住民たちが驚き、歓声を上げた。

そして、誰かが叫んだ。


「レベッカ様が……! 女王陛下が、動いてくださったんだ!」


その声が、連鎖のように広がっていく。


人々の目に光が宿った。

もう、見捨てられてはいなかったのだ。


---


13日――。


それは歴史が求めた形式であり、権力の引継ぎに必要な象徴的な時間だった。


厳かな鐘の音が鳴り響く中、王宮最奥の「戴冠の間」は荘厳な静けさに包まれていた。

中央に設けられた玉座には、かつての王が座していた。今は誰もいない。

その正面に立つのは、今まさに王冠を戴く者――レベッカ=イングリッド。


王室法典官が厳かに宣言する。


「13日間の継承期間を経て、先王の血を継ぐ者、レベッカ・イングリッドが、イングリッド王国第41代女王として即位することを、ここに宣言する」


神官が王冠を高く掲げ、光の柱の中を進み、慎重にレベッカの頭上へと降ろす。


金属が静かに彼女の頭に触れた瞬間――

重々しい電子認証音が、玉座の間に響いた。


王冠が静かに降ろされるのを見届けながら、玉座の脇に控える老執事マーカスは、目を細めてその光景を見つめていた。


その瞳には、幼き日のレベッカを知る者だけが抱ける、深い誇りと感慨が宿っている。


「ついに、ここまで――」


胸の奥でそっと呟きながら、マーカスは誰にも気づかれぬほど小さく頷いた。あれほど繊細だった少女が、今や国家の頂に立つ。


『王位継承プロトコル、完了。統治権限フルアクセス、解放』


レベッカの胸元の王家端末が青白く光る。全システムが、彼女を国家の最高権限者として認識した。


広間に詰めかけた貴族、科学者、軍部の一部、そして市民代表が一斉に頭を垂れる。


だがその場には、かつての将軍――反逆者の姿はない。


---


同時刻、別の場所では。


かつて軍部を率いた将軍ジェラルド・ゴードン以下、反逆計画に関与した高官たちが、拘束され、軍事法廷に引き出されていた。


女王即位によって即座に発効された命令により、彼らの身柄はTPBとの共謀証拠とともに拘束され、

厳格な軍規法に基づいて裁かれることが決定された。


法廷で、彼らの前に出されたのは――


・テレポーター第7拠点の破壊命令ログ

・TPB幹部との極秘通信記録

・暗殺指令の送信ルート

・そして何より、レベッカの身に迫った実際の暗殺未遂の記録データだった。


元将軍の顔からは血の気が失せていた。

その瞳の奥には、敗北というよりも、

「システムに屈した」という静かな怒りがあった。


「……女王が現れるまでに終わるはずだった計画だ。そうすれば、この国は軍が握れた」


呟くような声に、軍法裁判官が冷たく言い放った。


「もうここは、お前の”軍”ではない」


---


群衆で埋め尽くされた王宮前の広場。

その熱気と歓声は、王国中の希望を象徴していた。


レベッカが王冠を戴き、バルコニーに姿を現したその瞬間――

民衆からは爆発的な歓呼が巻き起こった。


「レベッカ陛下! 万歳! イングリッド万歳!」


レベッカは静かに手を振る。だがその瞳はどこか遠くを見ていた。


視線の先。広場の端、群衆の中――

一人の男の姿を見つけた。


彼だった。クロード=スペクター。グリッチライダー。命を賭して、自分を守ってくれた男。


彼女はわずかに微笑み、視線と顎で合図を送る。


クロードはそれに気づき、わずかに頷いた。

口元に、ほんの一瞬、苦味を含んだ笑みを浮かべ、そして群衆の中に姿を消した。


何も言わず、何も残さず。


彼女が彼を探すように見渡しても、もうどこにも彼の姿は見当たらなかった。














挿絵(By みてみん)

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