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真実の愛のために逃げ出した兄姉に代わって、残った二人で婚約してみたら。

作者: 春樹凜


『真実の愛を見つけたので出て行きます。探さないで』


 そんな書置き一つ残し、姉のビアンカは消えた。




 私アンジェリカと姉のビアンカは、このリリース国で侯爵位を持つダレス家の姉妹である。

 領地は王都からほど近い場所にあり、これといって大きな特徴はないが、土壌は豊かで、作物は実りやすく、収益も上々である。


 侯爵家は兄が継ぐため、私達はいずれダレス家を出て行き、他の貴族に嫁ぐこととなる。


 そしてビアンカも適齢期となり、隣に領地を持つ、同じく侯爵家のハレリア家の次期当主であるガルニア様と、年齢も近いこともあり婚約を結ぶこととなった。


 だけど問題が一つ。


 二人とも容姿はよいものの、自己主張が激しく、思う通りに事が運ばなかったり、自分を優先してくれないとすぐに癇癪を起こす、ある意味悪いところが似た者同士だった。その為かよく言い争いをしていた。


 そんなこともあり、もはやこの婚約はなかったことにした方がいいんじゃないかと両家が考えていたところで、ビアンカがやらかしてくれた。


「なんでこんなことに……」


 弱弱しい声でそう言うと青褪めた顔で父が俯き、部屋に集められた他の家族も揃って頭を抱える。


 最近ご機嫌でよく何処かにでかけていたと思っていたけど、それはたまたま街に来ていた行商人の男と親しくなったかららしい。そしてビアンカは、一人の男性と今朝早く街を出て行ったとの目撃証言が得られた。


 間違いなく、その男が駆け落ち相手だろう。


「あの子ったらなんて恥ずかしいことを……! ああ、あちらになんと言ってお詫びすればいいのかしら」


 両親がげんなりした表情になるのを眺めながら、私も同じ心地でため息をつく。


 娘である姉や私に甘いところがある両親だけど、それでもビアンカが悪いことをしたり、貴族の娘としてふさわしくない行為をすればきっちりと叱りつけていた。

 それなのに長姉だけがなぜかそんな感じに育ってしまった。世界は自分を中心に回っていると本気で信じていて、自分の言動こそが正しいと思っている。


 そんな彼女に、私は幾度となく振り回されてきた。

 昔は姉の後ろに付いて行ったりして、それなりに姉妹仲は良かった。


 だけど私の方が勉強ができるようになったあたりからがらりと変わり、姉より勉強ができるなんて生意気だと怒られたり、妹の物は姉である私の物でもあると言って勝手に持って行って返さなかったりと、あっという間に険悪な関係になってしまった。


 それに私の見た目についても、私があなたなら街なんて歩けないわと笑われるほどで。

 他にもされたことを挙げていけばきりがない。


 その度に両親は特大の雷を落としてビアンカを諫めたけど、収まるどころか、どうして自分が悪いのかと本気で分からないようで、ますます悪化していった。


 だから今回の駆け落ちも、合わない相手と結婚させられる不幸な自分の幸せのためにした行動で、間違っていないと考えて実行したんだと思う。

 

 そういえば姉はわりと惚れっぽくって、よくどこそこの誰それがカッコいいとか好きだとか言ってたっけ。それの延長として、こんなことをしたのだろう。


 しかしあとに残された家族にしてみれば、たまったものじゃない。

 ダレス家とハレリア家の仲はそれなりに良好だったけど、今回の件で亀裂が入るかもと重い空気が漂う中、ハレリア家から一通の手紙がもたらされる。




 ────そこに書かれていたのは、ビアンカの婚約者のガルニア様が、真実の愛を見つけたからという書き置きを残していなくなってしまったという、どこかで聞いたことのある内容だった。




○○○○




「うちの息子が申し訳ない」

「いやいや、こちらこそ申し訳ない」


 駆け落ち事件から一週間後。


 ハレリア邸にて、両家が一同に介し、まずは互いの当主がそれぞれ詫びの言葉を述べながら頭を下げる。


 ガルニア様は、先日ハレリア家へとやってきた旅芸人の一座の中にいた踊り子の娘と駆け落ちしたらしかった。その娘はそれと同時に一座から黙っていなくなったため、こちらも行方を追ったが分からないと。

 ……そういえばガルニア様も惚れっぽい性格だった。


 婚約者だった二人が別々の人物と全く同時期に駆け落ちをしたとは、ある意味相性はぴったりなのかもしれない。

 しかしなにもこんなところで発揮しなくてもと、全員が思っていた。


 ひとまず状況が状況なので、仮に行方が分かったとしても再度あの二人で婚約を続行するのは不可能だと判断し、婚約破棄の違約金に関しては相殺してなしということになり、二人の婚約は白紙になった。

 行方については両家とも引き続き探すことにするらしい。


 姉がいなくなったのは大問題だけど、我が家としては差し当たって大きな問題はない。

 ダレス家の醜聞としてしばらく貴族たちの間でこの駆け落ち話が語られて、若干私たちが肩身の狭い思いをするだけで済む。


 が、ハレリア家にとってはそれだけにとどまらず、重大な痛手になりそうな事案である。

 なぜならいなくなったのは跡取りである長男だからだ。


 けれど実はハレリア家にはもう一人、子供がいる。しかも兄よりもよっぽど優秀でまともな性格の弟が。

 なのでその弟に家を継がせることに決め、そちらの事案もめでたく解決した。

 

 ちなみにこの件がなくとも、ガルニア様を跡取りの座から外すことは考えていたらしい。


 ガルニア様もビアンカと同様にこれまでも色々やらかしていたらしく、元々長男だからという理由だけで跡取りになった為か、その自覚がなかったようだ。


 彼の両親もガルニア様がいつかはまともになると信じて色々と苦言も呈していたらしいけど、侯爵家を継ぐうちの兄と違い、まったく勉強に取り組むこともなく、粗暴な性格も直らず、ガルニア様がこの先更生する見込みはないと判断せざるを得なかったと。

 その矢先の今回の出来事らしい。

 

 そして父様が私を伴ってこのハレリア家を訪れているのは、何もビアンカのやらかしたことの謝罪と愚痴だけが理由ではない。

 

 今回私が姉に代わり、ハレリア家の新しい当主候補となったアレンと婚約を結ぶことになったので、その顔合わせのためだ。


 といってもハレリア家とはそれなりに交流はあったから、勿論アレンのことも知っている。

 

「これからよろしくね、アレン」


 あとは二人で交流を深めなさいと早々に部屋から追い出され、別室に用意されたお茶を前に、私はアレンに向き合いそう言うと、彼も同じように答える。


「それはこっちの台詞だよ、アンジェリカ」


 私より四歳年下ではあるけど、非常に頭も良く、昔から領民の元へも積極的に足を運んで皆と交流を深めたり、孤児院にも顔を出して彼らが将来社会に出た時に困らないようにと勉強を見てあげたりしている。


 その為領民からは慕われていて、アレンが将来領主になると聞いた時は、皆諸手を上げて喜んだそうだ。

正直あのガルニア様が後を継ぐよりよっぽどいい選択だと思える。


 さすがに年齢的に幼さは残っているけど非常に整った顔立ちをしており、成長すれば華やかな見た目のガルニア様とはまた違った意味で美麗な青年になるだろう。


 が、私にとっては弟のような存在で、有能な幼馴染であり、愚痴を言い合ってきた友人でもあるアレンと結婚するなんて、全く実感が湧かない。


「それにしても、まさかあなたと婚約することになるなんてね」


 すると彼は少し拗ねたように、形のいい唇を尖らせる。


「なに、俺が相手じゃ不満?」

「違うわよ。逆よ、逆。あなたなら将来性はあるし、それこそ私じゃなくてもっと他の相手の方が良かったんじゃないかって思って。見た目だけで言えば、ビアンカの方がお似合いなんじゃないかしら」


 すると途端にアレンは、その綺麗な顔を思い切り歪める。


「冗談やめてよね。むしろ俺は、あんな頭スカスカの自尊心の塊みたいなイカれたヒステリック女と結婚する羽目にならなくてよかったと思ってるのに」

「結構酷い言い草ね」

「だって事実じゃん。実際俺もアンジェリカも、あの顔しか取り柄のない兄姉に散々振り回されてきたんだし。でも、偶然とはいえどっちも同じタイミングでいなくなってくれて清々してるよ。それに俺は別にビアンカの顔が綺麗だなんて思ったことは一度もないよ。前々からずっと言ってるけど、アンジェリカの方が圧倒的に綺麗で可愛いから」


 そう言って黒灰色の髪を揺らしつつ、少しだけ視線を外して頬を染めるアレンの方が可愛いと思ったけど、多分それを口にすると怒られる。


 彼は曲がりなりにも男の子。それに難しい年齢に差し掛かっている。

 なので浮かんだ気持ちは心の内にしまい、お礼の言葉を返す。

 

「ありがとう。ビアンカにはいつも不細工だとか地味だとかずっと言われてたから、あなたにいつもそうやって褒められのはお世辞でも嬉しいわ」


 まるで絵画から飛び出てきた美の女神と見間違えるほどの、圧倒的な美貌。

 ダイヤを散らしたような煌めきを持つ黄金の髪と、透明感のある紫水晶のような瞳を持ち、見た目だけなら一目で恋に落ちてしまうほどの破壊力を持ったビアンカに比べれば、私はきっと劣っている。


 だけどビアンカには地味だと称された、母よりも少し暗めの銀の髪も、父に似た色素の薄い赤色の瞳も、私はこれでも結構気に入っている。


 そしてビアンカに容姿を貶されたり攻撃された時、アレンはいつもこうして私を気遣い慰めてくれた。本当にいい子なのだ。

 その心根のまま成長してくれて、勝手に姉のような気分で彼に接していた私としてはとても嬉しく思う。


 けれど私の笑顔のお礼の言葉に、なぜかアレンは不満気だった。


「別にお世辞とかじゃないんだけど。────あと、アンジェリカのことをそんな風に言い続けたビアンカは本当忌々しい」


 と、ここで私は彼女について分かったことがあったんだと思い出し、手を叩く。


「そうそう、そのビアンカなんだけど、どうもこの三つ先の街で自分の持ち物を換金したみたいで、そのお金で王都へ向かったみたい。その後はまた行方は分からなくなったんだけど」


 ビアンカが王都へ出向くのは、ある意味予想通りでもある。

 派手好きで流行を追うことを生きがいとするあの人が、田舎でひっそり暮らすなんて道を選ぶはずがない。


 そして、それはガルニア様も同じのようだった。


「うちも似たような感じだって言ってたっけ。あの人浪費家だし、あっちに着く前に路銀がつきそうな気がするけど」

「そこまで行動パターンが同じだったら、王都でばったり鉢合わせ……なんてこともあるかもしれないわね」

「冗談じゃなくその可能性は高いよね。しかもお互いにお互いが駆け落ちしたなんて知らないだろうし。まあ、こっちに迷惑がかからなかったらなんでもいいよ。あいつと血が繋がってるとか、本気で嫌になる。これ以上あの人に振り回されるのはごめんだから、二度と帰ってくるなって感じ」


 そうは言いつつ、あの二人がこのままで終わることはないだろうなと、私もアレンも心のどこかでは覚悟はしていた。




○○○○




 けれど予想に反して、二人が消息を絶ってから半年が経ったけど、行方が分からないどころか戻ってくる気配もない。

それならそれでいい。きっとどこかで幸せにやっているのだろう。


 そしてこの半年という期間を区切りとして、うちの両親とあちらの両親は、いなくなったビアンカとガルニア様に対し、とある苦渋の決断を下した────というより、いなくなった理由も酷いし、貴族の規則を覆せるほどの情状酌量の余地もなく、決まりとしてそうせざるを得なかった。

 

 一方で私とアレンはというと、特に問題はなく順調に仲を育んでいた。とはいっても、元から仲は悪くなかったんだけど。


 けれど私は今年から王都の学院に入学することが決まっていて、これから二年間はアレンと離れ離れになる。


 ちなみにビアンカとガルニア様は試験に落ちたので入学できなかった。

 貴族なら絶対に行ける、というわけではないし行くのが義務でもないけれど、小さい頃から家庭教師がついている貴族で落ちる子も珍しいので、その知らせを聞いた時は両家の両親とも顔面蒼白だった。


 まあ、いつも家庭教師から逃げ出して、机になんてほとんど向かっていなかったあの二人が落ちるのは予測できたことなんだけど。


「最近はずっと一緒にいたから、なんだか少し寂しくなるわね」


 ハレリア邸を訪れ、入学の報告を告げた私に対し、なぜかアレンはくつくつと笑うと、自慢げに私の前に一枚の紙を差し出す。

 

それは、私と同じ学院の入学通知だった。


「い、いつの間に!?」


 見せられた書面に思わず絶句する。

 

 確かにあの学院への入学資格は十三歳から十七歳まで。

 けれどほとんどは十七歳で受ける子達ばかりだ。


 なのにアレンは最年少で受験して実際にあの試験に合格し、しかもそこに書いてある文面を読むと、入学式での新入生代表挨拶を任せるとあった。

 それはつまり、入学時の試験で主席だったことを意味する。


 今年度は、優秀だと言われる第二王子殿下も試験を受けていたはず。そんな人を下して……という事実に、改めてアレンのすごさを思い知らされる。


「あなたが頭がいいことは知っていたけど、まさかここまでだったなんて」

「だって二年もアンジーと会えないとか耐えられなかったから。それに、俺が傍にいない間に他の奴らに目を付けられても困る」

「アレンは大袈裟なんだから。私みたいなのが誰かの目に留まるわけがないじゃない」

「いーや、アンジーは自分のこと、まったく分かってない。だから俺が行ってアンジーの虫除けになる」

 

 アレンに私のことを評価してもらえるのは嬉しいけど、私としては彼が誰かの目に留まる可能性の方が高いと思っている。

 

 だって最年少で主席入学するとか、どう考えてもみんなの注目の的だ。


 それに時が経つにつれて、顔立ちも含めて少年っぽさは少しずつだけど薄まってきている。

 身長も、この前まで私の胸の下辺りだったのに今はもう私の眉毛のところまで頭のてっぺんがきている。    

 これから成長期だしまだまだ伸びそうだ。


 領地が隣通して親の仲が良く、両家の兄と姉がいなくなったことから整えられたアレンとの婚約だけど、やっぱり私以外の女性を婚約者にした方がいいんじゃないかって、特に最近思うようになった。


 どう考えたって、私にアレンはもったいない。それに年だって、あの子ともっと近しい子の方がいいんじゃないだろうか。


 兄姉のやらかしは言ってみればお互い様だし、なにもアレンが責任を感じて四つも年上の私と婚約する必要はないはずだ。

 私があの子のことを弟のように思っているように、あっちだってきっと私を異性としては見ていないだろうし。


 だけど前にそれとなく婚約解消の話題を振ったらものすごく不機嫌になっていた。

きっといなくなったお兄さんの不始末は、弟の自分がちゃんと責任を取らないと、と思っているのだろう。


 なので、私は学園に入ったらできるだけ人脈を広げ、彼が婚約するのにふさわしい人をこっそり見つけようと思っていた。


 アレンが一緒に学院に通うことになるのは予想外だったけど、逆に友人になった人たちに実際のアレンを見てもらった方が、彼の婚約者候補を紹介してもらいやすいかもしれない。


 待っててね、アレン。

 私が必ずあなたが幸せになれそうな相手を見つけてあげるから!

 

 そう、本当の姉のような気持ちになって内心やる気に満ち溢れていた私は、アレンの心情に気付きもしなかった。




●●●●アレン視点




 大人になればその年齢差はさして気にすることはない。

 けれど今のアレンにとっては、それはなかなか超えることのできないとても大きな壁だった。




 物心ついた時には、すでにアンジェリカは兄の婚約者の妹だった。


 隣の領地ということもあり一緒に過ごすことが多く、また互いに厄介な兄姉を抱えていたため、必然的に距離は縮まった。そうして過ごしていくうちに、アンジェリカに対して恋慕の情を抱くようになった。


 だが今の状況でアンジェリカと縁を結べるはずもなく、諦めかけていた時、面倒事ばかり引き起こす迷惑極まりない兄たちが真実の愛を見つけたからと、それぞれ別の人間と駆け落ちしてしまったのだ。


 けれどこの時ばかりはアレンは諸手を挙げて喜んだ。そして両親に、二人がいなくなった代わりにアンジェリカと自分との婚約を結びたいと強く願い出た。


 そして年齢差はあるものの、ダレス家の面々も、それにアンジェリカもその時は特に難色を示さなかったこともあり、すぐさまアンジェリカがアレンの婚約者に決まった。


 結果的に、勉学もおろそかにして学院にすら入ることもできず、性格にも難がある外見しか褒めるところが見当たらない二人がハレリア家を継ぐことにならずにすんでよかったと、領民達は分かりやすく喜んでいた。


 口ではなんだかんだ言いつつもアレンのことと同じようにガルニアを愛していた両親の内情は分からないが、仮に戻ってきたところで、再度ガルニアを次期当主として戻すような愚かなことはしないだろう。


 だが、密かに想っていたアンジェリカと婚約を結んだものの、アレンの心はちっとも穏やかではなかった。

 

 嫌われていないことは分かる。

 けれど彼女がアレンに向けているのは、おそらく弟に対するような感情だ。

 

 実際、ガルニアが自身より優秀で領民に慕われるアレンへ嫉妬でもしたのか手を上げそうになった時だって、動けず固まる幼いアレンの前に立ち、アンジェリカが庇ってくれたことが何度もあった。


「任せて。アレンは必ず私が守るわ」


 アンジェリカとしては、目の前で震えて縮こまる幼い子供を守っているつもりだったのだろう。姉のような気持ちで。


 けれどその言葉を言われる度、自身の無力さを痛感し、アレンの心に苦い感情が広がった。

 結果的にそれが兄への恐怖を上回り、その気持ちをバネに、ガルニアと対峙しても怯えず立ち向かえるようにはなったが、やはり四歳という差は大きい。

 

 その証拠に、成長して少女から女性へと変わりゆくアンジェリカとは違い、アレンは未だに少年の姿のままだ。


 そしてアンジェリカから向けられる視線は、婚約者になった今でも変わらない。彼女にとってアレンは、やはり弟のようなものであると同時に庇護対象なのだ。


 一体いくつになったら自分は異性として認識してもらえるのだろうか。

 

 アレンの悩みを見抜いた仲の良い屋敷の使用人や両親からは、婚約したのだからそんなに焦る必要はないと慰めの言葉をかけられるが、そう楽観視してもいられない。


 アンジェリカは、ビアンカに長年容姿を貶される発言をされてきたこともあり、自己評価が低い。


 確かにあのビアンカは、目鼻立ちがくっきりとした顔立ちの良さとそれに似合う派手な服装を好むせいか、視界に入っただけで目を奪われる強烈な華やかさがあった。

 けれどかといって妹のアンジェリカが劣っているかといわれると、そういうわけでもない。

 

 ビアンカと供だって歩いていた時、その視線は全てビアンカへ向けられているとアンジェリカは思っていたようだが、実際は彼女にだって同じくらい異性からの羨望の眼差しは向けられていた。

 

 一緒に駆け落ちしたあの踊り子のような、肉感的でアホ可愛い女性がタイプのガルニア的にはアンジェリカは好みのタイプではないとよく言っていたが、アレンから言わせればガルニアの目がおかしい。  

 彼には、アンジェリカの良さは分からなかったようだ。


 そんなアンジェリカに目を付け、彼女を口説こうとする人間がいつどこから現れても不思議ではない。

 自分という婚約者がいたところで同い年くらいの異性に口説かれたら、やはりそっちの方がいいとアンジェリカが思うかもしれない。


 それに、不安に思うのはそれだけではない。

 どうもアンジェリカの挙動がおかしい。それとなく探ってみると、アレンに年齢の釣り合う別の婚約者を探そうとしているようだった。

 

 冗談じゃなかった。だって彼の婚約者はアンジェリカしかいないというのに。


 けれど、どれだけ自分が好きだと伝えても、姉のように慕っているってことねといつも本気で取り合ってもらえない。

 新しい人を探すのがきっとアレンの為だと、アンジェリカは信じて疑っていないのだ。


 だからアレンは、アンジェリカにたかる虫を払うために、そして、明後日の方向に気を回してアレンに新しい婚約者を探そうと考えるアンジェリカの企みをなんとしても阻止するために、自分も学院についていくことを決めた。


 こうしてアレンは、学院入学の試験の為に彼女が王都へ出向いた際自身も付き添い、アンジェリカに内緒でこっそり試験を受けて、入学資格を勝ち取ることに成功した。




◯○◯○




 学院に入ると、予想通りアレンはすぐに皆の注目の的になった。


 年齢、見た目、成績、その全てに興味を引かれた生徒達が彼の周りに集まる。その中にはあの第二王子のランベルト殿下もいた。


 しかもランベルト殿下直々のご指名で、現在は妹であるソフィア王女殿下の家庭教師として、アレンは週に二度ほど王城へと足を運んでいるのだ。王子に一目置かれるなんて、さすがはアレンだ。


 けれどどんなに人に囲まれていても、アレンはすぐに私の元へと戻ってくる。


 今だってそうだ。

 さっきまでランベルト殿下達のいるテーブルで昼食をとっていたはずなのに、気付けば学園でできた新しい友人たちといる私の席へとやってきて、ごく自然に隣に座る。

 もはや日常茶飯事と化しているこの光景に、友人は何も言わずニコニコとこちらを見つめている。


「ねえ、良かったの? ランベルト殿下、まだあなたと話したそうにしているけど」

「別に。用事は済んだし、いつまでもあそこにいる気はないよ。それに俺がここに入学した目的って、アンジーの虫よけの為だからね。今だってアンジーが可愛くて綺麗だからって狙ってる輩がごろごろいる」

「まだそんなこと言ってる……。アレンの考え過ぎよ」


 私は入学してからまともに異性に話しかけられたことなんてない。それどころか、むしろ遠巻きに見られている気がしてならない。

 

 綺麗とか可愛いとか、アレンはよく私に対して口にするけど、そんな風に私に言ってくれるのはアレンだけだ。

 けどそれもきっと私がビアンカに色々言われているって知ってたから、慰めるつもりなのだ。決して本心ではないと思う。

 

 そんな感じで、ことあるごとに私にくっついて周囲を警戒するアレンの影響からか、『小さい騎士に守られる侯爵令嬢』として、私も多少なりとも目立ってしまっている。


 かなり恥ずかしいので嫌なんだけど、アレンは警戒

を緩めることはしない。

 ……『小さい』という単語には過剰に反応していたけど。


 だけどこの状況はちょっと困るのだ。


 私はアレンの新しいお嫁さん候補を探すためにここに来た。なのにこんなにも私に引っ付いていたら、そんな人を紹介してほしいと友人にも頼みにくい。


 現に昼食を共にしている私と伯爵家のカーラやその隣の侯爵家のマリーも、入学前からそれなりに有名になっていたアレンのことを知っていたらしく、初めは妹を紹介してあげる! と約束してくれていたものの、私から離れようとしないアレンの姿を目の当たりにしたためか、その話はすっかり立ち消えてしまった。


 義務感と責任感からこうして私を婚約者として扱っているんだろうけど、そんな必要はないのに。せっかくのチャンスを逃してしまいそうで気が気じゃない。


 そんな時、私にまさかの人物から声がかかった。


「ちょっといいかな」


 放課後、教室に一人残っていた私の前に現れたのは、なんとランベルト殿下だった。


 アレンはよく一緒にいるけど、私が彼と面と向かって話すのは初めてのことだった。一体何の用なんだろうと緊張する私に、殿下はある吉報をもたらしてくれた。


「君が自分に代わるアレン君の婚約者を密かに探している、という話は耳に入っている。それで実は私の妹が非常に彼に興味を持っていてね」

「それってもしかして、ソフィア王女殿下のことでしょうか?」


 私の質問を肯定するように、ランベルト殿下が頷く。


「そうなんだ。だからソフィアに、アレンを自分の家庭教師にしてほしいってお願いされたんだよ。そしてできれば彼にはうちのソフィアの婚約者になってほしいとさえ思っている」


 ソフィア様は第三王女にあたり、現在はアレンと同い年の十三歳。

 直接お目にかかったことはないけど、お人形のように綺麗で、おっとりした性格だけど心の優しい方だという噂は聞いたことがある。

 王族の人に見初められるなんてと、なんだか私の鼻も高い。


「だけどほら、今君が対外的にはアレン君の婚約者だから、それとなく説得、っていうのかな、それをしてほしいなと思って」


 見た目的にも年齢的にも、私よりも絶対に彼女の方がいいに決まってる。


「勿論です! でしたらうちの両親にもアレンの両親にも、私から話も通しておきます」


 アレンには絶対に私に代わる婚約者ができるとは思っていたけど、ソフィア王女殿下以上に最適な相手はそうそういないだろう。

 あの子はガルニア様に苦労をさせられたのだ。その分も含めて幸せになってもらいたい。

 

 だから私は前のめり気味にその提案を受け入れる返事をする。


「よかった。それじゃあさっそく二人のちゃんとした顔合わせの日時を調整しないとね。……ところでアレン君に新しい婚約者ができるとなると、君も新しい人を探さないといけないよね?」

「はい。ですがそちらに関しては追々見つけられればいいかなと思っております」

「それなら君にとっておきの話があるんだ。例えば今君の目の前にいる私なんて…………」

「アンジー!! 大変よっ!!!!」


 と、突然カーラの悲鳴のような大声が教室中に響き渡る。そして中に私と、そしてまさかのランベルト殿下がいたのを目にした彼女は一瞬ぎょっと目を丸くして言葉を失っていたけど、すぐに気持ちを切り替えたのか、ここへやってきた理由を早口で説明する。


「い、今門の前に、アンジーとアレン君の家族だっていう人たちが来ているんだけどっ! ビアンカとガルニアっていう、見た目はすごい美男美女な二人組で……」

「ビアンカとガルニア様!?」


 間違いない、その名前は確かに私たちの兄姉の名前だ。


 その上どうやら私たちを出せと騒いでいるらしい。


 もしも本当に学園に通う貴族の兄姉だったらということと、敷地内には入らずギリギリ敷地外で騒いでいるため、門番の人たちもどうしたものかと対処に困っているとか。


 なんでここに? とか、色々な疑問が湧いてきたけど、今は彼らをどうにかすることの方が先だ。


「ランベルト殿下、そのお話はまたあとでさせていただいてもよろしいでしょうか」

「あ、ああ、勿論構わないけど」


 私は殿下にそう断りを入れると、別れの挨拶もそこそこに急いであの二人がいると聞いた場所へと向かった。

 

 


●●●●アレン視点




 アレンの予想通り、学院にはアンジェリカに対し、熱い視線を送る輩が数多くいた。

 

 それも当然だろう。

 成績はいいし、他人への気遣いだってできる。しかも容姿もいいときた。

 そんなアンジェリカは人の警戒心を解くような柔らかい雰囲気を身に纏っており、彼女にふっと微笑みかけられると、男連中はあからさまに顔を赤らめる始末。


 その度にアレンは相手を視線でけん制してきた。 

おかげでアンジェリカへ向けられる視線自体は減ることはなかったが、直接的にアンジェリカを口説こうとする人間もまたいなかった。


 だがそこに強敵となりうる人物が現れる。それが第二王子殿下であるランベルトだった。


「アレン・ハレリア君、だよね?」


 入学して早々に、あちらからアレンの方に接触してきた。

 そこで彼からとあるお願いをされる。曰く、彼の妹であるソフィアに、勉強を教えてもらえないだろうかと。いわゆる家庭教師である。


 面倒だし断る気ではいたが、報酬は出すと言われ、アレンの心が揺らぐ。


 二カ月後、アンジェリカは誕生日だ。両親に言えばお金は送ってもらえるだろうが、できれば家には頼らず自分で稼いだお金で何かを送りたいという気持ちがある。ランベルトの申し出はそんなアレンにとって非常に魅力的だった。

 故に、アレンは二つ返事で引き受けたのだ。


 そして王城へと通う日々が始まった。

 ソフィアは噂に違わない姫だった。愛らしい見た目でおっとりした性格であるが、アレンと同じく自ら孤児院へ弔問していたりと、心根も優しい。年齢が近いこともあり、話も合う。

 

 だが、アレンが行く度に、毎回頬を上気させながらキラキラした瞳で見つめられれば、彼女からどういった気持ちを向けられているかは分かる。


 と同時に。


「ねえアレン君。うちのソフィア、可愛いだろう? 君ととてもお似合いだと思うんだけど」


 と、ソフィアの家庭教師を務めた翌日は、毎回昼食時にランベルトに呼び出され、こんなことを言われる始末。

 さすがにアレンも彼の意図に気付くというものだ。


「なんと言われようとも、俺はアンジーの婚約者をやめるつもりはないですから」

「でも君だって気付いているだろう? 彼女が密かに自分の代わりになる婚約者を探していること。この婚約はハレリア家にとっては間違いなく利になる」

「……で。婚約者のいなくなったアンジーをあんたがものにすると?」


 敬語も全部捨て去り、攻撃的な視線を向けそう言い放つアレンに対し、ランベルトは特にそれを咎めることはせず、美麗な顔ににこりと笑みを浮かべる。


「そうだね。だって考えてもみなよ。君は彼女の四つも下なんだ。頼りなく見えるし、彼女の横に並ぶにはまだまだ幼すぎるよ。実際に弟のようにしか見られていないんだろう? じゃなかったら自分の代わりに婚約者を探すだなんてこと、するはずがない。けど同時に彼女は君の幸せも望んでいる。だったら年も同じで話も合うソフィアと婚約して君が幸せになればいいんじゃない? 好きな人の望みは叶えたいものでしょう? いくら好きだって言っても真剣に受け取ってもらえないんだしさ」


 一見筋は通っていそうだが、結局のところこの男は自分が気に入ったアンジェリカを手に入れたいだけなのだ。

 しかし、ランベルトの言葉が痛いところをついているのも事実だった。だからアレンは何も言い返せず、ただただ苛立ちだけが胸の内に残る。


 結局アレンは何も言うことなく、無理やり昼食の皿の残りをさっさと口に入れて呑み込むと、ランベルトの元を立ち去る。


「アレン、いつも言っているけど、私のことは気にしなくていいから、もっと殿下とお話しして交流を深めていていいのよ?」


 そして近くで昼食中のアンジェリカの元へ戻れば、彼女にはそんなことを言われてしまう始末で。


 何が悲しくてライバルであるあの男と仲良くしないといけないんだと思いながら、それでも愛しい婚約者の顔を見られたことで少しだけ苛立ちも収まり、アレンは彼女の横にドカリと座る。


「殿下なんてどうでもいい。俺はアンジーと一緒にいたいんだよ」

「殿下なんてって、そんな言い方……。あなた折角気に入られているのに。今だってあんなに名残惜しそうにこちらを見られているくらいだし」


 確かにこっちへ顔を向けているが、あの男が見ているのはアレンの隣にいるアンジェリカである。だがしかし、アンジェリカは他人からの好意には非常に鈍い。

 それはアレンからの、ということだけではなく、ランベルトからのも、その他有象無象からのものからも全く気付けないくらいなのだから。


 試しに、


「アンジー。俺アンジーのこと好きだよ。本当に。真剣に」


 と言ってみるものの、アンジェリカはふふっと笑うと、


「勿論私もアレンのことは好きよ」


 と何の照れもなく返してくる。

 彼女の言う『好き』はしかし、アレンの抱いているものとは種類が違う。


 こんな他人の目がある食堂という、色気も何もないシチュエーションでなくとも、これまで二人っきりの時にも散々気持ちを伝えてきたが、毎回アンジェリカはこの調子なのである。


 アレンが思わず特大のため息を吐くと、そんな彼に対し二人の正面に座るマリーが労わるように声をかけてくる。


「アンジェリカが婚約者だと、アレン君も苦労するわね」


 すると隣のカーラも同意するように頷く。


「本当にね。普通はアレン君の年齢云々とかを抜きにしたって分かりそうなものだけど」

「それにしても厄介なお方に目をつけられたものね。だけど私はアレン君を応援しているから!」

「ええ、私もよ!」


 アンジェリカの友人たちにそう言われ、アレンは力なく笑う。


「そりゃどうも」


 そんな三人のやり取りを前にやはり何も分かっていないらしいアンジェリカは、こてんと小首を傾げたのだった。




 そんな折、学院にとんでもない二人組がやってきたとの知らせを受ける。


「よかった! アレン君、まだ学院に残ってたのね!」


 もはや顔なじみであるマリーと廊下で鉢合わせる。だが彼女は息を切らしており、どうもこの学院中を駆け回ってアレンを探していたらしかった。


「どうしたんですか。何か俺に急ぎの用でも……」

「アレン君、ビアンカとガルニアって人知ってるわよね!? その二人がこの学院の前に今来ていて、アレン君とアンジェリカを出せって騒いでいるの! それで今カーラの方はアンジェリカを呼びに行ったんだけど」

「はぁっ!?」


 久しぶりに聞いた名前だ。もはや一生思い出したくなかったのだが、こんなところでまさか再び聞く羽目になるとは。

 こんな日が来るかもと全く予想していなかったわけではないが、想定外なのは二人同時に襲撃してきたことだ。


「あのクソ馬鹿共っ!」


 思わず舌打ちと共に汚い言葉が漏れる。


 どういった経緯があって二人が一緒にいるかは不明だが、確実に言えることは、ろくでもないことだろうということ。

 しかし、一人でも面倒なのにそれが二人となると────。

 頭痛がしてきたが、それより今はあの二人への対処だろう。


 アレンは急いで校門前へと向かうが、そこには既に問題児たちの姿はなく、代わりにカーラがいた。


「あの二人は!?」

「それが……さっきアンジェリカが、ここだと迷惑になるからって言って、二人を連れてどこかへ行ってしまったらしいの」

「どこに!?」

「ごめんなさい、私もアンジェリカの後を追って急いで来たんだけどもういなくて。そこにいた守衛の方に状況を今聞いたのだけど、行き先までは分からないって」


 嫌な予感しかしない。

 二人がここに来た理由は大方見当がつく。冗談じゃない。これ以上平穏を乱されてたまるか!

 それにアンジェリカがアレンを待たず一人であの二人を連れ出したのは、彼女がアレンをガルニアから守りたいと、そんな想いが働いたからだろう。


 アレンはアンジェリカと同い年の令息に比べれば背も低しい力もない。

 武術の心得があるわけでもない。

 自分がまだ子どもだというのは変えられない事実で、それでもアレンだってアンジェリカを守りたいのだ。


 アレンはアンジェリカがあの二人を連れて行きそうな場所を考える。

 そしてその場所に一つ心当たりを思い浮かべると、そちらに向かって一目散に走り出した。




○○○○




「うふふっ、久しぶりの我が家に帰ってきたって感じがするわね」


 騒がしい二人をあのまま校門前に置いていたら、我が家とハレリア家の恥を皆の前で晒しているようなものだ。だから私は仕方なく、王都にあるダレス家のタウンハウスへと連れてきた。


 屋敷に到着するやいなや、ビアンカは昔と相変わらず女帝のように使用人たちに持っていた鞄を渡してさっさと中へ入ると、家族団らんで使う部屋に入り、ソファに腰を下ろし、


「お茶は最高級のタスニア産の紅茶ね。勿論ミルクはたっぷりと。それから蜂蜜も忘れないで頂戴。ちょっと疲れちゃったからあとでマッサージの人間も呼んで」


 と困惑の表情を隠せない使用人にそう命じていた。


 一方で姉についてきたガルニア様も偉そうな態度で我が家の使用人に命じ、姉の隣にふんぞり返って座る。


 私は、荷物に関しては玄関に置いておくよう指示し、同時に彼らには客人用ではなく、普段使いしているお茶でいいからというのとマッサージも不要だと伝え、ため息混じりに二人の正面に座って対峙する。


 久しぶりに会う二人は、性格はさておいてやはり大変見目は麗しい。

 

 姉の方はただ綺麗なだけでなく異性を惑わせるような色香も加わっていた。それはガルニア様も同様だ。


 けれどその美貌に、なんというのだろうか、どこかくすみというか、品のなさが混じっているように思えた。

 辛辣な言い方に聞こえるかもしれないけど、どこぞの娼婦と男娼のようなそんな雰囲気で、元が貴族だったとはとても思えないほどだ。


「ところでアレンはどこにいる?」

「彼はここにはおりません。話なら私一人で聞きます」


 ガルニア様の質問に対するこの答えに、彼は鼻をふんと鳴らす。


「あいつ、生意気にも学院に入学したんだってな。兄であるこの俺を差し置いて、本当に可愛くない奴だ。小さい頃は言うことを聞くおとなしい奴だったのに、最近は口答えもするようになってたし……忌々しいクソガキだ」


 忌々しい、というはこちらの台詞だ。

 こんな暴力的で自分勝手な兄に、アレンを会わせるわけがない。

 何の努力もせず、弱きものにただ気に入らないからと気まぐれに力を向け、どれだけ幼いあの子を怯えさせてきたか。


 私は、私を馬鹿にする姉よりも、本来は守るべき立場にいる弟であるアレンを傷付けるこの男の方が嫌いだし許せない。

 アレンの笑顔も未来も、この私が守る。

 だから私はアレンが二人の来訪を聞きつける前にここに連れてきたのだ。


 私は怒りを何とか抑え込むと、平常心を装い、二人に話を切り出す。


「それで。自分勝手な理由で屋敷を飛び出したお二人が今更何の用ですか?」


 すると二人の口は、これまでどういう生活を送ってきたのかいうことをペラペラと語り出すかと思われたのだけど…………。


「物分かりの悪いあなたにも分かるように説明してあげるわ。私はとても慈悲深い性格だもの」

「さすがはビアンカだ。そんな優しいお前だから惚れたんだ。美しくて優しいビアンカのこと、もっと早くからきちんと知っていればよかったと、俺は昔の自分を後悔している」

「私もよガルニア! だけどあの辛く苦しい経験があったから、あなたとの赤い糸が結ばれたとも思っているわ」

「ビアンカ……」

「ガルニア……」


 よく分からないけど、二人だけの世界が繰り広げられている。

 私は何を見せられているんだろう。あと、あんなに仲が悪かったのに一体何があったのか。


 その後ようやく話し始めたのだが、こんな感じで二人だけで盛り上がる場面を挟みつつ、あまりにも説明が下手過ぎたので自分の中で要約すると。


 互いに運命の人と駆け落ちしたものの、二人とも一カ月と経たず相手に捨てられたが、顔が良いこともあり、その後もその辺で出会った新しい運命の人とそれぞれ恋に落ちては捨てられるを繰り返していた。おそらく捨てられたのは、自分勝手すぎる性格が原因だと、聞きながら推測した。


 そして、姉が豪商の妾になって一カ月で僅かな荷物と共に追い出され、対するガルニア様も女公爵の愛人として囲われたのに同じくらいの期間で屋敷から放り出され、互いに途方に暮れていたところで、この王都で偶然にも再会を果たしたらしい。


 そこで初めて二人は、自分たちが同じような理由で別の人と駆け落ちしたこと、その後恋人たちに捨てられることを繰り返し苦労したことを話すうちに、何と意気投合したのだという。


 で、結局運命の人というのは近くにいたのねということになり、二人は愛を探す逃避行に終わりを告げ、貴族としての自分たちに戻ることに決めた。


 ついでに私とアレンがこの学院に入学したという噂をどこからか聞きつけ、挨拶がてら学院へやってきたということだった。


「『幸せの青い鳥はいつも自分のそばに』って言うじゃない? 本当にその通りだったのよね」

「ああ。俺たちは遠回りしたが、こうして今手を取り合っている。お遊びはもう終わりだ。今後は二人でハレリア家を盛り立てて行こうじゃないか! まずはビアンカのためにドレスや宝石を贈らないとな」

「嬉しいわ! やっぱりあなたは私の運命の人よ!」


 そう言って二人は互いに熱く見つめ合う。

 ……もう一度言う。私は一体何を見せられているのだろう。

 

 ここでひとしきり盛り上がり終わった二人は、ようやく目の前にカップが置かれていることに気付いたらしく、一応温情で出してあげた紅茶に口を付けたのだが。


「……何よこれ。侯爵令嬢であるこの私が最高級の茶葉をと命じたのよ!? なのにこれじゃあその辺のお茶と変わらないじゃない!」


 すぐに気付いた姉はカップから口を離すと、乱暴な動作でガシャンと音を立ててテーブルの上に置く。


「どうもここの屋敷の使用人は教育がなっていないようだな! 俺を誰だと思っている!」


 そしてガルニア様も怒りでこめかみに青筋を立てながら、傍にいた使用人に怒鳴り散らす。けれど私は彼女たちに下がるように命じると、大きなため息をこぼす。


 多分分かっていないだろうなとは思っていた。そしてやっぱりこの人たちは何も分かっていなかった。

 貴族籍を持つ人間が、身勝手な理由で自分から姿を消したと判断され半年経った場合、その人間がどういう扱いになるのかを。


 正直、学院に立ち寄らずさっさと実家にでも行ってくれてたら、両親たちが説明をしただろう。別に説明を向こうに丸投げしても良かったんだけど、遅かれ早かれ知るのだから、二人のためにも早い方がいいだろうと判断したのだ。


 これから私が伝えることは、きっとなかなか信じてもらえないだろうし、彼らを怒らせることになるだろう。

 なのでさりげなく武器になりそうな物は、二人が悦に浸りながら話している間に使用人たちに命じて片付けさせたし、八つ当たりされるのを避けるためにアレンをこの場にも呼ばなかった。


 けれど私のこの対応は間違っていた。そもそもこの二人が素直に話に耳を貸すわけがないのに。


 だから私は、屋敷の入り口ででも二人に端的に事実を告げて、二度とここには来ないようにと、非情に見えるかもしれないけど毅然とした態度で対応して追い返せばよかったのだ。もしくはやっぱり両親に丸投げするか。


 それでもここまで通してお茶まで出してしまったのは、ガルニア様はともかく、姉には僅かな欠片ほどのだけど、爪の先ほどの家族としての情が残っていたからなのかもしれない。


 そんな私は、せめて最後くらいはきちんと顔を見て伝えたいと、背筋を伸ばして居住まいを正すと、はっきりとした口調で二人に真実を告げた。


「お二人は既に貴族籍から廃籍されています」


 すると二人の口がピタリと閉じ、辺りが静寂で満たされる。

 私は一瞬、もしかしたら廃籍という単語が分からないのではという不安に駆られた。だってこの二人だ。勉強なんて碌にしてこなかった二人の学力は、もはやその辺の子どもよりも劣っていてもおかしくない。


 だからなるべく二人にも分かるようにという親切心から、もう少し分かりやすい単語を用いて再度告げる。


「つまり分かるように簡単な言葉で言うと、二人とも貴族ではなく、平民になっています」


 その瞬間、姉が立ち上がると、耳を塞ぎたくなるほどに醜く大きな金切り声を上げた。


「それくらい意味分かってるわよ!!! あんたなめてんの!?」

「俺は貴族だぞ! ほんのちょっと外に出てたくらいで、なんで貴族じゃなくなるんだ!」


 その後にガルニア様も、顔を真っ赤にして怒り狂う。


 ということはつまり、なぜ、という理由の方が分からないと。


 仕方がないので私はそちらについても、説明することにした。


 この国では、貴族が個人的な理由で半年以上連絡のつかない状態になった場合。

 その者は貴族籍から廃籍される決まりになっている。


 ここでいう個人的な理由とは、この二人のように自分勝手に家を飛び出したとか、そういうのである。


 昔何代か前の次期国王が平民の少女と愛の逃避行をした末に、やっぱり貧乏な生活は無理だったとけろっとした顔で戻ってきたことがあったそうで、王子を溺愛していた当時の王妃が息子をそのまま王位に据えようとし、国王陛下となかなか熾烈なバトルを繰り広げたという。

 何とかその王子の即位は阻止したものの、それ以来二度とこのようなことが起こらないようにとできた決まりらしい。


 このことは貴族であれば一般常識として知っていることだ。なんなら平民の間でも広く知れ渡っていることだ。

 それをこの二人は、この怒り具合から見るに、本気で知らなかったようだ。


「そんなこと、俺は信じないぞ!」

「信じないと言われましても、事実ですので。納得いかないようでしたら、しかるべきところにでも行って確認してください」

「俺はハレリア家の長男だぞ!」

「そうよ! 私だってダレス家の長女よ!? こんなに美しい娘を、両親が捨てるわけがないじゃない!」

「規則ですので、どれだけ両親がそれは嫌だと訴えたところで、どうにもなりません」


 どれだけわがままで自分勝手でも、やっぱり我が子は可愛いのか、当主や当主夫人に据えるのは無理でも、せめて貴族の末席には残しておきたかった両家の両親は、王家にダメ元で何とか期間を伸ばしてもらえないかと嘆願書を出したが、当然却下された。


 その後も二人はこちらの言葉を信じず、やかましくまくしたて続ける。

 特にアレンがハレリア家の次期当主に、そして私がアレンの婚約者になったと聞いた時、二人の怒りは頂点へと達したようだ。


「あのアレンが、よりにもよって当主だと!?」

「何の取り柄もない、顔だって私に劣って見るに堪えないあんたがよりにもよって次期侯爵家の夫人になるというの!?」


 確かに姉の言う通りだ。私は彼女に比べたら決して見られた容貌じゃないんだろう。

 言われ慣れていたことだけど、久しぶりに言われたからなのか、それともアレンが私を気遣って毎日綺麗だとか可愛いだとか言ってくれてたからなのか、ズキリと心が痛む。


 そんな傷付いた私の表情に構わず、姉は尚もまくしたてる。


「ドレスだって宝石だって、あんたには宝の持ち腐れよ! ああいうのは私のような人間が付けて初めてその価値があるの。辛気臭い顔のあんたがそんなものを身に着けて社交界に侯爵夫人として出るなんて、許せない────!」


 そして姉は中身の残ったカップを持つと、そのままこちらに向かって投げつけた。


 その時、まるで時間がゆっくりになったように感じる。

 放物線を描いてこちらの頭めがけて飛んでくるカップを見つめたまま、私はカップを凶器として使う可能性を失念していたことを後悔するけど、もう遅い。


 避けるのには間に合わない。死にはしないだろうけど痛いだろうなと、そんな風に思いながら私は、そのカップがぶつかるのをただ待つしかなかった。


 なのにそれが私に当たる直前、私よりも少しだけ小柄な何かが間に入って、その何かに代わりにカップがぶつかった。


 ガシャンというけたたましい音を立てて、陶器製のカップが床に砕け散る。

 けれどその音なんて気にもならないほど、私の頭は混乱を極めていた。


「アレン……!?」


 どうしてここにいるんだろう。

 私の頭に投げつけられたはずだったカップは、アレンの頭にぶつかったようだった。

 

 けれどアレンは私の方を見て少しだけ安堵したように表情を緩めた後、今度は険しい表情でまっすぐにビアンカを睨みつける。


 そしてお腹の底から出したような、まだ声変わり前とは思えないほどアレンにしては低く抑揚のない声で、ビアンカに向かい口を開いた。


「あんた、今アンジーに何したのか分かってんの? しかもさんざんアンジーのこと、けなしてくれてさ。その目って節穴なわけ? あんたの方がアンジーよりも何もかも劣ってるくせに、アンジーが馬鹿にされる意味が分からない」


 その声には確かに怒りが滲んでいた。あまりの迫力に思わず姉がたじろぎ、一歩後ろに下がってペタンとソファに座る。怖がっているのか、明らかに怯えている。こんな姉の顔を見たのは生まれて初めてだ。


 けれどそんな姉のことも、私がいつものようにけなされたことも、そんなことはどうでもよかった。だってアレンの頭から血がつーっと一筋流れていることに気付いたから。


「待って! アレン、血が出てるわ!?」

「このくらいなんともない。それより俺は、アンジーがあいつに嫌なことを言って傷付けたのが許せない」

「私は大丈夫よ。だって姉の言っていることはあながち間違っているわけじゃないんだし……」


 そう言ったら、アレンが怒っているような悲しんでいるような、そんな複雑な面持ちでちらりと私の方を一瞥した後、


「……アンジーにそんな風に思わせたあいつが、俺は本当に嫌いだ」


 そう小さく呟いて、私が血を拭うために取り出したハンカチで頭を押さえようと手を伸ばしたのを振り払い、足を止めずそのまま姉に詰め寄る。


「そうやってあんたが酷い言葉で攻撃する度、アンジーはいつも傷付いてたんだ。あの頃の俺は慰めることしかできなかったけど、いつか絶対にあんたに直接文句言おうと思ってた。ねぇ、今すぐさっきの言葉と、それからこれまでアンジーに言ってきた言葉も取り消してよ」

「アレン……」


 姉に言われる言葉を、私はそれが真実だって思って諦めて受け入れていた。

 けれどアレンはそれが間違っているっていつも私に言ってくれていて、今だって自分のためじゃなくて、私のために怒ってくれている。

 それだけで、傷付けられた心がじんわりと温かいもので満たされていって、姉に何を言われてももう平気な気がした。


 姉がますます引きつった表情で後ろずさるけれど、アレンは気にせず尚も詰め寄る。


「何とか言ったら? それともなに、あんたよりも何歳も年下のガキの俺に、まさかびびってんの?」

「あ、その…………」


 その時姉の隣にいたガルニア様が間に割って入る。


「久しぶりだなクソガキ。俺のビアンカを随分と怖がらせてくれちゃってよぉ。会わない間にますます生意気ぶりが増したんじゃないか?」


 そしてそのままアレンの胸ぐらを掴んで持ち上げると、地面に足のつかないアレンがうめき声を上げる。


 その時のアレンが、ガルニア様に怯え震えていた小さい頃のアレンの姿と重なって見えた。

 だめだ、またアレンにあんな思いをさせるわけにはいかない────!

 

 けれどアレンは昔とは違い、そんなガルニア様に対して一切怯んだ様子はなく、不敵に笑って見せ、少し苦しげに呼吸しながらも喉の奥から声を絞り出す。


「あんたこそ、少し会わない間に、ちょっと変わったみたいだね」

「あ?」

「これまで自分がずっと、一番だったくせに、この女を助けるなんて、意外だって言ってるんだよ、この、クソ兄貴」

「弟のくせに、生意気な口叩いてるんじゃねぇ!」


 その瞬間、ガルニア様がアレンの頬を殴りつけようと、思いっきり拳を振りかぶる。


「やめて!」


 私は声を上げながら急いでガルニア様の元に向かう。

 力では敵わないけど、彼の手を引っ掻いたら少しは拘束が緩むかもしれない。ただでさえ今怪我をしているのに、アレンにこれ以上傷が増えるのは耐えられない。

 けれどガルニア様の攻撃が当たる、そして私が彼を引っ掻くよりも前に、アレンはガルニア様の目の前に、ぺらりと一枚の紙を見せた。


 それにより、ガルニア様の動きが止まる。


「なんだよこれは……」

「あんたでも、字くらいは、読めるよね? あんたたち二人が、それぞれ廃籍されてるっていう、公的な証明書」


 いつの間にアレンはこんなものを用意していたのか。確かに裏から透けて見えたその書類の一番下には、王家の紋章が刻印されていた。


「う、嘘だろう……!?」


 私の言っていたことが真実だとやっと理解したらしく、顔面が蒼白になったガルニア様はアレンを手放すと、力が抜けたようにその場に座り込む。


 一方で拘束から解かれて地面に落とされ、咳き込んでいるアレンに私は急いで駆け寄ると、背中をさする。


「アレン、しっかりして!!」


 彼の頭の傷はようやく血は止まったものの、相当に痛むはずだ。それなのにアレンはそんな素振りはまるで見せず、私に向かっていつものように笑みを浮かべた。


「っ、もう平気」


 私は今度こそアレンの頭にハンカチを当てると、やっぱりやせ我慢していたのかわずかにアレンが身をよじり、低い唸り声を上げた。


「とにかく急いでお医者様に診てもらわないと!」

「大丈夫だって。このくらい放っておいてもすぐに治る」

「何言ってるの! あなたが怪我をしたのは頭なのよ!? 何かあってからじゃ遅いんだから!」

 

 言いながらぽろりと涙が零れる。


 私がもっと一人で上手に対応できていたら、アレンはこんな目に遭わずに済んだ。私はアレンよりも年上で、だからこそ彼を守らないといけなかった。

 それなのに守られたのは私の方だった。


 怪我をしてない私が泣くなんておかしいのに。


「アレン、ごめんなさい…………」


 鼻を啜りながらみっともなく涙を流す私を、アレンは幼い子どもをあやすようにぎゅっと抱きしめる。


「アンジーが謝ることないって。それよりアンジーに何もなくてよかった」

「よくはないわよ! だってアレンに怪我をさせちゃったもの。私はあなたを守りたかったのに」

「言っとけどそれこっちも同じだから。俺だってアンジーを守りたかった。だって俺はアンジーの婚約者でしょう? 好きな子が嫌なこと言われるのも怪我するとこも見たくなかったし」

「そうだけど、でも」

「まあ、あんまりカッコいい助け方はできなかったけどさ」


 アレンは成長しているとはいえ、まだまだ私よりも幼いと思っていた。

 それなのに、アレンはビアンカの前でもガルニア様の前でも一歩も引かなかった。

 それにこうなることを予想していたのか、あんな書類まで用意していた。

 それだけじゃない。彼はいつも話を聞いてくれたりそばにいてくれた。私はずっと昔からアレンに助けてもらっていたのだ。

 

「アレン。……助けてくれて、ありがとう。今日だけじゃなくて、今までも。それにさっきのあなたはとてもカッコよかったわ」


 私は体をアレンから離し、涙で滲む瞳を手で拭ってそう言えば、アレンは嬉しそうに笑ってみせた。


 その笑顔を目にした時、ふと、私の中でとある考えが頭をもたげる。


 私はこれまで、アレンが私に抱いているのは、姉弟の間や家族に対する親愛の情、もしくは友人に対するものだって思っていた。

 そして私はアレンに対して少なくともそういう感情を抱いている。


 けれどもしかしてアレンは────────。


「ねえ、アレン、あなた」


 だけど彼に何かを言おうとしたその時、医者が到着したという声が私の耳に届く。


 そうだ、今はアレンの傷を医者に見せることと、そして未だに呆然と佇むガルニア様と、同じく彼から書面を見せられて言葉を失っている姉をどうにかすることが先だ。


 幸いアレンの傷は、心配するほどのことではないと言ってもらった。


 そして残る一つの問題、ガルニア様とビアンカの件はというと。 


 私的には、もしかしたら暴れ回ってこの屋敷中の物を壊して回るんじゃないかって一瞬心配していたのだ  

 けど、意外なことに二人は随分と大人しかった。


 そしてようやく私の言っていたことが本当だと理解したらしい二人は、当たり前だけどこちらへの謝罪なんて一つもないまま、茫然とした面持ちのままこの屋敷を出て行った。


 おそらくだけど、いつでも帰れると思っていた場所に帰れないことが、相当にショックだったんだろう。


 あれだけ堂々とした出で立ちだった姉が、背中を丸めて去っていく姿を見た私の胸には、何とも言いがい感情が押し寄せる。


 私は姉が好きではない。また一つ屋根の下で暮らすのはごめんだし、仲良しこよしの姉妹に戻りたいわけでもない。


 だけどそれが周りから見て間違っていようが、どんな時でも自分が正しいと信じて自信満々で突き進む姉のことは、嫌いではなかったのかもしれない。

 これまで散々振り回されたのにおかしな話ではあるけど。


 そんな風に思いながら、私はきっとこれが最後になるかもしれない姉の後姿を見送った。


 


●●●●アレン視点




 アレンは今、立ち去ったばかりのガルニアたちを追って屋敷の廊下を進んでいた。


 正直、二度と会いたくないと思っていた。一生関わりたくないとも。

 それなのにこうして追いかけているのは、あの二人が二度と自分や、なによりアンジェリカに危害を加えないよう念押しする為だった。


 アンジェリカは置いてきた。彼女は一緒に付いてきたそうではあったが、自分に任せてほしいとアレンが説得したためだ。

 これまでだったら、たとえそう言われても絶対についてきたであろうアンジェリカだったが、今回は違った。


「分かったわ。……アレンに任せる」


 その言葉と表情に、アレンは彼女が自分を見る目に変化を感じると共に、任せると言われたことが嬉しいと思えた。ようやく庇護対象から抜け出して、少しだけだが頼りにしていると思ってもらえるようになったんだと。


 そしてだらしなく緩みそうになる頬を彼女から見られないように急いで立ち上がったアレンが、屋敷の扉を開けて外へ出ると、あの二人はまだ門の前にいた。


 アレンは、ガルニアの性格をよく知っている。自分が大事で他はどうだっていいという人間だ。

 だからあの時は本当に意外だったのだ。ビアンカから庇うように、あのガルニアが立ち塞がったことが。


 そして今そのガルニアは、茫然自失となりながらも、これからどうしようと涙を流すビアンカを慰めるように彼女の肩を抱いていた。


「ねえ」


 アレンが呼びかけると、彼を見下ろすガルニアの瞳に、一瞬剣呑な光が宿る。けれどそれは本当に一瞬のことで、すぐにそれはなくなった。


「……なんだ、この俺を馬鹿にしにきたのか」

「言っとくけど、俺はあんたをこれまでずっと馬鹿だと思ってきたよ」

「そうかよ。で、何の用だ」

「あんたはもうハレリア家の人間でも何でもない。だから二度とうちには関わらないで。それにアンジーにも。もし近付いて危害でも加えようもんなら、俺が全力であんたたちを叩き潰すから」

「俺に拳の一つも入れられないガキのお前が、何ができる」

「暴力に物を言わせるだけが力じゃない」


 アレンはガルニアを、臆することなく睨みつける。もう怯えていた頃の自分はどこにもいない。


 もしかしたら一発くらいは喰らうかもしれないと思っていた。けれどガルニアは顔を歪めただけで、先ほどのようにアレンに手を出すことはしなかった。


「……本当なら殴ってやりたいところだが、平民が貴族様に危害を加えたら相応の罰があるんだよな」


 知らないことの方が多いはずの男なのに、なぜそれだけは知っているのかと思わず苦笑いが浮かぶ。


 それで言うなら既にビアンカもガルニアもアレンに危害を加えているのだが、それについてはこの男にとってはなかったことになっているらしい。

 アレンも今更それをどこかに訴えるつもりもなかった。なんにしろ、一刻も早く悪縁は切りたいと、それだけが今のアレンの望みだ。


 けれど、これが最後の兄弟の会話になるのかもしれないと思ったからなのか、アレンの口が勝手に動く。


「これからどうするの?」

「知ってどうする」

「別に? ただあんたらの居場所くらいは掴んでいた方が安心だと思っただけだよ」

「心配する必要はない。俺たちは一切お前らには関わらない。それより、ビアンカと一緒にいるためにどうやって食い扶持を稼ぐかを考えるのが先だ」

「若くて健康な体があれば、どこででも働けるんじゃないの?」


 そう答えながらアレンは思う。

 やはりガルニアはほんの少しだが変わったようだと。全てを失ったビアンカを見捨てることなく、二人で生きていくつもりがあるようだ。今のところはだが。


 たとえ変わったところでガルニアにこれまでされてきた過去が消えるわけではない。今だって死ぬほど嫌いだし憎いし、仮に葬儀に出ても涙など一滴も出ない自信がある。


 けれどそんな変化を目の当たりにしてしまったが故に、アレンの中には既に失われていたと思っていた家族としての情がほんの少し顔を覗かせた。


 アレンは懐からそれなりの金額の入った封筒をガルニアに放り投げる。


「これあげる」

「は? なんだこの金」

「俺が稼いだ金。……正直追っ払ってすぐにその辺で野垂れ死なれたら、こっちの寝覚めが悪いんだ。だからそれ持ってとっとと失せなよ」


 そう言うとアレンは踵を返しその場を離れかけ、再度振り返ると、


「それと、落ち着いたら父さんたちに手紙くらいは寄越したら? ────俺はあんたの安否なんて全くどうでもいいけど、父さんたちはずっと心配してるから」


 口には出さないが、ガルニアがいなくなってから両親があまり元気がないことは知っていた。


「じゃあね」

「待てよアレン」

 

 呼び止められたアレンは、怪訝そうに首を傾げる。

 そんな彼に対し、ガルニアは不本意そうにだが、わずかにアレンに対して頭を下げると、そのままビアンカを連れて消えた。


 おそらくあの兄と、そしてアンジェリカを散々に苦しめてきたビアンカと会うことは二度とないだろう。

 それなのにもう金輪際顔を合わせない相手に、折角アンジェリカのためにと稼いだ金を渡してしまい、自分もまだまだ甘いなとアレンは思う。

 けれど不思議と後悔はなかった。




○○○○




「アレン、口開けて」

「いいってばアンジー!」


 ベッドに座るアレンの口元にうさぎの形に剥いたリンゴを運ぶと、彼は嫌そうに顔をぷいっと横に背ける。

 

 そんなアレンの頭には包帯が巻かれている。幸い大きな傷跡や後遺症が残るようなことはないようだけど、念のため今日は学院を休んでいたアレンのお見舞いにやってきたのだ。


 そして昔から怪我や病気をした時に好んで食べていたアレンのために、お見舞いの品として持ち込んだリンゴをこうしてアレンに食べさせようとしていた。


 けれど私のこの行動が気に喰わなかったらしい。


「っていうか俺のこといくつだと思ってるわけ? フォーク持てない年齢じゃないんだし、それくらい自分で食べられるから」


 彼に言われて私ははっと気付く。

 そうだった、アレンはもうあの頃とは違うんだと。


「……そうだったわね」


 フォークをお皿の上に戻すと、私はそのお皿ごとアレンに手渡す。するとアレンは怪訝な表情を浮かべてこちらを見つめる。


「珍しいね、いつもなら俺がそう言っても自分が食べさせるんだって聞かないのに」

「だってアレンはもう、私が守ってあげないといけなかった、小さい子どもじゃないんだもの」


 あの二人を追いかけて行ったあとのことは、アレンから話を聞いた。

 おそらくあの二人がこちらに関わる気はないだろうということ、アレンが最後にガルニア様と話をしたこと。


 アレンとは婚約する前からずっと一緒にいたのに、私は気付けなかった。彼がいつの間にかこんなにも成長を遂げていたことに。

 それからアレンが私のことをどう思っていたのかも。


「ねえ、アレン。聞いてもいい?」

「なに?」


 しゃくしゃくっと、アレンがリンゴをかじる音だけが部屋に響く中、私はどう言おうか思い悩む。

 けれど結局直球で尋ねることにした。


「アレンは、私のことが好きなの?」


 リンゴをもう一口齧ろうとしたアレンの口が止まる。

 そのまま彼はお皿をサイドテーブルの上に置くと、いつも私に言っていた時と変わらない真面目な顔で、はっきりと断言した。


「俺はアンジーのこと、昔からずっとそういう意味で好きだよ」


 その言葉を聞いて、やっぱりそうだったんだと、改めて彼の気持ちを再確認する。


 彼の言っている『好き』は、異性に向けられるものだ。そして私はアレンから、ずっとその感情を向けられていたようだ。


 けれどその気持ちは、彼の勘違いではないのだろうか。

 

 アレンの近くにいた異性は私とビアンカくらい。そして私はよくガルニア様からアレンを守っていた。だからこそアレンからは慕われていたんだろうし、その気持ちをもしかしたらアレンは恋愛的な好意に置き換えてしまっているんじゃないかと。


 まして幼い頃からその気持ちを抱えていたのなら、勘違いしてしまってもおかしくない。


 ────だから本当は今日、アレンにはそう言ってみるつもりだった。

 だけどそれはやめた。

 今のアレンを見たら、それが勘違いから生まれた好意じゃないって分かったから。


 だからこそ、きちんと彼と向き合わないといけない。たとえその結果アレンが傷付くことになったとしても。

 私は一度唇を噛むと、意を決して彼に今の気持ちを伝えた。


「アレン。これまであなたの気持ちに気付けなくてごめんなさい。気持ちは嬉しいわ。ありがとう。でもね、私はアレンのことをそういう目では見られないの。あなたのことはずっと弟のように思っていたから」


 私とアレンの『好き』は違うものだ。だからどれだけ彼がまっすぐ好意を向けてくれても、私はそれに応えることができない。


 けれどアレンはそんな私に対し、動揺することも悲しむこともなく、何を今更とでも言わんばかりにさらりと言った。


「そんなのずっと前から知ってたけど」


 私としては、ある意味一世一代の告白のつもりで口に出した言葉だったのに、アレンの様子はいつもと変わらない。


「急に畏まった顔になるから何事かと思ったじゃん」


 そしてアレンは戸惑う私をよそに、再度リンゴに手を伸ばし、小さくなったそれを口の中に放り込む。


 一方の私は何と言ったらいいか分からず、そんなアレンをただ困惑気に見つめていた。


 やがて彼は全てをお腹の中に収め、空になったお皿を置くと、小さな声で呟いた。


「あのさ、俺、ソフィア王女と婚約なんてする気ないから」

「!? 知ってたの?」


 その話はつい先日ランベルト殿下から聞いたばかりだった。

 驚いて目を丸くする私を見て、アレンは肩をすくめる。


「知ってるも何も、あの王女様からは分かりやすく好意向けられてたし。それにアンジーが自分の代わりに俺の婚約者候補を探してるってのもどっかから聞いたんだろうね。ランベルト殿下も自分の妹を勧めてきてたから」

「……そのことも、アレンは知っていたのね」


 私に代わる、アレンにふさわしい婚約者探し。彼にはばれないように秘密裏に動いていたつもりなのに、当の本人には筒抜けだっただなんて。


 けれど本当にこれでいいのだろうか。アレンの気持ちを知って尚、やっぱり私が相手じゃもったいないと思っている。

 彼の将来とか幸せを考えるなら、やっぱり私以外に目を向けるべきだっていう話をした方が…………。


 ────バチンッ!!


「っ!?」


 考え込んでいた私のすぐ近くで突然大きな音が鳴り、息が止まりそうなほどに驚いて顔を上げると、目の前にアレンの両手があった。

 どうやら音の原因は、彼が両手を私の顔の前で叩いたかららしい。いわゆる、ねこだましだ。


「びっくりした?」

「当たり前じゃない! なんで急にこんなこと」

「だってアンジーが思いつめた顔してたから」


 アレンが悪戯成功と言わんばかりに嬉しそうに笑っている。その顔を見ていると、なんだか怒るに怒れない。

 ふぅとため息をついていると、アレンはふっと真面目な表情になる。


「アンジーが何考えてるか、大体分かるよ。自分がふさわしくないとか、俺のためにってことで、この関係を解消したいとか思っていそうだけどさ」

「だって、私じゃやっぱりあなたの相手にはふさわしくないと思うの。アレンはさっきソフィア王女と婚約はしないって言ったけど、どう考えても私とよりも彼女との方が釣り合いは取れているし、アレンも幸せになれる……」

「自分の幸せくらい自分で決める。俺にとっては、アンジーと一緒にいられることが一番の幸せだ」


 そこまではっきりと言われてしまったら、どうしようもない。


 私だってアレンと一緒にいるのは幸せだと思えるし、彼との婚約だって嫌だったわけじゃない。ただ私以外の選択肢があった方がアレンもいいんじゃないかって考えただけで、きっと彼からすれば私のこの行動は余計なおせっかいだったんだろう。

 と同時に、アレンの幸せはこうだって勝手に決めつけていた私は、かなり傲慢だったのだと気付いた。


「それよりアンジーの方こそどうなのさ」

「私の方?」

「アンジーこそ俺が相手だと不満だからそんな風に言ってるんじゃないの? ……それこそ俺よりも大人で年も同じくらいのランベルト殿下の方がいいって、内心では思ってるとか」


 どうしてここであのランベルト殿下が出てくるんだろう。年齢は確かに私と同じだし、彼には婚約者もいなかったはず。

 マリーとカーラは若干性格に難がありそう、みたいなことを言っていたけど、見た目は良いし学院内でも人気は高い。だけど。


「素敵な方なんだろうとは思う。でも私は、年齢なんて関係なく、アレンの方がいいと思っているわ」


 異性としての好きではない。けれど私自身が今のアレンとの関係に不満を持っているわけじゃない。


 ただ、アレンの気持ちに応えられないことだけが気がかりだった。


「本当にいいの? あなたのことは好きだけど、さっきも言ったように、今の私はあなたに対して同じような気持ちを抱けていないわ」

「別にいいよ。だって俺が世間的に見てもアンジーから見ても、悔しいけどまだ子どもなのは変わらないし。むしろこれまでどんだけ好きだって言っても本気にしてもらえなかった頃と比べたら、一歩前進した感じだからまあいいかなって。それに、アンジー言ったよね? 『今』はって」


 そしてアレンはニヤリと笑うと私の手を取って自身の右手と合わせる。


「今の俺は手の大きさもまだアンジーと変わらないけど、そのうち手も背もアンジーよりも大きくなるよ。勉強だってもっと頑張るし、アンジーが変な奴に襲われても助けられるように剣の修練だってするつもりだし、誰がどう見てもあの王子よりもカッコいいって思ってもらえるような男になる。だからちゃんと隣で俺のこと見ててよね。弟みたい、じゃなくて、アンジーにちゃんと好きになってもらえるように頑張るから」


 そう言ってまっすぐにこちらを見つめる彼の深緑色の瞳の奥には、身を焦がしてしまいそうなほどの強い熱が灯っていた。

 もしかしたらその熱にのまれてしまう時が来るのかもしれない。今のアレンを見ながら、私はちょっとだけそんな未来を想像してしまった。




◯◯◯◯


 


 アレンから告白されて一年が経って。

 だけど私とアレンの関係は、あの頃と大きく変わったわけじゃない。


「いい加減諦めろって言ってるのにあの王子、しつこいったらありゃしない」


 半年前にソフィア王女の家庭教師をやめたアレン。ちなみに彼がその時報酬としてもらったお金で私に購入してくれた髪飾りは、今私の頭についている。

  

 けれどこれで縁がなくなったのかと思いきや、相変わらずランベルト殿下に気に入られているらしいアレンは、殿下に呼び出される度にあからさまに不機嫌な顔をしながら赴くけど、すぐに私の元へ帰ってくる。


 そして苛立ったように息を吐きながら、これまでよりも低く、少し掠れ気味の声でそう呟くといつもの定位置に腰を下ろす。


「一体アレンは何を諦めさせようとしているの?」

「……アンジーには言わない。できればこのまま何も気付かずにいてほしい」

「何よそれ」


 尋ねてもいつもこの調子なので、きっと答える気はないのだろう。

 そんな会話を交わしながら、私はアレンを何気なく眺める。


 顔つきは以前よりも幼さがなくなっているし、いい剣術の師範を見つけたみたいで、道場に通って毎日剣を振っているせいか、体つきもずいぶんと逞しくなった。


 身長は既に私を抜き去って頭半個分は高いし、声変わりも始まっている。

 

 もうちょっとしたら、アレンは少年っていう感じじゃなくなって、あっという間に美麗な青年へと成長を遂げるのだろう。


「なに、人のことジロジロ見てきて。……もしかして惚れた?」


 茶化すように、だけど目の奥は何かを期待するようにキラキラと輝かせるアレンに、私は正直に首を横に振る。


「いいえ、ただちょっと見ていただけ」

「なんだ、残念」


 でもそう答えた割には、アレンの口ぶりはどこか楽しそうだった。




 そして、完全に大人になったアレンと同じ気持ちで向き合えるようになるのは、それから数年先のことだった。


廃籍でいいのか、除籍のほうがいいのか。他に別の言い方があるのかなと思いながらいったん廃籍にしました。

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